5「三人の巫女」
アメスペリア大陸のビュートシティは、地球で言うところのアメリカ大陸東端部に位置する。
最大の都市ニューマークから車で半日ほどの距離にある。武装警察ブリンズやTSFの本部が置かれていることで有名な「警察都市」である。
この都市は、地球に対応する都市の存在しないものの一つだ。
地球では封殺されていたTSPの社会的認知と活躍によって生じた、特異点と言えるだろう。
TSFに対応する特殊能力組織は世界各国に存在している。しかしその規模・軍事力においては、TSFが突出している。
とりわけ、歩くマップ兵器とも言われる三人の巫女をすべて「保有」していることが大きい。
彼女たちは、高い報酬や身分保障を代償に、世界平和への貢献という名目で雇われている。
アメスペリアという巨大国家に奉仕することを約束させられているのだ。
そして三人の巫女のみならず、TSFには最高レベルの人材が揃っている。
経験を積んだ彼らは、一人一人が一個大隊から連隊に匹敵する軍事力を持つ。
ところで現代は、かつてないほどTSP組織が重視されるようになっている。
大規模戦争が収束し、テロリズムとの戦いや局地的紛争が主流となった時代。
身一つのみでコンパクトに多目的運用できる「人間兵器」は、非常に価値が高くなっているからだ。
以上を踏まえて、私が(日本に対応する国でなく)ビュートシティに身を置くことを決めたのは。
まあ多少の成り行きもあるけれど、世界随一のTSP組織であるTSFとの協力関係を重視したためである。
アルが送り込んだこの世界で、何もないはずがないと思っていた。
もし世界を揺るがすほどの何かが起こるなら、TSFと繋がりを作っておいた方が何かと動きやすい。
無駄になればいいと思いながら、万一のために備えていた。
結局、予想は最悪の形で的中してしまったわけだけど……。
戦争期ならいざ知らず、平時において一万人の犠牲というのは、個人による大虐殺事件としては前代未聞だった。
昨日はそのまま寝てしまったから直接見てはいないが、今頃メディアは大騒ぎになっているに違いない。移動中にも事件の噂話はちらほら耳にした。
これだけの事件、しかも特殊能力者によるものと目された犯行となれば。TSFは大々的に動く。
三人の巫女も招集されている――はずだ。
中へ入り、受付にTSFの身分証を示そうとしたところ。
そうするまでもなく、顔と名前を認識されていた。
「ユウ・ホシミさんですね」
男と女の二つの姿を持つということは、この世界でも際立って個性的な特徴だった。
最初は物珍しさから。やがて仕事ぶりから、私はすぐにTSF内で有名になった。
ただ組織としては男と女、どっちの扱いにするか相当悩んだらしくて。
結局仕事上の扱い、更衣室やトイレ、シャワーや浴場等施設の利用も含め「身体の性別に応じた」定めとなっている。
滞在中はほぼすべて男で過ごしたトレヴァークのときと違い、アルシアとの共同生活もあり、私は普段から女でいることが多かった。
そのせいか、また男であっても男らしくない見た目が「幸い」したのか(「俺」としては複雑な気持ちだが)。
ほとんど拒否反応はなく、八割方女として認識されているような感じである。
「念のため確認いたします――はい。確認が取れました。ブリーフィングルーム8Aへどうぞ」
「わかりました。ところで、三人の巫女は」
「お見えになっています」
「そうですか。ありがとうございます」
やっぱり来ていたか。
指示された部屋に行くと。招集がかかって早々に来たからか、私を除いては一人だけしかいなかった。
巫女たちやデカード隊長はどこにいるのかな。
ただ一人席にかけているそいつは、私と親しい男だ。
ちょっと口は軽いけど根がすごく真面目な奴で、いつも一番に来て最前列を陣取っている。
ガッシュ・キリングウェイ。
【物質崩壊】の特殊能力を持つTSF有数の実力者。
三人の巫女と私を除けば、三指に入るとされている。
彼は私の顔を見るなり、向けようとしていた笑顔が引きつっていた。
「よう。ひどい顔だな」
「……そう見える?」
「悪い。無理もないよな」
「隣。いいかな」
「おう」
いつもなら下らない雑談の一つで盛り上がるところ、私はとても喋る気になれなかった。
しっかり気を張っていたつもりだったのに。気心知れた相手の手前、弱り切った心をあっさりと看破されてしまったから。
空元気を貫くには、彼は鋭くて優し過ぎた。
だから私は髪が乱れるのも気にせず、突っ伏してぼんやりと彼の方を見つめるだけになっていた。
