4「孤立する日本」
[12月1日 20時27分 QWERTY本部]
「やっと着いたか。すごい渋滞だったな」
「もうみんな待ち構えてると思いますよ」
「用意が早くて助かるねえ」
「誰かさんに鍛えられてますからね」
ユナは眠ったままのユウをおんぶして、表向きは各ボランティア施設の管理事務所とされる建物へ入っていく。
1Fで一人事務仕事を続けていた黒髪の女性は、玄関から入ってきたユナを認めると破顔した。
「よっすアリサん」
「よっすユナっち」
旧知の間柄、親しげに挨拶を交わす。
高宮 アリサはユナの大学時代の同級生であり、今ではユナを除いて、設立メンバーで唯一の残存者だった。
その他はすべて、過酷な任務に付いていけず辞めてしまった者もいれば、結婚を機に退職しためでたいケースもあったが、悲しいことに殉職に見舞われた割合が最も高い。
彼女がこの日まで健在であったのは、担当が表側の取りまとめという、荒事から最も遠い役目だったのが大きいだろう。
「塩梅はどう?」
「とっくに全員地下で待機させてるよ。はいこれ新しいパスコード、と現時点の情報」
「あいあい」
数枚のメモ紙を受けとるユナ。
QWERTY本部は地下にあり、網膜認証と定期的に変更されるパスコードの二重認証で隔てられている。
セキュリティの管理もアリサの仕事であり、彼女の許しがなければ、リーダーであるユナと言えども勝手な入室はできない。
16文字のパスコードを一目で覚え、ざっと情報に目を通したユナは、隣の下僕にちょいちょいと手を伸ばした。
「ライター」
「どうぞ」
軽く火を付けると、ぼうっとマジックのように勢いを立てて燃え、炭くずも残らなかった。
「長い仕事になりそうね」
「だるいなあ。何回徹夜する羽目になるんだろうか……。今から憂鬱になってきましたよ」
「そうしょげるなって。ボーナス弾むからさ。頼りにしてるぞ。相棒」
「はは……。ユナさんにそう言われたら、頑張るしかないじゃないっすか」
「二人とも、頑張ってね。平和はキミたちの肩にかかってるんだから」
「任せといて。また東京を枕を高くして眠れる街にしてやるよ」
「男タクマ。今度もいっちょやったりますか!」
バチっと気合いを入れて頬を叩いたところ、眠っていたユウがうなされたので、ユナは彼のすねを蹴った。
***
「みんな、招集お勤めご苦労」
「「お疲れ様です。ユナさん」」
巨大なモニターがいくつも並んだメインルームに、ずらりと隊員一同が並ぶ。
決まったコスチュームはないため、不揃いな恰好であるが、顔つきは皆やる気に満ち溢れていた。
しかしその数は20余名と、決して多いとは言えない。
ボランティア施設の方には総勢数百名ほどの職員が配置されている一方で、本業は少数精鋭主義なのだ。
リーダー兼作戦遂行者であるユナを中心に、ほとんど彼女をバックアップするメンバーのみで構成されている。
これにはもちろん理由があった。
まず任務の機密性の高さから、信頼できるメンバーがどうしても限られてしまうこと。
そして悲しいかな、ユナと同レベルで作戦行動を取れる人材が存在しないというやむを得ない事情である。
異世界で化け物連中と渡り合ってきた彼女は、いざ地球に戻れば、他の追随すら許されない孤高の天才でしかなかったのだ。
通常、TSPの戦闘力は非能力者に対して圧倒的である。対抗するには同じTSPをぶつけるか、化学兵器や大型兵器を持ち出すのがセオリーとされている。
多くの場合、事件の発生する市街地で化学兵器および大型兵器を用いることは困難であるから、TSPにはTSP部隊で対処する。
これが米国、中国、EUなどを始めとした世界のドクトリンである。
だが日本には、公式のTSP組織が存在しない。
このことは、時の上久首相による『TSP保護隔離声明』が背景にある。『非核三原則』と並び、安全神話日本を紡ぐ新たな柱とされた。
言ってしまえば、日本という国はTSPという異常存在に対して――島国気質が歴史上そうしてきたように――徹底的に蓋をしてしまうことを選んだ。
したがって、警察組織にも、自衛隊にも、日本には独自のTSP人材がまったく欠けている。やはり米国依存、わずか数名ばかりのTSPが在日米軍基地に配備されているのみだ。
元々、このような状況に危機感を抱いたユナが立ち上げたサークルこそがQWERTYだった。
自らがTSPへの対抗力となり、抑止力となる。人間離れした彼女でなければ、到底務まらないミッションだ。
そして非能力者がTSP犯罪を無傷で制圧するという、にわかに信じがたい伝説の数々によって、彼女はついに日本政府の信頼を勝ち取った。
「急に呼び出されちゃった人が多いだろうけど、悪いね。非常事態ってやつだ」
「だいじょぶでーす」「そういうもんだと思ってますよ」「ここじゃ日常茶飯事ですから」「違いない」
「HAHAHAHAHA! ってぇ!」
とびきり大げさにアメリカン笑いをかましたタクを小突きつつ、ユナは満足そうに総員見渡した。
と、端では目立って小さな少女が、ちょこんと敬礼を続けている。
ユナは彼女へ人一倍温かな微笑みを向ける。
「クリアもやっぱ来てるわよね。知ってた」
「ユウが来ると、聞いて」
