「術式魔法の母 エイミー・グレイシア 2」
アリスとエイミーが談笑していたところへ、空の向こうから悠然と一つの影が迫ってくるのが見えた。
旧知の友の訪れに、アリスは目元を緩める。
「おやおや。ようやく来たようね」
仕事でたまたま近くに来たからと、わざわざ会いに来てくれたのだ。
「おーい!」
エイミーが嬉しそうに手を振ると、二人目掛けて大鳥が空より舞い降りてくる。
アリスの飼っているアルーンと同じ種類の鳥で、名をラクアと言う。
彼女が諸外国を飛び回るようになってから、必要に迫られて飼い始めたものだ。
「まさか自分で飼うことになるとは……」と巡り合わせに苦笑した彼女に対し、アリスが自分の経験を惜しみなく伝授したのも数年前のこと。懐かしい。
彼女の接近に気が付くと、生徒たちからもわあっと歓声が上がる。
何しろ我がセントリア共和国の英雄であり、一部にとっては直接の命の恩人なのだから。
ミリア・レマク一級外交官。
旧首都ダンダーマ壊滅後の被侵略危機を類まれな交渉力と舌戦で乗り切り、今やセントリア共和国の顔にもなった敏腕官僚である。
地に降り立ったミリアは、白銀髪のエイミーとは色合いのやや異なる、薄く青みがかった透き通るような銀髪をなびかせて。
すっかり大人の魅力を醸すようになった彼女は、子供たちには惚れ惚れするほどのオーラを放っており。
生徒からは男女問わず、うっとりと溜息が漏れていた。
そして最終的にGカップまで実った胸は、破壊的と言ってもいいボリューム感を誇っている。
「アリス!」
「ミリア!」
およそ一年ぶりとなる熱い抱擁とともに、残酷なほどの格差社会を皆目の当たりにしていた。
からかうと「誰が大平原ですか!」とぷりぷり怒り出すので、さすがに今は空気を読んで誰も言わないが。
再会の歓びを数言交わした後、ミリアは隣のエイミーに目くばせした。
「久しぶりですね。エイミー」
「ミリア・レマク一級外交官殿!」
エイミーが仰々しく、この国の最敬礼でもって茶目っ気たっぷりに振舞うので、ミリアは吹き出してしまった。
「ミリアでいいと言っているでしょう。アリスのいたずら好きがすっかりうつったようですね」
「えへへ。それほどでも。相変わらずお綺麗ですねっ!」
「ありがとう。エイミーも大きくなりましたね」
「はい。アリス先生よりも大きくなりました」
自らの控えめな胸を寄せて上げると、それでも膨らみがわかる程度には成長している。
すぐ隣では、どす黒いオーラが噴き荒れていた。
「エイミー。とうとう言ってはならぬ禁忌に触れてしまったようね……!」
「わ。すみませーん!」
きゃっきゃ楽しそうに逃げ出すので、アリスも息巻いて追いかける。
エイミーが小さいときからの、これは言わばお約束だった。
「こらっ! 待ちなさーい!」
「きゃあー。ごめんなさーい!」
いつものじゃれ合いが始まってしまったので、ミリアは落ち着くまで見守ることにした。
ただその間、子供たちからの質問やサイン攻めに遭ってしまったので、結局息を吐く暇もなかったのだけれど。
エイミーがアリスのこちょこちょ攻撃に笑い抜いた後、ギブアップするのも毎度の流れだった。
それも元はくすぐったがりのユウにいたずらするため鍛えた技でしたねと、ミリアは懐かしく思い出に浸っていた。
***
久方の親友を校舎に招いてからは、大人の談笑タイムである。
ありがたいことに、イリーナが子供たちの夕飯係を引き受けてくれた。
エイミーが気を利かせてユーフを注いでくれたので、まったり味わいながら近況を話し合う。
「最近どうなのよ」
「まあ平和と言えば平和ですかね。古来の八カ国平和協定を大幅に広げようって議論もようやくできるようになってきました」
多国間の緩やかな連合による平和構想をぶち上げたのは、他ならぬミリアであった。
これからの時代、国際協調がますます重要になっていくだろうと。彼女はずっと未来を見据えている。
「今は絵空事ですし、実現するとしても道のりは長くなりそうですが」
と、彼女はライフワークになる覚悟を暗に語る。その瞳は健全な野心に満ちていた。
「相変わらずすごいことを考えているのねえ」
「皆さんには負けていられませんからね」
「でもあたしなんて田舎の一教師よ? みんなと比べたら全然普通なんだけど」
「そんなことないですよ? 教育の力は侮れません。案外草の根から本当の意味で世界は変わっていくものですよ」
