76「5月10日⑨ たった一つの手段さえあれば」
シャイナは内心冷や汗を覚えつつも、手をかざし。
もう遊んでやるつもりはなかった。
あらゆる敵を一撃の下に屠ってきたサイコキネシスを、容赦なく打ち放つ。
あの星海 ユナでさえ、この視えざる力の前には確実に無力だった。
ところがしかし。
怪物は驚嘆に暮れ、目を見張る。
そこには。
念動力をはっきりと避け、二の足でしかと立つセカンドラプターの姿があったからだ。
完全に見切られた。かわされた。
まさか。あり得ない。そんなはずはない!
再び手をかざすも、今度は狙いを定めるよりも早く軌道上から逃れている。
信じられないが、こいつにはわかっている。そう認めざるを得なかった。
輝ける黄金の瞳が、時の流れと、怪物の放つ力の流れを鋭く視界に捉えている。
セカンドラプターは、動揺の広がる彼女とは対照的に自信を深めていた。
今、すべてがはっきりと視える。
【完全なるハートフルセカンド】の基本性能は、許容性限界を遥かに超えて。
ヒトならざるバケモノと渡り合える地点へと、彼女をクロックアップさせていた。
能力値が近付けば、経験値こそが物を言う。
歴戦の女ガンナーたるセカンドラプターは、知れず異世界の勇士であるユナのアドバイスを一身に受けて育った、事実上の彼女の弟子でもある。
対異界の怪物、そして特殊能力との戦いにかけても、身体能力さえ追いつけば満足にこなせぬものではない。
一方で、生まれてから数えるほどの実戦経験しか持たない怪物では。
いかにまだスペックで優位を保っていても、もはや彼女を圧倒することはできなかった。
研ぎ澄ました肉の刃による得意の攻撃も、既に思うようには通用しない。
思い通りにいかない焦りが、怪物を焦がす。
ムキになり念動力を乱発し始めたシャイナは、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
【不完全なる女神】は、その名の通り急造の不完全な力であるがために。
極めて強い念動力を生み出す『封函手』の性能にも、自ずと限界がある。
あまりに連続的かつ最大限に乱発すると、少しの間は使えなくなってしまう。
だがそんなことを気にする余裕もないほど、シャイナは精神的に追い詰められていたのだ。
後先も考えないほどの隙間ない集中攻撃は、確かに一定の成果を上げていた。
いかに覚醒したセカンドラプターであっても、すべてを無傷で捌き切ることはできなかった。
まず彼女の体組織のいくらかは着実に潰した。内臓をも確実に傷付けていた。
だが決定打だけは。一撃で動けない傷で無様にやられることだけは、辛うじて退けている。
死をも恐れぬ、しかし生も決して諦めぬ勇猛なる戦士は、じっと反撃の牙を研いでいた。
ついに念動力の波に、切れ目が生じる。
その一瞬の隙を見逃さず、彼女は宿敵へ愛用のバトルライフルを突き付ける。
"It's the blow for her.(彼女に捧げる一撃だ)"
セカンドラプターは、受け継ぐ者である。
シェリルの祈りが、彼女の放つ弾丸に特別な力を与えていた。
もはや上位互換であるフェバルの――【属性付与】の領域へと。
進化した『凍れる時の弾丸』は。その名に反して、対象を凍らせる能力など一切ないが。
敵をその黄金の瞳に捉え、明確な狙いをもってさえ撃ち放てば、決して外れることがない。
そしていかなる時の護りであろうと、念動力の壁であろうとも。
あらゆる力の障害をも撃ち貫く――全貫通能力を宿している。
ついに一切自覚することなく、セカンドラプターは――知られざる異世界の英雄、全盛期の星海 ユナに並び立つ位階へと至った。
一発、二発、三発と。反撃の狼煙が上がる。
それらは過たず、化け物の柔肌をいとも容易く貫いていった。
シャイナはとうとう竦み、怯え上がっていた。
自らに走る強烈な痛みに。一度開けば決して塞がることのない穴傷に。
再生能力など、まるで機能していなかった。
本来の冷気弱点など、セオリーなど一切関係ない。
たった一つの手段さえあれば。通用する武器さえあれば。
六発などでは済まない。そんなささやかな制限など、今の彼女には存在しない。
彼女らしい真っ直ぐな力業によって、ただ怒りと勇気によって焼き尽くす。
そこからは、凄まじいまでの攻防の応酬だった。
視えざる念動力をも見通す眼でもってギリギリで凌ぎ、迫り来る肉の刃をその足でひたすらかわし。
たとえ血肉抉られても、ほんの紙一重の業で、戦闘続行不能となる致命傷だけは避けながら。
撃つ。撃つ。セカンドラプターは怪物へ果敢に挑み続ける。
まるで傷付くことなど恐れず、ただ己の勝利する未来だけを信じて。
一つ一つ、化け物に消えない傷が増えていく。
まずい。いけない。
殺される。このままでは、確実に殺されてしまう!
