51「異世界帰りのガンスリンガー」
[現地時間4月29日 0時15分(日本時間4月29日 14時15分) アメリカ セントルイス近郊]
ニュースでは、突然核兵器が消えたことが大々的に報じられていた。
奇跡が起こったと。世界は歓喜し、涙した。
もちろん喜んでばかりはいられないだろう。やがて落ち着きを取り戻した後、反省がなされるだろう。
相互確証破壊という仕組みが、人類が十分理性的であることを前提とした砂上の楼閣であったと。
この世界ではいつイカれた個人や組織が暴走し、破滅へと導くかもしれないことを。
事実として知っていても、人々は麻痺していた。潜在的な危険性を過小評価していた。
決して消えることのない大きな痛みとともに、TSGが現実の脅威として叩き付けた。
今回の標的は日本とアメリカだったが、もしあれほど大量の核が爆発したなら、深刻な影響は全世界へと及んでいただろう。
実際、あと一歩で世界は滅ぶかもしれないところだったのだ。
だが今、核兵器は排除された。おそらく二度と造ろうという機運も起こらない。
世界はきっと変わるだろう。
20世紀、誰もが一度は願い夢見て、あり得ないと断じて放棄した――核のない世界へと。
そしてTSPへの恐怖、また排斥と隔離の流れも……もう決して止まることはない。
ここまで来ると、何かこの結果すら壮大に仕組まれたもののように思えてくる。
もちろん色々想定外はあったのだろうが、これほど大きな絵を描いて大胆にも実行してみせたトレイターは……敵ながらすごい奴だとユナは思う。
人類社会という巨大なシステムを動かすためには、誰かが動かなければならない。彼らはそう考えたのだろう。
動けば当然、誰かが止めるために動く。変化を拒む世界というものの力学だ。
その役目は「偶然」、私たちのもとに転がり込んできた。
……本当にそうなのだろうか。
TSPには、【運命】の光が見えるという。人によって大なり小なり自覚に違いはあれど。
もしヒカリ以外に極めて自覚的な者がいて――『炎の男』は、アレクセイの奴はおそらくそうだった。
なあトレイター。あんたもそうなんじゃないか?
あんたは世界を裏切り、そして何を裏切った。
この結末が、哀れ戦士として散っていった子供たちが本当に望んでいたこととは思えない。
トレイター。あんたは守りたいはずのTSPの未来に影を落としてまで、何がしたかったんだ……?
……とにかくだ。
一連の事件にケリが付いた以上、トレイターもトゥルーコーダも大きな行動を取る力はもう残っていないはず。
主たるTSG幹部も皆ほとんど死んでしまったし、シェリルやインフィニティアはもうお互いすぐやり合おうって気分じゃない。
世界はまだその事実を知らないが。
TSGは大きな成果と引き換えに深刻な犠牲を払い、事実上瓦解した。
ようやくだ。ようやく少し落ち着いてものを考える余裕が生まれたのかもしれない。
そうなると、一度例の穴を通って、レンクスに会いに行くのも選択肢に入ってくる。
あの謎の化け物も、あいつなら一捻りで倒せるだろう。
最低でもフェバル以上の存在が関わっていることが判明した以上、ルール違反にはならないはずだ。
【運命】の光のことも伝えたいしな。
ただ問題は、本当にそんな時間が残されているのかだが……。
ユナはちらりと、小さな彼女へ視線をやった。【運命】の光が最もよく視えるという彼女へ。
意図を込めた視線に気付いたヒカリは、ただ気まずそうに口を堅く紡ぐだけだ。
……やっぱりか。ちくしょう。
この子にはもう、先が視えてしまっているのかもしれないね。
だけど優しいから、何も言わないでいてくれているのだろう。
他に選択肢がなかったと言え、ベンを犠牲にしてしまった事実が重くのしかかる。
「失ったものが大き過ぎるな……」
かけがえのない仲間を失い、またこれでもう二度とあの異次元の武器庫を使うことはできない。
生身でありながら超能力者たちと互角以上に渡り合うことができたのは、間違いなく多種多様な武器をその場で選択するオプションが持てたからだ。
応用力や継戦能力という点で、あまりにも深刻なマイナスを抱えてしまった。
もう今までのようには戦えない。身体は深く傷つき、魔法も使えない、か。
私はいよいよ本当にただの人になってしまったようだ。
『お前はただ、削がれるだけだ』
ずっと掌の上で転がされているような感覚が拭えなくて、もどかしく。悔しい。
とりあえず。今は愛する我が子たちへ伝えよう。
『ユウ。お母さんね、もうすぐ日本へ帰るよ』
『ほんと!? やったー!』『嬉しい。待ってる』
そして通信越しのインフィニティアもタクも含め、その場にいる大人たちへ呼びかける。