「確かに言われてみれば、そういうものかもねー」
窓の外を見やれば、子供たちがいつまでも楽しく遊んでいる。
彼らの明るい未来を想って、アリスは目を細める。
名門の出身校と同じようにはできないけれど。なるべく先進的な教育をと思ってやってきたつもりだ。
ところで。
アリスはにやにやといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「で、こっちはどうなの」
両手の中指をつんと突き合わせると、それは男女仲を陰に示すものとなる。
「いい加減、お互い良い歳じゃない?」
「全然ですね。私がカッコ良過ぎるのがいけないんですかね」
冗談めかして微笑するミリアに、アリスはまったく同意する。
「まああなたって、男からすると気遅れするほど高値物件よねえ」
「そう言うアリスはどうなんですか?」
「あたしはまあ、地元のいい人とぼちぼちってところかしらね。子供も何人か欲しいね、みたいな話をしてるとこ」
ほんのり幸せそうな笑みを浮かべる顔つきは、学生のときよりも印象が丸くなっただろうか。
よく見れば、手には細かな傷跡やあかぎれなどがありありと刻まれている。
やんちゃな子供たちや愛する人に囲まれて、世話の苦労と教育のやり甲斐ある良い年月を重ねてきたと思わせる。
なるほど所帯じみて来ましたねと、ミリアはしみじみ感じた。
相変わらずそういうところはちゃっかりしているアリスを、ちょっと羨ましいと思いつつ。
「順調で幸せそうで何よりです」
当たり障りのない祝い言を述べておく。
そこへユーフのお代わりを運んできたエイミーが、すすっと素早くカップを置くと。
聞き捨てならぬと、即座にアリスへ飛び付いて猛抗議した。
「私はですねえ。悔しいのですっ!」
「あらまあ。どうしたのエイミー」
「なぜ男に生まれて来なかったのか! なぜ好きなときに男になれないのか! ユウさんみたいに!」
エイミーは、任意でいつでも男の子になれるという一点において。
話に聞くだけで見たこともないユウのことを、とにかく猛烈に羨ましがっていた。
なぜならば。誰よりもアリス先生を愛しているからであるッ!
それはもう、深く深く愛し合って【禁則事項です】したいくらいにッ!
ミリアもアリスも、相当に呆れ顔だった。
「それだけ恵まれた容姿に生まれておいて、贅沢言うものじゃないと思いますが……」
「まあ確かにどっかのあいつは、それができちゃったのよねえ……」
女の子として、その辺の女子より全然普通に可愛かったし。
男の子としても女装すればいけるほど可愛いのは、実際反則だとは思ったものだ。
「私が男になれるものならば、必ずやアリス先生を娶って私のものにしてたんですけどねっ!」
「あなたが言うとマジにしか聞こえないわ」
「マジです」
「あはは……」
キリっと言い切ったエイミーのアリス先生狂いは、いよいよ病的な領域と言わざるを得ない。
これほど猛烈な愛を表明しておきながら単なる愛情表現に踏み止まる点は、彼女の善良性ではあるが。
「ですのでっ!」
恩師にひしっとしがみ付きながら、結局最後には強く健全な望みを願うのだった。
「せめてお子さんのお世話は、ぜひさせて下さいね。今度は私が先生になるんですから」
「それはもちろん。とびっきり可愛い子たちを産んでやるわよ」
「約束ですからね」
「ええ」
熱いシミングを交わした二人を見つめ、ミリアはしみじみと呟く。
「子供ですか。急に年齢の実感が湧いてきましたね」
そして、どこか寂しそうに空の向こうを眺めやる。
その様があまりにわかりやすくて。
アリスは呆れがいくらか、同情がそれよりもはっきりと上だった。
「ミリア。どうしてあなたがいつまでも結婚しないのか。ほんとのとこ当ててあげようか」
「そんなもの決まってます。私が高嶺の花でかえってモテないからですよ」
「あのねえ……。その気になればいくらでも相手は選べるでしょ。さすがにわかるわよ」
「では何だって言うんです?」
「あなた、まだ初恋引きずってるんでしょ」
ミリアは、それはもうあからさまにギクッとした。グサッときた。
いつも外交では輝くポーカーフェイスを、親友の前ではまったく作ることができなかった。
「ねえ。一生ユウに想いを捧げて生きていくの? それって寂しくないかしら」
「……構いません。私は遠い星にこそ焦がれてしまったのですから」
