67「唯一の真なる到達者」
[5月9日 16時37分 異相世界 東京 星海家近くの公園]
ユウは、必死に辿っていた。
この寂しいだけの誰もいない世界で。
たった一つだけ感じ取ることのできる、優しい心の声を求めて。
でも子供の足では、あまりにも遅くて。遠くて。
それでも。やっとのことで辿り着いた。
「おじさん!」
おじさん――トレイターは、時たまそうしているのとまったく同じ姿でそこにあった。
ベンチに腰掛け、静かに物思いに耽っている。
もうたった独りだけだ。いよいよ明日が「審判の日」なのだから、色々考えたくなることもある。
「ユウか。また会えたね」
しかし世間話をするには、ただならぬ顔をしていることが気掛かり、眉を顰める。
「どうしたんだい。そんなに血相を変えて」
「あのねおじさん! たすけてほしいの!」
必死にしがみついて、服の袖を引っ張ってでもどこかへ連れて行こうとするユウに。
トレイターは何かはわからないが、とてもまずいことが起きているのだと悟る。
「誰を。どこに行けばいいのかな」
自分に力はないけれど。子供の頼み一つ聞いてやるくらいはいいだろうと思う。
そうしたところで、これまでのことも。明日やろうとしていることの罪滅ぼしにもならないだろうが。
「あれ。あれ。どこだっけ? だれなんだっけ?」
「本当にどうしたんだ……」
どうして。なんで、なにもおもいだせないの?
混乱するユウは、ただ忘れてしまったかけがえのない大切な誰かを。
【器】だけはちゃんと知っていて。
でもその記憶は、彼女の願いから。奥へと奥へと、大切に仕舞い込まれてしまっていて。
ただわけもわからず、滂沱の涙を流していた。
「おれ、だれかを。もどらなくちゃいけないのに。ぜったい、わすれちゃいけないのに……!」
立ち尽くし、か細く折れてしまいそうな声で。
小さなユウは、胸を苦しそうに掴んでいた。
それが、あまりにもいたたまれなくて。トレイターは彼を懐へ招き寄せる。
「なあ、坊や。君が言ってたんだ。つらいときは、うんと泣いたらいいって。きっと、今がその時なんだよ」
ただ彼は、気の済むまで胸を貸してやることにした。
無力な僕には、そうしてやることしかできないから。
「うっぐ。えっぐ。うえええええええぇぇん!」
泣き雨の降り始めた空に、まだ己の運命を知らない子の嗚咽がこだまする。
***
どれほど時間が経ったのか。
涙尽き枯れ果てるまで思い切り泣いたユウは、ようやく少しだけ気分が落ち着いていた。
今二人は、一時的な雨宿りとして、ドーム型の遊具の中に並び座り込んでいる。
けれどまったく止む気配はなく、いずれ覚悟を決めて飛び出さねばと、「おじさん」は考えているところだった。
「なあユウ。こんなときに、聞くことじゃないかもしれないけど。いいかな」
「なあに。おじさん」
「ミズハ先生は……元気にしているかい」
「あ」
せんせいのこと、どうしてほったらかしにしちゃってたんだろうと。
彼は申し訳なく思って、心の声に耳を傾けてみる。
アキハちゃんは、もういないけれど。
「あのね。うみで、はぐれちゃって」
「……そうか」
「うんとね。わかんないけど。どこかで。しんじゃってはないと、おもう」
トレイターが、はっと目を見開く。
だってそれは。あり得ないことなのだ。
だから彼は、言わば喧嘩別れしたまま、逝ってしまったであろう彼女を想って。
薄々そうなることがわかっていて。避けることはできなくて。
先ほども思い返しては、悲嘆に暮れていたのだから。
「それは、本当かい?」
「えっと。たぶん? せんせいのこえ、きえてないから」
トレイターは今、ついに確信した。
やはりこの子が。この子こそが。
星海 ユウが、唯一の真なる到達者なのだと。
まだか細く、弱々しいが。確かに。
この小さな子供は――【運命】を変える力を秘めている。
何があっても。絶対に守らなくてはならない。
やがてくる未来へ、希望を繋がなくてはならない。
ただ今は。この瞬間だけは。
「ミズハを。幼馴染を助けてくれて、本当にありがとう」
彼は心から泣きそうな声で、ただそう言った。
まだ本当に泣くことはできないが。
それでも僕は、十分に救われた。これでもう、思い残すことは何もない。
「おれ、なにもしてないけど」
「ユウ。すまない。今からとんでもないことを言う」
「うん?」
隣にいたのを抱っこで持ち上げて、顔と顔とを向かい合わせて。
そしてはっきりと告げる。
「実はおじさんは、とても悪い人だったのさ。僕は今から、君を誘拐する」
「あのさ。それって、しょーじきにいっちゃっていいの?」
「くっくっく。君は逆らえないからな。そうしたら、次はどうなると思う?」
「うーん」
「もちろん、正義のヒーロー登場さ。君のお母さんは来てくれるよ。君はさしずめ、囚われのヒロインってとこかな」
「おかあさん、きてくれるの? ほんとに?」
「ああ。来るさ必ず。それともここで寂しく、ひとりぼっちで待つかい?」
真剣に問いかけると。
彼は彼なりに一生懸命考えて。そして頷いた。
「……うん。いくよ。だって。おじさんも、ひとりぼっちはさみしいもんね」
「……こら。せっかく人が役になり切っていたのに。水を差すんじゃないよ」
「えへへ。やっぱりおじさんは、そんなにわるいひとじゃないよ。なりきれないんだと、おもう」
「そうか……」
こんな薄汚れた男に、まだ寄り添おうだなんて。
君は本当に、優し過ぎるな。
星海 ユナ。悪いが一時、この子は借り受ける。
あなたには明日、どうしてもこの「ずれた」世界へ来てもらわなければならない。
そこできっと。許されないだろうが。すべての知り得た事情を話そう。
僕にも、あなたにとっても。最後の戦いが待ち受けている。
***
星海 ユナは、ゆっくりと目を開けた。
……温かい布団で寝かされている。どうやらここは病院か。
私はまた、助かったらしいな。
窓の外まで暗い、雨空だった。
隣を見れば。シュウがゆらゆらと船を漕いでいる。
ほとんど徹夜で、付きっきりで看病してくれたのだろう。疲労の痕が色濃く窺える。
ほんと優しくて、不器用で。まったく愛らしい旦那様だよ。
執念が功を奏したのか。どうやってくれたのかはわからないが。
仲間たちがきっと、必死に頑張って助けてくれたんだな。
胸の内で深く感謝を捧げ。
私のスマホはまずイカれてしまっただろうから。
悪いとは思いつつ。側の棚に置いてあったシュウのものを借りて。
まずは今がいつなのかを確認する。
彼女の色が、すうっと青ざめていった。
ああ。そんなに。
そんなに長いこと、くたばっていたのか。私は……。
そこに表示されていた日時は。
[5月10日 8時32分]
The "Last Day" has began.




