32「忌々しき『特異点』」
[第97セクター 『隠れ家』 移動小惑星イルテア]
現行宇宙において、『異常』な人々が存在するように。
ごく稀にだが、『異常』な星というものも存在する。
ウィルが手ずから「捕まえ」、水と空気と他にも色々と環境を整え。
住み良く魔改造した無人の移動小惑星は――イルテアと名付けられた。
ここは、フェバルの制限時間が存在しない星。『異常生命体』の生存が「許された」星。
そして、Intermission――過去と未来を繋ぐ『観測者』たちの『隠れ家』となっていた。
ウィル、セカンドラプター、インフィニティア。
たった三人だけで始め、続けた『観測』の役割。
途中からはアニエスが加わり、現在に至るまでを見守ってきた。
時にあえて静観し、時に大胆な『修正』の手を加えながら。
いそいそと旅支度を進めていたウィルに、背後から快活な女の声がかかる。
「ちーっす。ウィルお兄さん」
「アニエスか。この一大事にやかましい奴だ」
「こんなときだからこそ、ですよ。で、首尾はどうですか先輩」
先輩と呼ぶのにも、ウィルは軽い溜息を吐くに留める。
やけに馴れ馴れしく絡んでくるのも、彼にとってはもう慣れっこになりつつあった。
そして。現況がかつてなくやばいことは、火を見るよりも明らかだ。
「何もかもが想定以上だ。アイの奴め……あんな大それたことを計画していたとはな」
ラナソールの『事態』、そしてアルとの接触。
想定よりもずっと早く、「やがてくる未来」に約束された戦いは始まってしまった。
ユウが十分な成長の実りを受けられないままに。大切な力を封じられたままに。
あれでは到底敵うはずもない。
皆それぞれに歯痒い思いをしたが、ほとんど何もできなかった。
リデルアースが「閉じていた」以上、『観測者』でさえ誰も助けに向かうことはできなかったのだ。
ただ一人――いよいよ星の壊れる寸前に、『掟破り』の開発が間一髪間に合ったリルナを除いては。
「『最悪』と謳われるだけのことはありますね。恐ろしい」
「少しでも準備させてやりたかったのだがな」
「仕方ないですよ。ウィルお兄さんはできるだけのことはしました」
「通用しなければ意味がない」
「そんなこと……きっと」
「なんだ」
「ううん。何でもないです」
……アニエスは、誰にも言っていないことがある。
彼女は深くユウを想い、過酷なあの人の現状を嘆き哀しみながらも。
あのとき、中途半端に助けに向かうことが「正解ではない」とも感じていた。
彼女は自身の体験した未来の出来事から、それとなく直感していた。
この戦いにはどうしても避けられない理由があり。決して曲げてはならない大事な過程があり。
きっと本人以外知ることのない、誰にも語らざる隠された秘密があるのだと。
それこそが。彼女の知るあのユウくんに繋がる――最後の鍵なのかもしれないと。
「ともかく、あいつはとうとう『自分自身』と向き合わなければならなくなってしまったらしいな」
口を酸っぱくして言ってきたことだが、いざそうなってみると皮肉なものだと。
ウィルは初めて、あの女にも心から同情できたのかもしれなかった。
「……見立ては」
「はっきり言ってやろうか。『女神』アイに勝てる奴は――現状誰もいない。この僕も含めてな」
ウィルはかなり正確に現状のアイの強さを見積もっていた。
『神性体』の秘奥に至った彼女は、今や星消滅級の中でも天井知らずの領域に到達しつつある。
あの『白』の姿は。エラネルでほんのわずかな仲間たちと深く繋がっただけで、弱体化前の自分といいところまで渡り合ってみせたのだ。
今内なるアルから解き放たれ、代償として力の大半を失った自分では。万に一つも勝てないだろう。