無理せず沈黙に甘えることにしたのだ。
重苦しい空気になってしまっても、ガッシュは文句一つ言わずに隣にいてくれた。それが今の彼にできる仕事だと理解していた。
やがて遠慮がちに、彼の手が私の頭に触れる。
「お前がよほどアルシアと仲が良かったのは知ってる」
「うん」
「良い歌声だよな。おれもファンだったんだ」
「うん」
「止めなきゃな。大丈夫だ。お前だけにやらせない。おれたちも付いてるんだからよ」
ぽんと頭を叩かれたとき、不意に視界が滲んだ。
「うん。うん……」
弱ったな。自分で思っている以上にまいっているみたい。
ガッシュはというと、面白いくらい慌てふためいていた。
「おい。な、泣くなよ! 強く叩き過ぎたか?」
「違うの……ごめん。もう少しだけしたら、戦えそうな気がするから」
「あー……。うーむ……」
彼はばつの悪そうに唸ってから、疑いの目で言葉を絞り出した。
「お前さ。マジで生まれた性別間違えてんじゃないのか?」
「う……たまに言われる、かも」
「ったく。これが『四人目の巫女』さんと謳われるほどの我が特記戦力の姿か。強いんだか弱いんだか、よくわからない奴だな」
「ごめんね」
「いいさ」
少しだけ泣いてから涙を拭き取った私は、ガッシュに尋ねた。
もう戦いに来たのだから、いつまでもくよくよしちゃダメだよね。
「ところで、巫女たちとデカード隊長は?」
「巫女さんたちと隊長なら、おれたちに先立ってミーティングだ。そろそろ来るんじゃないかな」
噂をしていると何とやら。ブリーフィングルームのドアが開いた。
ひょっこりと覗いた女の顔がぐるりと部屋を見渡し、間もなく私と目が合う。
勝気な表情に銀髪のツインテールが小さく揺れている。
彼女を知らない者の方が、この世界に少ないだろう。
イプリール・フィンクター。
他ならぬ彼女こそ、若干齢18にして当代の『封函手の巫女』である。
彼女は私の姿を認めると、わかりやすく頬を膨らませた。
そして怒りを露わにハイヒールの足音をかき鳴らし、鋭い威勢で私の胸倉を掴んできた。
無理やり立たされる形になる。
「うっ」
息が苦しい。
彼女はおかまいなしにまくし立てる。
「聞きましたわよ! ユウ! あなた、件の現場に居合わせていたんですってね?」
「う、うん。そうだよ」
「そうだよ、じゃありませんわ! あなたという者が付いていながら、一万もの観衆は皆殺し。敵はみすみす逃がし! いったい何をやっているのですか!」
「それは……ごめん」
ばつが悪くて背けたくなる顔を、彼女は逃がさないと馬鹿力で強引に向き合わせる。
「お友達がやられたんですってね。どうせガラスのように繊細なあなたのことですから、動揺して力が出せなかったのでしょう?」
「そう、だね……」
「まったく。兵士にあるまじき失態ですわね。情けない」
彼女はいくらかの同情を示しつつも、さらに容赦なく説教を浴びせかけてくる。
隣で事の成り行きを見ていたガッシュが、可哀想と思ったのか。割って入ってくれた。
「まあまあ。イプリール様。ちょっと言い過ぎじゃないか」
「あなたは黙ってて。これはね! 私とユウの問題なの!」
「ですがね。あなたは知らないかもしれないが、ユウと歌姫は同じ屋根の下で暮らすほどの仲で」
「そんなことは知っています。まったくなんてうらやま……こほん。とにかく命令ですわ。黙っていなさい」
「あーあーそうですかい」
長官や隊長を除けば最上位者である巫女様に命令と言われると、お手上げするしかない。
ガッシュは手をひらひらして、同情的な視線を私に注くばかりだった。
もっともここまで来ると、彼女が「やたらと私にこだわっている」ことには、どうやら彼も気付いているみたいだけど。
そう。ちょっと困った話なの。
こっちにはまったくその気がないのに。
三人の巫女でも最年少であるこの子は、新参の『巫女』たる私のことをやけにライバル視しているみたいで。
どうも見た目がより若かったのがいけなかったらしい。いつも何かと理由を付けては突っかかってくるのだ。
彼女の小言はまだまだ続く。
普段なら軽く流しているところなんだけど、今回ばかりはきつかった。
逐一言っている内容はもっともなだけに、余計に。
声の熱量とともに、ぐいぐいと締め上げる彼女の細腕にも自然と目が留まる。
一度はっきり意識してしまうと、視線が吸い込まれるようだった。
どことなくアルシアの歌声と似た、心を掴んで離さない魔性の魅力がある。
イプリールの腕には、浮き出た筋や血管、シミや汚れの一つもない。ほくろの一つたりともない。
