10「1.20事件 その計画」
[1月19日 22時21分 東京某所]
『炎の男』アレクセイは、主要メンバーのみを招集し、決起会議を開いていた。
彼の他には、まず少女と映る容姿の者が一名。明らかに若めの、辛うじて成人になろうかという男女が二名ずつ。それから非能力者のグループリーダー格が五名。
インフィニティアはこの場にいないが、念話で参加する。最後の一人は通信機を用いて参加するが、少し遅れるとのこと。
一人除いて全員揃ったところで、アレクセイが大仰に腕を広げた。
「同胞たちよ。これまでの労苦に感謝を。今宵、すべての手筈は整った」
「それはいーけどさ。QWERTYだっけ? そのせいで随分時間かかったみたいだけど?」
地球では珍しい、生まれつき紫髪の少女が文句たらたらに水を差す。
齢15と、クリアハートとはほぼ同い年だが、発育状態は良好で、身長や色々なところの差は大きかった。
まだ一学生にも関わらず、彼女はアレクセイと同じTSGの幹部格として迎えられている。
なぜなら、単純にそれほどの力を持っているからだ。
この少女――カーラス=センティメンタルは、新宿駅爆破事件と同日、パリ大狂乱事件を引き起こした人物である。
特殊能力【フィアー=ホワイト】は、人々の恐怖の感情を刺激し、まともな理性を失わせて暴走させることができる。
たった一人で数千から数万の人々を先導し、原因不明の暴動を引き起こすことが可能。まさに規格外の力だった。
ところで、フランスは元々人権意識が強く、デモの盛んな国として知られている。
そこへ大演説をぶちかまし。一滴の起爆剤がよく効いた。
かの国では、TSPレジスタンス活動が迅速に活発化したことが確認された。
TSPは一定の成果を挙げたと判断し――つまり、成功第一号がカーラスだった。
私こそは先鞭者という自負を手土産に、手こずる『炎の男』の救援要請に応じて馳せ参じたという次第だ。
だからまあ、こういう態度にもなるのだが。
アレクセイは冷たく刺さる視線を気にも留めず、まったく悪びれもせずに言い放った。
「決して私の落ち度ではないよ。さすがは星海 ユナと褒めるべきだ」
「それってただの言い訳じゃないの? 実質相手ってその女だけなんでしょ。TSPでもないんだしさー」
あくまで納得のいかないカーラスに、アレクセイもわかってないなという態度を崩さない。
このままでは収拾が付かないので、インフィニティアが念話で助け舟を出した。
彼女の【無限の浸透(インフィニティ=ペネトレーション)】が、脳内への直接対話を可能とする。
『わずか二ヶ月足らずでTSPが十一名。非能力者も、当初日本へ割り当てた人員の半数ほどがやられてしまった。これほどの人的損失は、他に例がありません』
「ふーん。そいつ、強いんだね」
『ええ。地上最強の女と評判が立つだけのことはありますね……』
「そっか。それでか。なんかちょっとさー。この集まり、寂しいもんね……」
辺りを見回して、肩を落とすカーラス。
「イーラも、もういないしさ」と、ぽつりと呟いたのをインフィニティアは聞き逃さなかった。
幹部格とヒラ。立場の違いはあれど、姉妹のように仲が良かったのは周知の事実だった。
彼女も現状を正しく理解していないわけではない。
あの『炎の男』が陣頭指揮を執っておきながら、仲間たちをみすみす死なせてしまったことを、暗に非難していたのだ。
「でも私が来たからにはさ。状況なんて簡単にひっくり返してやるよ、って」
「……やはりユナ。素晴らしい。おおお。我が宿命の相手よ。そうでなくては。そうでなくてはな。フフフフフ……!」
アレクセイは額のど真ん中に刻まれた銃痕を愛おしくなぞり、笑い続けている。
果たして彼女の腕が劣っていたから、彼は死ななかったのか。
違う。
逆だ。真実はまったくの逆なのだ。
彼は歓喜に打ち震える。
この身は知っている。永遠に刻まれている。
まこと凄まじき神業。あまりに美しく、綺麗に撃ち抜かれたものだから。
奇跡的に脳組織が貫通裂傷を受けるに留まり、散逸しなかった。
そして。光を見た。
「おーい。帰ってこーい」
根っこが狂っているせいか、時々自分の世界に入ってしまうのがアレクセイの玉に瑕だ。
「はあ。またかー」
『しばらく待ちましょう』
カーラスもインフィニティアも、彼の奇行には随分辟易させられてきたが、対応にも慣れている。
落ち着くまでそっとしておく。これに限る。
それはそれとしてきちんと仕事はするし、頭のネジがぶっ飛んでいるのに、どこまでも冷徹で計算高い。げに恐ろしい男なのだが。
6年前の大規模企業テロ――『炎の男』事件と言えば、TSGが蜂起するまでは最大規模のTSP事件だ。世間で知らぬ者の方が少ない。
