78「5月10日⑪ 行く者と託された者」
ユナは最後の戦いに向かう前に、地に倒れるもう一人の戦士の下へ向かっていた。
「よう……遅かったじゃねーの」
「あんた……ひどくやられたもんだね」
暗闇の空を仰ぎ、血塗れで息も絶え絶えで、冷酷な雨に打たれるばかりの彼女は。
傍目には生きているのが不思議なほど、凄まじい生き姿だった。
それを言ったら、自分だってあまり人のこと言えるような状態ではないのだが。
「取り逃がした……ドジっちまった。クソ、せっかくシェリルが……繋いでくれたって、のによ」
「心配するな。あいつなら、きっちり倒しておいたよ」
「はっ。さすが、ユナだな……」
「ぶっちゃけほとんどの傷はあんたたちが与えたものさ。私がやったのは……最後のトドメくらいのものだったよ」
ユナは大戦果を成し遂げた若き戦士たちを、心から讃えた。
「誇りな。間違いなく、あんたたちの勝利だ」
「へっ……そうかい。だったら、嬉しいぜ……」
とうに掠れてきた視界で自分の手をぼんやりと見つめ、セカンドラプターは力なく笑った。
「ハハ……せっかくもらった、命なのに。この傷じゃ、さすがに……助からねえ、かもな……」
ユナはすぐ側に屈み、真剣に彼女の状態を見定めた。
確かに今にもくたばりそうではある。このまま何もせず放っておけば、確実に死ぬだろう。
だが器用に処置のない傷だけは避けている。大したものだ。
ユナはヒカリから、自分たちに待ち受ける【運命】を聞いたときのことを思い返していた。
順調に明るくない結末を告げられて。覚悟はしていたものの、ショックは大きかった。
ただ、その中の一人について。
『わずかに、揺らいでいるだって?』
『はい。あの人の運命だけ……どうにもちょっとはっきりしないんです。こんなこと、本当に初めてで』
生と死の境界線にいるのだと。ヒカリは確かにそう言ったのだ。
それを聞いたとき、ユナはついにやつくのを止めることができなかった。
『つまり出たとこ勝負ってわけか。面白い。面白いじゃないの』
たった一つだが、わずかな希望の持てる話ではあった。
本当にすべてのことが、完全に完璧に決まってしまっているわけではないと。
彼女自身、奮い立たせられるものがあったのだ。勇気を出して聞いてよかったと、そう思えたのだ。
そして……こうなったわけか。
横目で力尽きた、もう一人の戦士の亡き姿を。慈愛をもって見つめる。
存外穏やかな、いい顔をしている。
あんたも……やり切ったんだな。
シェリル。私はあんたを心から誇りに思うよ。
あんたは薄々死ぬことがわかっていて、それでも最後まで付いて来てくれた。
命尽きるその瞬間まで、一度たりとも運命の試練から逃げようとはしなかったんだな。
そして確かに。何かを掴んだ。託すことが、できたんだよな。
セカンドラプター。あんたも諦めずによく戦った。
そうさ。これは確かに、あんたたちの手で勝ち取った未来だ。
なあシェリル。せっかくあんたが繋げたものを、こんなところで途切れさせるわけにはいかないよな。
「セカンドラプター」
「なんだよ……送る言葉でも、かけようってか……?」
「大丈夫だ。あんたは死なないよ。シェリルと、この私が死なせはしない」
セカンドラプターが、はっとする。
彼女自身を、温かな何かが包み込んでいた。
消えかけていた命の灯火が、再び力強く燃えようと輝き始める。
代わりにユナを満たす命の輝きはさらにずっと弱々しく、ただ生きるのがやっとなほどにますます弱まっていく。
進化した彼女の瞳には。自分にかけられた奇跡も、目の前の女が残された命を削ってでも自分を助けようとしていることも。
はっきりと視えてしまった。
「ユナ……テメエ、何して……!?」
「今のあんたになら、よく視えるだろう?」
「ああ……」
「生命力付加、あるいは気力強化と呼ばれる技術さ。こいつを極めたとき、あんたはさらにもっと強くなれる」
「…………」
「約束通り、私から最後のレクチャーさ。よく身に叩き込んで、しっかり覚えておきな」
「おい……。最後って、どういうことだよ……」
ユナはあえて答えず、しみじみとこれまでのことを振り返っていた。
それは初めて彼女が、馬鹿正直に正面から挑みかかってきたときのこと。
『ラプターって男を知ってるか?』
『さあ。誰だったかしら』
『テメエが殺したんだ』
『あら。ま、撃ち殺した奴なんて星の数ほどいるんだ。一々覚えちゃいない。それとも何? 可愛い顔して、仇討ちでもしようっての?』
『違う。そんなんじゃない』
『じゃあ何よ』
『アイツは……あのクソったれのオヤジは、いつ誰に殺されても仕方のねえサイテー野郎だった。オレだって何度ぶっ殺してやろうと思ったかわからない』
ただ、強さだけは本物だった。
そう宣う彼女の挑戦的で真っ直ぐな瞳に、ユナの瞳もまた真剣に細められる。
クソガキが酔狂で挑んできたわけではない。正当な挑戦者だと。
『間違いなく世界で一番のガンマンだったんだ――テメエさえいなければ!』
『へえ。それで、ラプターを継ぐ者さんは何をしたいのかな?』
ユナが彼女をはっきりそう呼んだことの意味に、まだ単純な彼女は気付いていなかった。
『別にアンタに恨みはねーけどよ。つまりアンタを殺せば、今日からオレが世界一ってことだろ!』
あまりに明け透けにそう言うものだから。ユナは心から吹きそうになってしまった。
この殺伐とした世界に、こんなに気持ちの良いバカがいるとは思わなくて。
