16「東京決戦 6」
[1月20日 14時00分 東京メトロ半蔵門線]
バイクは表参道駅を越え、青山一丁目駅方向へトンネルをかっ飛ばしている。
いくつかの罠を的確に処理しつつ、彼女は着実に前へ進んでいた。
ところが。
「んだとおっ!?」
嫌な空気の流れに振り返り、さしものユナも思わず声が裏返ってしまった。
何しろ突然背後から電車が生えてきて、こちらを轢き潰さんと恐るべき速度で猛追してくるのだから!
煌々と輝くイエローライトが、死の匂いをちらつかせている。
彼女は知る由もないが、トゥルーコーダの【電気仕掛けの神(デウス=エクス=リレクトリキ)】が、無人での自動運転を可能としていた。
法定速度など知ったことではない。この場で使い潰すほどの勢いで、圧倒的質量が迫ってくる。
「そりゃチートでしょ!」
地下鉄のトンネルというものは、車両が通過できるギリギリの大きさに設計されている。バイクを車両の脇にどかして入れこむ隙間などない。
つまりは、逃げるしかない。
全開でアクセルを吹かすも、頭のネジが飛んだ無茶な走らせ方をしているのか、一向に引き離すことができなかった。
通常走行モードでは埒が明かないか。内心ユナは独り言ちる。
だがまだだ。まだ札を切るには早い。知らないところで見られている。すぐに対策されてしまう。
この袋小路を生き延びるためには。とにかく焦ってはならない。
『ユナさん! どうしたんです!?』
「やべー勢いで電車来てんのよ。ありゃ潰す気だわ」
『うおおい、派手なの始まったな! どっかの誰かさんがロケランなんか持ち出すから!』
「本気にさせちゃったかしらね」
『はあ……。これなら言った通り、あいつらのせいにした方が楽かもしれないっすね』
「だから言ったじゃん」
などと、あくまで軽口は忘れず。
しかしそこで、さらなる追撃に気付いてしまう。
「マジかよ。挟み潰す気か!」
なんと向こうからもフロントライトの灯が迫ってくるのを目の当たりにして、彼女にも冷や汗が浮かんだ。
正面衝突。
電車二本豪快にぶつけ合わせ、こちらを確実に仕留めるつもりだった。
『大丈夫なんですかこの状況! いくらユナさんでもやばいんじゃ!?』
「結構やばめのやつかもな」
言いつつ、彼女の表情からまだ余裕は消えてはいなかった。
なるほど。こいつが奥の手か。
だったら――やってやれないこともない。
逃げ場はない。普通ならばまず助からない。
しかも敵はこちらがTSPではないことを知っている。
対処はできない「はず」だと思っている。
だから。ここだ。
敵が勝利を確信した瞬間にこそ、隙は生じるもの。
「タク――今からだ。やれるか」
『了解』
長年の付き合いが培ってきた信頼がある。
阿吽の呼吸で、タクはユナの要求するところを汲み取った。
【知の摩天楼(インテリジェンス=スカイスクレーパー)】
情報空間へと直接ダイブし、ユナへアクセスする手段をすべて断ち切る。
有効範囲の【電気仕掛けの神(デウス=エクス=リレクトリキ)】に対して、効力で優位に立つ【知の摩天楼(インテリジェンス=スカイスクレーパー)】の面目躍如だった。
これで敵は一時の間、ユナの位置取りを掴むことができない。
わずか数分間の絶対的なアドバンテージが、彼女を守るのだ。きっと。
タクは全面的にボスを信用している。当然今回も黙って信じることにした。
ブラックボックスに包まれたユナは、毎度身体を張ってサポートしてくれるタクに感謝の念を向けながら、にやりと笑った。
まったくどこの誰だか知らないが。随分性格の悪いことをやらかしてくれたものだ。
確かに良い戦術だった。地球の常識でものを考えるならば、完全にチェックメイトだろう。
だが。
「あいにくこっちは異世界帰りなんでねえ」
疲れるからあんまりやりたくないんだが。
内心ぼやきつつ、大量に放出した気で自身を堅固に纏う。
《バースト》
長年鍛錬を積んできた気の使い手のみが到達できる奥義に、気よりも魔法の扱いが遥かに優れる彼女も当然のごとく到っていた。
まさしく彼女の天才性ゆえである。
許容性の極めて低い地球においても、気力強化だけは相変わらず有効である。
一時的に超人的な動きを可能とし――そういや、あいつとのじゃれ合いではよく使ってたかもな。
あのクソ生意気な跳ねっ返り娘の顔が不意に浮かび、こんなときだってのに思い出し笑いそうな気分になる。
今どうしてんだかねえ。ま、とにかくここ一番だ。
走らせたバイクそのものを【火薬庫】に収納する。
彼女がそれを非生命で武器であると拡大解釈できる限りにおいては、そいつは出し入れできる。
バイクで人を殺すことはできる。ならば武器にもなる。オーケー。
宙に飛び出したユナに対し、対向電車の先端がもうそこまで迫っている。
為すすべなければミンチは不可避。だが。
《アクセス:リルスラッシュ》
二本。
奇しくもリルナの《インクリア》二刀流を彷彿とさせるような格好になったが、未来のことであるから彼女はもちろん知るはずもない。
押し潰そうとしてくるものが巨大な鉄の塊だったら、彼女とて危なかっただろう。
この「許されざる」世界においてすべては紙一重。一つの要素、一つの判断が即座に命取りになる。
しかし電車には内部空間がある。いかに非現実的でも、人が通れる物理的な隙間はそこにあるのだ。
ならば。道がないのなら、こじ開ければ良い。
もう一度記そう。気の達人たるユナが、地上のどんなものより硬い金属にそれを纏わせたなら――この地球上で斬れないものはない。
