57「ずっときみを待ってる」
[日本時間5月3日 11時55分 太平洋 海上]
海――どこまでも青い海が広がっている。
太陽の光が柔らかく差し込んでくる。
こんなときでなかったら、とってもきれいなのに。
絶体絶命の中。
星海 ユウは、ぼんやりと自分の名前を思い返していた。
ユウは、優しい子に育つようにと、両親が願いを込めて付けてくれた名前だ。
星海は、母方の姓に由来する。星の海と書いて、とても珍しい苗字だ。
彼の知っている限り、同じ苗字の人はいなかった。
ユウは自分の名字に入っている海――特に晴れた日の穏やかな青い海が何となく好きだった。
他の人は同じようには感じ取れないけれど、そこにはたくさんの命が溢れているから。
人間の元になった生き物もそこで生まれて地上へやってきたのだと、何かの本には書いてあった。
どうしてなんだろう。
うみはとてもおおきくて。こんなにもおだやかなのに。
ながめているだけなら、こんなにもきれいなのに。
おれたちにとっては、あぶないばしょでしかなくて。
ひとはそこからやってきたのに。ひとはもういきられない。
誰かが、自分を助けるために飛び込んで来る。
クリアおねえちゃんが、ちかづいてくる。
おれをめいっぱいだきしめて。
ミズハせんせいも、きてくれた。
おれたちをいっしょにだきしめて。
だけど。
みんなたすからない。しずんでいく。
そのときだ。
ミズハの胸に下げていた御守りに宿っていた小さな光が、何かに共鳴し。
輝きは次第に強くなり始める。
ユウには、何となくわかってしまった。
さよならのじかんがきてしまったのだと。
また泣きたくなった。泣いていた。
けれど涙は海に溶けて、消えて。
アキハちゃん。
このこは、ミズハおねえちゃんをたすけるために。
おれとクリアおねえちゃんもたすけるために。
最後の力を使って。誰かを呼ぼうとしている。
***
[心の世界]
ユウが内に宿るその『世界』をはっきりと認識したのは、このときが初めてのことだった。
真っ暗な世界にあって。
夢で見かけた、小さくてぼんやりしたアキハちゃんがそこにいた。
彼女が誰かを呼んでいる。
そして向こう側から、その誰かがやってくる。
元気そうで、明るくて。どこかミズハ先生に似ていた。
『あ、小さなユウ君見つけた。おーい』
『え、え……?』
何もかも意味不明で困惑するユウに、女子高生くらいのその女の子が近付いてくる。
『これが、もう一人の。生まれて来られなかった私かぁ……』
姿のはっきりしない、かわいそうなアキハちゃんの手を引いて。
とても悲しそうに、ぽつりと呟いた。
『まったくひどい時代だよね。話には聞いていたけれど、これほどなんて』
ぷりぷりと憤慨する様は、何でもないごく普通のティーンのように思われた。
ユウはきょとんとして、尋ねる。
『あの。おねえちゃん、だれ?』
『はじめまして、って言うのも変な話かな? 隣のクラスメイトの、新藤 アキハです。きみにとっては、ものすごく遠い可能性の話なんだけど』
『えっと……? よくわかんないけど。アキハちゃん、なの?』
『そうだよ。平和な地球でちゃんと生まれてきて、ちゃんと大きくなった私。ふふん、アキハお姉ちゃんと呼びなさい。ちびユウ君』
えへへ。なんてね。
アキハおねえちゃんは、おはなみたいにわらっていた。
ぜんぜんちがうところのひとみたいで。どこにもくらいところがなかった。
『きみはまだ知らないけれど。私ね、きみにはいっぱい助けてもらったから』
『そうなの?』
『うん。だからせめて、一つくらい。恩返しがしたくて。力になりたくて』
と言っても、大したことはできなくて。
特別なあなたへ繋ぐことと、言葉を贈ることくらい、なんだけどね。
アキハおねえちゃんは、おれのことをぎゅっとだきしめて。
とてもやさしいこえで、いってくれた。
『大丈夫だよ。ユウ君』
きみはたくさんの人に愛されている。数多の祈りが、願いがきみの心を繋ぐ。
もしきみが大切なことを忘れてしまっても。いつかちゃんと思い出せるから。
これからどんなにつらいことがあっても。きみは負けない。諦めないよ。
きみは誰よりも優しくて、本当は誰より強い人。
まだ正しい力の使い方を、知らないだけだから。
いつかもっと大きくなったとき。やがてきみは、運命に挑む。
苦しむたくさんの人たちが、きみのことを待ってる。
私もね。だから。
『いつか、きっと。迎えに来てね。まだ何も知らない私を、助けに来てね』
そしてちゃんと、友達になろうよ。
『この絶望の時代の――宇宙の向こう側で、ずっと待ってるから』
――ああ。行ってしまう。
大きなアキハおねえちゃんが、小さいアキハちゃんを連れて。どこかへ行ってしまう。
手の届かない、ずっと遠くへ――【運命】の向こう側へ行ってしまう。
小さなユウは、必死に声を上げていた。
まって。ねえ、まってよ。おいてかないでよ。
さよならなんていやだよ! アキハちゃん!
アキハおねえちゃんは、最後まで太陽みたいに笑っていた。
『さよならじゃないよ。またね、だよ。ユウ君』
***
御守りから、徐々に光が失われていく。
想いは海に溶けて、消えて。
そして――もう一つの奇跡が起こった。




