15「もうトリガーは引けない」
「三か所同時襲撃だって!?」
昼下がりのビュートシティを衝撃的なニュースが揺るがした。
アイの奴、この日のためにずっと勢力を蓄えていたらしい。
三か所はいずれも離れており、互いにすぐに救援へ向かうことはできない。
厄介なのは、どこにもアイらしき人影が確認されたということだ。
本物がどこにいるかは、悪意のノイズによって近付いてみるまでわからない。
しかしどうしてこう、悪意が蔓延しているものか……。
奴はしもべを使って偽装工作ができる。だからしもべを上手く使っているのはわかる。
でもそれだけじゃない。
どこにいるかわからないのに、まるでどこにでもいるかのような妙な感覚。それが日に日に強まっていて。
しつこいあいつの性格のように、どこまでも纏わり付いて離れない。気味が悪い。
……話を戻そう。
何より問題は、襲撃のうち一か所がクランシエル孤児院の辺りだということだった。
「あたしは行くよ! あの子たちを放ってはおけないさ!」
「アマンダ! 一人で突っ走っちゃダメだ!」
と、制止も聞かずに行ってしまう。【加護足】の最大速度で向かったことだろうから、誰にも追いつけない。
私たちの遅さに合わせている場合じゃないと思ったのだろう。気持ちはよくわかってしまうだけにままならない。
どうする。戦力の分断は避けたいが、言ってられる状況でもないか。
「イプリール。君がサポートしてあげて」
巫女が二人いれば、たとえ本物だったとしても確実にアイを上回ることができる。
君はすっかり子供たちにメロメロになっていたし、敬愛するお姉様のためにも行きたいだろう気持ちを汲んだ。当番でもあることだしね。
イプリールはやはり一も二もなく引き受けた。
「ユウはどうしますの?」
「もちろん本物のアイを探すよ」
「わたくしのところが本物でしたら、ついでに倒して差し上げますわ」
「うん。お願い」
アマンダを追って駆け出していく彼女を見送って、再びマップへ視線を向ける。
孤児院には巫女二人。あと二か所のどちらから行こうか……。
考えていると、メリッサから提案された。
「私がTSP部隊を引き連れて、こちらの方へ向かいます」
「私と一緒でなくても平気なの?」
「『至天胸』は伊達じゃありませんよ。私の護りが彼女の歌や洗脳に抵抗力のあることもわかりましたし」
そうだった。奴との戦いの中で、一つ判明した好材料があった。
メリッサが持つ護りの力は、アイの【侵食】に対して強い抵抗力のあることがわかったの。
元より耐性のない一般人を護り通すほどではないけれど、自身や近くのTSPを保護することくらいはできると。
「私にはアイに通じる攻撃力はありませんが、逆にアイも私を貫くことはできません。本物でしたら、あなたが来るまでは耐えてみせます」
怖いだろうに。強い自負と覚悟をもってそう言われれば、認めないわけにはいかないか。
「わかった。なら私はこっちへ行くよ」
最後の一か所を示し、私は頷いた。
「姫さんにはお供は要らないのか?」
私たちの警護のトップ、ガッシュにはあれからよく姫さんと揶揄われるようになった。
私、姫とか言われる柄じゃないんだけどね。それはともかく。
「私はメリッサと違って、君たちを洗脳から護れる力はないからね……」
アイと直接戦える人間は、私か巫女か、メリッサに護られた人物に限られる。
中途半端に戦力を付けると、かえって取り込まれたり人質にされたりと厄介なのだ。
「お願い。メリッサに付いてあげて」
「了解。では数揃えて行きましょうや。巫女さん」
「はい。私もあなたたちをしっかりお護りしますね」
「ありがたく。ただこれじゃどっちがお守りだかわからねえや」
『では我々は本部から状況をリアルタイムで把握、逐次連絡しよう。各自頼んだぞ』
TSF本部からはデカード隊長が、そのように締めた。
***
【イクスシュート】を使った空からの高速ルートは、姿や気配を隠す手段がない以上、完全に対策されている。私は地道に現場へ向かうしかなかった。
愛用のバイク『ディース=クライツ』を駆れば、乗用車で向かうより幾分時間は短縮できたけれど。
現場の市街地は、腐臭のするしもべたちの暴虐によってあちこちで火の手が上がっていた。相変わらずの凄惨な状況だ。
その中心で指揮を取る翼付きの異形、血のドレスを纏った宿敵が、今度は逃げも隠れもせずに佇んでいる。
本物だ。私が当たりでよかったと思いつつ、気を引き締める。
彼女は私の姿を認めると、くすりと笑みを浮かべて言った。
「また会えたわね。ユウ」
「こそこそ逃げ回るのはもうやめにしたの? アイ」
「ふふ。最近、良い拾い物をしてね。私と私の創った分体の姿を入れ替えることができて。クールタイムはちょっと長いのだけど」
あなたがこっちへ来るというものだから、と続けるアイ。
じゃあなに。お前もわざわざ私を狙って会いにきたって言うの?
