7「女神の身体」
シェルター様の建物に入った私たちは、いったん私物の類を荷下ろしにリビングへ向かい、それから家の中を見て回った。
物々しい外観とは裏腹に、内装まで軍事基地じみているということはなかった。
むしろ民間の女性用住居に近い装いだ。ただし豪邸のそれだけど。
人数分のPC、テレビやラジオなども普通にある。さらにドリンクバー、マッサージチェア、大浴場、サウナまで完備。
なるべく不自由しないようにとのデカードの心配りが伺える。
「まあこんなものかしらね」
「思ったより悪くないね」
「スタッフの方、頑張って下さったんですね」
「いやいやすごいよ」
これでも三人からするとダウングレードなんだろうけど。
安アパート暮らしだった私にしたら、あまりに豪華過ぎて落ち着かないくらい。
「何だってユウはあんなボロアパートに住んでたんですの? あなたのお給金なら、もっと良い部屋だって借りられましたのに」
「別にボロいってほどじゃないよ。庶民にはあれで十分なの」
「ふうん。そういうものかしら」
野宿した経験が山ほどあれば、住む家のあるだけで結構なことだよ。
大抵のものは用意があったけど、個室だけはなかった。護衛という目的を考えると理には適っている。
合同の寝室には、キングサイズのベッドがそれぞれに宛がわれている。
一つ一つが私の部屋にあったものよりもさらに倍はある。眩暈がしそうだ。
どこぞの城のプリンセスかな。横に並んだら四人で寝れそうじゃない?
私にまでこんなの用意する必要ないのに、と考えて。すぐに思い当たる。
きっと三人は、私だけ露骨に扱いを落としたら怒るだろう。
これは必要経費なのだ。たぶん。でもやり過ぎだよね。
「これ、四人で一緒に寝れそうなくらい大きいね」
「うふふ。ユウは私と一緒が良いんですか? 別に構いませんけども」
「はあ!? メリッサお姉様、何をおっしゃってるんですの!? い、一緒だなんて!」
まんざらでもなさそうなのはメリッサで、イプリールはわかりやすく動揺しつつ反発した。
いや、単に大きさに言及しただけなんだけどね……。
アマンダは我関せずと、ひらひらと手を振って笑っている。
「仲良いんだね。あたしは遠慮しとくよ。もうそういう歳じゃないしさ」
「そ、そうですわ。ユウはほんと甘えん坊のお子様ですわね!」
「悪いね。寂しがり屋で」
「ふん。しょうがない人ですわね」
でもイプリール、顔に「一緒でもよかったかも」って書いてあるよ。ふふ。
ところで『至天胸の巫女』メリッサには、超人的な体幹の他にも優れた六感が備わっている。
得意の空間把握能力によって、隠しカメラの位置もすぐに割り当ててしまったようだった。
「ガッシュさんの言っていた通り、風呂・トイレ、あと寝室以外はくまなくカメラが設置されているようですね」
「そんなのまでわかるんだ」
「むむむ。窮屈でやりにくいですわね」
「仕方ないさ。あたしらの価値を考えたらね」
最年長の巫女は、自身の戦略的価値をよく理解しているようだ。
そこで三人に向き直り、改めて私は決意表明をする。
これまでも一緒に任務に当たったことは何度もあるが、さすがに共同生活は初めてだった。
「アルシアを助けられなかったことは痛恨の極みだけど……みんなのことは守ってみせるから。これからよろしくね」
「肩の力張り過ぎですわ。言ったでしょう。むしろ守ってやるのはこちらの台詞だと。でもまあ、よろしくされてやりますわ」
「アルシアさんのことは残念でしたね……。ですが頼りにしていますよ。この生活自体も楽しみです」
「なに。あたしたちもしっかりやるさ。全員で協力してアイをやっつけような」
三人の巫女はそれぞれの性格で、温かく私を迎え入れてくれた。
***
夜も更け、お風呂の時間がやってきた。
「いいの? 私、一応半分は男なんだけど」
遠慮がちに、私は三人と一緒に脱衣所へ赴いていた。