「なあみんな。これから大事な話があるんだ。子供たちは悪いけど、外してくれないか」
『はーい』『ん。では最重要任務に、戻る』
素直に言うことを聞いたユウクリア組に対し、ミライは不満たらたらだった。
「ちっ。僕らは除け者扱いかよ。あれだけ力を頼っておいて。これだから大人は……」
「まあまあ。ユナさんだってきっと、わたしたちのことを考えてのことだから」
「ふん。もう二度とガキに助けて下さいと泣きつくことがないよう祈ってるぜ」
これ見よがしに手をひらひらさせ、ヒカリを連れて車外へ出ていく。
ユナは苦笑いして言った。
「あらぁ。嫌われちゃったかしらね」
「素直じゃないだけさ。本当のとこはわかってるぜ、アイツ」
同じツンデレの気持ちがわかるのか、セカンドラプターは慰めるようにユナの肩を叩く。
「あんたもな」とは、喉から出かかっていたがユナは堪えた。
よし、と一つ手を叩き。
「今から話すことはすごく、ものすごく突拍子もないことなんだけど。誓って嘘じゃないから、どうか聞いて欲しい」
その言葉を皮切りに、ユナはとうとう語り始めた。
彼女の人生を賭した知られざる戦いを。きっかけは「退屈さ」から、幾多の異世界に身を投じた己の半生を。
聞かされた者は皆、驚きとともに受け止める。
確かにあまりに荒唐無稽な話であるが、真剣な語り口から、冗談だと受け取る者もいなかった。
やがて語りは、重要なファクターである彼らに触れることになる。
「極めて強力な能力の覚醒と引き換えに、自ら死ぬこともできず、永遠に星から星へと流され続ける残酷な運命を背負う者たちがいる。彼らはフェバルと呼ばれた」
その名の意味はおそらく、本当に最近ようやく知った。
Fated by Luminous――『光あるもの』によって【運命】付けられた者たちだ。
そう、あんたたちTSPのようにな。
あんたたちも同じ光の啓示を受けている。
『光』のもとにある何かしらの強大な能力によって、そうなるよう定めを受けて生まれてきたんだ。
タクも。インフィニティアも。セカンドラプターも。シェリルも。
突然きっぱりと告げられた己のオリジンに戸惑いながら、何とか咀嚼しようとしていた。
ユナは続ける。
フェバルとTSPは、互いに親戚のような関係だ。
だがその力は、強さは。正直TSPなんて比じゃない。
彼らは一人一人が世界のバランスを壊す天災のような存在。時に星を物理的に砕くほどの圧倒的なパワーを持っていた。
私はそんな化け物みたいな奴らと、人知れずずっと戦って来たんだ。
正確には死ぬ気で食らいついて、ただどうにか生き延びてきただけなのかもしれないけれどね。
本当にたくさんの世界を旅したよ。救えた世界も、救えなかった世界も。色々あった。
やがて素敵な出会いがあり。ユウを身籠って。異世界の方は引退したわけだけど。
「ま、そんなところだ。私の身の上話は」
「ユナ、テメエ。だからわけのわからねー謎技術だか謎武器だか持ってたのか。オレはむしろ納得したぜ」
「その人間離れした、凄まじい強さ。異世界仕込みと言われた方が……確かにもはや頷ける」
『私たち、とんでもない相手と戦っていたのですね……』
『僕も色々合点がいきましたよ。たまに妙な例えするの、ずっと引っかかってたんすよね』
「あのな。まるで人じゃないみたいに言われるの、心外なんだけどねえ。むしろ私は化け物相手に散々苦労してきた側っつーか。あんたたちだって、能力使えるからずるいのよ」
『地上最強の主婦』ユナのささやかな主張は、TSPカルテットによって当然退けられていた。
『知られざる英雄。異世界帰りのガンスリンガー。なんかカッコいいっすね』
「あんたは昔からミーハーなのよ。タク」
『そりゃ命の恩人で、頼れる上司で。大ファンですから』
「はいはい」
相棒から寄せられる変わらぬ信頼に、つい目を細めてしまう。
あとこのやり取りも、どれだけ残されているのだろうか。
……いけないいけない。弱気になるときじゃない。今は。
「QWERTYを立ち上げたのはな。この世界で起きる異常を調べるためだったんだ」
私は……今だから言うが、どちらかと言うとあんたたちTSPを助けたかった。
こんな泥沼の戦いをするために始めたわけじゃないんだよ。
知っての通り。TSPは33年前、初めて世界に現れた。
ごく少数の――『炎の男』のような例外が後天的に能力を覚醒した。ほとんどはあんたたちのように、その後に力を生まれ持って世に出た子供たちだ。
TSPの出現によって、世界は大きく変わった。非能力者人類社会は、その手一つで自らを脅かしかねない異物を受け入れる用意ができていなかった。
それからのことは、あんたたちが一番苦労してきたから。よく知ってると思う。
