「神器式自由星間転移機構《エーテルトライヴ》」
「おーい」
「聞こえますかー?」
ミックとメレットは揃って呼びかけするが、いくらやっても彼女は一向に目覚めない。
どうやらただ寝ているわけではないようだ。
兄妹は困って顔を見合わせる。
「気を失ってるのか?」
「みたい、だね」
ミックが近寄り、今度は頬を軽く叩きながら呼びかけてみる。それでも反応がない。
「ダメだ。全然起きないな」
「とりあえずうちへ運んで手当しようか。お兄ちゃん」
「そうするか」
いったん座席から引き起こしたが、固く重い鎧が運ぶのに邪魔だ。
「鎧だけ外すぞ」
「変なとこ触っちゃダメだからね」
「わかってるよ!」
さすがに要救助者を前におふざけをしないくらいの良心は兄にもある。
確かに見事な美人だし、素晴らしいプロポーションだとは思うが。
留め具を外して白銀の鎧を脱がせる。これで幾分運びやすくなった。
早速背負い上げようとするも――
「おもっ!」
腰が砕けそうになり、ミックは思わず手放してしまった。
「女性に失礼だよー。お兄ちゃん。気を失ってる人間は重たく感じるんだから」
「いや、そういうレベルの問題じゃないんだ……」
平均的な女性よりは大きそうだが、それを差し引いても明らかにおかしい。
どう考えても大柄の成人男性より重い。とても一人で背負えたものではない。
「計算が合わない。密度がおかしいぞ」
違和感からもう一度つぶさに観察してみれば、彼女の異常な点に気付いた。
これまで手甲や金属製のブーツだと思っていたものが、実は手や足そのものだということに。
「驚いた。この人……人って言っていいのか? ものすごく精巧にできたロボットか何かだぞ!」
「えーーっ!?」
驚く妹を尻目に、兄は眠る彼女の手を改めてなぞってみる。
金属製なのは先端からひじの辺りまでで、そこから脇まで露出した素肌は人肌の感触そのものだ。
しかしまだ信じられない。
「ちょっと鼓動を確かめてみてくれないか」
自分で顔を押し付けてみたかったが、寝ているところにやるのは卑怯だという矜持が彼にはあった。
なので今回は妹に確認させる。
メレットが彼女の胸に耳を当ててみると、確かに心臓の音がしなかった。
代わりに最低限、内部機構が回る機械音が聞こえてくる。
これではっきりした。
「カチコチ鳴ってる……。本当にロボットなの? ぼいんも柔らかいし」
メレットがちょっぴり悔しさを交えつつ言うと、ミックは聞き捨てならない情報に目の色を変えつつも。
「こいつはすごいぞ……!」
彼は確信する。これを造ったヤツは僕に並ぶ大天才だと。
これほど生身に近いなんて。凄まじい科学技術の結晶だ。
自分が誠意制作中の《おいたしちゃうよベイビー8号》なんて目じゃない。
この女体の美しさ、細部へのこだわりようと言ったら。
間違いない。僕と同じ美学を持つ者。ド変態だ!
「おお。同志よ、神よ……!」
精を尽くした製作者を想い、ミックは自ずと感涙していた。
僕の思い描いた理想形がここにある。夢がそこにある。
これは天賦の才を持つ者が、己の人生を捧げて追究しなければ決して辿り着けない領域……!