一人だけ別も当然考えていたのだけれど、みんなに引っ張り出される形で来てしまったのだった。
姉御肌のアマンダに強く肩を抱き寄せられる。気にしないと朗らかに笑っている。
「いいんだよ。護衛なんだから」
「そう? ならいいんだけど」
「それに親睦を深めるには、裸の付き合いが一番だってな!」
「あはは……」
「もちろん私はちっとも気にしてませんよ」
「うん。君はそうだろうね」
かねてより私やアルシアとお泊りしたいと囁いていたメリッサは、本懐を遂げられてむしろ嬉しそうだった。
アルシアとは、残念ながら二度と叶わなくなってしまったけど……。
……いけないいけない。また塞ぎ込みそうになってる。
二人の反応に安心した私は、一思いに服を脱ぎ捨てることにした。
身体そのものは女性としてどこに出しても恥ずかしくない、我ながらまあまあのプロポーションを備えている。
もう一人の「私」――『姉』であるユイのしなやかな肉体だ。
女の子の部分も、ちゃんと女の子している。これで一人だけ生やしてたら、事件だからね……。
いつもこの身体使わせてくれて、ありがとうユイ。
『どういたしまして』
心の内から、温かな彼女の声が返ってくる。
この『姉』のおかげで、私はこの姿であるときは精神的にも女性らしくあることができた。
「ぐぬぬ。あなたってどこから見ても立派ですわね」
一足先に一糸まとまぬ姿となった私の、特に胸や腰の辺りをじっと見つめて。悔しそうに嘆くイプリール。
一緒がどうのという問題はまったく眼中になく、身体つきがずるいと物申したい様子だ。
確かに君は三人の中では控えめだけれど、競っても何も出ないと思うよ……。
たまりかねたのだろうか。彼女は私の背後に回ると、ぴったりくっついて私の胸を揉みしだき始めた。
「ずるいですわ。天は二物を与えてますわ。男のくせに。男のくせにぃ!」
「わっ、ん、やめっ!」
ちょ、ちょっと! そこ敏感だからあんまり弄らないで!
身をよじってやんわりと抗議の意を示すものの、誰も止めてくれる気配がない。
アマンダはただ面白がって笑うばかりで、メリッサなんかむしろいいなと羨ましがって眺めている節がある。
たっぷり数十秒は堪能された後、ようやく私は解放された。
手をわきわきさせて、イプリールは満足気だ。
「女の子ですわ。認めますわ」
「もう。ひどいんだから」
息も絶え絶え、両腕で胸を抱きすくめて。
涙目で訴えるばかりになってしまった私に対して、彼女はほくほく顔で勝ち誇っている。
「ま、これで少しはほぐれただろう」
シャツを豪快に脱ぎ捨てながら、アマンダはウインクする。
ここが? と一瞬自らの膨らみを見下ろしてしまったが、すぐにニュアンスが違うと悟る。
「ユウ、ずっと表情が硬かったですからね」
「これから一緒に戦おうってときに、一人だけ泣きそうな顔してたら辛気臭くなりますわ。そのくらいがちょうどいいですわ」
「そうだぞ。あたしたちもいるんだからな」
「みんな……」
アルシアのことで落ち込んでいるのは、どうしたって顔や態度に現れてしまうのだろう。
親睦を深めるためとアマンダは言っていたけど。
それ以上に私を一人ぼっちにしないために、わざわざ進んで裸の付き合いへ連れ出してくれたのだと理解する。
ありがとうと言う代わりに、私はにこりと笑ってイプリールへ挑発を投げかける。
「イプリール。後で覚えておいてね」
「の、望むところですわ! それでこそ我がライバルですわ!」
やや気圧されながらも、彼女は力強く首を縦に振ってくれた。
ちゃんとできるかはわからないけど、なるべくいつも通りでいようと。そう思う。
それからイプリールに頼まれて、湯船に浸かる前に彼女のツインテールをまとめ直すことになった。
ライバル視してくる割には、こういうことは真っ先に私に頼むんだよね。ふふ。
