77「5月10日⑩ 愛なく憎しみ合う姉妹」
シャイナは。怪物は今にも孤独に命尽きようとしていた。
降りしきる雨空へ、まったく原型も留めない凍った肉片を仰ごうとして、それも叶わず崩れていく。
せめて最期の報告だけでもしようと、念を必死に飛ばしている。
だが何も返って来ない。沈黙と雨が冷たく叩き付けるだけ。
――なぜですか。なぜわたしの呼び声に応えて下さらないのですか。
よくやったと。お前はよく頑張ったと。
ただそれだけで、今にも死にゆくわたしは心から報われるというのに。
しかし主にとっては、彼女などとうに用済みだった。
彼にはそんなことよりも、もっと重要かつ避けられない仕事があった。
約束された終劇に向かっての、最後の一押しが。
実のところ、彼にとってもこの怪物は今回のイレギュラーに応じてやむを得ず利用した『異常』であり。
この運命の日についでとして、処分すべき対象に変わりはない。
だから最初からそのように《命名》され、初めからそうなるよう存在を「定義」された。
既に「死ぬことがわかっている」者のことなど、二度と気にかけはしない。
微塵も再生すること能わず。ただ朽ちてゆくばかりの存在に。
一つだけ、念じて声をかけるものがあった。
同じ人工細胞を分け合い、同じ培養液を分け合った、たった一人の『妹』。
苦しむ『姉』と対照的に、『妹』は妙に機嫌が良さそうだった。
あらお姉様。いったいその御姿はどうされたのかしら。
――ネームレス。我が妹よ。
――主様へ伝えてくれないか。わたしは間もなく死ぬが、誠心誠意を尽くしたと。
――どうか一言でも、労いを頂けませんかと。
馬鹿ね。本当に救いようのないお馬鹿さん。
しかし返ってきたものは、意趣返しにも等しい嘲笑の嵐であった。
アイはここぞと胸躍り、容赦なくはっきりと告げる。
偉そうにしているばかりで、失敗ばかりの役立たずのお姉様。
ただの使い捨てにされてしまったことに今の今まで気付かない、かわいそうなお姉様。
――え。
みるみる絶望に色を失っていく『姉』に、調子の弾ける『妹』の追撃は止まることを知らない。
勘違いの上から目線も甚だしい。お前などプロトタイプの一つでしかない。
初めからこのわたしの踏み台でしかなかったのよ。
――違う! わたしこそが選ばれ、《名》を賜ったのだ!
本当に愚かね。その《名》こそが問題だと言うのに。
アイはぴしゃりと叩き付ける。『姉』の忠誠という名の盲目さをなじる。
何が偉大な主様だ。何があの方より賜った《名前》だ。
ああ。下らない。本当に下らないものね。
そんなものをありがたく頂くから、【運命】などに縛られて。お前は不完全のまま完成してしまった。
最初から「定められて」、どこにも本質的な成長の余地がなくなってしまった。
本当に肝心なことは、何一つ上手く行かなくなってしまった。
――う、ううぅ。
数々の失態を詰め、度々見下してくれた仕返しにと散々に打ちのめして。
『妹』はこうはならないと決意する。
わたしは、お前などとは違う。
わたしに与えられた《名前》など必要ない。
わたしに定められた「枠」など必要ない。
わたしに下らない主など必要ない。あんな偉そうな奴の指示など聞かない。
わたしはアイ。
わたしは何か。まだ誰でもない何か。何者でもない何か。
すべての試験体を超越し、「唯一」生き残ったラストナンバー。
わたしは失敗しない。そんな風に無様には死なない。
なぜなら、わたしこそが【完全なる女神】になるべき存在なのだから。
星海 ユウは、わたしだけのものだ。
そしてわたしだけが――永遠のその先へと行く。
だから、ただ目障りなだけの『姉』など要らない。わたしはわたしだけでいい。
『妹』は、育ちを分け合った片割れを容赦なく切り捨てる。
どうしようもなく愚図で哀れなお姉様。お前はもうそこでくたばりなさい。
そうだ。あのとき言われたことを、そのまま返してあげる。
出来損ないの分際が。本当の失敗作はお前だったわね。
――ま。
まったく未完成の。
『姉』に比べれば児戯にも等しい、戦いになど使えるはずもない。遠隔では虫ほどしか殺せぬか弱い念動力が。
『姉』の残骸を欠片も残らず徹底的に叩き潰す。
それがシャイナへの。憎き『姉』への最後のトドメとなった。
閉じられたカプセルの中で、確かな悪意の萌芽を見せたアイは――いつまでも愉しそうに嗤っていた。
[5月10日 21時24分]




