21「因子覚醒」
たくさん泣いた。どうしようもなく辛かった。
でもいつまでもくよくよしているほど、子供ではいられないから。
心に重たい釘が刺さったまま、何とか立ち上がった。
当面の危険は排除したけれど……気力も魔力もすっかり尽きてしまった。
アイがどこかにいる嫌な肌感覚はずっと消えていない。
許容性も上がったままなのが何よりの証拠。いったいどこに行ってしまったのか。
声をかけ辛そうにしていたイプリールとメリッサが、そろそろと近寄ってくる。
「何があったんですの? そんなにつらそうな顔して」
「アイは倒せたのではないのですか」
「違うの。まだなの」
私が感じていたことと、アイとの会話内容を伝える。
TSFが壊滅かそれに近い被害を受けたことは、奴が見せ付けるように使ってきた元同僚たちの力から、二人も薄々察していたようだけど。
それでも直接伝えたときには、どちらも涙ぐんでいた。
楽しかった日々は。みんなはもう、二度と戻らない。
「許せません。なんて、なんてひどい……あんまりです」
「そんな。まだ何も終わっていないですなんて……」
散々アイに傷付けられたイプリールは、まだまだ続く悪夢に身震いが止まらないようだった。
自分も震えるほど怖いけれど、もっと弱っている子が目の前にいればやることは一つ。
しっかりと抱き締めて、震えを受け止めてやる。
「大丈夫。とりあえず一番強かった個体でも倒せたんだから。復活怪人なんてわけないよ」
「ユウ……。そ、そうですわね。きっと平気ですわよね!」
私の胸に顔を埋めて、少しでも安心しようと匂いを吸い込むイプリール。
すっかり甘えん坊になっちゃったね。君は。
こんなにいい子なのに、ツンデレキャラを維持できないくらい怯えてしまって。ほんとにかわいそうに。
とにかく、アイの脅威は当面退けられたはず。
今少しの時間さえ許せば。十分に体力、そして気力と魔力が回復さえしてしまえば。
魔力銃に代わり、《爆光拳》が通用したのは大きい。一回一回の戦闘であれば、きっと何とかなる。
もちろん本当の倒し方を見つけないことには、同じことの繰り返しになってしまうけれども。
……犠牲者の心が変わり果ててもすべて残っていたことは、ひどく衝撃的だった。
確かに私は人殺しだ。アイ、お前の言う通りだよ……。
でもね。私の手はとっくに血と業に塗れているんだ。もう昔の何もできなかった自分じゃない。
また覚悟を決めなくちゃいけない。そのときが来たというだけのこと。
そう……だよね……。
心の内で、「自分」同士で励まし合う。
『一緒に背負っていこうね……』
『うん……』
すると向こうから、見知った人影が手を振っていた。
「おーい! ユウ、巫女さんたち! 無事だったかーーー!」
警戒して心の反応も探ってみるけれど、本人に間違いない。
暗いことばかりだったところへ舞い込んできた朗報に、顔がほころぶ。
ガッシュ。無事だったの!
安心したら、視界がぼやけてきた。
イプリールのこと言えないね。これじゃ。
力の入らない足を押して、ほとんどもたれかかるように抱きついた。
「よかった……。君が無事で」
「おいおい。そうやってすぐ泣くなよ。困るだろうが」
「だって。ぐすっ……ほんとにやられちゃったかと……」
「あー……マジで泣き虫よなお前。ったく、しょうがない奴だ」
今度は私が胸を貸してもらって、ぼろぼろ涙を流す番だった。
ちゃんと人だ。ガッシュだ。あったかくて安心する。
彼はばつの悪そうにしながらも、黙って受け止めていてくれた。
ありがとう。ごめんね。わたし、弱くて。
後ろでは「こういうの弱いんですよね」と、メリッサがもらい泣きしている。
イプリールは自分も思い切り泣いてしまった手前、からかうこともできずに見守っているようだった。
ややあって、ほんのり気分が落ち着いてきた私は尋ねる。
「どうやってここへ?」
「【イクスシューター】で送り届けてもらったのさ。あいつは自ら囮になって……悪いことしちまった。無事だといいんだが」
「そっか……」
またしんみりしかけてしまった。
彼は気を遣って、努めて明るく振舞ってくれる。
「しかしすごいよな。もう倒しちまってたとは。どうやら間抜けは一足遅かったみたいだぜ」
「えーと。それなんだけどね」
焦げ切った燃えかすが爆散している状況を見れば、勘違いしても仕方ないか。
彼にも現在の状況を説明しておく。
「ってことは、またどこかへ雲隠れしちまったと」
「そうなの。困っちゃったよね」
「まあ……あれだ。あんまり落ち込むなよ。当面の危機から巫女さんたちを守ったヒーローには変わりないんだからよ」
「そうですわ」「とても頼もしかったです」
「みんな……。うん、ありがとね」