さて。私もイプリールも、とっくに生まれたままの姿になっているのだけど。
メリッサはというと、妙にもじもじしているし。
アマンダは堂々とグラマラスな褐色の上体まで晒しながら、その後はやけに手の動きが鈍い。
そう言えば。いつも丈の長いパンツなどで隠しているから、今までちゃんと足を見たことがなかったかな。
しかしそこは姉御。えいやと気合を入れて一気にずり下ろした。
加護足が現れる。
やはりイプリールの封函手と同じだ。浮き出た筋や血管、シミや汚れ、ほくろの一つもない。
まるで女神の彫刻からそのまま取り出してきたように白く、人が美しいと感じる形と完璧な調和を持っている。
「どうもこの足だけ浮いてるんだよねえ」
アマンダは決まりの悪い顔をして、こちらに言い訳をするように首を傾げている。
確かに言う通り。この人はそもそも褐色系の人種だから、足の付け根から先、その色合いだけがまるで移植でもしたかのように浮いている。
バランスの悪さを本人も気にしているから、普段は踵まで覆って隠しているのだろう。
全然気にしなくても良いと思うし、普通にとても美しいと思うのだけど。
幼少から付き合ってきた分、コンプレックスも強いのかもしれない。
「気にすることありませんわ。お姉様、素敵ですわ」
「あんたのその能天気な性格は見習いたいね」
あはは。むしろイプリールは堂々と晒している節があるよね。いつも自慢気に。
髪をまとめ終わったので、合図にぽんぽんと頭を叩くと彼女は礼を言ってくれた。
何でも人にやらせるお嬢様気質だけど、素直にお礼を言えるところはかわいいものだ。
「さあて、後はメリッサだけか。こいつ、人のを見るのは大好きなくせに。自分は引っ込み思案なんだよな」
「あ、アマンダお姉様。ちょっとまだ心の準備が」
「問答無用!」
小さいときから付き合いがあるからか、アマンダは彼女の扱いをよく心得ているようだった。
言うことの聞かない子供を風呂に追いやるときのように、慣れた手際でメリッサの服を引き剥がす。
最後の巫女の御姿が、白日の下に晒された。
「ヒュー。相変わらずいい胸してんねえ」
アマンダはオヤジっぽいことを言いながら、にやりと笑う。
イプリールは「すごいですわ」と目をキラキラさせている。対抗心は私にしか燃やさないらしい。
当のメリッサはというと、顔を真っ赤にして背けている。
「ひゃうぅ。あんまり見ないで下さい……」
至天胸の名の由来である上裸体が露わになっていた。
服の上からでもありありと存在を主張していたそれは。隠すものがなくなって、なおいっそう人体美の輝きを放っていた。
彼女の恥じらいとは裏腹に、いやそれがむしろ滑稽に思えてくるほどのボリュームと存在感。
重力など物言わぬ顔で、先端まで堂々と突き出している。
ロケットだ。犯罪的だ。
大きさのみならず、形や上体とのバランスも惚れ惚れするほどだった。
そのまま絵画に切り出しても映える完璧なプロポーションをありありと見せつけている。
「お風呂でも浮いちゃうから嫌なんですよぅ」
「その割にユウと入りたいって、一番に言い出したのあんたじゃないか」
「それとこれとは別の話なんです!」
珍しく声を荒げるメリッサに、イプリールがおもむろに歩み寄っていく。
「ちょっとよろしいかしら」
「なんですか? イプリール」
おそらく純粋な興味からだろう。彼女は自分の腕をメリッサのそれに重ね合わせてみる。
すると腕の付け根から先、まるでメリッサの胴体からそのままイプリールの腕が伸びているように、ぴったりと嵌って見えた。
女神の姿が一体となって、あるべきところに落ち着いているような。まさにそんな印象を受ける。
メリッサは恥ずかしがっていたことも忘れて、驚きと関心を示したようだった。
「知識としては知っていましたけど。へえ。これは」
「気になって初めてやってみましたが、不思議な感じですわね。赤の他人とぴったり重なるなんて」
