「ミシュラバムの知られざる脅威」
ミシュラバムという世界は。
ユウの視点からすれば、まったく平和だったに違いない。
彼(彼女)はそこで料理修行に打ち込み、プロ級になったこと以外に特段のイベントはなかったが。
それで済んでいたのには、知られざる理由があった。
この世界唯一のメェム大陸をぐるりと取り囲むように、巨大山脈がそびえている。
現地の者はただの山々としてしかとらえてはいないが。
その正体は、超巨大生物の休眠した姿だ。
厄介なことに、休眠状態では一切の生命反応を示さず、さらには究極的な魔法耐性まで持っている。
世界を喰らう蛇――星級生命体『ディスガルズウォルム』。
ミシュラバムとは、この怪物の壮大な餌場である。
数万年のサイクルであらゆる生命がそれの内側で飼われ、一度目覚めると大半を喰らって眠りにつき、また餌を殖やす。
その救いようのないサイクルを繰り返している。まるで宇宙の縮図だ。
人の文明も徹底的に破壊されることから、伝承の中にしか名前は残らない。
ウィルはそいつの頭に当たる箇所の上空で佇みながら、今かと手を構えている。
「やれやれ。奴にしばしの休暇を与えると言った手前、こいつは僕が処理してやらねばならないか」
ユウがこの地にやってきたことで、【運命】は滅びの方向へと誘導する。
だからもういつ目覚めてもおかしくない状態にはあった。
【】
「」
《》
――ぬるい。
ウィルは虚空を睨み付け、『光』の仕業を看破する。
【運命】よ。確かにお前は極めて強力だが。
この局地戦において、お前の勝利は叶わない。この僕が認めない。
なぜならば。この世界では因果が緩過ぎるからだ。
『星海 ユウ』の活動範囲がほぼレストランとその周辺に限られてしまっては。
さすがのお前でも、ほとんど手出しは効かないだろう?
厄介な後処理のために、【干渉】でたった一日世界を誤魔化し。
ユウが料理の卒業試験とやらを終えて、この世界を去った直後に事が起きるよう調整していたのである。
「僕も『ユウ』だからな。一応は」
ウィルは自嘲気味に吐き捨てる。
だから。ユウの代わりに僕が世界の危機を引き受けたって構わないのさ。
まったく忌々しいことにな。
【運命】の最大の弱点は、スケールが大き過ぎてきめ細やかさが足りないことである。
それを補う存在である『始まりのフェバル』アルも、今はいない。
【運命】が誤作動を起こして、ユウ本人にではなく彼に脅威をけしかけるよう仕向けることは実際可能だった。
つまりは、世界と【運命】を見事に騙し通したのである。
星級生命体は、なまじ下手なフェバルよりもパワーだけならば相当に上だ。
本来この時点のユウであれば、傷一つだって付けることはできないだろう。
もし奴が対峙すれば、仲の良いコックどもも街並みも皆喰らい尽くされて。絶望の海に沈むこととなったであろうが。
ウィルからすれば、こんなものは大した脅威ではない。
世界を喰らう蛇が目覚めた瞬間、彼は尻拭いの苛立ちもぶつけるように宣告する。
「お前は教材として不適切なのさ」
《デルボルトグレス》
山脈が鳴動するより早く、禁位の雷魔法を撃ち放つ。
皮肉にもその形状は、まるで大蛇のようであり。しかも当の星級生命体よりも一回り大きかった。
巨大な雷撃のうねりが、哀れ目覚めたばかりのそいつを頭から呑み込む。
なまじ起きてしまったせいで究極の魔法耐性を失っていた。
そして空にまばゆい閃光を散らしながら、攻撃が大陸をぐるりと一周するうちに、いっぺんに焦がし尽くしてしまった。
誰もが未曽有の危機を正しく認識する前に、世界を喰らう蛇は再び――今度は永久に沈黙する。
後始末を一捻りで終えたウィルは、それでも気分が晴れない。
「にしてもだ。レンクスくらいは気付いてもよさそうなものだがな」
割とずっといたにも関わらず、あの女の手料理に頬を緩めてばかり。
阿呆が。肝心なところで役に立たない野郎だ。
まあそれも【運命】の匙加減なのだろうが……。
ウィルはままならぬすべてに嘆息すると、ミシュラバムから姿を消した。




