Y-5「どんなに望んでも生まれて来られなかった君へ」
星海 ユウ。
あの星海 ユナの子供とは思えないほど穏やかで、なよなよしていて。とても心優しい子。
つくづく不思議な子だなと思う。
一見ぽわぽわしているだけなのだけれど、私を見て、すっと心の奥を見通してくるような瞬間がいくつもある。
ただ心の声が聞こえるというだけのはずなのに。ぞっとするような、末恐ろしい何かを感じるときがある。
だから彼もこの子を見るように頼んできたのだと理解する。もしかしたらと、そう思わせる何かがある。
たった一週間。どれほどじっと見つめられ、同情の目を向けられたことか。
あなたを監視するために1年生の担任になったけれど。学校の先生になることは、小さいときからの夢だった。
私は子供が大好きで、妹もそれを応援してくれたから。
本当は。あなたのような優しい子供と、私が面倒を見た無邪気な子供たちと、生きた妹が仲良く暮らせる世界を望んでいた。
だけど、それはどんなに願っても叶わない。この世界は呪われている。
私がそうであったように。たくさんの子供たちが望まぬ力を与えられて、悲惨な人生を辿っている。
それが偶然の不幸ではなく。必然の流れで決まっていることかもしれないと、最近になってようやく彼の重い口から聞いたとき。
こんな世界は間違っていると、改めて思った。
幼馴染の彼は……私よりずっと力は弱いのに、ずっとあの忌々しい光とやらに直面してきただろうに。
きっと誰よりも深く絶望し、それでも決して心折れることはなかった。不遜にして壮大な反逆を描いていた。
……妹は、こんな野蛮なことは決して望んでいない。わかってる。
だけど、ごめんね。本当にごめんね。
あまりに世界は残酷だから。私たちも手段は選べなかった。
始めてしまったことには、最後まで責任を持たなくてはいけない。
ろくに真実を知らないまま散っていった、大切な仲間たちのためにも。
ユウくん。あなたにも本当は謝らなくてはいけない。何度謝っても足りない。
あなたの大切なお母さんを巻き込んで、壮大な戦いを始めてしまったことを。
***
[4月15日 14時41分 東京 とある小学校]
帰りの会を終えたミズハ先生は、ユウを個人的に呼び出した。
「星海さん。あなたにちょっと話があるの。一緒に来てくれるかしら」
「はーい」
教育相談室へと連れ込み、ドアに鍵をかけ。カーテンもしっかりと閉める。
近くにはクリアハート隊員が常に付いているのだと、彼女は聞き及んでいた。
調べたところによれば、透明化の力があるという。
毎日24時間見守るほど溺愛しているものだとは、さすがについ数日まで知らなかった。どんなに警戒してもし過ぎることはない。
最悪部屋の中に潜んでいてはならないと、慎重にあちこち調べていると。
まるで心理状態を透かしたかのように、ユウがぽつりと言った。
「クリアおねえちゃんだったらおそとだよ」
「あー、あらそう」
「もしかして、ないしょのおはなし?」
「え、ええ。そうなの」
「えへへ。じゃあしーっ、だね」
「しーっ、よ」
内緒の話という単語に心躍ったのか、意外にもユウは乗り気だった。
彼女から悪意という悪意を感じなかったのも、彼の警戒を緩める理由にはなったのだろう。
「これからするお話はね。まだ今のあなたにはちょっと難しいかもしれないの」
「そうなの?」
「ええ。でも今はまだすべて理解できなくてもいい。いつかきっとわかるときが来るから」
「えっと。どういうこと?」
「いいかな? お願いだから、わからなくてもそのまま聞いてね」
「……うん。わかったよ」
真剣な眼差しに、空気の読めるいい子のユウは要領を得ないまま素直に頷いた。人を疑うことをしないというのも大いにあるだろう。
前置きをした上で、ミズハ自身この行為にどれほどの意味があるのか真に理解はしていなかった。
彼曰く、この子は数少ない、未来のあることがはっきりしている者。強く運命に導かれているのだという。
せめて誰かには知っておいて欲しいと、それが意味のあることかもしれないと。彼がそう言っていたから。
だからあえて話をすることにした。
何よりこれ以上、その無垢で慈愛に満ちた目で同情されることに、彼女自身耐えられそうにもなかったのだ。
「先生ね……歳の離れた妹がいるの。いや、正しくはいたのよ」
「それって……」
