13「アイ∽許容性」
翌日。
どうにか悲しみを押し殺した私は、再び身に覚えた違和感を確かめるため、シェルターに隣接する運動場を訪れていた。
アイ対策で一人では行けない決まりなので、仲の良いメリッサが付いてきてくれた。
TSPが能力の訓練に用いるための特製強化的を持ち出し、数メートル離れたところに設置する。
左手を前に構え、無発声で念じた。
吹き飛ばせ。
《ファルアクター》
放ったのは、風の中位魔法。
掌から強風が発生し、銃弾すら耐える試し撃ち用の的をいとも容易く砕いた。
人間一人なら軽く吹き飛ばせる魔法が、今はもうフルスペックで使える。
それを生み出した自分の手をまじまじと見つめながら、思う。
やっぱり。日に日に魔力が上がっていってる。
簡単な属性魔法ならもう不自由なく撃てるくらいには。
でも私自身が強くなったわけじゃない。そんな理由もきっかけもどこにもない。
これはきっと、私が持っている本来の力が徐々に解放されているだけのこと。
ラナソールでユイが磨き上げたその水準に、少しずつ近付いている。
だから変わっているのはたぶん……世界の方。
許容性が上がっているんだ。
――まるでアイが次第に強さを増していくのに、呼応するかのように。
身体に違和感を覚えたのは、正確には【氷使い】エリザベスが犠牲になった瞬間からだった。
まさか、ね。
考えにくい仮定だが、暫定的証拠からそうだとしか考えられない。
アイの成長と、許容性がリンクしている――。
なぜ。意味がわからない。
私たちは何かを見落としている……? とんでもない背景があるのではないか。
背筋の寒くなるような考えに耽っていると、メリッサが横から覗き込んできた。
「また顔色が悪いですよ」
「あ、うん。ちょっとあいつのことまた考えちゃって」
「あんなことがあった後ですものね……」
「うん……」
凄惨な光景を刻み込まれるにつれ、多くを語りたくないという共通認識が形成されている。
生命と尊厳を侵す。知恵ある生物の持つ根源的な恐怖を喚び覚まし、心ある人にとってこそよりおぞましく映る怪物……。
話題を逸らすように、メリッサは私の魔技を讃える。
「おみそれしました。あれが魔法というものですか。TSPの力と似ているようで違う――以前は使えないと聞いていましたが」
「また使えるようになったみたい。イプリールの念動力に比べたら、全然大したことはないけどね」
「ふふ。確かにあの子が見たら、『わたくしの方ができましてよ!』と得意満面になりそうですね」
「はは。あの子はつくづく可愛いよね」
「良い妹分ですよ。小さいときはもっと素直だったのですが。あれでもユウにいっぱい甘えてるので、仲良くしてあげて下さいね」
「反抗期って大変だよね」
「ええ。言うまでもないですか」
顔も態度もわかりやすいので、イプリールのことは子猫のように見えてしまうことがあるくらいには。
さて。使える手札は多いに越したことはないけれど。手放しでは喜べない。
私の仮説が正しければ、アイとは当面いたちごっこが続くことになる。
私がラナソールという許容性無限大の異常環境で遥かに高めた『真の実力』の果てに届くまでは。
その先に奴が届いてしまえば、手に負えない。時間との勝負なのだと思う。
そのとき、メリッサから躊躇いがちにお願いされた。
「私も、ちょっと甘えていいですか」
返事を答える前に、彼女がもたれかかってきた。
豊かな胸同士がぎゅっと押し潰されて、触れ合う肌から彼女の甘い香りが漂ってくる。
メリッサは、震えていた。
私はその身のこわばりを宥めるように、両腕で背中まで包み込んでやる。
そうしてしばらくしていると、彼女はぽつりと零した。
「……私、あれが心底怖いんです。とても戦える気がしなくて」
「気持ちはわかるよ。君はそもそも戦いが好きじゃないもんね」
だから三人の中で唯一、癒しと防御に優れた『至天胸』を持つに相応しい人格を備えているのだ。
「ただ、こうしていると伝わります」
彼女は恐れながらも、自分を差し置いてまで隣に寄り添う人間だった。
「あなたも、よほど怖がっているのですね」
「うん。やっぱり怖いものは、怖いよ」
昔から怖がりで。どんなに強がってみても、根っこだけは直しようがなくて。
アイは。あいつはとっくに見抜いている。私の弱いところを執拗に狙い続けている。