「あと仕事に生きる女なので」と、負け惜しみのように付け足す様ときたら。もう未練たらたらである。
実のところ、アリスにはとっくの昔からわかっていた。
それこそ、あの子がいたときから。ずっと。
当時の端々の様子だとか、時折示す胸いっぱいの姿を見たら、目敏い女子であれば誰だってわかる。
女の子のユウへのいたずら度合いで言ったら、危うく女の子同士で花を咲かせるんじゃないかってくらいだったし。
……もしかして隠しているだけで、近いことはやらかしてたりするのかしら。
まあそこは親友のよしみとして、あえて触れないでおこう。
男の方に素直に告白できないから、代償として行為がエスカレート気味になったのは推察できる。
見るに見かねて、横やりで応援してやろうかとも思ったけど。
「これは私の問題ですから。やめて下さい」と当時強く言われてしまっては、どうしようもなかった。
だから最後まで、親友として行く末を見守っていたのだけど。
「そんな寂しそうにするなら、気持ちくらいちゃんと伝えておけばよかったのに」
「…………」
「言ったでしょ。絶対後悔するよって」
「大好きですって。一応最後くらいは、言ってみたつもりなんですけどね」
「そりゃ見る人が見れば、ほとんど告白みたいなものだけど。ユウだからねえ」
「ですよね……」
ミリア自身、それだけではっきり伝わると思っていなかったのは確かだ。
だからこそ、そこまでは勇気を出して言えた。逆にそれ以上には……どうしても踏み込めなかった。
何だかしんみりして、妙な空気になってしまったけれど。
エイミーは下手に口を挟んじゃいけない話題と察して、じっと黙って聞いている。
「だって。言えるわけないじゃないですか」
ミリアはほとんど子供のようにいじけて、指先で忙しなく髪をくるくるしている。
アリスの前では素直にそうなることができた。
「誰がどう見たって、世界の危機や自分のことでいっぱいいっぱいなのに」
「確かにそれどころじゃなかったものねえ。恋愛のレの字も頭になかったでしょうし」
「いつか遠く離れてしまうのに、重荷にはなりたくなかったんですよ」
そう言いつつも、ミリアは自分でも深いところで腹落ちしてはいなかった。
それなら、平和になった後も。
エデルの戦いの後も、ずっと言えなかったのは。ただの言い訳ではないのか。
今だったら。
どうでしょうか。言えたでしょうか。
――言えたと思う。今なら、きっと言える。
もう少し時期が遅ければ。二人とももう少し大人だったら。
私はもっと勇気を出せたし、ユウだって想いを受け止めてくれたかもしれない。
そうするだけの、心の余裕があったかもしれない。
時機が悪くて、お互い心の準備ができてなくて。結局は言いそびれてしまった。
確かにアリスの言う通り。煮え切らない想いが渦巻いたままになっている。
「ま、みんな若かったものね。青春って何ともままならないわね」
「はあ……。ですね」
誰もがあのときは一生懸命で。全力で。今よりも不器用で。
だからこそ、どうしようもないこともある。
青春は得てして甘酸っぱいもの。
アリスはうんうんと物分かり顔で頷きつつ、慰めにミリアの頭を撫でてやる。
いかにも先生らしい振舞いは、年の功が生きていた。
「うふふ。しかし、ミリアがこんなに引きずるタイプだとはねえ」
「きっと一生直りませんよ」
「よしよし。困った子ですよ。ほんと」
「まったく自分でも嫌になりますよ……もう」
乙女のごとくふくれっ面のミリアに、アリスは年季の籠った愛情を注ぐ。
エイミーもこの尊い光景にはたまらず、対抗して頭を差し出してくるもので。
アリス先生の両手はすっかり塞がってしまった。
「……今頃どうしてるんでしょうね。また世界の何かに巻き込まれてたりするんでしょうか」
彼(彼女)がとんだ巻き込まれ体質なのを思い出して、ミリアは苦笑する。
きっと楽しいこともあれど、前途多難な旅には違いないと。
「さてねえ。ただあの子ったら、押しには滅法弱いから。案外鬼嫁みたいのに捕まってるかもしれないわよ?」
「うぐ……! 否定は、できませんが……」
二人とも、彼(彼女)の人となりを改めて思い浮かべる。
男としては、やや頼りないところもあるけれど。根っこは本当に強い人。
抜けてるほど優しくてどこまでも親身な人柄は、好かれる人には好かれるものだろう。
