Y-7「おかあさんがあぶない」
[5月1日 8時35分 東京 とある小学校]
日本というのは、奇妙に生真面目なところがある国だ。
核兵器の大量発射と消失事件。あれほどのことがあった後でも、結果として甚大な被害が生じていないのなら。
平日となればまったく平穏を装って、会社も学校も通常通り回っている。人によってはイカれていると言うかもしれないが、この国にとってはある種の美徳なのだ。
さて。お母さんとベン、まだ見ぬ未来の親友たちと力を合わせ、人知れず世界を救った小さなユウは。
性格的にもちろんそのことを誇るわけでも、当然誰かに認められるわけでもなく。
クラスにいる一介の不思議ちゃんのまま、すっかり元の鞘に収まっていた。
新藤 ミズハも変わらず担任のままだ。トレイターとの哀しい決別を経て、内心消沈してはいるものの。
ただ生徒と教師の関係性は「対決」を経てぐっと近付いたわけではあるが、もちろん二人だけの秘密だった。
朝の会をしていたときのこと。
突然はっとして、ユウは声を張り上げた。
「おかあさん!」
驚いて一斉に生徒たちが彼を見やると、彼はまったく誰の視線にも気付かず、窓の向こうの空を焦った顔で睨んでいる。
「先生はお母さんじゃありませんよ」という夢にまで見た定番台詞を言うタイミングでないことは、ミズハにもさすがにわかった。
「どうしたの。星海さん――星海さん!?」
突然立ち上がり、ランドセルも教科書もすべて放って、教室を飛び出していく。
「待って! 待ちなさい、ユウくん!」
素に戻って静止するも聞かず、ユウは全力で廊下の向こうへ走り去ってしまった。
もしかして、星海 ユナの身に何か起きたのか。そうとしか思えない。
彼の母親を戦いに巻き込んでしまった者として。何より一人の先生として、放っておけるはずがなかった。
「みんな。ごめんね。一時間目は自習にします。ちょっと星海さんを迎えに行くから。ごめんなさいね」
「「はーい」」「せんせい、がんばってー」
「ありがとう」
他の教師へ報告している時間ももったいない。その間にどこへ行ってしまうか、わかったものではない。
最悪懲戒処分も覚悟しておこう。生活費足りるかしら……。
いや、そんなこと心配してる場合じゃないわ。
テロ組織に似合わぬ所帯じみた懸念をかなぐり捨て、まだ真新しい革靴を踏み鳴らして、彼女も飛び出していく。
そんな先生を見送って、生徒たちがざわつき出した。
「あいつ、へんなヤツだよな」
「せんせーにめーわくばかりかけてね」
「きゅうにうそみたいなこというし」
「いっつもおどおどしてて、きもちわるい」
「ママにあいたくなったのかな」
「「あはは」」
この頃になると、ユウはいよいよ本格的に変なヤツ扱いを受けていた。
彼の言動にはすべて彼なりの真実が含まれているのだが、ただの子供たちにはわからない。
とかく浮いてしまうところが、後に始まるいじめの遠因ともなったのではないかとも考えられる。
***
[5月1日 8時39分 東京 とある小学校の外]
息を切らしながら、ミズハが外へ追いかけていくと。
あわや行方不明かと思われたユウは、監視していたクリアハート隊員によって、しかと首根っこを押さえられていた。
双眼鏡持参、学校からお風呂やベッドまで24時間警護体制の面目躍如である。
ユウはじたばたしながら、また泣いている。
「いかなきゃ。うみへいくの! おかあさんがしんじゃうよ!」
「わかった。わかったから、落ち着く。ユウだけじゃ、何もできないよ。めっ」
言いながら、クリアの顔にもありありと焦燥の色が浮かんでいた。
必死になって自分へも言い聞かせ、お姉ちゃんとしての役目を全うしようとしていることは明らかだった。
ひとまずユウがどこかへ消えなかったことに胸を撫で下ろしつつ、ミズハは提案した。
「QWERTYへ。タクマさんに相談するのが良いんじゃないかしら」
「ん。それがいい」
「そうだ。タクおにいちゃんならきっとたすけてくれるよね!」
涙声のユウも、どうやら納得してくれたようだ。
「すぐに車を出すわ」
「頼んだ」「おねがいします」
学年主任へは、遅くならないうちにメール報告しておこう。
何かしらの処分は受けるだろうが、首の皮一枚繋がったかもしれないミズハであった。
彼女は車を飛ばしつつ(意図的に「誤射」してくるACWには最大限注意して)、タクへ念話を図る。
すると、やけに応答が鈍い。最終的には応じたが。
トゥルーコーダにしてやられた当事者であったタクは、まさに悲惨な墜落事件を目の当たりにし。
この世の終わりの調子で自分を責め、頭を掻きむしっているところだった。
心の荒れようと言ったら、接続しただけで機敏な彼女には毒になりかねないほどだった。
『インフィニティアです。どうしました。何があったんですか!』
『飛行機が落ちたんだ。ユナさんが……! 僕のせいだ。自爆特攻までは考えてなかったんだ。ちくしょうッ!』
『ねえ、タクおにいちゃん。だいじょうぶだよ。おかあさんまだいきてるよ!』
『本当か!? ユウ!』
『ほんとだよ。でもあぶないの。このままだとしんじゃうの! たいへんなの!』
ユウの懸命な主張により辛うじて生存が明らかとなり、QWERTYの消沈していた空気にもわずかだが希望が灯った。
しかしいつまで無事なのか、わかったものではない。何しろ墜落場所は一面の大海原なのだ。
『信じよう。ユナさんなら、絶対……生きてる』
健気にも、最も純にユナの強さを信じているのがクリアである。
彼女にとって命の恩人であり、母親代わりでもあるあの人だけは。
何があっても揺るぎない――世界でたった一人の英雄なのだ。
だからこんなことで……死ぬはずがないのだ。
だって。帰ると言ったのだから。また強く優しく、わたしとユウを抱き締めてくれるはずだ。
『おれ、いくよ。おかあさんのいるばしょ、わかるから。ふねでむかえにいこうよ』
『くっ。可愛いユウを連れ出したと知られたら、それこそユナさんに殺されそうだけど……やむを得ないか。頼んだぞ、ユウ!』
『うん! まかせて!』
『当然。わたしも、行く!』
何やらQWERTY側で救出作戦が固まったようなので、ミズハも一安心する。
「えっと。とにかく話はまとまったようね。それじゃ私は、あなたたちを送り届けて仕事に――」
「じーっ」「じーっ」
「~~くっ。わかった。わかりました! 手伝いますからっ! そんな目で見ないで下さいっ!」
「えへへ。ありがとせんせい」「よし」(ぐっ)
同類の能力であるユウとミズハのシナジーは、非常に強力である。
まだ幼く表現力に乏しい彼が掴んだ位置を、彼女ならば正確に把握し、伝達できるのだ。
だからお母さん救出のためには、どうしても力になってもらわなくてはならないのだと。
小さなユウは直感し、『姉』ともども必殺の瞳で訴えていた。
ミズハの繋がっていた首の皮一枚が、再び千切れ飛んだ瞬間である。
けれど止めてくれる味方はどこにもいないようで。御守りの中の妹アキハも姉の決断に喜び、小さく震えているようだった。