「どなたか存じませんが、大先輩と呼ばせて頂きます!」
「なに一人で盛り上がってるの。お兄ちゃん」
ツッコミを入れるが、兄は完全に自分の世界へ入っていた。
どうせ下らないことを考えているに違いない。
メレットが呆れてじと目を向けていると、ようやくミックは我に返った。
「はっ! こうしちゃいられない!」
「あ。戻ってきた」
「すぐに充電するぞ。たぶん彼女はエネルギー切れを起こしているんだ」
「だからずっと眠ったままなんだね」
メレットが確かめたところによれば、ちゃんと動作はしている。
省エネ設計もしっかりしているはずだ。充電してやれば自ずと目覚めるとミックは考えた。
兄妹で協力してどうにか持ち上げる。
「こういうこともあろうかと、《ふしぎチャージくん》を開発していてよかったな」
「あー、あのワイヤレス充電できるやつ? 変なのが役立つこともあるんだね」
二人は眠る彼女をラボへ運び込み、直ちに充電したのだった。
***
「ここは……?」
リルナが意識を取り戻すと、《ふしぎチャージくん》の上で寝かされていた。
ピンク色の髪の女が目覚めた彼女を覗き込み、嬉しそうに微笑む。
「あ、気が付いたみたいだよ。お兄ちゃん」
「む。早速挨拶しなくてはな」
ミックは研究の手を止め、好奇心に手をわきわきさせながら彼女へ迫る。
身を起こしたリルナは、辺りを見回してここが研究所的な施設だと判断する。
どうやら生きて新天地に辿り着いたのか、とリルナは安堵しつつ。当時のことを思い返す。
「確かわたしは、エネルギー低下で気を失って……」
「私が見つけて、お兄ちゃんの装置で充電したんです」
「見つけたのが僕たちでよかったな。ここ以外にあなたを充電できる施設はないだろうからな」
「そうか……。礼を言わねばな」
「いいさ。困ったときは助け合いというものだ!」
バカ得意に高笑いするミックを見つめて、割とお調子者なのかなとリルナは思う。
ちなみに彼女は異世界人とあまりに普通に会話できたため疑問を抱かなかったが、実はユウの《マインドリンカー》の永続効果が意思疎通を可能としていた。
それから、お互いの自己紹介と身の上話になった。
「へえ。想い人を追って宇宙へ。素敵ですね!」
何ともロマンチックな恋バナに、メレットは胸をときめかせていた。
「向こうは果てまで追いかけていることに気付いてはいないだろうがな」
「人とロボットの種族を超えた愛かあ……。いいなあ」
我ながらしつこさに呆れつつ、リルナは素直に憧れの眼差しを向けてくる彼女を好ましく思った。
「ぜひ会えるといいですね」
「うむ。せっかく反応を追いかけて来たのだ。この星のどこかにいるといいのだが……」
それにしては現在さっぱり反応が感じられないことに、リルナは首を傾げる。
宇宙で起きていたときは、いつでもそれとなくあいつの居場所がわかったのにな……。
実は当時、想い人がラナソールという極めて異常な世界にいたことで位置取りが掴めなくなっていたのだが、彼女は知る由もない。
「ちなみにどんなお名前ですか?」
「ユウというんだ」
その名前を聞いた二人は、ぴたりと固まってしまった。
「ユウって……」
「まさかね」
「心当たりがあるのか?」
藁をも縋る思いでリルナが尋ねると、兄妹は曖昧に笑う。
「たまたま私たち兄妹がお世話になった人の名前もユウなんですよ」
「そういや、宇宙をまたにかけて旅をしているってとこも同じだな」
「すごく珍しい苗字だったよね」
「そうそう」
妙な共通点、それに珍しい苗字という言葉に眉をひそめたリルナは再び尋ねる。
「その名字、念のため伺ってもいいだろうか」
「ホシミ。ユウ ホシミだよ」
「何だと!?」
リルナは勢い、ミックの肩を鷲掴みにする。
機械から生み出される馬鹿力は凄まじく、彼の骨が悲鳴を上げていた。
「いたたた! ちょっ、ギブギブ!」
「あ、すまない」
ようやく解放されると、ミックはすっかり涙目だった。
「マジ折れるかと思った……」
「本当に申し訳ない」
「まあまあまあ」
メレットが宥めに入り、その場は事なきを得る。
それから容姿や性格などを確認し、リルナは確信に至った。
「間違いない。わたしの想い人は、お前たちのよく知るユウ ホシミだ」
「なるほど。妙なところで繋がりがあったんですね。私たち」
ミックは改めてリルナの顔やら何やらをまじまじと眺め、溜息を吐く。
「しかしあいつ、こんな美人妻を手に入れていたとは。まったく隅に置けないな!」
「面と向かって言われると照れるぞ」
そう言いつつ割と堂々としている彼女を前にして、ミックは歯噛みする。
おっぱいもでかいし……。揉み放題だったのかちくしょう。
兄は非モテの悲哀を嘆きつつ、あの優男を心底羨ましく思った。
その様子を眺めていた妹が、からかうように言う。
「お兄ちゃん先越されちゃったねー」
「いいもん! 僕はまだまだ若いし! 研究が恋人だし!」
「整えたらカッコいいんだから、少しは意識してみたら?」
「ぐぬぬ……。下手な慰めは要らないぞ。妹よ」
ほんとにそう思ってるんだけどなーと見やりつつ、メレットは卑屈な兄へそれ以上深入りしなかった。
「それで。ユウはどこにいるのだ」
期待と不安を交えてそわそわしながら問うリルナに、二人は残念ながら首を横に振った。
「ユウならもうこの世界にはいませんよ」
「とっくの5年前に旅立ってしまったからな」
「なに……?」
リルナは困惑する。
彼がエルンティアを発ったのは確か……4年前のことだ。
わたしはユウの気配を追いかけていったはずなのに。どうも順番がおかしいのではないか?