『くっくっく。なるほど若いねえ。若いっていいわねえ』
『くっ、バカにしてんじゃねえーーっ! 今日がテメエの命日だ!』
――そして、勝敗は言うまでもなく。
『うぐ……ぐ……』
『はい。あんたの負け。センスはいいけど、便利な能力に頼りきりのようじゃまだまだね』
『ちくしょう。負けだ。殺せ』
実力は未熟もいいとこなのに、気構えだけは一丁前なんだからな。
ユナはどうにも愛しくなってしまって、敵対したTSPは殺すべきなんてセオリーもすっかり忘れてしまったのだ。
だから言ってやった。
『まあまあ。そう熱くならないの。腕磨いて出直してきな。あいつと違って、あんたには未来があるんだ。命は大切にしないとな』
『……! テメエ、やっぱ覚えて――!』
『ほら、さっさと行きな。世界一のガンナーになるんでしょ? 私がしばらくその座を預かっといてやるからさ』
『クッソ、余裕で笑ってガキ扱いしやがって。覚えてろよ! いつか、いつかぶっ殺してやるからなあーーーーっ!』
『またおいで。いつでも相手してやるよ』
それからは。繰り返し繰り返し挑んでくるのが、本当に騒がしく楽しかった。
戦いの専門的なことは、×××にはあんまり教えてやれなかったからな。
虫も殺せぬユウになんて、言うまでもない。
幾度もの交流を通じて、持てる技術を叩き込んでやった。時たま一緒に仕事もした。
本当に、可愛い弟子ができたみたいだった。
もう一人、クソやかましくてデカい娘ができたように。そう思えたんだよ。
でもな。いつか人は、いつまでも先を歩いてはいられなくなるときが来る。
あんたには、最後にどうしても言ってやらなきゃならないことがある。
「なあセカンドラプター。人生ってのは。結局いつかは、自分の足で立って歩いていくものよ」
「んだよ……今さら、偉そうに。説教かよ……」
「本当の強さってのは、誰かと比べるもんじゃない。困難に挑むとき、自ずと現れ出てくるものさ」
「ざけたこと、言ってんじゃねえ……! オレは、アンタを倒して……約束、したじゃねえか……!」
「すまないな。でもさ。あんたはもう、十分強いじゃないか。あんたはもうとっくに、大切なものを持っているんだよ」
たった一つの手段と。負けない心を。それさえあれば。
だからもう、先代や私の幻影を追いかけなくたっていいんだ。
あんたはもう、その足と鍛えた腕前で、どこへだって行ける。
ラプターのように。どこまでも自由に、力強く羽ばたいて。
あんたに「定められた」【運命】の壁は、もうとっくに取り払われているのだから。
その上で。また別のもので縛り付けてしまうみたいで、申し訳ないんだけどね。
誰かが。この知られざる英雄たちの物語を知る、誰かが。
やがてくる未来まで、この戦いを継がなければならない。
それまで。地球のことは全部、あんたに託すよ。
「何だってんだよ……ちくしょう。勝手なこと、抜かしてんじゃねえぞ……!」
そうだ。あとついでに、できればでいい。
うちのユウのことも、ちょっとは面倒見てやってくれない?
ほんとたまにで、いいからさ。
「頼んだよ」
「おい、オレは……」
「ありがとう。今まで楽しかった」
「オレは……!」
「じゃあな。セカンドラプター」
「おい……!」
あの日のように。風のように颯爽と去っていくユナが。
オレにはずっと遠くて。眩しくて。
クソが。いつも勝ち逃げしやがって。
「待て……行くな。行くんじゃねえ……!」
こんなときだってのに、ろくに動けもしねえ。
腕引っ掴んででも、引き留めてやりたいのに。
アイツが、行っちまう。
二度と手の届かないところへ……行っちまう。
限界を迎えた身体は、健気に眠るように促してきやがる。
どんどん視界がぼやけていく。ざけんな。
なんでだよ……。どうしてなんだよっ!
クソ親父も。シェリルも。ユナも。
オレを置いて、勝手なことばっか言って。勝手に先に行ってんじゃねえよ……!
テメエら、オレを何だと思っていやがる。
オレが何でも平気だって、そんな失礼なこと考えてねえよな!?
オレだって。オレだってなぁ。
ひとりぼっちは、寂しいじゃねえかよぉ……。
人前では決して、一度たりとも泣くことだけはしなかった彼女は。
ついに誰もいなくなって。いよいよ憚るものもなくなって。
年頃の少女らしく、雨空の下でわあわあ泣き喚いていた。
ああ。ちくしょう。
わかったよ。やってやるよ。
この世界に二度と、核兵器なんてものは蘇らせねえ。
この世界に二度と、同じ悲劇は起こさせねえ。
このオレがいつか、心から世界一だって胸を張って言える。そんなすげえガンナーになって。
アンタの――QWERTYの仕事を継いでいくさ。
この地球という許されざる星の。
たった一人の、最後の戦士として。
ついでだ。テメエのガキの、ユウのことだってな……!?
せっかく大事な約束を気持ち良くかまそうとして、はたと気付く。
こいつはもしかして、中々手間取るかもしれねえ、と。
最後に覗かせた母としての、実に人間らしい迂闊さに触れて。
こんなときだってのに。
彼女は涙しながら、思わず笑ってしまった。
あの野郎。くっく。
テメエも人の親だな。ガキのことになると必死で、見えなくなりやがる。
最後の最後で、当たり前に思って。抜けたこと……ぬかしやがって。
住所……覚えとくんだった。
ユウなんて……名前だけ、知ってたって。
オレには……顔も、わかんねーじゃねえか……。
[5月10日 21時43分]