しなやかな関節の捻りを効かせて、凄まじい剛剣が連続で叩き込まれる。
ぶち割られたフロントガラス、ねじ切られた運転室の扉。
流れに身を任せ、彼女は無人の車両内部を舞い進む。
速度を殺せば、足にダメージが来る。スピードはこのままだ。
げに恐るべき動体視力と身体感覚は、実に時速300kmを超える体感速度の中でも、安定的な機動を可能としていた。
掛け値なしに衝突事故の速さで襲い来る、各車両の障害物たち。座席が、手摺りが、つり革が。すべて殺人凶器と化す空間。
黒い稲妻が駆けるように、戦闘服の彼女が隙間を跳ねていく。
一足。二足。三足。床に鋼の足型を残しながら、瞬間的に押し迫る車両間のドアを斬って斬って斬りまくる。
しまいに最後部車両、分厚いアルミ合金をも二撃の太刀でぶち破って。
華麗に宙へ飛び出したユナは、再びディース=プレイガを呼び出して乗り込んだ。
さらに走行モードを、通常からライトニングへ切り替える。
地球にとってのオーバーテクノロジー。周囲を傷付けないマッハギリギリの速度を安定的に出力する。
その時速、1200kmにも及ぶ。
ユナは、このわずかな時間に勝負を賭けたのだ。
それまであえて100数十キロまでの領域しか見せてこなかった。確実に計算を狂わせるはずだと。
タクが鼻血を流してまで用意してくれた貴重な時間。一秒たりとも無駄にはできない。
果たして、どこまでが想定通りだったのか。
彼女の背後で突然、トンネルが崩れ落ちた。すんでのところで、彼女は最後の追撃を振り切ることができたのだった。
おおよそ位置がわからなくなったので、とりあえず爆破しておこうと考えたのだろう。
最悪でも閉じ込めることはできると踏んでの行為。
敵ながらあっぱれだ。ほんと用意周到なことで。危ない思想じゃなかったら仲間に欲しいくらいだ、とユナは思う。
そして残念ながら。風の流れで悟る。
遥か向こうでも、同様にトンネルが崩れている。青山一丁目より先、最後の駅までは行き止まりだ。
「やれやれ。スリリングな地下鉄ライドもここまでってわけかい」
バカみたいな速度を出しているため、次の駅まではあっという間であった。
先と違い、突然の爆発に動揺しているのか、それとも明確に指示を受けていないからなのか。
敵は待ち構えてはいたが、まったく心の準備ができていなかった。
ユナは悠々銃で牽制しながら、駅のホームを超スピードで駆け上がる。
ほとんどの敵は置き去りにして、彼女は地上へと舞い戻っていった。
***
[1月20日 14時02分 東京都内某所]
『何だと……!?』
「どしたのコーダ」
『おかしい。急に繋がらなくなったんだ。ぼくの完璧なセキュリティ工作が、構築が……!』
相変わらず無機質な機械音声だが、声色からは明らかな狼狽が見て取れた。
『どうやって……!? あり得ない。ぼくを相手にそんな真似のできるヤツが……!』
「ああもう! しっかりしなさいよコーダ! ちょっと出し抜かれたくらいで。あなたってほんとガキねー!」
『出し抜かれた? このぼくが……?』
ガン。モニターの向こう側で、硬いものが殴られる音が響く。
『こんなことは、初めての屈辱だッ! 二重にも三重にも罠は張り巡らせていた。策に一部の隙もない! 破れるはずがないんだッ!』
「ちょ、コーダってば」
『……こうなったら全部だ。残りの爆弾はすべて作動させる! やってくれ! カーラス!』
「もう。しょうがないわねー。ほんともう」
カーラスは部下に命じて、【想像上の爆弾(イマジナリー=ボム)】を同時に起動した。
たとえ電子機器が繋がらなくても、特定のトリガーで自動誘発するタイプの能力であれば、直接発動できるのだ。
トゥルーコーダはほくそ笑む。
あんたは間違いなく電車で潰れるし。よしんば奇跡的に逃れたとしても。
『そこから逃がしはしないぞ、ユナ!』
そう。そのはずだった。彼の計画は完璧で隙がなく。
相手があの地上最強の主婦でさえなければ。確かに終わっていたのだ。
部下から連絡を受け、カーラス=センティメンタルは手で丸を作った。
「爆発はしたみたい。今頃どうなってるのかしらねー」
『ダメだ。わからない……。ちくしょう』
必死にキーボードを叩くトゥルーコーダであるが、上位情報存在にすべてを掌握されている以上、太刀打ちできるものではなかった。
無力に打ちひしがれ、悔し気に呻くばかりの「少年」がそこにあった。
見かねたカーラスは、ひっそりと次の指示を部下へ飛ばそうとして。
「もしもーし。もしかしたらねえ、そっちの駅からホシが出てくるかもしれないから――え、もう来た? またやられちゃったのー!?」
『くそうっ!』
もう一度、一際やけくそな調子で机か何かはぶっ叩かれていた。
カーラスに伝えられることは最後までなかったが。
ご丁寧にも、ハッキング元を特定したタクから、彼に向けて特別メッセージが送り付けられていたからだ。
『I am out of your league. Brat.(10年早いぞ。ガキ)』
それから、長い長い気の抜けたような溜息が漏れる。
『はあ……』
「ふふふ。あなたのそんな悔しそうなところ、初めて見たかも」
『うるさい……。ぼくはもう、休む』
「おつかれ。それじゃー次は私の番かしら。カーラス様に任せておきなさい」
そして、舞台は再び地上へ移る。青山から永田町までは、もうわずか2km足らずの距離。
だがカーラスの手勢が隙間なく待ち構えている。熾烈な戦いのボルテージは加速していく。