「ユウはいつ来たとか、何か言っていなかったか? エルンティアは四番目の異世界と言っていたが」
「えっと。確かここイスキラは三番目だって言ってました」
メレットから真実を知り、リルナは愕然とした。
「くそ。なんてことだ。まるで逆方向に向かっていたとは……」
自動運転の故障か。宇宙船搭載のAIが何かの危険を判断し、急遽進路を変えたのか。
それとも、始めから宇宙船に細工でもされていたのか。
真相はわからないが。どうやら眠っている間に、勝手に行き先がイスキラに変更されていたようだ。
ひどく落胆し、頭を抱えるリルナに。ミックはせめてもの慰めの言葉をかけてやる。
「まあそう落ち込むなハイロボ女よ。これも何かの縁だ」
「ハイロボ……わたしにはれっきとしたリルナという名があるのだが」
「お兄ちゃんの悪い癖なんです。気に入ってるだけなんで」
メレットが窘めると、リルナは渋々納得する。
自分の製作者であるルイスも相当な変人だったが、自称天才研究者というのは皆こうなのだろうか。
「ユウに救われた者同士、今は親睦を深めようではないか! 彼のことならまた追いかければいいさ」
「む……そうだな。せっかくだし世話になることにしよう。この世界でのあいつのことも聞きたいしな」
「わーい。私も私も! エルンティアの話、いっぱい聞きたいなー」
「ふふ。いくらでも聞かせてやるぞ」
ミック兄妹はリルナを迎え、歓迎会を開くことになった。
***
宴もたけなわとなった頃、話題はミックの研究的興味へと移っていた。
「僕は当時、ユウの『心の世界』とやらの研究をしていてな」
「何か性質がわかれば、役に立つんじゃないかと思ったんです」
メレットが目的に関してフォローを入れる。
「なるほど。して何がわかったのだ」
「そうだな。あれはどうも……宇宙にそっくりなんだ。より正確には、ユウ自身の心の宇宙というか。記憶や想いといったものが色濃く反映されるらしい」
そこまではっきり掴んだのは、残念ながらユウが去った少し後のことだったが。
「上手くすれば、現実離れした特別な力を引き出すこともできると思うんだけどなあ」
やや大胆な仮説だが。想いが現実に反映されるならば、それは一種の不可能を可能に変えてしまう現実改変の鍵となる。
女の子への変身も本来はあり得ないこと。もう一人の自分がいて欲しいという想いの実現に他ならない。
あれをもし、戦いなどに百パーセント発揮することができたならば――。とんでもないことになるのではないか。
ミックは一人、ユウの持つ眠れる真価をかなり正確に見定めていた。
ただ当時はまだユウ自身が恐れていたのか、あえて積極的に能力を使おうとしていなかった節がある。
練度が足りていないのか、それともまだ記憶や想いの総量が足りていないのか。
可能性を見てしまっただけにもったいなさを感じているミックに、リルナがその後のことを教えてくれた。
「それならば心当たりがある。世界の命運を賭けた大きな戦いがあってな。ユウがわたしたち全員に戦う力を付与してくれたのだ」
人の想いを束ねて現実に届かせる奇跡の力。
《マインドリンカー》とか言っていたなと、リルナは懐かしむ。
「そうか。あの人、ちょっとはコツを掴んだみたいだな」
「よかった。アイビィさんによると、宇宙の旅ってとっても大変みたいなので」
超越者や巨大天災の蔓延る宇宙の星々は、まさに魔境と言っても差し支えない様相を呈している。
イスキラを含む第97セクターは宇宙の辺境であり、全体的に文明も遅れているから星間戦争もない。
これでも比較的平和なのだと、アイビィは言っていた。
「あとは……そうだな。自由に物を出し入れできるようになった。わたしが協力して開発したのだ」
「むむ! やはりそうか! 僕の仮説は正しかったのだな!」
取り入れたあらゆるものが残り続けるなら、物の出し入れだってできるかもしれないとミックは踏んでいた。
リルナが経緯を話す。あの人が大事にしていたウェストポーチを失ったことで、その辺りも色々と吹っ切れたらしい。
「なるほどなあ」
「ねえねえ。私、もっとユウとの馴れ初めを聞きたいなー」
「いいぞ。あいつは困ったことに、とことん奥手でな」
「でしょうね」
メレットがせがむ形で、エルンティアでの恋バナをリルナが詳しく話すこととなった。