視線が彼女の胸に下がった御守りに吸い込まれていくのを見て、やはりと彼女は確信した。
「ユウ。あなたは小さいのに、すごいね……。あなたは何も言わなくてもわかってしまうのね」
「だって。ずっときこえてたから」
「そう……。この御守りには、妹の。あの子の遺骨が入っているのよ」
自分も特殊な生まれの身。幾度も命の危機があった。
そのたび、身につけたそれが私を守ってくれたのだと思う。
それをぎゅっと大切に握りしめて、彼女はその名を口にした。
「新藤 アキハ。それが生まれてくるはずだった私の妹の名前」
「アキハ、ちゃん……」
まるで雷に打たれたように、ユウははっとしていた。
「そっか。おれになんかいもはなしかけてきたの、そのこだったんだ」
「なんて言ってたの」
「いっしょにあそぼうって。あと……なかないで、おねえちゃんって」
遊びたくても遊んであげられないことが申し訳なくて、ユウはぽろぽろと涙を溢れさせていた。
やはりずっと慰められていたのだと知った彼女も、目頭を熱くさせた。
「私もね、何となくわかってしまうの。人よりずっと誰かの気持ちが、痛いほどわかってしまうから。あなたがそうであるように」
感受性の人一倍強い彼女は、あのときのことを思い起こすだけでまた感情が昂ってしまう。
気付けばユウにつられる形で、頬からは熱い涙が零れ堕ちていた。
「この子は……本当に、本当に生まれて来たかったんだって。ずっと生きるのを楽しみにしていたんだって。きっと明るくて元気で、優しい子になったでしょうね」
とっくに亡くなったはずなのに。
今もなお伝わる生きた想いの欠片が、温かさが。
彼女がどんな人物になるはずだったのかを、ありありと伝えてくるのだ。
ミズハお姉ちゃんって。何度も、何度も。
どこまでもくっついて。懐いてきて。
でも私は、一つも応えられなくて。抱き締めることも、頭を撫でてあげることもできなくて。
「なのに。運命がそれを許さなかった」
「また、うんめい……」
小さなユウは、難しい顔で先生の告白を受け止めようとしている。
ミズハは思う。
ただの死産であれば諦めが付いたことだった。
悲しいけれど、世の中にはよくある話だから。
違う。この子は運命に殺された。
――たぶん、光だった。
おそらく彼の言うものと同じ。大いなる光がそこにあった。
それは意思のある光だった。悪意ある光だった。
それは妹の生きたいと望む心の声を、あっさりと摘んでしまった。
まるで彼女が生まれるべきではないと。決して許されないことだと。嘲笑うかのように。
「どうして。何がいけないの。この子の何が悪いって言うの。アキハは、ただ生きたいと願っていただけだったのに……」
あの苦しみの声を。灼熱の痛みに藻掻き、命の灯が小さくなっていく様を。
押し潰れるほど苦しくて、助けて欲しいと手を伸ばしているのに。
なのに、何もできなくて。すぐそこにいるのに、見殺しにするしかなくて。
ただの死産だと、他の人は。親でさえもみんなそう思っている。
とんでもない。
あの子は大いなるものに殺された。都合が悪いからという、おそらくたったそれだけの理由で。
そしてきっと……運命に苦しめられている者は、アキハだけではないのだ。
「私はね。妹とたくさんの子供たちの命を理不尽に奪った運命が、どうしても許せないの。だから……だから」
孤独にも、何を裏切っても。
世界よりももっと大きなものに爪痕を残そうとしている彼を。支えると決めた。
そのためならば、たとえどんな残酷なことをしても――辿り着かなくてはならない。
「戦うって、決めたの」
そう……決めたのだ。
「ごめんね。変なこと言って。今はわからないかもしれない。でもね、これだけはわかってほしいの。私は、心からみんなのことを愛しているわ。あなたのこともね」
「うん……。おれ、むずかしいことはぜんぜんわかんないけど。でもいっこだけ」
涙を拭って、小さな手がそっと慈しむように御守りへ触れる。
「おれ、ともだちになるよ。このこと。アキハちゃんと」
「ユウくん……」
「それでね。もしゆめでも、どこでも。いつかどこかであえたら。ぜったいになかよくなるから。いっぱいあそぶよ。やくそくする」
「ええ……そうね。きっと、アキハも喜ぶわ」
ユウとミズハは、年齢は離れていても確かに一つの気持ちを分かち合い。泣き顔で笑い合った。
御守りは、ほんのりと温かく震えているようだった。




