18「東京決戦 8」
[1月20日 14時20分 参議院本会議場]
『炎の男』は、的確に遠隔攻撃を加えながら。そのすべてを凌がれることを薄々悟りながら。
今か今かと彼女の到来を待ち侘びていた。
ああ。間違いなく貴女は来るだろう。
相応しい舞台は用意されるだろうと。トレイターにはそう言われていた。
ついに議場の扉が開け放たれる。
外にも守備兵を配置していたはずだが、すべてやられてしまったらしい。
「望み通り来てやったぞ。アレクセイ」
怒れる宿敵の視線が、彼を真っ直ぐに突き刺す。
所々服の焦げたような跡があるが、それだけだ。
我が全身全霊をもっての攻撃も、さしたる痛痒を与えなかった。
さすがだ。素晴らしい。
やはり貴女こそが。貴女だけが。
私にとっての特別なのだ。
用意した幾重もの手管。あらゆる魔の手を退け、『予定通り』我が下へ来た。
1月20日 14時20分。
星海 ユナは確かに来た。
――そうか。やはりこうなるのか。
そして、あの人の言うことが正しいとすれば――。
…………。
アレクセイは湧き上がる歓びと、言いようのない畏怖に打ち震えるのを悟られぬよう、いかにも獰猛に笑ってみせた。
「やはりここまで来ると。そう思っていたぞ」
彼が手をかざすと、ユナは慣れた様子でいとも簡単に避けてみせる。
狙った場所――木製のテーブルに爆音が弾けて、ゆらゆらと炎上を始めた。
「やめろよ。下らない」
ユナは内に滾る感情を宿しつつも、一方で冷静に彼我を見極めていた。
「そんなもん効くわけないでしょ。こっちは散々見えないところから搔い潜ってるってのに」
今や目視できる炎など、いかに勢いがあろうと安全な焚き火に等しい。
どこか物悲しい眼を。妙に冷めてしまった部分を。
ユナはあえて隠すことはしなかった。
「あんたさ。もう負けたようなもんなのよ。どうあっても私を射程距離に入れちゃならなかった」
「昔から本当に容赦なく言ってくれるな。貴女は」
「なあアレクセイ。あんた、自分の強みはよくわかっていたはずだろう?」
「さてな」
とぼけた振りをする『炎の男』に、彼女は躊躇なく突き付ける。
まるで過ぎ去った昔話を懐かしむように。
「あんたの強くて厄介だったところはさ。狡猾で抜け目のないところだった――戦闘能力じゃない」
明らかに失望した調子で、彼女は溜息を吐く。
いったいどんな隠し種があるかと思えば。一つ覚えにバカスカ炎を撃ってくるだけとは。
確かにそれはよく計算されていた。確かにそれは素晴らしい火力だった。
確かにそれはあのときより、ずっと精度は高かった。
当たれば一発で終わっていただろう。当たればな。
だがそれだけだ。
そんなものは、TSPなら皆そうだ。いくらでも相手にしてきた。
もはや十把一絡げの無能に成り下がってしまったのか。
「それを馬鹿正直に正面対決だと? 舐めてんの? そんなんで本当に私に勝てるつもりでいたのか!?」
一喝。
リベンジマッチの期待を裏切られてしまったことに対しても、女戦士はぶちキレていた。
東京中を巻き込んで。そこまでしてやりたかったことが、こんな下らないオチなのか。
これならば、さっき戦った重力操作の少年の方がまだ厄介だった。
違う。私が求めていたのは、こんなクソみたいな意義もないつまらない戦いじゃなかった。
あんたが本領を。知略を尽くして謀を為そうとしていたなら、まだ納得はできたんだ。
結局やってることが、何の得になるかもわからないテロ行為で。真正面から目立つだけの馬鹿がどこにいる。
まるで死に急ぎの阿呆じゃないか。
死にたいなら、お前一人で来ればいいものを!