心の強さで戦う私が、ろくに力を発揮できないように。実に狡猾に立ち回っている。
悔しいな。わかっていても。わかっているのに。
身体が、本能が。きっと忘れてしまった記憶が、怯えている。
奴が怖い。恐ろしい。
イプリールとアマンダは、戦士だ。どんなに内心は恐れていても、表面上は凛とした強さを保っている。
対して私もメリッサも、強がることが苦手だ。
三人の巫女の中では、私たちは一番近いかもしれなかった。
「やっぱり私たち、似た者同士ですね」
「そうみたい」
「ちょっぴり、悔しいです。もっと早く出会いたかったですね。そうしたら……」
メリッサは親愛にはやや過ぎた感情を向け、いっそう私に縋る。
私は受け止めながら、同時に受け止められてもいた。
この一体感のある安らぎは、まるで図ったように容易に私たちを恍惚へと誘う。
触れ合う肌の感触も、香りも。存在そのものが、互いに好ましいと感じている。
しおらしく身を預けるメリッサには、とても言えないけれど。
やっぱりどうしても……薄ら寒い感覚を拭い去ることができない。
アイの誘惑は……これによく似ている。
……アルシアのときも、そうだった。
同性愛という心はなくても、私は彼女に妙に惹かれるものがあった。
だから狭い部屋で親しく絡み合い、寝食を共にしても。まったく疎ましく思うことがなかった。
心地よかった。幸せだった。
あのままラナソールの傷が癒えればと、そう願うくらいには。
アイを通して、知りたくはなかったけれど。
アルシアに自制心というものが一切なければ、確かに彼女は私を手籠めにしようとしたのかもしれない。
そのくらいにはきっと、矢印が向いていた。知っていて、私はあえて応えなかった。
そういう趣味はなかったし……まあ、リルナと経験がないわけではないけども。
何より弱っているところを一度でも許せば――溺れてしまいそうだったから。
彼女もわかっていたから。人間だったときには、「それ以上」には踏み込まなかった。
巫女同士は惹かれ合う。
歴史上、彼女たちが親密になった例は暇がない。現代でも三人がそうであるように。
だから今こうしていることが、安らかであることが。
本当に気の置けない友人だからなのか。
それとも――ともに女神の一部であるからなのか。
私もきっと、そうなのだろう。
リデルアースの歴史上欠けていたはずの女神の下腹部――【器】を宿している。
外から来た。来てしまった。そして……始まってしまった。
奇しくも上体部である目の前の彼女とは、触れ合う隣同士。相性は極めて良いところ。
アイは強引に私たちを混ぜ合わせて、理性の蓋という蓋をすべて引き剥がして。
本能のまま互いを求め合う、一つにしようとしている。
不要な心を溶かし、本能と愛欲のみに塗れ、ともに永遠を生きることが唯一の幸せだと信じて疑わない。
それは人間的なところから最もかけ離れた、生物的には究極の愛なのかもしれない。けれど。
想像しただけで、そら恐ろしくなる。尽きない怒りさえある。
そんなものが幸せだと。アルシアのあんな痴態が、本当の彼女だと!
そんなわけがあるものか!
メリッサの好意も。人であるからこそ、好ましいものだから。
「ユウ。強いです……」
「メリッサ。君は君だ。君だから私は友達になろうと思ったの。女神だからじゃない」
「あ、ありがとうございます」
ほんのり頬を赤らめた彼女の「人」を確かめるように、私はより強く抱き留める。
女神の欠片に求められる私の、人として精一杯の回答。
私たちは、化け物になるために生きているわけじゃない。
「大丈夫。大丈夫だから」
そう、自分にも言い聞かせるように。
「私たち、絶対生き延びましょうね。あんな奴に私という存在を奪われたくない……!」
「うん」
私が私であること。自己同一性。アイデンティティ。
これは、化け物から私を護る闘争なのだ。
「あなたのことは私が守ります。だからきっと私を守って下さいね。ユウ」
「もちろん。だから少しは安心してくれると嬉しいな」
「はい……!」
こうして時に慰め合わなくてはならないほど、人は一人では弱いけれど。
だからこそ重なれば強くあれることも、私は知っているから。
渡さない。人の尊厳は奪わせない。
だがそんな私の健気な決意を打ち砕くように、アイのさらなる悪意はすぐそこへ迫っていた――。