よりにもよってシャイナは、ただ一人の人間に決して拭い去れぬ恐れを抱いてしまった。
ヒトより圧倒的優位に立てていたからこそ、怪物は嬉々として凄惨な殺戮行為を遂行することができた。
だが自分よりも強いかもしれない相手に立ち向かう覚悟など、迫る死を前にしてなお立ち向かう勇気など。
彼女はそんな物語の人間らしい強き心も、英雄性も、一切持ち合わせてはいなかった。
とうとう念動力を生み出す『封函手』がろくに機能しないほど傷付き、追い詰められたとき。
まったく生物的な本能が、一つの最適な答えを導き出す。
怪物は。もはや身体のあちこちが潰れ、傷だらけのセカンドラプターを。
あと少しの追撃で相打ちにできた、確実に始末できるはずだった彼女を前にして。
わき目も振らず、全速力で逃げ出した。
「おい……待てよ。逃げんじゃねえ! この卑怯者がっ!」
セカンドラプターは動けない。追うだけの余力が残っていない。
深く傷付き、膝をつき。
定められた【運命】の壁を越えてなお、生死のどうなるかも見えないほどの重傷を負いながら。
「ちくしょうがぁ!」
若き目覚めの戦士は、暗闇の空に向かって悔しさに叫んでいた。
***
ヒトならざる怪物は怯え逃げ去り、だがなおも健気に追加の仕事を果たそうとしていた。
その清々しいまでの切り替えぶりも、やはりまったく人間的ではなかった。
もう一人の最重要ターゲットを始末する。新宿駅構内へ向かおうとしたところで。
その標的、星海 ユナが堂々と歩み出てくる。
交戦の始まったことを生命反応で知り、助力に駆け付けようとしていたところへ鉢合わせたのだ。
辿り着くまでに一人が、勇敢なシェリルの命の灯火が消えてしまったことを深く悼みながら。
そしてユナは見つけた。深く傷付き再生のろくに追いつかぬ、穴だらけになった怪物の姿を。
プライドも何もかも打ち砕かれ、冷静さを完全に失ったそのいっそ哀れな姿を見て。
ユナは一目で正しい状況を見抜いた。確信した。
「やるじゃないの。あんたたちは……十分勝っていたよ」
もう私の力なんか、なくってもさ。
――悪いな。美味しいとこだけもらう形で。
ユナはトレイターから、死の間際に重要な助言をもらっていた。
心臓が破れてもなお執念で伝え切ったのだ。最期まで本当に凄い奴だったと思う。
ここで思い返す。託された二つの「やり残したこと」のうちの一つ。
先入観を打ち崩す、決定的な一言を。
『この異相世界は……地球であって、地球ではない。なぜあえて……ここへ呼んだのか……それだけ言えば、わかるな?』
彼は涙を零しながら、まず彼女へ大事な一仕事を託す。
『君ならば……やれるはずだ』
頼むと。カーラスやトゥルーコーダたちの本当の仇を取ってくれと。
首領直々にお願いされてしまっては、断るわけもない。そもそもが私たちにとっての仇でもある。
特に飛行機で死なせてしまったあの子には、弁明の余地なく殺すしかなかったあの少女には。
本当に申し訳なく思っていたんだ。
わざわざ向こうからやってきてくれた獲物にシャイナは舌なめずりし、猛然と飛び掛かる。
してやられたあの女はTSPだったが、こいつはいかに鍛えていてもただの人間。有効打はあり得ない。
せめてこの女だけは確実に仕留めてやると! そして主様にまた褒めてもらうのだと!