随分寂しくなってしまったけど、まだ頼れる仲間たちがいる。それがどれだけ心強いことか。
「これからどうする。本部なくなっちまったけど、アメスぺリアへ帰るか?」
「そうだね。私の転移魔法を使えばすぐ帰れるんだけど……魔力がすっからかんでして」
「ものすごい技使ってましたものね」
メリッサが感心したように言う。
そのくらいしないと倒せない相手だったからね。あの再生能力、ほんと反則だよ。
「空っぽ仲間ですわね。わたくしも大変疲弊しましたわ」
イプリールはあの決定的な一瞬だけでなく、私の側にしもべが寄せ付かないよう地味にサポートし続けていたのだと語る。
見えないほど遠くで雑魚を処理し続ける。その奮闘ぶりにはメリッサも頷くところだった。
そうだったの。何だか随分邪魔が少ないと思ったら。
目の前の戦いに必死で、とても周りにまで気を配る余裕がなかったな。それほど心を向けるのが上手い相手ということだけど。
「本当に助かったよ」
「ちゃんと力になるって言いましたでしょう?」
ぱちりとウインクするイプリール。ちょっぴり得意な顔が戻ってきていた。
うんうん。やっぱ君はそうでないとね。
「それじゃ皆様。適当に一拍してから帰るとしますか」
一応は目上なので、ガッシュがお伺いを立てる形で提案する。
「さんせーい」
「もうくたくたですわ。お金は腐るほどありますし、最高級ホテルにしましょう」
「うふふ。ガッシュさんも一緒にどうぞ。ハーレムですね」
「今日だけの特別サービスですわよ?」
「……そういうの、柄じゃないんですが」
「私が男になってあげようか。二人部屋にしてさ」
「「ダメです(わ)」」
私と一緒に寝るんですと、巫女ズはすっかり息巻いている。
「ははは。巫女さんたちがぞっこんみたいだぞ。お前」
「みたい」
巫女同士は惹かれ合うって性質は不気味だけど、人として好かれること自体は素直に嬉しい。
アルシアやアマンダとも、こういう形で仲良くしていけるはずだったのにな……。
せめて今あるものは守ろう。改めてそう意気込んで。
見ると、二人が私の取り合いを始めていた。
「で、どっちがユウの隣にしますか?」
「もちろんわたくしに決まっていますわ」
「いつもならいいです、と言ってあげるところですが。今日は譲りたくないですね。さっき成分補給させてあげましたし」
いや成分って。
「メリッサお姉様……! あ、あれはノーカンでしてよ!」
「いけません。しっかりカウントです」
「むむむ。でもわたくし、お姉様がちょくちょくユウと調べ物デートしてたの知ってますわよ? あれもカウントではなくて?」
「い、いえ。あれはただの共同業務ですから」
「そんな嘘っぽい言い訳は通用しませんことよ。素直にお認めになって」
「くっ。ではどうやって決めるのですか?」
「そうですわね……。こうなったら、じゃんけんで決めるしか――」
じゃんけんがアホほど弱いくせにやりたがるのは、イプリールの悪い癖だ。
というより、ゲーム全般。強い『手』を持っているのに、手は弱いんだよねこの子。
先が見えているのは酷だと、私が割って入る。
「まあまあ。私が真ん中で寝てあげるから。ね」
「それは名案ですわね」「いいでしょう」
女三人集まれば姦しく。いちゃいちゃと話をしながら歩き始める。
そうしなければ俯いてしまいそうな状況で、せめて今は前を向くために。
みんな、それが一番の処方箋だとわかっていた。
ガッシュは、限界いっぱいな私たちを見守るように目を細めると。
やれやれと肩をすくめて、先へ歩いていく。
やがて。何かに気付いたように、ぴたりと足を止めて。
「どうしたの。ガッシュ」
彼の背中は、小さく震えていた。
「なあ、ユウ」
「なに?」
「――すまん」
ぽつりと、一言だけ。
その意味するところを、聞き咎めるまでには。
――不意打ちで強烈な腹パンをもらい、私はまともに息ができなくなってしまった。
唾液を撒き散らしながら、その場に蹲る。
そん、な。
この気配は。この悪意は……!
どうしても信じたくなかった。もう一度彼の顔を見たくなかった。
「うそ、だ……」
未だ死にそうなほどか細い呼吸とともに、思わず漏れてしまった呟きを。
彼は意地悪くも肯定した。
「お前の心に映るものこそが真実さ。なあ、姫さんよ」
にたにたと。
本来の彼ならするはずのない、欲望に満ちた笑みを浮かべて。
ろくに動けない私の首根っこを掴み、吊るし上げる。
「あ、やっ……!」
そして逃れようもなく、真正面から歪んだ顔を突き付けられる。
真紅に変色した瞳は、怪物の証。
「せっかくの力も使い果たして。無様だな。ユウ」
アイはガッシュの身も心も奪って、あっさりと蘇ったのだった。