「うぐぐ。手厳しいっすねお兄さん。もうちょっとまかりません?」
「言ってまかるものならな」
「ですよねー」
人の心を融かし、要素だけ無理やり奪っている分「純度」はかなり落ちるだろうが。それでも星々を巡り、取り込んだ量は桁違い。
それこそ力押しで倒すなら……かつての『黒の旅人』に頼らねばならない。
それほどまでに、凡百のフェバルや星級生命体どもとは隔絶している。
あるいは、『黒性気』を纏う者であれば。
ダイラー星系列の『力神』ダインゾークや、『外銀河の帝王』ガルヴァーン級ならば……。
だが【運命】とは、そういう風にはできていない。
あれは『星海 ユウ』を滅ぼすことをまず優先してしまう。小回りの利かない大鉈を振るう『光』の問題なところだ。
状況は既にバグのように、滅茶苦茶に壊れてしまっている。
たとえ『星海 ユウ』を滅ぼしたとて、アイが大人しく【運命】の下に収まるとも思えない。
既に、ユウかアイか。互いの存亡を賭け、どちらかあるいは双方が潰えるまで終わらない。
「あたしがちゃんと生まれてくるどうかの瀬戸際ってわけですね……」
「そういうことだ。よかったな。大好きなユウくんと運命共同体だぞ」
「わーいって、さすがに素直に喜べないですよ」
改めて己の「危うさ」を認識すると、彼女は世界の底が抜けたような気分になる。
いつでも自分が消えてしまうかもしれない肌寒さがある。
思わず身震いしてきた自分を抱きすくめ、彼女はまだ己が「無事」であることを確かめて。
ユウが勝てば、アニエスの生まれる未来へと。
アイが勝てば、全宇宙はアイに染まる。
どちらも共倒れになれば、【運命】の一人勝ち。
今こそが【運命】の『特異点』――誰も『観測』するまでは結末を知らない、唯一の刻。
この刻を目指して、過去は永劫繰り返し。
遥か未来の『壁』に突き当たり、そしてまた始まる。
無限連鎖のチェインが、複雑に絡み合って。
いつか知るべきことを、まだ知らないユウくん。
まだ知らないはずのことを、知っているあたし。
アニエスには、今もそれとなく『視えている』。
たぶん。きっとたくさんのあたしが。生まれることはなかった。
ユウくんを助けられなかった。ユウくんを見殺しにした。
あるいは、志半ばで力尽きて。もしかしたら、時には自らの手で……。
……数えきれないほど多くのあたしが、絶望の淵に沈んでいった。
今も『可能性』の闇の底から、ずっとあたしを引っ張っている。
あれほど元気にとのたまっていたのに、気付けば俯きそうになっているアニエスを。
ウィルは見かねて、力強く彼女の背中を叩いた。
「ひゃっ!」
「【運命】と戦っているのはお前だけじゃない。今が正念場だろう。しっかりしろ。時の巫女よ」
「……はいっ! そうですね」
そうだ。誰よりもきつい『破壊者』の役目をずっと背負ってくれたこの人の前で、こんな情けない顔してちゃいけない。
アニエスはぱしっと両頬を叩くと、どうにか元の調子を取り戻した。
「それじゃあたし、ちょっくら覗いてきますね!」
「気取られるなよ」
「その辺はプロですので」
星空が広がる外へと飛び出し、彼女は得意の光魔法を使う。
見晴らす魔法《アールカンバー》を魔改造し、遠く離れた星の様子さえつぶさに観ることのできる特製の《アールカンバースコープ》。
それをもって、遥か彼方からアイの仕業を観察し――
「あわわわわわわわわわわわわわわ!」
アニエスは顔を真っ青にして、ウィルの部屋へまたすっ飛んできた。
「あの! あのあのあのっ! やばくて! やばやばのやばです!」
気が動転してさっぱり要領を得ない彼女を、ウィルは半眼で宥めすかす。
「どうした。落ち着け」
