65「クリアハート」
わたしが能力を使うとき。特に最高のレベル3を使うときには。
ふと、思い出してしまうことがある。
苦く、そして温かな思い出。
わたしは……TSPがよくそうであるように、生まれついての不幸を抱えていた。
気付けば両親はもうどこにもいなくて、わたしはスラムのストリートで独りぼっちだった。
自分の消える能力を、何かを盗んで食べることに使うしかない日々が続いた。
わたし……引け目が、あったから。あんまり、上手くいかなくて。滅多なことで、食べられなかった。
確か、いつだか。盗みの仲間だったか、知り合いができて。
何だったのかな。どんな人たちだったかな。もう思い出すこともできないけれど。
きっとまた、誰かがいなくなったんだと思う。とても……とても悲しいことがあった。たぶん。
幼かった当時のわたしが、孤独の悲しみの果て暴走した……ということらしい。
後に『■■■■ストリート消失事件』と呼ばれることになった、その事件。
あの通りは……今はもう存在しなかったことになり、わたし本人でさえその名も思い出せない。
それほどの凄惨な事件を、引き起こしてしまったときのことだ。
周囲の空間から徐々に発動し、誰からも認識されなくなっていく。
そして、わたしの存在さえも。ついには世界から完全に切り離されてしまって。
もう誰もわたしのことを知らない。見えない。触れられない。
このまま永遠に独りぼっちで、死んでいく。きっと、そうなんだ……。
独り寂しく、ずっと泣いていた。本当にそのまま死んでしまうところだった、そのとき。
温かくて大きな手が、やってきて。
わたしに触れた。確かに。触れた。
わたしの小さな頭を、わしわしと力強く。撫でてくれた。
誰一人助けてくれなかった冷たく透明な世界に、色が芽生えた。
『遅れてごめんな。迎えに来たぞ』
『だれ……?』
でも、おかしい。どうして、わたしのことがわかるの。
もう誰にも見えないはずなのに。存在しないはずなのに。
『どうして、わたしを……?』
すると女の人は、困ったように苦笑いしてた。
『うーん。私がばっちり見つけてやったって、そう言いたいとこなんだけどねえ』
膨らんだお腹を、慈しむようにさすって。笑う。
『本当は、この子が教えてくれたんだ。生まれる前から不思議な子でね。夢か何かで、困った子の声をしょっちゅう聞かせてくるのさ。まったくお節介で人遣いの荒い、手間のかかる子よね』
『…………』
じゃあ、そこの子が。わたしを?
あなたも。何も疑いもせず。まっすぐに来てくれた、の?
女の人は。ユナさんは。
もう一度、わたしの頭に。ぽんぽんとあやすように、触れて。
どこまでも、安心させてくれるように。にっと笑って。
『大丈夫だ。もう何も心配しなくていい。これからは私たちが家族さ。あんたを独りぼっちにはしないよ』
優しく手を差し伸べてくれる。
『おいで』
『うん。うん……!』
抱きついて。
めいっぱい泣いた。わんわん泣いた。
ユナさんは、わたしのつめたい涙をぜんぶ、受け止めてくれた。
顔を押し付けたところから、わたしはお腹に宿る新たな命の鼓動を聞いた。
わたしを助けてくれた、もう一人の小さな英雄。
弟さんかな? 妹さんかな?
まだわたしは、名前を知らない。
『この子の、なまえは……?』
『ユウだ。男の子でも、女の子でも。優しく育ってくれるようにって、旦那とよく考えて付けたのさ。いい名前だろう?』
ユウ。ユウ。
ん。とても、似合っていて。すてきな名前だ。
『で、私はユナ。星海 ユナだ。そういやあんたは……なんて呼べばいいのかな』
『わたし……なまえ、ない……』
『そうかい。それは、困ったねえ』
ユナさんは顎に手を添えて。わたしをじっと見つめて。
しばらく、真剣に考えて。
『私な、思うんだ』
『……?』
『あんたはきっと、優しいから。つらいことがあったとき。自分が誰かを傷付けるよりも、決して誰も傷付けないように。そんな力を持ってしまったんだと思うのよ』
『…………』
それはこの厳しくて残酷な世界で。とても。とても尊いことなんだ。
あんたは、本当は。ものすごく心の優しい子なんだよ。
だから。自信を持て。今は小さくても、えっへんと大きく胸を張れ。
あんたは誰からも必要とされない、価値のない人間なんかじゃ、決してない。
『クリアハート。うん、そうだな。あんたは、クリアハートだ』
『クリア、ハート……』
『その透明で綺麗な、美しい心で。どうかこの世界を愛せる人になってくれないか』
ついでにこの弟か、妹にも。仲良くしてやって欲しい。
あんたが幸せになれるように。私たちがその手助けをするから。ちゃんと育てるから。
この子と一緒にね。
『よろしく頼むよ。クリア』
『ん。クリア。うちの子に、なる……!』
***
……気が付いた。
身体は……どうやら、ちゃんと動く。
手錠で、繋がれているけれど……このくらいなら、大丈夫。
抜け出すテクニックなら、ユナさんに教えてもらってる。
ユウ。
お前はいつも自信がなくて。おどおどしてて。ひどく、甘えん坊で。
ほんと手のかかる、かわいい弟だ。
お前はいつも、おねえちゃんにたすけられてばっかりで。なにもしてあげられてないんだって。
自分のこと、申し訳なく思ってた。
違う。そんなこと、ないよ。
わたしはもう、とっくに。お前に。
お前たち家族に、救われているのだから。
お前がそばにいてくれる。それだけで、かけがえのない幸せなのだから。
だから。今度は、わたしが。何があっても。
与えられた最重要任務だけは、まっとうしてみせる。
ユウ。お前は。わたしが、守るんだ。