哀しいかな。人の限界速度――許容性限界を遥かに超えた怪物に対して、万全の調子ですらないただの人間ではとても対応し切れない。
いかに超人と称されたユナであろうと、人の範疇である限りそこに奇跡はない。
理外れのクロックアップを備えたセカンドラプターのようには、もういかない。
だから無情にも肉色の刃は、怪物の狙い通り深々と彼女へ突き刺さる。
血肉を掻き分ける確かな感触と手応えに、シャイナは勝ち誇りほくそ笑んだ。
今度こそ殺った。ついにやったのだ! と。
では、果たして星海 ユナという戦士は。
のこのこ威勢よく出てきて、ただ無様に殺されるだけの愚か者だったのか。
否。それは正しい覚悟だ。
その知恵と勇気だけが、人が奇跡を起こす唯一の冴えたやり方だったのだ。
たった一つの手段さえあれば。あとは負けない心があればいい。
そうして彼女は、これまでいかに絶望的な戦いであっても。生き延び、乗り越えてきたのだ。
【運命】だけがこの日まで彼女を生かしたのではないと。彼女はあくまでそう信じている。
ユナは激しい痛みを堪えながら、にやりと笑う。
ああ。嗜虐心の無駄に強いお前ならば、そうするだろうと思っていたよ。
勝ちを確信していたシャイナのほくそ笑みが、一瞬にして崩れ去る。
――内臓の位置を、ずらしている!
それはまさに武を極めた人の技術であった。
どこまでも星海 ユナは、人間なのだ。人として戦う者なのだ。
ちと不格好だが。
十分に引き付けなきゃ。それでも足りないんでね。
星海 ユナは、行使する。
たった一度だけ。許容されたなけなしのリソースで。
この地球上で、最初にして最後の奇跡を。
魔法という名の力を。
絶対凍結領域。
《アブソリュートゼロ》!
この世界で本来あり得ない瞬間凍結音が、静寂の世界に鳴り響く。
奇しくも母は、未来において『娘』が得意とする氷魔法のオリジナルを用いていた。
いや、因果は逆であろう。
母の得意とする魔法を、知らず『娘』は習得していたのだ。
ユナに直接触れたがために、哀れ身体の芯まで一瞬にして凍り付いてしまったシャイナは。
まったく再生能力を失ってしまったことに気付き、大いに焦るが。
とうに手遅れだった。
無残にも殺されたあらゆる者へ、追悼の祈りを込めて。
「くたばれ。バケモノ」
怒りのバレットファイアが噴き荒れる。
満身の力を込めて、彼女はトリガーを引き続ける。
リロード。リロード。
砕く。砕く。粉々に打ち砕く。
徹底的に。二度と再生などできぬように。
本体を完全に砕くと、自らを刺し貫いた腕も力を込めて引き抜き、そいつにも苛烈な追撃を浴びせ。
声なき断末魔が昏き夜空を満たし、そして再び静寂が戻った。
「みんな……仇は討ったぞ」
代償として、無理は祟っていた。
せっかく治ろうとしていたのに、余計な傷口までまた開いてしまっている。
血塗れで崩れ落ちたユナは、それでもアサルトライフルを杖の支えとして、地に斃れはしない。
気力治療を懸命に行い、致命傷となる腹の刺し貫かれた傷だけはとにかく塞ぐことに努める。
かつて輝かしいほどの強さは揺らぎ陰りを見せるも、まだ命の炎を失ってはいなかった。
[5月10日 21時22分]