――まずい。
こいつと戦うときの鉄則を忘れるな。ペースに呑まれちゃいけない。
せめて努めて冷静に口を叩く。
「逃げ隠れしているうちに、また随分力を上げたんじゃない?」
「でもあなたも強くなっている」
やっぱり。こいつ、私の強さの上昇が自分自身の成長とリンクしていることを知っている。
「中々厄介なものね。縛りというものは。お互い」
「際限なく成長するお前にも、縛るものがあると?」
「やがて天に至り、器の満ちるときまでは」
第一聖典の記述を引用し、やけに厳かな調子で言ってのけるアイ。
ほんのり不機嫌そうなのはなぜか。本当に何かを忌々しいと思っているようだった。
「器……まるで私も巫女だと言いたいようね」
「『神性器の巫女』。ようやく理解したのね。あなた、わたしの大切なここなのよ」
声色だけは嫌に優しく、見せ付けるように下腹部をさすってみせる。
だからお前はまるで巫女を見るように、最上級の獲物へ舌なめずりするかのごとく私を見つめてきたというわけ。
半分男の私が女性を司る部分の巫女だなんて、ぞっとしないけれど。
とにかく。そんな最悪な未来は願い下げだ。
唯一有効打を与えられる武器、魔力銃ハートレイルを構える。
こいつの表情が今度は面白いように曇った。感情に素直というか、わかりやすい性格をしている。
「それ、本当に邪魔臭いのよね。しまってくれないかしら」
「はいだなんて言うわけないでしょ」
「……そう。まあいいわ」
アイが指をぱちんと鳴らすと、周囲から大小様々なしもべが湧き出してくる。
「しばし踊りましょう。あなたに素敵なプレゼントを用意してきたのよ」
「素敵なプレゼントだって?」
言いながら、魔力を込めて手早く次々と敵を撃ち倒していく。
今さらこんなもので動じている場合じゃない。お前の悪辣ならやり方なら何度も見てきた。
しもべの波と連携し、アイも隙間を埋めるように襲い掛かってくる。
だが魔力銃の反撃を恐れてか、攻め方は慎重なきらいがあった。無駄に身体を引き伸ばすことはしてこない。
アイに対しては、まず異形の翼を重点的に狙っていく。今度こそ空を飛んで逃げられないようにだ。
入れ替わり能力を得たというのが気になるところだけど……。クールタイムが長いという言葉に偽りはなかった。
どの道入れ替わりである以上、今加えたダメージは無駄にならないはず。
着実に攻撃を積み重ねていき、アイは少しずつ傷付いていく。
ただ……不気味だ。戦えばこうなることはわかっていたはず。
慎重で悪辣なこいつのことだ。何か対策を考えてきたの――
不意に飛び込んできた人影に、思わず目を見開いた。
え。アリス!?
