68「5月10日① 星海 ユナ、シュウと話す」
ユナは献身的に自分を看病して眠りこける最愛の旦那へ、愛しさと悪戯心がもたげてきた。
身を乗り出して、情熱的に口付けを仕掛ける。
「んむっ!?」
舌をねじ込むと、彼はやっと目を覚ました。
最初こそ驚きはしたものの、しかと気持ちを受け止めて絡め返してくれる。
たっぷり感触を味わった後、名残惜しそうに唇が離れた。
彼女はにやりとして言う。
「目覚めのキスさ。こんな可愛い眠り姫がいるんだから、普通はそっちからするものよ?」
「まったく君は起きるなり、相変わらずだね」
見つめ合い、軽く笑い合って。
「おかえり。ユナ」
「ただいま。シュウ」
それから彼女は、やけにしおらしく続ける。
「すまなかったね。遅くなってしまって」
彼女なりに覚悟はもうできているのだろうと、シュウは長い付き合いからすぐに察した。
何しろ聡い人だから。
「目覚めたばかりでこんなこと、言うべきじゃないんだろうけど……」
「言ってくれ。私は逃げないよ」
「QWERTYは……壊滅したよ。タクマさんも、みんないなくなってしまった。みんな最期まで君を助け、君に託そうとしていた」
「そうか……」
ユナは項垂れ、先の感謝に加えて祈りも捧げた。
とても哀しいことなのに、不思議と一切の驚きはなかった。
奴の手記を読んでから、色々なことがあり過ぎた。とっくに最悪の想定ができてしまっていたからかもしれない。
超越者、あるいは運命としか言えない悲劇によって一人取り残されたことは……初めてではない。
また私を先に置いて、みんな逝ってしまったか……。
それだけのことと割り切るには、あまりにもたくさんの思い出があり過ぎた。
そして私も。今度ばかりは、おそらくは……。
シュウはまだ、我が子のことには触れていなかった。
自分たち家族にとって現在進行形の一大事をいつ切り出そうかと悩みつつ、流れで続ける。
「タクマさんが僕のスマホに何通かデータを送ってくれたんだ。どう見ても君宛てだったから、あえて中身を確認してはないんだけども」
「今、見ちゃってもいいよな」
「言うと思った。どうぞ」
大事なことに対しては、即断即決で躊躇いはしないのが彼女の美徳なのだ。
タクがユナに遺した情報は、主に二つ。
一つは、あの怪物の『弱点』について。
おそらく冷気が弱点であり、凍り付いてしまえば再生能力を損なうことが期待される。
だが現実に冷気武器が存在しないことから、『弱点』を突くのは極めて難しい。
しかしユナさんのことだから、何かしら突破口を見出すことを期待していると。
中々に重い期待を向けられたものだねと、苦笑いして次の情報へ移る。
もう一つは、彼が『光』に接触して掴み取った、最愛の息子に関する値千金の情報だった。
そこにははっきりと、フェバルの能力が記されていたのだ。
【神の器】
星脈そのもののコピーであり、星海 ユウ自身の心を反映した「もう一つの宇宙」を形成する。
触れたあらゆる世界情報を漏れなく記録し、潜在的にはすべて利用することができる。
『私』にとって最大の脅威であり、力を有効に発揮できないよう最も強力に【運命】付けている。
汝、男として生まれ。
汝、深く関わる者皆命魂尽き果て。
汝、いかなる友も救うこと能わず。
壮絶な内容に、元より顔色の優れなかった血の気がさらに引いていく。
これでは。あまりにも。
最後に、タク自身の言葉でこう付け加えられていた。
『結局は何のことか、深いところはわかりませんでした。
でも一つだけ、はっきりと言えることがあります。
ユウは絶対に生きています。けれどあの子に待ち受ける未来は、あまりにも昏い。
僕からの最後のお願いです。まあ言われなくたって当然のことっすよね。
ユナさん。どうかあの子をお願いします』
明らかに気落ちした様子の妻に、シュウもそれとなく察してしまう。
「もしかして、ユウのことが書いてあったのかい」
「ああ……」
「あの子もね……見つかってないんだ。君を助けに行くんだって、船で……そのときに」
クリアのことは世界の認識から除かれているため、残念ながら二人の意識に上がってくることはなかった。
ユナはスマホの画面を切ると、その肩は震えていた。
「ユウは、あの子は死なないよ。必ず、生きてる」
本来は喜ばしいことのはずなのに。
胸を締め付ける心の痛みが、尽きない。
だって。
「死ねないんだ……」
これまで何があっても、決して涙だけは見せることのなかった彼女は。
ただ一人、弱みを見せることのできる最愛の相手の前でだけ、初めて一筋の涙を零した。
数多くの【運命】に呪われた者たちが、かくも儚く散っていった。
その中心にいたのが、あの子で。
あの子にかけられた呪いに引っ張られるように、みんな死んでいく。
きっと、私たちさえも。最も近しい親だからこそ、側にはいてやれない。