まるで女神の彫刻からそのまま取り出してきたように白く、人が美しいと感じる形と完璧な調和をもっている。
まさに生ける命の芸術品だった。
不思議なことに、代々の巫女はそのような至高の形をもって生まれ育っていくのだそうだ。
一度成熟したならば。死せるそのときまで、女神を司る身体の一部だけは決して老いることがないという。
「ちょっと。ユウ? 聞いてますの? いくら私の手が綺麗だからって、見惚れても何も出ませんわよ」
「あ、えっと。ごめんなさい」
「まったくもう」
呆れつつも、いつになくしおらしくなっている私の様子にはかなり手ごたえを感じているらしい。
もはや彼女は憤り半分の裏に勝ち誇った気分を隠し切れていない。
「こんなので『四人目の巫女』だなんて呼ばれているんですから、お笑いですわ。私なら一瞬で片付けてみせましたのに」
「確かに君ならやれたかもね。あのとき側にいてくれたら……」
もちろんあの凶悪な精神支配が効かないならば、という大前提はあるけれども。
「ふふ。そうでしょうそうでしょう。素直なのはあなたの美徳ですわね」
事実として、パワー、スピード、能力の強さ。
どれをとっても『三人の巫女』は私より頭一つ抜けている。
ひるがえって私は……。
許容性の低いこの世界において、能力の重要な部分――心の繋がりを制御し、本源を見通す力――をアルに封じられてしまったため、ろくに力を発揮できていなかった。
《マインドリンカー》はいつ理性が吹っ飛ぶかわからない爆弾のような不安定さになっていて、まともに使えていない。
それでも豊富な戦闘経験と能力のうちどうにか使える部分を駆使して、誤魔化し誤魔化しやっている。
そうやって一般のTSPの枠を超えた活躍を示し続けたことで、『四人目の巫女』などと呼び名されているに過ぎない。
この子は――「本物」であるイプリールは、きっと直感的にわかっている。見抜いている。
私が世界にとっては異物であり、他の『巫女』と同等に女神の寵愛を受けた存在ではないことを。
だから憎まれ口の裏で、アイのような化け物を「仕留め損なった」と、そのことを失態と断ずるほどに私の実力は認めていても。
正当な『巫女』の仲間だとは認められない。『巫女』でないのに、自分たちの領域に迫る私のことが理解できない。
理解できないなりに認めていて、だから余計に負けたくない。
そんな複雑な気持ちが、やけにつっかかってくる素直じゃない態度に現れているのだろう。
って、ここまではっきり言ったら余計に怒っちゃうかな。
意地を張って口をきいてくれなくなるかも。ふふ。
なんて考えながら、剛力な巫女の手を振りほどけないので、仕方なくされるがままになっていたのであるが。
ふっと風が走ったような感覚があった。
そして彼女のお説教(さっきので気分を良くしたのか、自慢パートに入っていたが)は、突如降ってきた拳骨によって唐突に終わりを告げた。
「いったーい」
イプリールは私から手を放し、頭を押さえてうめく。
彼女が恐る恐るという感じで見上げると、彼女の最も敬愛する姉貴分――『加護足の巫女』が半ば呆れ顔で腕組みしていた。
すぐ隣後方には、さりげなく『至天胸の巫女』も控えている。
「いつまでやってんだい。あんたの馬鹿力でユウがふらふらになってるじゃないか」
「わわ。アマンダお姉様……!」
アマンダ・クランシエル。
『加護足の巫女』とは、彼女のことである。
三人の巫女のリーダー格である彼女に、今までの威勢はどこへやら。
背筋を伸ばし、借りてきた猫のように従順になるイプリール。
向こうを見やると、してやったりの顔でガッシュがウインクしていた。
どうやら埒が明かないと見て、彼が急ぎ呼んできてくれたらしい。
「ありがと」の意を込めてウインクを返すと、彼は照れ臭そうに咳払いして、また部屋を出て行った。
次はリーダーでも呼びに行ったのだろう。
「今は全員が一致団結して臨まなければならない国難だろう。それなのにあんたときたら、いつもいつも――」
今度はアマンダお得意のガミガミ説教が始まってしまった。
アマンダは自ら孤児院を経営している慈愛の深い人だ。
やんちゃ盛りの子供たちへの叱りっぷりと言えば、それはもう年季が入っている。
齢34を迎えたばかりという姉御肌にとっては、人生経験約半分のイプリールもまだ大きめの子供に違いなかった。
すっかり攻守は逆転していた。
「ひゃ、ひゃい」と涙目になりながら、イプリールはしおらしく頷くばかりだ。
あの素直さを少しでもこちらに振り分けてくれないものだろうか。