つまり元々、TSGの看板が名前負けするくらいの、超が付くほどの有名人であり。その独善的かつ指導的気質から、とても飼い慣らせるとは思えないのだが。
なぜだかうちの一幹部ポジションに大人しく収まっている。
トレイターは一体どうやってこんな狂犬を手懐けたのだろうか。どんな魔法を使ったのだろうか。
「おっと。説明をしなくてはな」
「おかえり」
ふと我に返ったアレクセイに、カーラスは盛大に溜息を吐いた。
ちょうどそのとき、通信機から機械音声が入る。
ノイズが混じっており、明らかに本人の声ではない。慎重な秘密主義者の細工だ。
ただしトレイターのそれよりは随分人間的で、無邪気な少年らしい響きを帯びていた。
『やあ。遅くなってすまない。最終調整をしていてね』
『来ましたか。コーダ』
トゥルーコーダ。皆からはコーダと呼ばれている。
トレイター同様、本当の年齢も性別も構成員にすら明かしていない。正体不明を身上とするTSG幹部の一人。
だが個人的によく雑談するカーラスは、どうせ年端もいかないクソガキなんだろうと見当を付けている。
『彼』(カーラスに敬意を払うとしよう)は、電子機器を自在に操る【電気仕掛けの神(デウス=エクス=リレクトリキ)】を持つ。
元々世界的に有名なハッカーであり、電子情報戦において『彼』の右に出る者はいないと言われていた。
仮想通貨盗難等、数々の電子犯罪で巨万の富を築き、何一つ生活に不自由はないと噂されている。
そんな彼がTSGに加入した経緯は、一抹の好奇心と興味感心による。
ある日、秘密裏に活動していたTSGのデータサーバにハッキングした彼は、その目的や理念に共感し、自ら参加を申し出たのだ。
個の力はあっても情報力に疎かった組織にとっては、心強い外部協力者であり、アレクセイに最も立場は近いと言えるだろう。
トレイターの指示により全世界電波ジャックを敢行したのは、他ならぬ彼であった。
「またまどろっこしい機械でもこねくり回してたの?」
『フフ。ぼくにはきみのように人を動かす力はないけれど、力と言っても色々あるのさ。細工は流々仕上げを御覧じろってね』
「あっそう。かっこつけてるとこ悪いけどさー。ねえコーダ。一つ文句言っていい?」
『どうぞ、って言わなくてもどうせきみは言うだろうね』
「よくわかってるじゃん。あのさあ!」
頬を膨らませながら、カーラスがまた文句をぶつける。
ただ、同じくらいの年齢と思っている気安さがあるのか、アレクセイに対してより随分と親しげだ。
「あなたがたくさん落としたせいで、飛行機全部止まっちゃったんだからね。おかげでこっちに密航するの、もーー死ぬほど大変だったんだから!」
だから年末には支援要請を受けていたのに、昨日まで到着がずれ込んでしまったのだ。
『それはそれは。災難だったね』
「あなたも全然悪いと思ってないでしょー?」
『あくまで命じられた作戦行動の一環ですから』
「この加減知らずめ」
『信念があると言ってほしいかな』
『まあまあまあ。二人ともそこまでにしましょう』
インフィニティアが宥める。
TSGはTSPが中心であるため、どうしても未成年や若い構成員が多くなり、揉め事もまま起こる。
問題児揃いをまとめるのも、表に出ない方針のトレイターに代わり、実質指揮官を務める彼女の役割なのだ。
「あー……そろそろ進めてよろしいか」
よりによってアレクセイに一番常識的な振る舞いをされてしまっては、カーラスもコーダも止めるしかなかった。
『議論を止めてしまった責任だ。ぜひぼくの特製端末を使ってくれ』
「QWERTYにジャックされたりしない?」
『ぼくがそんなヘマをすると思うかい?』
アレクセイが電源を入れると、ホログラムのモニターが浮かび上がり、地図上に×印が次々と表示されていく。
カーラスの目を通して、感覚共有によってインフィニティアもそれを見ていた。
一つ一つの×印は、一連のテロ攻撃の個々を示している。
新宿駅から始まり、やがて東京、品川、渋谷、池袋……と広がっていき。
ついに×印の総体は――東京23区を環状に覆い尽くしていた。
全員がはっと息を呑んだのを満足に見て取り、アレクセイは続ける。
「――と。このように、丸の内はもはや陸の孤島も同然だ」
一見無秩序かつ散発的に思われた一連の活動は、全体として整然なる隔離状態を構成していた。
これこそが、かつての『神をも恐れぬ男』――国家を敵に回す規模の計画的都市型犯罪を遂行した男の真骨頂である。
「して、明日はいかなる日だろうか」
「え、何の日だったっけ? 特別なことあった?」