「何がしたかったのよ。あんた」
「そうだな。確かめたかったのかもしれんな」
「私とか? なんだ。感傷の死にたがりか。らしくもない。ほんとらしくもないね」
「くっくっく。人は変わるのさ」
「……もういい。今のあんたは、結局ただの亡霊なのさ」
「かもしれんな」
冷え切った冬の空気に、パチパチと乾いた炎の音が弾けている。
「昔のギラギラしてたあんたの方が好きだったよ。狂ってしまったって言うんなら、今度こそ私が引導渡してやる」
「果たして狂っているのは、私なのか。世界なのか」
「これ以上怒らせんな。一々変な問答ばかりしてんじゃないっつーの」
「……そうだな。ここまで来れば、もうやることは決まっている」
「やっと観念したか」
ユナはじっとバトルライフルを構えて、確固たる殺意を宿敵に向ける。
いい年した大人が相手だ。それも一度は殺したはずの男。
何を躊躇うことも、憚ることもない。
「とっととくたばれ。死にぞこない」
それはまるで、最後の確認作業のようだった。
決闘の合図が為されたかのように、男が全力の炎を放つ。
ユナはギリギリを見切ってかわし、同時にあるものを取り出した。
《アクセス:レストレインランチャー》
特殊武器を右手に構え、弾丸を放つ。
男は燃やし尽くそうと炎を放ち――。
そして、急激に膨れ上がったそれに全身を絡め取られてしまった。
耐熱性に優れた素材でできているのか、燃やすこともできない。
「熱で展開するタイプの拘束弾さ。あんた向けのね」
世界的に有名な『炎の男』事件。対策など、とっくの昔にできていた。
当時の彼と対峙するときのために、「こんなこともあろうかと」研究部に頼んで作っておいた代物だ。
だが昔の彼なら決して使わせてはくれなかった。そういう状況に持ち込ませなかった。
だから不意を突いて狙撃するしかなかった。それほどの強敵だった。
まさか「こんなこと」があって。役に立つ日が来るとは思わなかったが。
「せっかくの対決だったのに、残念だったな」
藻掻くもろくに動けない哀れな男を見下ろして、ユナは吐き捨てる。
「だから言ったのよ。馬鹿正直に戦う奴があるかって!」
一抹の虚しさとともに。
その台詞を言い切ったときにはもう、心臓を三発の銃弾で撃ち抜いている。
それが星海 ユナという女だった。
あのとき頭を撃って死ななかったのなら、今度は確実に鼓動を止める。
完成された戦士としての容赦のなさと抜け目のなさこそが、彼女をこの「許されざる世界」で強者の地位に留めているのだ。
でなければ、無謀な勇者はいかに強くともとっくに死んでいるだろう。
あるいは今にも命尽きるこの男のように。
「最期に言い残すことはあるか。別に親玉のこと教えてくれたっていいんだけどな」
「そいつは……ゴフッ! できん、相談だな……」
「そういう律儀なとこだけは、あんたらしいね」
わかっていたさと、ユナは肩を竦める。
TSGの首領トレイターは異様に用心深く、未だに尻尾を掴ませてはくれない。
しかし何かヒントはないかと、彼女の鋭い眼光は一挙手一投足を探っている。
もはや死を待つばかりの『炎の男』は、一筋の涙を零しながら感動的に呟いた。
「ああ、ああ……。光を、見たんだ」
「最初のときも言ってたな。それ。何だってのよ」
「運命の……光さ……」
「運命? やけにロマンチックなこと言うのね」
まるでどこかのあいつみたいじゃないか。
「ク、ハハ……。貴女も――じきにわかる」
歯を剝き出しにして、彼はほくそ笑む。
「おお、神よ……」
――まずい。
直感したユナは、なりふり構わず即座に彼の脳天へ銃弾をねじ込んだ。
さらに【火薬庫】から耐火防壁を召喚し、盾としつつ。
自身は猛スピードで議場から退出していった。
直後。
大爆発が起きて、参議院本会議場が崩れ落ちる。
尽きることのない噴煙が、天に向かって突き上がっていく。