最初の出会いが最悪だったこととか、幾度も刃を交えて理解り合ったこととか。
押しに弱いユウをリルナがぐいぐい攻略していくくだりなど、メレットはきゃーきゃー言いながら聞いていた。
そのうち初デートの話に及び――その頃には、ミックは酔いがすっかり回ってへらへらしていた。
「ってことは、〇ックスもできるのか!」
身も蓋もない指摘を入れた彼を、リルナがガツンと小突く。
「言うな。恥ずかしい」
ナトゥラなので顔を赤らめることはなかったが、人間だったら真っ赤になっていたところだ。
彼はまったく懲りずに、女体の神秘にまでこだわった己の同類を褒め称える。
「いやあ。その製作者のルイスとかいうのは、あっぱれなヤツだな! 一度じっくり話してみたかったよ」
遥か昔の故人というのがあまりにもったいないと、ミックは心から惜しんでいた。
メレットもえっちなことは抜きにして、改めて感心している。
「ここまで精巧に造るなんて、信じられないです。ほんとに人間みたい」
「会話してても、全然違和感とかないしな!」
「そうか。わたしたちはこれが普通だったのだが、他の世界からすると物珍しいものなのかもしれないな」
「アイビィさんに見せてもきっと驚きますよ。完璧な心を持つロボットなんて見たことないと思います」
そこで良いタイミングと判断し、ミックはかねてより気になっていたことを尋ねる。
「そうだ。あなたはいわゆる戦闘用ナトゥラなのだろう?」
「そうだが」
「ってことは、映える機能とかかっちょいい機能とかも付いているのではないか!?」
「……まあ、否定はしないが」
「よかったら僕にちょびっと見せてくれないか。余興だと思って。ね! ね!」
科学者としての興味と子供心のわくわくでぐいぐい迫ると、リルナはやや気圧されながら快諾した。
「いいだろう。減るものではないからな」
「やった! 言ってみるものだな!」
「よかったねお兄ちゃん」
「そうだな――例えば、こんなことができる」
リルナは息をするように、その機能を使ってみせた。
《パストライヴ》
部屋の端へと一瞬で移動し、またすぐに戻ってくる。
移動は完全に点から点となっており、軌跡がまったく見えなかった。
「わ。すごい。今の、瞬間移動ってやつ!?」
ほろ酔いだったメレットは、酔いが冷めるほどびっくりして目をぱちくりさせていた。
エルンティアが誇る科学技術を褒められたようで嬉しくなり、リルナが少し得意になって解説する。
「正確にはショートワープだな。あまり離れたところには使えないのだが、その気になれば連続使用も可能だ。使い勝手はいいぞ」
一方、いつもなら目を輝かせるはずのミックは。
「――――」
雷を打たれたように静止し、しばし呆然となっていた。
「どうしたの。お兄ちゃん」
「……できる」
「え?」
「できるぞおおおおおおおおおおおおーーーーーーーっ!」
爆発的な歓喜とともに、兄は思いの丈を抑え切れず、その辺りをぐるぐる走り回っていた。
天才ミックの中で、ついに最後のパーツが繋がった瞬間だった。
「わははははは! 僕ってやっぱり天才なのだ!」
ほっとくと裸踊りでもしそうな勢いにやや引きつつ、妹は兄の変わった性質のよき理解者だった。
「あんなに嬉しそうなお兄ちゃん久々に見た」
「急にどうしたというのだ?」
ぴたっと立ち止まると、満面のにやけ顔を二人に向けて彼は告げる。
「言っただろう! 僕はずっと『心の世界』を研究していたと!」
未知の探究。苦労の数々。
いいものをたくさん揉ませて頂いた。ふたなりにもした。いっぱいおしおきをくらった。
当の本人にたっぷり迷惑をかけながら、数々の実験をこなした彼には調べが付いていた。
「理論上はできるはずなんだ。頭の中で証明は完成していた」
あとはどうやって実現するか。それだけが問題だったのだと。
ミックはギラギラと燃え滾る瞳で、かねてより思い描いていた夢を語り出す。
「くっくっく。フェバルがなんだ。運命がなんだ。限界がなんだと言うのだ」
ミックは力強く拳を握る。
「人の可能性に憚るものはなし! 運命など、打ち破ってしまえばよいのだあああーーーーッ!」
高らかに指を突き上げる。ここ数年で一番の叫びだった。
そして勢いのまま、リルナを見据えてその指でびしっと指し示す。