サークリスでの最初の親友が、当時そのままの姿と服装で現れたのだ。
な。え、どうして。
数瞬躊躇ったが、本人であるはずはない。心の反応もまったく違う。
ガワを着せただけのしもべであることは明白だった。
最初に接触した際、記憶の一部を読まれでもしたのか。それとも……。
混乱しながらも、戸惑いで指先が止まったのは少しのことで。
ここで隙を晒すわけにはいかない。意を決して、トリガーを引く。
記憶のままの溌剌で親しみやすい彼女は、額から赤黒い血を流して斃れていく。
本人とは違うとわかっていても。指先は震えていた。
これが、こんなものが素敵なプレゼントだって言うのか! なんて趣味の悪い。
私は怒りのままに叫んでいた。
「アイ! こんなことしても無駄だ! 意味もなく悪趣味なことはやめろ!」
「ふふふ。さてどうかしら」
こちらをどこか試すように、弄ぶように嗤うアイ。
再びしもべに混じって、見知った顔が断続的に次々と現れる。
ミリア。イネア先生。アーガス。カルラ先輩。ケティ先輩。
その後の世界で出会った様々な人たち。
いくら頭でわかっていても、かつての友や知り合いの顔をしたものを撃ち抜くのは心が痛む。感情を揺さぶられないはずがない。
徐々に呼吸が浅く、乱れてきているのが自分でもわかった。
ちくしょう。ハルまで……!
泣き叫びたい心を押し殺し、胸の内で謝りながら撃ち殺す。
「ふざけるな! こんなことを続けて楽しいか!」
「ええ。楽しいわ。とっても」
言うまでもなかった。こいつはそういう奴だ。
ついに地球の人物にまで、追憶の強襲は及び始めた。
ケン兄。クラスメイトにミライとヒカリ。QWERTYの人たち。
おじさんとおばさんは出さない辺り、わかっている。
青髪をした気怠げな少女を目にしたとき。
動揺はますます強く、目の端には涙が浮かび始めた。
誰だ。知らないはずなのに。
涙が止まらない。どうしてだろう。
泣き出しそうになるのをどうにか拭って、心を鬼にして撃ち倒す。
「アイ! もうやめろ! もう十分だろう! どんな奴を寄こしてきたって無駄だ!」
「なら私もか?」
懐かしい声がして。はっと振り返ると――そこには。
「あ、あ……」
「ほら。好きに撃っていいんだぞ。今までみたいに」
母さんだ。
母さんの声で。姿で。顔で。
【神の器】の最大の弱点。
瞬間、容赦なく記憶がフラッシュバックする。
――雨の日の高速道路。
横転した車。血塗れの母さん。
私は。俺は。母さんを――。
なんで。え、なんで。私は。
身に覚えのないはずなのに。知っている。
この場面を。このときを。私は。俺は……!
「う、あ、いやぁ……!」
「どうしたの? 撃たないの?」
そうだよ。撃たないと。撃つの。
奴は隙だらけだ。チャンスでしょう!?
なのに。照準が滅茶苦茶に暴れて定まらない。
どうして。また。なんで。
こんな。こんなことって。
ただ母さんの姿をしているだけなのに。
相手は! アイなのに! わかっているのにっ!
撃て。撃つの。撃たなきゃ。
――俺が。母さんを。
ユイとの心の調和が乱れ、感情がぐちゃぐちゃだった。
小さなあの日の、情けない自分が顔を出す。
どうしようもなく。散々に打ちのめす。
手が、震えて。震えて。涙で視界が歪んで。仕方がない。
「よく狙って。ほら――ここだよ。ここ」
心臓の位置を差し示し、おぞましく嗤うアイ。
――だめだ。
違う。あいつはアイだ。撃て。
――いやだ。うてない。うてないよ。
撃って。そうしなきゃ。
あいつはアイで。母さんで。
アイが。母さんが。アイを。母さんを。
母さんが。母さんが。母さんを。母さんを。俺が。母さんを。
アイだ。アイだ。アイだ。アイだ。アイだ。アイだ。アイなんだ!
撃つんだ! 撃て!