私は次々起こる目の前の事件に対処し、時にTSPを保護し、時にやむなく討ち倒しながら。
ずっとこの不可解な事象の背景を追い求めていた。
そしてとうとう知ったよ。このくそったれの手記にな。全部あっさりと書いてあった。
お前たちがこれを書いた奴の力で生まれたらしいこともな。
何もかも鵜呑みにするつもりはないが……重要な記載について嘘はないんだと思う。
知ったところでどうしようもないと、あらゆる意味で人を舐め腐っている。
わざわざ無力を知らせ付けるために書いたと。そうとしか思えないんだ。
これを書いた奴は、実験だと言っていた。
この地球という箱庭で、フェバルを模して。何か壮大な実験をしていたようだ。
「なあインフィニティア。世界情勢が少し落ち着いた今、トレイターにも伝えたい。私たち、本当は戦っている場合じゃないかもしれないんだよ」
『ごめんなさい。一度ちゃんと話してみようとは思うけれど……。あの人、いつもどこにいるかわからないから』
「副首領であるあんたにもわからないのか?」
インフィニティアは、申し訳なさそうに答えた。
『彼……【世界歩行者】なのよ。現実とずれた位相を見出し、あまねく場所を渡り歩く。だからどこにでも現れるし、どこにもいないと言える』
「なるほどな。道理でタクほどの男が、どれだけ探しても見つからないわけだ」
『いやぁ~。照れるっす』
「もう褒めないぞ」
この数か月。あれほど散々目立つ声明を出しておきながら。
トレイターの居場所だけは、どうやっても突き止めることができなかった。
そもそも特定の場所に留まることを避け、極力誰にも触れないようにしていたのならば。
特に位相のずれた世界に隠れてしまえば、誰にも見つけることはできないのだろう。
『逃げ隠れるには優れた力だけど……本人は戦えないって自虐していたけれどね。単純な腕っぷしだって、私よりずっと弱いままだった』
「人も恐れる強者揃いのTSGの中で、まったく戦えない男が首領とはねえ。で、トレイター(裏切者)。中々皮肉が効いてるじゃないの」
極めつけはその力。世界を渡り歩くこと。
いかなるフェバルも保有する性質――根源に最も近い要素だ。
だからきっと、『光』がよく視えるのだろう。
「トレイターは言ってなかったか。光がどうだのああだの」
『ええ、そうね。よく……話していたわ。僕らは大いなる運命に臨んでいるんだって』
「やっぱりか」
となると、この未来図が視えていた可能性すら否定できない。
……やはり、どうしても気に入らないな。
知ったような気の奴らが。知ったような顔で。あっちからこっちから未来を引っ張ろうとしやがる。
まるでいいように操られているようで、ほんと気分が悪い。
でも、これで何となくわかった。
傾向として、こいつらに順位を付けるようで悪いが……。
TSPも格が高いほど、より『光』に近付いていく傾向があるようだ。
ヒカリがあまりにもそのものなのが、本当に引っかかっているのだけど……。
彼女の隣に侍るミライの【干渉】も、オリジナルは『世界の破壊者』という格の高いフェバルだ。
『炎の男』は、死の寸前までいって不用意に根源へと近付いてしまったのだろう。脳を焼かれてしまった。
残りはそもそも自覚に乏しく、まるで何も知らないまま世界を流される大半のフェバルのようだ。
レンクスは言っていた。
強い力を持つ者ほど、業の深い運命を背負っている傾向があると。
より強く【運命】に縛られているのだと。
……ヒカリ。ミライ。あの子たちの未来も、決して明るくはないのかもしれないな。
同情しつつ、何をしてやればいいかもわからないことを寂しく思う。
そして……ユウ。あの子はきっとフェバルだ。
何かしら心を司る能力のようだけれど。膨大な世界情報を一度に保持することができるらしい。
やはり何か、とんでもないものの片鱗のようにしか思えない。
あの子にも、たぶん。過酷な運命が待ち受けている。
奇しくも世界を救う決定打となった、三人の子供たち。
あの子たちの本当の運命は、まだ始まったばかりなのかもしれない。
『そうでした。一つ、大切なことを伝えなくては』
「なんだ。インフィニティア」
『トレイタ―は。あの人は……ずっと探しているんです』
僕にはまた、別の光も見えるのだと。
それはまだ、ほんのかすかな。小さな。しかし温かな希望の光。
普通の人間の中に、あるいはTSPとされるものの中に。それはまだ普通の人間の顔をして紛れている。
いつか己の運命を知ったとき。やがてくる未来に。
望まれぬ者たちの想いを背負い。必ずや【運命】に戦いを挑む者が現れるだろう、と。
『唯一の真なる到達者――彼はそう呼んでいました』