「聞けぃ! 全宇宙追っかけ女よ!」
「追っかけ言うな!」
リルナの鋭いツッコミも無視して、ミックは哄笑する。
「なあ追っかけ女よ! ユウに会いたくはないか?」
「もちろん言うまでもないが」
「それができると言っているのだ!」
「なに……!?」
にわかに熱を帯びた彼女の視線に、彼は正面から応える。
彼の頭の中には、確固たる理論があった。
『心の世界』は、原理上あらゆるものを自由に出し入れすることができる。
一度繋がってさえしまえば、どんなものであっても。
そう。対象が人であっても例外ではない。そのはずなのだ。
しかしながら、実際リルナによれば、彼女を自在に出し入れすることはできなかったという。
精神体としてだけは踏み入ることはできても、肉体は安定して『心の世界』の内側に存在できないのだと。
なぜか。
『心の世界』がまさにユウ自身の心を反映していることが問題なのだ。
どんなに親しくも異なる人間に対してはどうしても心理的障壁が存在するから、すべてを引き受けることはできないのだと彼は推測する。
ユウが女の子の身体を変身という形で自由に出し入れできるのは、それがまったくの自分同士であって一切の障壁がないからだ。
だから《パストライヴ》の原理を応用する。
現実の異なる地点にアンカーを立てつつ、障壁が機能しないほど『心の世界』をわずか一瞬で素通りすることさえできれば。
ユウのいる位置を直接ターゲットとして、遠く離れた位置からリルナ自身を仕舞い込み、行き来することができるはずだ!
奇しくもラナソールでユウがユイを介し、自分自身を『心の世界』に出し入れて瞬間移動していたのと同様のことを、ミックはまったく別のアプローチで実現しようとしていた。
「僕はあなたの《パストライヴ》をさらに進化させる! 遠く離れた星をも一瞬で渡るほどにな! 僕ならばできるッ!」
ものすごい剣幕に固唾を呑むリルナに、ミックは堂々たるサイエンティストポーズをキメる。
あり得べからざる理想の移動手段を実現するための新装置とは。
彼には即興で思い付いた名前があった。
それは存在しない仮想上の物質を名に冠したもの。
『心の世界』を満たす不思議な何かには、まさにぴったりではないか。
「そうとも! 創ってみせよう! その名も、神器式自由星間転移機構ッ!」
溜めに溜めて、二人の注目を目一杯集めたところで。
ミックはいつものお約束をした。
「《エーテルトライヴ》」(ボソッ)
「そこは落ち着くのか」
「相変わらずだね。お兄ちゃん」
「くっくっく」
二人の冷ややかな視線も気にならないくらい、彼は悦に入っている。
「3年、いや2年だけでいい。僕に時間をくれ。必ずやあなたをユウのもとへ送り届けてみせる!」
「それは本当か!? 信じていいのか?」
「ああ。想い人へ会いに行くのに、あんなかったるい宇宙船など不要だ。直接だ。この手で産地直送してくれるわ! ふわーっはっはっは!」
一見ふざけた態度の裏には、執念と熱意のこもった真剣な瞳があった。
だからメレットも彼の提案に乗ることにした。
「こういうときのお兄ちゃん、絶対やってくれます。私からもお願いします」
リルナは少しだけ悩んだ。
失敗すれば、貴重な時間を2年も無駄に過ごすことになる。その間にユウはさらに離れてしまうかもしれない。
しかし……。二人の心からの協力の申し出を、どうして断ることができようか。
この心意気を退けては、女がすたるというもの。
彼女は意を固め、快く頷いた。
「よし。お前たちを信じよう」
「うむ! では早速明日から取り掛かるぞ! 妹よ!」
「うん! よかったねお兄ちゃん。ユウに恩返しするのがずっと悲願だったもんね」
「ああ」
喜びに湧き立つ兄妹に、リルナは単純な興味から尋ねた。
「どうしてそこまで親身になってくれるのだ?」
「だって。こんな美人な嫁がいるって聞いちゃったら。なあ」
「あなたにとってそうであるように。ユウは私たち兄妹の命の恩人なんです」
二人は語る。飢えて死にそうだった自分たちを親身になって助けてくれたときのこと。
戦争の続く世界に希望が持てなかった自分たちにとって、彼(彼女)がどれほど心強く、救いの存在だったのかを。
「ずっと考えていたんだ。何が恩返しになるかと。どうすれば一番喜んでもらえるかと」