言われた彼女は、何度もすーはーと深呼吸して、やっとのことで核心的な一言を告げた。
「レンクスお兄さん、操られちゃったみたいなんですけど……」
「は?」
ウィルの目が点になり。それからわなわなと肩を震わせて。
「あの馬鹿が。だから言っただろうが!」
彼は額に手を当て、悪態を吐かずにはいられなかった。
既に道は出来上がっていると。お前には助けられないと。それが【運命】だと。
せっかくエルンティアで散々忠告してやったのに。一発で台無しにしやがって。
アイの【侵食】へ馬鹿正直に突っ込むとは、無謀の極み。
――やってくれたな。おかげで実に面倒なことになった。
レンクスは、素の実力でも今のウィルと圧倒的な差はない。
あいつはどうしようもない馬鹿だが、あれでもフェバルの中で指折りの実力者なのだ。
【神の器】のほとんどを奪ったアイは、しもべと化したものに凄まじい強化を施すことができる。
あの変態は元々あの女に身も心も捧げていたようなものだから、大変に「かかり」が良いだろう。
下手すればもう、自分でも敵わない。
ユウを助けるどころか、みすみす厄介な敵になりやがって。アホが。
「このアホがって顔してます?」
「……うるさい」
ウィルはとにかく頭が痛かった。
なんでお前はそう、いつもいつも間が悪いのだ。邪魔ばかりするのだ。
【運命】のせいだろうな。そうだろうな。
「ど、どうしましょう?」
「…………」
すぐには結論の出ない難題に、二人して頭を悩ませていると。
『神の穴』を通って、また二人の『観測者』が現れた。
ウィルとアニエスにとっては馴染みの戦友――インフィニティアとセカンドラプターである。
「おいおい。どしたよ。随分シケたツラしてんじゃねーの」
「あの、えっとですね。今しがたとんでもない問題が発覚しまして」
アニエスがかくかくしかじか、説明する。
「それは……大変困りましたね」
インフィニティア――ミズハも陰ながらユウの旅を見守ってきただけあり、レンクスという男の強さについてはよく知っている。
その彼が敵に回り、さらに遥かパワーアップしているというのだから。
それから互いの情報交換を行い、あーでもないこーでもないと議論を積み重ねて。
やがてウィルは、一つの重大な決断を下した。
「仕方ない。『解禁』しよう」
「えっ。大丈夫なんですか?」
「オレはいいけどよ。こそこそしろっつったのはあんただぜ?」
彼は熟考を重ね、大丈夫だろうと断ずる。
「既に『特異点』に至った。敵も反則な真似をしているんだ。こちらもなりふり構っている場合じゃないだろう」
「確かに……」
納得するインフィニティアに対し、あくまでアニエスの顔は渋かった。
「あたしは心配です。下手すると『道』が途切れてしまうんじゃないかって」
「というか、真っ先にポカしたのはお前だろうが」
「あ」
アルトサイドの時止め(たつもり)事件のことを思い返し、立つ瀬がない彼女は困り笑いするしかなかった。
「てへへ」
「笑って誤魔化すな」
ウィルは嘆息しつつ、当面の行動を提示する。
「アニエス。お前はJ.C.とヴィッターヴァイツを探してこい。特に彼女の【生命帰還】はこれからの過酷な戦いの鍵になる」
「げ。J.C.さんはいいとして、おじさんじゃないですか。殺されちゃいますよあたし」
「ふん。今のあいつなら、悪いようにはならないはずだ」
「うーん……。わかりました」
渋々といった表情で承るアニエスに一つ頷いて、ウィルはミズハへ告げる。
「インフィニティア。お前はユウに接触し、それから救えるだけの人間を安全な世界へ送り込め」
「はい。でもそんなところ、あるんですか? ここじゃ狭過ぎますし」