そう残念に思いつつも、表情をころころ変える彼女の姿には愛おしさも感じられて。
曖昧な苦笑いを浮かべていると、
「いつも災難ですね」
いつの間にか隣にすり寄っていたメリッサが、おっとり声で話しかけてくる。
メリッサ・カラーケット。
『至天胸の巫女』であり、実年齢的には最も私に近い人になる。
彼女は三人の中では周りがよく見えるタイプだ。誰でもそこにいてくれるだけで和むような、人当たりの柔らかい雰囲気を備えている。
同時に一際目を引くものは、天を衝くばかりの胸だった。『至天胸の巫女』に代々受け継がれるものだという。
大きさそのものは私より一回り大きいくらいだけど、重力の影響など一切受けていないと思われるほど完璧な張りを常に維持している。
乳袋ができてしまいそうなほどと言えば、想像しやすいかな。
ほとんどの服を押しのけて悪目立ちしてしまうため、本人はかなり気にしているようだ。
何でも10歳からの付き合いだとは聞いたことがある。
「ううん。騒がしいのがかえって気が紛れたよ」
「うふふ。あの子なりの気の遣い方なんですよ。下手ですけどね。きっと落ち込んでるだろうから、あえていつも通りにって」
「あはは。彼女らしいというか」
言うや否や、私はメリッサに手を引かれ、その胸に抱き留められていた。
鼻孔をくすぐる甘い香りと温かな感触に包まれて、本能に訴えかけるような安らぎが込み上げてくる。
「ユウ。私も味方ですからね」
優しい声色が耳元で私の心を溶かす。
私より3つ下とは思えないほどの包容力は、何も身体つきばかりから来るものではない。
彼女は自分が持っているものの使い方をよく心得ている。
「辛いときはいつでも相談して下さい。お話を聞いたり、こうして抱き締めてあげることくらいはできますから」
「……うん」
お礼の一つでもすんなり出てくればいいのに。何も言葉が出て来ないほどしおらしく身を任せている自分に驚く。
そこまで私は弱ってしまっているのだろう。今もぽっかり心に穴が空いたままなんだ。
その弱った心の隙間に、メリッサが入り込んできて。優しく慰めてくれる。
でもどうやら癒されているのは、私ばかりじゃなくて。
彼女の方も、私との触れ合いにはうっとり感じ入っている様子。
「ふふ。こうしていると何だか、他人の気がしませんね。ずっと近くにいるような、ずっと昔から姉妹だったような気がします……」
「私もそんな気分……。これじゃ、どっちがお姉ちゃんだかわからないね」
ちょっと変な気持ち。けどどうにも離れる気になれなくて、そのまま私たちの甘美な接触は続いている。
隣では相変わらずアマンダ「お姉様」の説教が続いているというのにね。
再びブリーフィングルームの扉が開いて、大きな咳払いが聞こえた。
「かしましいところ結構だが。我々は女子会をしに来たのではないのでね」
私もメリッサもはっと我に返って身体を離し、佇まいを整える。
もはや手遅れ感はあるけれど。
「この方たちが集まるといつものことですから」
呆れ顔でガッシュは同調し、男も頷く。
「そうだったな。せっかくこの前オフ取って忘れていたのに、また思い出してしまった」
三人の巫女は特記戦力であり、立場も発言力も高い。だがトップというわけではない。
組織はシビリアン・ノンプリステス・コントロール(文民かつ非巫女による制御)の方針が貫かれている。
TSF長官は非TSPであるサムソン・バーグナーという人だ。基本的に政府から口を出すだけの立場なので、ほとんど会ったことはないけれども。
そして実務的なリーダーは、今入ってきたこの男――デカード・テイラーが務めている。
その額には年季の入った皺が二本刻まれており、気苦労の多さを伺わせるものだった。
「よし、全員席に着け。もうすぐ他のメンバーもやってくる」
イプリールはミーティングなんかのとき、どんなに口で張り合っていても必ず決まって私の隣に座ってくる。
それも一言も断らず、腕と腕がぶつかってしまいそうなくらいぐいぐい距離を詰めてきて。今日もそうだ。
だがそちらへ顔を向けると、照れ隠しでぷいと顔を背けられてしまう。これもいつものことだった。
「アイ対策会議を始めようか」
リーダーの一言で会議は始まる。
彼女の能力や出現時の状況については、主に私の口から色々と説明させてもらった。
対策会議と言っても、まだあの虐殺事件から目立った行動は起こしていないため、注意喚起以上のことはそれほどできない。
結局のところ、捜査網を張りながら出現待ちをするしかないという無難な結論に落ち着き、会議は解散されたのだった。