隣にいるアマンダが、神妙な調子で呟く。
「女神の身体は繋がっている、か」
過去の巫女も試したことがあるのだろう。記録としてはいくつも例が残っている。
どの巫女も、腕と胸部は同一人物のそれかのごとく「繋がっている」。
まるで女神の一部がそのまま現れているようだ、と。
「手足と胸はあるのに、顔や下腹部はないんだよな。あたしだけ繋がる先がない。変だねえ。仲間外れだよ」
「ふふ。もしかしたら世に知られていないだけで、顔や下腹部に当たる人物もいるのかもしれませんね」
「案外近くにいたりして」
イプリールは冗談っぽく私に視線を向けるので、とりあえず苦笑いで返しておく。
一方のメリッサはというと、どこか熱のこもった視線で私を見つめているように感じる。気のせいかもしれないけれど。
私はそれとなく自分の身体を見下ろした。
同じ女性にも羨ましいと何度も言われたことのある、このカラダ。周りからどのように見えているのだろうか。
そもそもの生まれが造り物の身体ということもあって、私は日本人にしてはやけに肌が白い。
人工物のようだという意味では、彼女たちに似ているところがあるのかもしれない。
でもあり得ない話だよね。
だって私はこの世界にとってはよそ者。異物なのだから。
女神とはまったく関係がないはずだよ。うん。
けれど、『心の世界』が誇る完全記憶は。
ふとしてしまった想定の中で、私たちが。私を含めて。
ぴったり五体が重なり繋がって、『完全なる女神』をなす姿をしかと描くことができた。できてしまった。
途端に不安になって、自らの下腹部をさする。
言われてみると確かに。私のここ……。
メリッサの胸体、アマンダの足とは綺麗に「繋がってしまう」みたい。
そして、アルシアの顔……。
アイに奪われてしまった、女神の身体。
私もこの人たちと軸を一にする存在かもしれないという妄想は、やけに倒錯的であり。
同時に何か根源的な、薄ら寒さを感じさせるものがあった。
私たちすべてが、あの化け物の下でひとつになるように。
まるで最初から仕組まれているようで。気持ちが悪い。
――そうね。今は考えないようにしよう。
ちょうどよいところで、メリッサが思考を割ってくれた。
彼女は私の腕に自分の腕を差し込んでリードする。
「さあ行きますよ。ユウ」
「え。う、うん」
開き直ったのかな。
向かい合ってじろじろ見られるよりも、隣で肌を寄せていた方が恥ずかしくないと思ったのかもしれない。
この子、アルシアに負けず劣らずのスキンシップ魔なんだよね。あはは。
って、私もか。
そんなメリッサにぐいぐい胸を押し付けられながら、私たちは連れ立って大浴場に向かった。
アルシアを失った悲劇の向こうにも、まだ日常は残っていた。
三人の巫女や仲間たちは、傷付いた私を温かく迎え入れてくれた。
そうだよね。私にはまだみんながいる。
だから大丈夫。つらくても、私は戦える。
でもそれは、儚い幻想に過ぎなかったのだと。
絆はいとも容易く破壊されるものだと。
これから嫌と言うほど思い知らされることを――私はまだ知らなかったの。
***
――湯船の奥に、人の姿が見える。
和気藹々としていた空気が瞬時に凍り付く。混乱が脳裏を殴り付ける。
他に誰もいるわけがないのに。
「やあ」
するはずのない声。ずっと隣で聴き続けてきた、天使の声。
今やそれは理性を溶かす危険を秘めた、妖艶な響きに変わっていて。
どうして。
「遅かったじゃない」
なぜここに。どうして気付けなかったの!?
「アイ!?」
私たち四人が目にしたものは。
足を広げて肩まで湯船に浸かり、我が物顔で入浴を満喫している。
親友の顔を持つ、化け物の姿だった。
「せっかくだから楽しませてもらっていたわ」
そしてこれ見よがしに、くすりと微笑む。
「お風呂というのは、実にいいものね」