「そうだな。おそらくは――トレヴァークが最も遠い」
星脈が断たれるほどの『事態』は、かえってあの世界を第97セクターで最も「遠く」安全な場所にした。
アイが星脈を泳いで渡る手段を用いる以上、簡単にはあそこへ辿り着けない。
この宇宙の命運を賭けた戦いにおける拠点――最終防衛ラインになるだろう。
「それから。こいつを托しておく。時が来たらユウに渡せ」
とあるものを『懐』から取り出し、ウィルはミズハへ託した。
最後に、歴戦の戦士へと向かって。
「セカンドラプター。お前は――」
「わかってるぜ。『破壊者』さんよ」
彼女は颯爽と背を翻し、腰に付けた魔力銃をぱしっと叩いた。
「誰かが『穴』のお守りをしとかなきゃなんねーだろ。そいつはオレがやるさ」
『神の穴』は、望むだけの場所に行くことができる。
アイは『穴』の存在を知っている。必ずや欲しがるだろう。
奴がもし『穴』に到達することがあれば、あまねく世界に届く。そしてすべては侵される。
そんな最悪の事態だけは、何としても避けなくてはならない。
「言っておくが、最も危険な役回りだ。命の保証はできないぞ」
「いいさ。元々あいつらにもらった命だ。あの姉妹には、まだ返し切れない借りがあるんでね」
I-3317とI-3318――シャイナとアイ。
『最悪』の姉妹とセカンドラプターには、切っても切れない因縁がある。
「やがてくる未来」のため。アイといつでも戦う用意をしてきた。
得意の洗脳にもばっちり対策を用意してある。
「任せな。地球には地球なりの戦い方ってもんがあるのさ」
許されざる世界――許容性が圧倒的に最低の世界がどんなものか。
元が星を砕くバケモンだろうが、誰も彼も身勝手にはいかない。リデルアースのようにはいかねえぞ。
やがて来る死闘を予感して。武者震いしながら。
同郷のミズハに伝えておく。
「なあ。ユウのガキが大事なこと思い出したら、伝えといてくれよ」
故郷で待つ。そのうちテメエで会いに来いってな。
「あなたたちって、一切面識ないんじゃなかったですか?」
ミズハが冷静に突っ込むと、セカンドラプターは盛大に頭を抱えた。
「だーーー! 細かいことはいいんだよ! なんか、そう! 心意気ってやつだ!」
「ふふふ。わかりました。ちゃんと伝えておきますね」
「なんかいいですねそういうの!」
「まったく。姦しい奴らだ」
彼はやれやれと肩をすくめ、いつの間にか最初の旅支度を終えていた。
「さて。僕もそろそろ行くとしよう」
「どこへですか?」
「懐かしきお前の故郷さ」
『神の穴』を使えない者が地球へ行くには、色々と面倒があるのだ。
エーナも散々に苦労したと聞く。
惑星エラネル――あの星は地球と星脈で結ばれた、唯一の正式な玄関口だ。
かつて魔法大国エデルに遺したものを、今こそ掘り返すときが来た。
***
最後に、セカンドラプターが代表して気合を入れる。
とかくこういうのが大好きな性分だった。
「んじゃ行くぞ。互いの無事と」
「「健闘を祈る!」」
グーを突き合わせ。彼だけは嫌々だったが。
各々背を向け、自分の戦いに赴く。やるべきことをなすために。
ウィルは、今もうなされ続ける大嫌いな奴を想う。
もう逃げることは許されない。お前も向き合うときが来たということだ。
今は壮絶な「痛み」に打ちひしがれ、心が砕けそうになっていることだろうが。
ユウ。気付け。
お前が人を信じなくてどうする。
お前がしっかりしなくてどうするんだ。
「まだお前に残されたものは何だ。旅はまだ終わっていない」
ウィルは。ラナソールに自ら手を下した彼(彼女)の、あの日の覚悟と奇跡の力を見届けた彼は。
今こそ、もう一人の「自分」の本当の可能性を信じている。