日本の世情に疎いカーラスは首を傾げるが、トゥルーコーダには真意がわかった。
噛み締めるように呟く。
『……通常国会の、年最初の開催日だね』
「ご名答」
『炎の男』は、にやりと嗤う。
「つまり、あなたのやろうとしてることって……。わーお、さいっこうにクレイジーね。ちょっと見直したわ」
「ククク……。すべては、人類の原罪を清めるために」
『なるほど。そういうところはアナログなんだな。国会だってリモートでやっていれば、こうはならなかっただろうに』
若干の同情と大いに小馬鹿にしたようなところを含むコーダに、インフィニティアは嗜めるように言った。
『国家憲政の象徴というのは、何より国民の目に見えることが大切だったりするのよ』
『こそこそ隠れてちゃ務まりませんってことですか。その代償は高く付きそうですが』
「よーし。ならついでに霞が関もやっちゃおう! どうせお役所連中なんて頭でっかちで、省庁まで出張ってこなくちゃいけないんだから」
「無論」
アレクセイは力強く同意し、さらなる手筈を紹介する。
側で控えていた男女四名のTSPだった。
「グリーンフォックス。アンダルシア。ラッピータウン。メフィー」
「「はっ」」
「諸君には、警察と自衛隊を相手してもらいたい。彼女の生み出す暴動部隊を引き連れてな」
「それで私を呼んだってわけ」
「うむ。特に、メフィーには洗脳能力があるのでね。この私が見つけてきた子飼いだよ。カーラス、あなたほどの範囲はないが……より強力だ」
どこまでも計算を尽くし、何重にも策を怠らない。
あの女を相手にするのは、そうでなくてはならぬ。そうでなくては、まったく足りぬ。
「警察にも自衛隊にも、既に内通者を用意している」
「あなた、えぐいね」
来たときに抱えていた文句も吹っ飛び、気付けばカーラスは彼を称賛していた。
「いいわ。その計画、乗ってあげる。でも私は矢面には立たないよ。私自身は、戦えないし」
「構わないとも」
「あ。でもさあ。一つ質問なんだけどー。その洗脳でユナってやつをやっちゃえばよかったんじゃない?」
「――おい」
「ひっ!」
豹変したアレクセイに、彼女は思わず情けない声を上げてしまった。
「無粋を考えるものではないぞ!」
凄まじいほどの殺気を向けられ、彼女は全身がすくみ上がった。
本当に殺されるのではないかとすら思ってしまう。
TSPの精神系能力は、同じTSPには効かない。
いかに己の能力が誇れるものであっても、扇動する相手がいなければ。
今この場において、圧倒的な戦闘能力を誇るのはアレクセイなのだ。
「それでは。ああ。あああ。それでは――美しくないではないか」
「で、でも……」
強気の仮面が剥がれ、小娘の素顔が露わになったカーラスであったが、それでも理のみで弱々しく反論しようとする。
仲裁したのは、またしてもインフィニティアだった。
『残念ですが。彼女には、謎の抵抗力があるみたいなのです』
「え……? 効かないって、そんなことがあるのー?」
『おそらく、本人の性質ではないと思います。胸のあたりに何か……正確にはよくわからなかったのですが』
レンクスがユナに渡したお守り代わりのネックレスは、決して壊れることがないよう、無駄に強力な防護が施されまくっていた。
ある程度の特殊能力耐性もあり、その中には洗脳系も含まれる。
底なしのバカの愛の重さが魔の手から彼女を救っていたことは、インフィニティアたちもユナ本人も、最後まで知ることはなかった。
「じゃ、じゃあ、そういうことなら。理解したわ」
そわそわと横目でアレクセイの顔色を窺いつつ。
『炎の男』は一転、曇りなき笑顔で頷いていた。
「ならばよろしい。私はすべてを許そう。これ以上、罪を重ねることなきようにな」
「はあ……」
やっぱ頭のネジいかれちゃってるわね。こいつ。
などとカーラスは心底思ったが、あえて言わなかった。
落ち着いたところで、巻き込まれないようあえて黙っていたコーダがようやく口を開いた。
『流れは大体わかったよ。ならぼくはぼくらしく、情報面でサポートするとしよう』
それから作戦の詳細を詰めていき。
時計が24時を回ろうかというところで、充実した議論は尽くされた。
「……以上だ。方針は固まったと思うが。どうかね。インフィニティア同志」
『すべてあなたに一任するわ。構成員への細かい指示は、私を上手く使ってくれて構わない』
「了解した」
モニターから東京の地図が消え、代わりにTSGのロゴが映し出される。
それをバックに諸手を掲げ、アレクセイは締めた。
「さあ、日本方面作戦の総仕上げといこう。明日我々は――東京を墜とす」
後に1.20事件と呼称される、戦後最悪の交戦が始まろうとしていた――。