「うわあああああああああーーーーーーーっ!」
滅茶苦茶な心のまま、戦士として最後の矜持が。ほんのわずか打ち勝ち。
ようやく。やっとのことで、引き金に力を込めたときには――。
「はい残念♡ 時間切れ」
――凄まじい力で、手を握られていた。
息のかかる距離で、母親の顔を貼り付けた化け物が諭すように嘲笑う。
「ダメでしょ。ちゃんと撃たないと」
「ひっ」
「そんな育て方をした覚えはないぞ」
「う、うぅ……」
剛力の触手が全身に絡み付く。
もはや蜘蛛の糸に絡め取られた葉虫も同然だった。
やめて。やめてよ……。
「なーんて。うふふ。可哀想なユウ。こんなに泣いてしまって」
元の親友の顔に戻り、悪辣満面として。
舌で私の涙を掬い上げ、たっぷり口に含んで美味しそうに味わってから。
耳元で。蕩ける声で囁いた。
「こんないけない子は。余計なものは――ポイしてしまおうね」
ハートレイルの銃身自体は特殊合金で、決して無敵の存在ではない。
涙で歪んだ視界の端で、いくつもの世界を共に旅してきた相棒との別れは無残にも告げられた。
放り捨てられた魔力銃は。アイが放った肉片に包まれて。
強烈な酸か何かに溶かされて――消えていく。
あ、ああ……。ああああ。
現状唯一の攻撃手段が潰えてしまった。
母さんから受け継いだものが。幾度も危機を救ってくれたものが。こんなにもあっさりと。
もうトリガーは引けない。
「これでもう何もできない」
無邪気な子供のように嗤ったアイは、嬉しそうに私の顎を持ち上げた。
「哀れで無力なユウ。過去にも己の運命にも勝てない」
「う、ぐ……!」
「そんなに苦しいのなら。わたしを受け入れれば、楽になれるのに」
アイは歪んだ愛情のまま、あるいは本能の赴くままに。
嫌がる私の唇をこじ開け、強引に舌をねじ込んだ。
隅々まで喰らい尽くすような、味わい尽くすような。乱暴で、まったく配慮のないキス。
身体が嫌に火照っていく。唾液と一緒に、洗脳の媚薬でも送り込まれているのか。
同時に触手は身体中を蹂躙し、私の弱いところを徹底的に突いた。
あ、ぁ、いや……っ……。ぅ、ひぐっ……!
それでも私は涙を流しながら、声にならない最後の抵抗を試みていた。心だけは折れまいと必死だった。
そうしなければ、いとも容易く彼女のものにされてしまうのだから。
皮肉にも、ウィルやマスター・メギルに乱暴されたときの経験が生きていた。
どれほどそうされていただろう。
不意に唇が離れて、アイはうっとりと私を見つめていた。
「まだ逆らうの。変なところで強情。まあ、そんなところも可愛いのだけど」
ぼんやりした視界に、アイの嗜虐的な笑みがいっぱいに映る。
「困ったわね。いっそさっさと殺してしまうこともできるけれど。それでは意味がないのよ」
アイは語る。
ただその肉体を喰らい尽くしても、お前の力は手に入らない。
お前の身体そのものは、あくまでただの人間なのだから。
わたしが欲しいのは、お前の【器】。お前のすべて。
「大丈夫。死がわたしたちを分かつことはない。なぜなら、このリデルアースの星脈は閉じているのだから」
恐怖と混乱と。蕩かされた頭でおかしくなりそうになりながら。
少しでも彼女から情報を得ようとしていた。
星脈が閉じている……? ラナソールやトレヴァークと同じ……。
「つまりね。あなたがうっかり間違って死のうと、たとえ自殺しようとも。この星のどこか別の場所で蘇るだけ。わたしから決して逃れることはできないの」
私の瞳を覗き込む悪魔の瞳が、爛々と輝いている。
「だからね。ずっと。ずーっと。気の済むまで戦い、交じり合い、愛し合いましょうね。いつかわたしとひとつになるまで」
「い、いやぁ」
「ねえ。今の怯え切ったあなた、とっても素敵よ。今すぐ食べちゃいたいくらい」
また耳たぶに、ほんのりと甘噛みの痕を残して。
「でもね。もったいないわね。あなたの大切な柔肌を傷付けるのは」
だって。大事な大事なカラダだもの。
「物事には順序があるらしいの。名残惜しいけれど、あなたは最後に取っておくことにするわ」
まるでいたずらをした子供を労わるように。自分が主人だと示しつけるように。
史上最悪のよしよしをして。
だから、と。
「そこで見守っていてね。これから始まる――素敵な時間を」
肉繭に包まれて。
ゆっくりと視界が閉じていく。
***
厄介なユウを封じ込めたアイは。
思い出す舌の感触を、恍惚とともに唇をなぞり。
一路、クランシエル孤児院へと向かう。
さあ、巫女たちよ。わたしとひとつになる時間だ。