あたかも自らの原罪を濯ぐかのように。
彼は己を燃やし尽くして、あっけなく死んでしまった。
「あらまあ。歴史ある建物ごと、綺麗に吹っ飛んじゃったよ」
大破炎上する国家憲政の象徴的建築物を呆然と眺めやり、彼女は悔し気にこぼす。
「最後まで滅茶苦茶して、わけわかんないこと言って。気持ち良く死にやがって」
何だか勝ったのに勝ち逃げされたようで。気分がよろしくない。
「ほんとさあ。何が言いたかったんだ……?」
狂人の戯言など、本来理解に値しないはずだが。
確かに何かを伝えようとはしていた。そう感じた。
彼女の中で、運命という言葉だけがぐるぐると回っていた。
***
[1月20日 14時31分 参議院本会議場跡]
「いやはやすごいね。我が国の誇る守護能力というのは」
誰も無事では済まないかと思われた、見事な大破っぷりであったが。
【皇国の守護者】によって護られた一画だけは、辛うじて無傷で済んでいた。
高貴なお方も、とりあえず命に別状はないらしい。
もっとも彼女の予想通り、能力はいつまでも保つものでなく。連続発動が厳しくなってきていたらしいが。
あと少し遅れていたら危なかったようだ。
日本国民統合の象徴様がご無事であったことを、人並みには喜びつつ。
「ひとまず終わったようだね」
「え。あなた!?」
不意に背後からかかった声に、この日一番の間抜け面を晒すユナ。
口をあんぐり開けたままの彼女に、最愛の夫は困ったような照れ笑いを浮かべていた。
「やあユナ。はは。ちょっと色々あってね」
「いや色々あり過ぎでしょ」
隣に立つ超重要人物を見て、おおよその事情を察した彼女ではあるが。さすがに驚きが勝る。
タイミングが良いというか、悪いというか。
出会いからして、昔から何かと「持っている」男ではあったけれども。持ち過ぎである。
「あなたも大概よねえ。でも良い仕事してくれたわ」
「どうせどこにいても危ないからね。君が度胸だって教えてくれたことを、忠実に守っただけさ」
「よしよし。よくやった」
永田町を死がお友達ドライブと洒落込んでいたシュウたちであったが。
周囲を完全封鎖されてしまったことを理解したとき、男は決意を固めた。
あえて議事堂付近の建物に身をひそめるという、堂々過ぎる機転をかましてみせたのだ。
上手く敵に見つからないよう立ち回り、ケリが着いたのを見計らって捨て身でここへ乗り込んだ。
シュウは、ユナの勝利を一切疑うことなく信じていた。
妻なら絶対に何とかしてくれる。ならばそこが向かうべき『安全な場所』であると。
嫁が嫁なら旦那も旦那。鋼の心臓である。
「まさかご夫婦だったとは」
驚きつつも、どこか納得した様子の西凛寺首相に、ユナが茶化して突っ込む。
「おいジジイ~。重要取引先の夫の顔くらい覚えておくものよ。確かに目立たない人だけどね」
「どうも目立たなくてすみません」
「あっはっは! この人、影の薄さだけは一流だからな!」
孤独で戦い抜くのが常の戦士と言え、やはり予想外の「お迎え」はよほど嬉しかったのだろう。
すっかりご機嫌になった地上最強の嫁に肩をバンバン叩かれて、シュウは恐縮しているが。
この優男の咄嗟の度胸と機転には、どれほど助けられたかわからない。
西凛寺首相と秘書は、夫婦の放つ「こんなときによくもまあ呑気な」異様とも言える雰囲気にただ圧倒されていた。
傍から見ると完全におかしい星海家であったが、当人たちは気にすることもなく。
するとユナが、甘えたように口を尖らせる。
「疲れたわ。頑張ったし、ご褒美ちょうだい」
「こんなところでかい?」
「ん」
「しょうがないな。君は」
人目も憚らずハグからの濃厚キスを始めたのを、なぜかまざまざと見せ付けられながら。
首相は、巡り合わせの妙と世間の狭さを感じずにはいられないのだった。