「ユウはあれで、すごく寂しがりさんだからねー」
「ひとりぼっちにしないことが、あの人への最大の贈り物だと思ったのさ」
「なるほど。道理だな」
リルナは心から納得した。
あいつはなるべく側で愛してやらないと、すぐ寂しがるからな。
そう思ったからこそ、わたしもどこまでも追いかけようと決意したのだから。
「あいわかった。しばらくこの身を預ける。どうかよろしく頼む」
「うむ。交渉成立だな!」
リルナとミックは、改めて固い握手を交わした。
「そうだ。リルナさんの身体弄るのは私がやるよ。お兄ちゃんってド変態だから」
「うぇ……?」
明らかにきょどりまくった兄に、リルナは怪訝な目を向ける。
「もしやお触りでもするつもりだったのか?」
好きなだけおっぱいやチョメチョメを弄れると思っていた彼は、悔しさに歯噛みした。
「ぐぬぬ……! 夢が……夢がすぐそこにあったというのに……!」
言いながら、やけくそ気味に顔を豊かな胸に突っ込む。
あまりに虚を突かれたので、リルナは咄嗟に反応できなかった。
弄れぬなら。せめて一度は掴みたいマイドリーム。
存分に感触を堪能しながら、これを好きにしていたユウを心から羨ましく思いながら。
ミックはくぐもった声で、胸いっぱいの興奮と感動を天国の大先輩に伝える。
「うおおっ! 匂いまで再現されているとはっ! やはり素晴らしいぞルイス! 僕、ぜひともこのおっぱいを研究したいのだが……!」
「お前……」
凄まじい怒りの気配を感じて、彼がそっと顔を離すと。
リルナの手甲に備え付けられた穴から水色の光刃――《インクリア》が飛び出す。
氷のような瞳に豹変した彼女にぎょっとしていると、彼の頭上を致命の刃がかすった。
「どうやら本気で死にたいようだな……!」
「わああああーーーっ! 調子乗りましたすみませんーーーっ!」
喚きながら全力で逃げるミックを、リルナが鬼の形相で追いかけていく。
「わたしの胸を触っていい男は、ユウだけだ!」
「うひゃあ! めっちゃ愛されてるぅ!」
結局ガチで斬り殺されることはなかったが、すぐに追いつかれ捕らえられてしまう。
「貴様、覚悟はできているだろうな?」
「ひいいっ! ごめんなさい! 許してえっ!」
「許さん! 死ねっ!」
女の子のユウは何だかんだ優しいので、くすぐり攻撃で済ませたが。リルナは甘くない。
容赦ない鉄拳制裁で、ミックをあっという間にボコボコにしていた。
「あーあ。やっぱりこうなると思った」
目の前に夢があれば、掴まずにはいられない。
ほんとしょうがない男なのだ。我が兄は。
命懸けでユウリルナカップルコンプリートを果たした兄に、メレットは心底呆れつつも。
「でもなんか。こういうの懐かしいね」
ユウが隣にいた頃の賑やかさを思い起こしながら、彼女はほんのり頬を緩めた。
こうしてミック兄妹は。
リルナ自身の機体提供およびアイビィの資材協力の下、《エーテルトライヴ》の開発に全力で取り組むのだった。
【】
「」
《》
――――
「神器式自由星間転移機構《エーテルトライヴ》」
「…………」
「そんなものは存在しない」
いけない。それだけはあってはならない。
そんなものが実現しては、フェバルという存在の前提そのものが壊れてしまう。
一つところに留まることを許されず、星から星へと流されてゆくからこその星脈システム。
ただ一方向にのみ流れ、道の決まった旅であるからこそ制御も効くというもの。
星海 ユウが本来の縛りから解き放たれ、いつどこへ行くかもわからない自由の旅をするならば。
本来あり得ないはずの関係を無数に生じかねない。『異常生命体』の爆発的発生にも繋がりかねない。
それはまさしく、原初なる『彼女』の――いや、それ以上かもしれない。
最悪の再来である。
だから。許さない。絶対に許されない。
「そんなものは存在しない」
「そんなものは存在しない」
「そんなものは存在しない!」
***
しかし、いくら【運命】の上書きをしたところで。
『光』にはもう、全盛期ほどの力はなく。
たくさんの人の願いと祈りによって紡がれた、細い細い未来への糸は。
【神の器】に由来する自由への可能性は、いつまでも完全に切れることはなかった。
そして、始まる――。