まして超の付く寂しがり屋だし、常に愛に飢えていると言っていい。
広い宇宙の旅。そのような相手がいつまでもいないというのは、ちょっと考えにくい気がした。
「困ったわねえ。あなただけ行き遅れてしまうことになるわね。どうしたものかしら」
アーガスはカルラさんと何だかんだいい感じだし。ケティさんは既に二児の母だし、とアリスは思い返している。
「一生独身で構いません。ユウほど好きになれそうな人が、見つからないので」
現在の惑星エラネルはお一人様が当たり前という世間常識ではないため、これは中々に重い決断だった。
もちろんアリスは否定せず、ただ親友の不器用で頑なな決意をそのまま受け止めてやる。
「あなたってそういうとこ、ほんと一途っていうか。強情っていうか。乙女よね」
「いいんです。今のユウに相手がいようといまいと。これは私が決めたことですから」
「ユウも罪なヤツね。勝手に一人で遠くへ行ってしまって」
「まったくです。やられましたよ」
ミリアは彼(彼女)の顔を浮かべ、うっとりと瞑目する。
私は初めて出会ったあのときからずっと。
ユウ。あなたに救われていたのですから。
芯の強さに焦がれ。危うげな弱さと脆さまでも愛おしい。
いつも懸命に自分を投げ打って誰かを救おうとするあなたを。愛してあげたいと思ってしまったのだから。
どんなに離れてしまっても。好きになってしまったものは、しょうがないのだ。
「それで仕事女になっちゃいましたと」
「ええ。アリスにはお見通しでしたか」
「長い付き合いだもの。ね」
アリスには薄々確信があった。
レマク家はおそらく、彼女で末代となるだろう。
その代わり歴史には、ミリアの偉大な名を残すでしょうねと。
自ら貴族の血を繋ぐことの代わりに、未来ある子供たちを大きな範囲で家族と括って、世界のため身を粉にして励む道を選んだ。
それも行くところまで行けば、立派に褒められた代償行為なのかもしれない。
「ユウさんかあ……」
エイミーは、アリス先生はじめみんながそこまで想う人物のことが、前々からどうしても気になっていた。
かつて遠い星からやって来て、また遠くの星へ行ってしまったらしい。
魔法大国エデルの復活、旧首都ダンダーマの滅亡。剣と魔法の町サークリスの危機。
世界の危機にあって、よそ者なのに誰よりも先頭で戦った。知られざる英雄なのだと言う。
私の共同研究者にして、特別指導者でもあるアーガス先生は。
ただ、もう一度彼(彼女)に会うために。そのために生涯をかけて挑む決意をして。
空の向こうにあるという、宇宙への道を切り拓こうとしている。
そしてみんな、口を揃えて言うのだ。
あの人がいなければ、自分は今こうして生きていなかったかもしれない――と。
つまり、自分がアリス先生と出会うことも決してなく。
幼くして両親を失った自分は……きっと、ひとりぼっちで死んでいたに違いないのだ。
間接的には、自分にとっても英雄ということになる。
ユウ ホシミ。どういう人なんだろう。
いったい何が。彼(彼女)をそこまでさせたのだろう。
その言葉は、自然と彼女の口から漏れていた。
「私もいっぺん会ってみたかったですね。アリス先生の親友で、ミリアさんの大好きな人」
「あたしもできることなら、ね……。今も遠い空の向こうで頑張っているんでしょうね。きっと」
「フェバルは歳取らないんでしたっけ。だったら、あのときの可愛い姿のままですか」
「あたしたちだけ、すっかり歳取っちゃったわねえ」
「ふふ。大人になっちゃいましたね」
「えっと。どんな風だったんです?」
アリスはエイミーのくりくりした顔をまじまじと見つめながら、懐かしそうに言った。
「んー。見た感じ、今のエイミーと同じくらいかしらね」
「男の子でもすごく女顔で。また女装させると面白……よく似合うんですよね」
「そうそう! 女の子のときも含めて、色々着せ替えて遊んだりもしたかしら」
「あれこれ仕込みましたよね」「ね。かわいくて」
「昔からいたずらっ子だったんですね。アリス先生」
「あら。人のこと言えないでしょあなた」
「もちろん。アリス先生仕込みですから!」
「ぷっ」
噴き出したミリアにつられて、二人も笑い出す。
ひとしきりみんなで笑い合った後。
アリスたちは、夕焼けの輝くエメラルドの空を。
その向こう側の誰かがふと見えやしないかと、それとなく見上げた。
***
術式魔法の母、エイミー・グレイシア。