自分のことならば。たとえどんなに辛くても苦しくても、彼女は決して折れるところがなかった。
それでも、星海 ユナは母親だった。もう昔の何も恐れるところがない狂戦士ではない。
子を想うからこそ何より強く、同時に最大の脆さも抱えるようになってしまった。
「シュウ。私は……どうしたらいい?」
「ユナ……」
「どんなに心意気で否定しようとしても。頭ではもう、とっくにわかっちまってるんだ……」
自分の聡さを、これほど憎らしいと思ったことはない。
人知を超えた【運命】の力が、いかに絶対で。残酷なものであるか。
おそらくは。これまで誰一人として、本質的には覆すことのできなかった絶望の壁。
「なあ、シュウ。私もあんたも、たぶん……もう長くはない。今図ったように次々起きてる悲劇は、そういうことなのよ」
「そうか……。何となく、僕だけが無事で済むはずがないとは……思っていたよ」
シュウも薄々覚悟を固めつつあった。だからさほど驚きはしなかった。
「残された時間で、あの子にまた会えるだろうか。あの子に何をしてやれるだろうか」
今にもへし折れてしまいそうなほど、かつてなく弱り切っているユナに。
夫のしてやれることは、一つだけだった。
強く強く抱きしめて、鼓舞してやる。
彼女が再び太陽のように輝き、本来の強さを取り戻せるように。
「大丈夫だ。ユナ」
「シュウ」
「ユウは人の心がわかる子だ。だから必ず、届くさ。みんなの愛も。僕たちの想いも」
寄りかかり、静かに涙を流し続けるユナをしかと受け止めて。
温かく力強い言葉の魔法をかける。
「なあユナ。信じようじゃないか。僕たちの子供の強さを」
「強さを……?」
母親としては心配が勝るばかり、守ってやるべき部分ばかりに目が付いていたところはあった。
だがシュウはずっと見ていた。
自分が決して強くないからこそ、我が子の持つかけがえのない強さに気付いていた。
「あの子は人のためならば、どんな無茶だって平気でできる子さ。今は身体が小さく弱くても、君に負けない英雄の資質を持っている。僕たちが願った優しさのその先に、本当の強さを持っている」
「確かに……そうだ。その通りだ」
ユナも我が子の軌跡を思い返していた。
あの子は確かにどうしようもない泣き虫だ。けれど自分のためには、滅多に泣かない。
あの子が本当に泣く時は、いつだって誰かの痛み苦しみに寄り添っていた。
そして迷いなく、自分がさらに傷付いても人のために動ける優しさを持っている。
情けなく頼りない、守ってやらないといけない子だと思っていたけれど。それはなお母として譲れない事実であるけれど。
決して弱いばかりの子ではない。根っこでは、自分にも引けを取らない心の強さを持っている。
確かに……そうだ。
「ただ、誰よりか弱いところももちろんある」
「ひとりぼっちにだけは、させちゃいけないな。あの子は寂しがりだから」
夫婦の見解が一致する。
誰かの愛があればこそ強く輝いて。誰もいなければ脆く儚い。
だからこそ【運命】は繋がりを恐れる。孤独にして、決して誰もあの子に寄せ付けようとしないのだと確信する。
何か。何か方法はないのだろうか。
この暗く広大な宇宙へ、あの子たったひとりぼっちで送り出さないためには。
レンクスに頼むのは一つの手だろうけど、もう生きては会えない気がする。
ただそれでも。何もわからなくても。まだ希望は見えなくても。
愛する者の腕の中で、再びユナは立ち上がろうとしていた。
「頼む。シュウ。私の隣にいてくれ。この情けない私を支えておくれ。そうしたらまた、きっと。最後まで戦える」
「いるよ。たとえこの命尽きようとも。ずっと君の側にいる」
彼の服に顔を押し付けて涙を拭い、人としての弱さをそこに置いていく。
それから彼にも、今までのことを色々聞いてもらった。
あえて深くは語らないようにしていた異世界のことも、すべて。
シュウは何も疑わずありのままで受け止め、頷いてくれる。
弱さを全部吐き出して聞いてもらって、一つ一つのことを改めて力に変えていく。
一連の儀式が終わったとき、再びユナに決して消えない闘志が湧き上がっていた。
シュウに寄り添ってもらいつつ、いざ立ち上がる。
衰えを感じふらつきはするが、戦えない身体ではない。まだやれる。
病室を出ると、ドアの両脇を固めるようにセカンドラプターとシェリルが腕組みして、壁に寄りかかっていた。
「あんたたち……」
どこから聞いてたのかと珍しく顔を赤らめるユナに対し、二人は無事な方の目でこれ見よがしにウインクした。
「ヤボなことは聞かねーよ。オレたちは『戦士』ユナを待ってたのさ」
「おかえり。リーダー」
シェリルのそのたった一言に込めた、葛藤の先にある重い信頼に、もちろん気付かぬユナではない。
「悪い。待たせたな。あんたたち」
[5月10日 9時40分]




