28「そして」
リデルアース人類の敵、アイを討ち滅ぼし。
束ねた想いを向ける対象を失った不完全な『神性体』は、自ずと解除された。
『白』のユウの変化も解けて、女の子になったユウは。ふらふらと空を下っていく。
辛うじて、意識を失うことだけはしなかった。
***
無理をしてパワーアップしたから、全身がひどい筋肉痛だった。
またすっからかんになっちゃったよ……。
俺とユイの完全融合状態も解けて、ひとまずは通常の女の子の融合体になっている。
だからこうして、二人で念話することもできた。
『どうなった』
『わからない……』
まともな意識はなかったけれど、記憶だけはしっかり残っている。
確かにアイは、さっき死んだ。
奴の気配は今度こそ完全に世界から消え去っている。
異常に高まっていた許容性も、すっかり元通りになっている。
だと言うのに。なぜなの。
終わった気がまったくしないのは。
どうしてアイは、敗れ去るその瞬間に笑っていたの?
私たちはやっぱり、何かとんでもない見込み違いを――
『そう。ここから始まるのよ』
――――。
アイ……!?
どうして。いったいどこから。
どこにいるの! どこに――。
『ここだよ。ここ』
はっとする。愕然となる。
あり得ない。そんなこと、あるはずがない。
焦燥し、『内側』に意識を向けたとき――。
「あなたがどれだけ否定しても。ここにわたしはいる」
私の精神体を、後ろから抱きすくめて。
五体のうち四体を奪った、そのままのアイが。
勝ち誇った顔を見せ付ける。
「な、んで。どうして、ここに……」
「ほんと苦労したわ。どんなに深く心を傷付けても、あなたは健気にも必死に耐えてしまうのだから」
――だから。外側から攻めるのはもうやめにしたの。
どんな強固な障壁も、一度内側に入り込んでしまえば脆いもの。
そんな。まさか……!
動揺に、蕩ける親友の声を耳元に被せてくる。
「ねえ。わたしがただ意味もなく、あなたに絡み続けると思っていたの?」
アイは嬉々として、語る。
そう。すべては最初から、計画のうちだったのよ。
強い感情を焚き付け、脅し。トラウマを呼び覚まし。
時に誘惑し、宥めすかし。蕩かし。犯し尽くして。
わたしという存在を、そのすべてを。念入りに刻み付け。注ぎ込み。
最も印象強く、決して逃れ得ぬ存在として。
私の胸をイプリールの指でつつき。
込み上げる「愛おしさ」のままに、頬を摺り寄せてくる。
「それでも。まだ足りなかった」
そこでやっと。今さら。すべて手遅れになってから。
こいつのとんでもなく遠大な計画の全貌に、ようやく気付き。
私はショックで、膝から崩れそうになってしまった。
「そう――あなたが『白』の力を使って、完全に心を開いてくれたから。ようやくわたしのすべてが入り込むことができた」
そして――あとは子供のお前が『星海 ユイ』を構成した方法とまったく同じ。
わたしはあの日の出来事を見ていた。ずっとあなたを見ていた。
そうやって。この『心の世界』の内側で、完全なるアイのコピーを構成したのだと。
確かにオリジナルのわたしは死んだ。けれど、そんな些事にこだわる必要はない。
このコピーアイもまた、紛れもなくアイなのだから。
「馬鹿な子ね。おまえはせっかく散々苦労して、オリジナルのわたしを倒したのに。同じものを自ら蘇らせてしまった」
これが、『白』の力の最大の欠点――。
『黒の旅人』が警告していた恐るべき事態が、今まさに起きていた。
やっぱり。どうあっても使うべきではなかったの?
――いや、使わなかったとしても詰んでいた。
私は最初から詰んでいたっていうの……?
目の前が真っ暗になりそうな私の絶望を、アイは全面的に肯定し。
私を万力で抱き締めながら、宣告する。
「わたしはアイ。あなたの弱さから生まれた存在。さらなるもう一人のあなた」
そして――これより『心の世界』を支配するもの。
今このときをもって。
【神の器】の主は、わたしとなる。
「いただきます」
アイが獰猛な笑みを浮かべ、液状化して私の全身に絡み付こうとしてくる。
巫女たちが皆やられてしまった、あれと同じ。
融合が始まる――。
『ユウ! 逃げて!』
ドンと、「くっついて」いた『姉』に強く突き飛ばされる衝撃が走った。
気付けば、俺はオストレイア大陸の荒野に投げ出されていて。
無様にも地に転がっていた。
「え……」
どうにか立ち上がって、何もない空を半ば呆然と見つめる。
信じたくないことが、あまりにも矢継ぎ早に起きていた。
どうして俺だけは無事なんだ。
いったい何が、どうなって――。
胸に手を当ててみても、誰も何も答えてはくれない。
いつも聞こえるはずのユイの声が、まったく聞こえてこない。
ああ、あああ……。
ラナソールのときと、同じだ……。
ユイの存在が、どこにも感じられない。
だけど。ふと振り返ると――そこには。
誰よりも見知った人の、背中がある。
ラナソールという特殊要因を除けば、決して分かたれるはずのないもの。
最も近しいパートナーの、姉ちゃんの後ろ姿。
一縷の望みをかけて。縋るように名前を呼ぶ。
「ユイ……?」
やっと――。
「これでやっと。全部揃ったね」
ア、イ。
まったく女の子の私の。ユイの姿そのままで。
ただ、瞳の色だけが。まるで違っていて。
「ねえ、ユウ。最愛のお姉ちゃんを奪われた気分はどうかな。ねえ、どんな気分なの?」
そんな。そん、な……。
ずっと一緒にいてくれるって。そう言ったじゃないか……。
いつでも。どんなときでも。どんな運命だって。二人で乗り越えて。
一緒に背負っていくって、そう言ってくれたじゃないかぁ!
嘘だ。嘘だ。
「うそだあああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
項垂れ、みっともなく泣き咽ぶしかない俺に。
アイは一切の容赦なく、ぐいと強引に顔を引っ張り上げて。
奪ったすべての五体を。ユイの顔をまざまざと見せ付けた。
「もう。ほんと泣き虫なんだから。どうしようもないね。ユウは」
『姉』の優しかった微笑みは、まったく邪悪に歪められて。
真紅の瞳を、爛々と輝かせて。