この世界において知らぬ者はほとんどいないだろう。
術式魔法の父とされるアーガス・オズバインをも凌ぐ、史上最高の魔法使いとして名高い。
興味深い事実であるが。彼女は当時の常識としては、決して優れた魔法使いではなかった。
直接魔法が中心であった時代。実戦主義の蔓延る中にあって、彼女はどちらかと言えば無能の烙印を押されていたはずである。
しかしながら、彼女の真の才能はその類まれなる頭脳にこそあった。
彼女は、聖アリス魔法学院の前身たるアリス魔法教室のもとで学び育ったとされる。
彼女の人格形成において多大な影響を与えた恩師アリス・ラックインへの言及は避けられないだろう。
アリス自身の目立った功績はないものの、エイミーが幼き日よりの思い出を描いた当時のベストセラー『アリス先生の思い出』を紐解けば、その魅力的で親しみやすい人物像がありありと伝わってくる。
当時最高の保存強化魔法を駆使して生成された『アリス先生の像』にて、現代でもそのありがたい姿を拝むことができる。
エイミーは魔法の制御に苦労しながらも、アリスの熱心かつ愛のある指導によってその才能をめきめきと開花させた。
そうして長じてよりは、アリス魔法教室の教師として長きに渡り教鞭を執りつつ、自身の研究を精力的に推し進めた。
恩師アリスの亡くなった晩年には、アリス魔法教室を聖アリス魔法学院へと改称し、初代校長に就任した。
教師としてのみならず政治家としても優れた手腕を発揮し、かつての田舎町ナボックを当時随一のサークリスを凌ぐ大魔法都市にまで発展させる。
それから千年を経た現代においても、ナボックは世界最大の魔法都市であることはご存じの通りである。
このように政治面、教育者としても数々の偉大な実績を残したが。その最大の功績は、やはり術式魔法理論の完成であろう。
師アーガス・オズバインとの共同研究は、彼女が齢14のときに始まったとされる。
アーガスには、いつか宇宙へ行くという壮大な夢があった。
宇宙という概念さえ一般的でなかった当時は、まったく無謀かつ荒唐無稽の話であったが。彼もまた時代の先を見据えていたのである。
そこで彼が密かに推し進めていた宇宙魔法理論と、エイミーの未成熟な術式魔法理論とが出会い、素晴らしい進展が起きたのだった。
まず先鞭を付けたのはアーガスである。
彼は実戦魔法使いとしても当時最高の実力者であり、殊に実験においてその才は遺憾なく発揮された。
宇宙空間の性質の一部を明らかにし、術式魔法につき数々の実験的成功をもたらしたのは、まさしく彼の功績と言えよう。
ただし、二人の偉大な才能をもってしても、従来とまったく異なる魔法理論と実用体系の構築は至難を極めた。
残念ながら理論の完成および自身の夢を叶えることなく、悲劇の天才アーガスは鬼籍に入ってしまったのであるが。
彼の遺志を継ぎ、エイミーはついに術式魔法理論を完成させる。さらには全属性の実用化にまで漕ぎ着けた。
そして続く宇宙魔法時代の扉をも、二人の天才はこじ開けたのである。
魔力のない者であっても、誰でも魔法が使える。そんな時代を彼女は夢見ていた。
今私たちが誰でも豊かな魔法文明の恩恵に預かることができるのは、まさしく二人の偉大な天才のおかげなのである。
「ふうん。むかしはすごいひとたちがいたのねえ。ごせんぞさま、かっこいいなあ」
幼きアニエスは、魔法史の本をしげしげと眺めていた。
図書室の窓からは、確かに立派な『アリス先生の像』が見える。
初代校長エイミー・グレイシアの像も隣に並び立っている。
やはりどうしても目に付いてしまうものは、圧倒的な胸囲の格差である。
さがない子供や一部の大人たちがかの地名で揶揄するのも、無理からぬことだろう。
ほどほどに豊かなエイミー像に対して。
確かにその胸は、平坦であった。
アニエスはまったく邪気なしに、誰かがそう言っていたのをぽつりと呟く。
かの地名にあやかり、千年受け継がれてきたその不名誉な渾名を。
「あれがだいへいげんね」
【】
「」
《》
――――
しかし、エイミー・グレイシアは。この『異常生命体』は。
結局何も成せず、若くして死ぬのだ。
なぜなら、そうでなければならないからである。
惑星エラネルが『異常』発展することはあり得ない。
アニエス・オズバインの生誕に繋がることなど、断じてあってはならないのだから。