ぼそりとしたそっけない口調と裏腹に、彼女の目は喜びに満ち溢れ、瞳は星のようにキラキラしている。
クリアハート。美しい青のポニーテールがトレンドマークな、御年若干14歳のTSPである。気怠そうに着られたパーカーがよく似合っている。
普通、未成年の就業はさすがのユナも認めないのだが、本人たっての熱烈な希望で、2年前から危険のない簡単な仕事に限って任せている。
しかもユナに保護されるまでは悲惨な生活状況にあったことから、発育が遅れ、未だ小学生と見紛うばかりの容姿をしていた。
「あんたって、ほんとユウ好きよねえ。そんだけ愛してくれるのは嬉しいけど」
「大事な弟、だし。ゆりかごから最期まで、見届ける。それがわたしの、使命。そして……生き甲斐」
コクコクと頷く様は、どこか妙に誇らしげでさえある。
「ほう。添い遂げるつもりかい。だがまだ嫁と認めたわけではないぞ?」
「むしろ、見守りたい」
「わかるわ」
クリアがグッと指を立てるのと、ユナのウインクとが合い、二人して笑った。
二人の世界だったが、確かに通じ合っていた。
ひとしきり笑った後、ユナは大切なユウを下ろして言った。
「それじゃ、しっかり見守っておくれよ。最重要任務だからな。クリアハート隊員」
「ん、任された。大船に乗った気分で、いたまえ」
あどけないラジャーポーズを決めて、おずおずとユウを受け取るクリア。他の隊員にとっても微笑ましい光景だった。
「よしよし。お姉ちゃんとあっち、いこうね」
心なしか安心した寝顔を見せるユウをあやしつつ、休憩室へ離れるクリアを見送って。
「では、大人の話に入るとしましょうか」
男性隊員の一言で、全体の空気がピリッと引き締まった。
「既に西凛寺首相より、協力の要請が来ております」
「でしょうね。りょーかいって打っといて」
「かしこまりました」
また、女性隊員が正面モニターを示しつつ、説明を始める。
「まず世界の状況をおさらいしたいと思います」
事前にメモで渡されていた各国の悲惨な状況が、映像付きで鮮明となった。
日本。新宿駅爆破テロ事件。死傷者数千名~一万人以上。
アメリカ。あの事件の再現のごとく、ワールド・トレード・センターを爆破。
中国。北京にて、人為的に発生した台風が多数の建造物を倒壊。
インド。突如として制御を失った航空機が同時に多数落下。
フランス。何者かに操られたと見られる一般市民の暴徒化。
エジプト。水道管の大規模断裂。
…………
「はっきり言って、状況はかなり最悪に近いです」
「近代戦争や疫病を除けば、過去最悪の死傷者数でしょう」
「またインドの事件から、すべての空港は現在稼働を停止しています」
「てことはだ」
ユナの懸念を続けるように、男性隊員が述べた。
「はい。事実上、世界は分断されました」
「……日本相当やばいんじゃないの、これ」
ぽつりと漏らしたユナの雑感を、誰も否定する者はいなかった。
おさらいしよう。当時の上久首相による『TSP保護隔離声明』は、言葉の上の安全神話と引き換えに、超能力という新たな脅威への対抗力、その準備を怠らせた。
よりにもよって。先進国の中で唯一、日本だけが――TSPの軍隊を持たないのである。
各国が混乱し、対応に追われている現在、いや当面はまったく応援も見込めないだろう。
無防備の平和ボケした日本に、TSGによる容赦ない鉄槌が振り下ろされる。
敵も馬鹿でなければ――間違いなく狙い撃ちしてくるはずだ。
「つまり、アリサさんの言う通りってわけだ。ユナさん、完全に僕らの肩にかかってるみたいっすよ」
「きっついな。こっちは身一つしかないってのにねえ」
愚痴づくユナであるが、意気はまったく消沈しておらず、むしろ闘気がみなぎってきていた。
それでもすこぶる厳しい状況には違いなく、最悪のことも考えれば、ふとある男の顔が浮かんできた。
――レンクスでも呼びに行った方がいいだろうか?
そんな弱気にも似た思考が一瞬過ぎるが、彼女はすぐに否定した。
いや、これは地球の問題だ。フェバルが関わった証拠がない以上、あいつの中にも線引きってものがある。
それにそもそも、あの穴に飛び込めば、下手すりゃいつ戻って来れるかもわからない――か。
彼女が16歳のときに見つけた――穴としか言えない何か。
地球と異なる世界とを繋ぐ穴。
どこの世界に繋がっているかは、行ってみるまでわからない。どれほど時間がかかるかも、帰ってくるまでわからない。
ほとんどの場合はまったく時間が経過していなかった。だがひどいときは1ヶ月もずれた。
未知の冒険と引き換えに、世界だか何だか壮大なものを巡る戦いに巻き込まれることとなる。
あれはたぶん……よくわからないけど、そういう穴だった。
退屈な日常に飽き飽きしていた私への贈り物だったのかもしれないし、あるいはすぐそこにある幸せに満足しなかった私への罰だったのかもしれない。
もう気軽に冒険できる歳じゃないし、私には今の仕事がある。
守るべき仲間と、家族がいる。
――なあ、レンクス。どんなに仲間がいても、この背中預けられるくらい強いダチがいないってのは、やっぱ苦しいものね。
あんたの気持ち、ちょっとだけわかった気がするよ。
「……上等だ。この国で誰を敵に回したのか、思い知らせてやるよ」
誰にも決して弱さを見せないように。
ユナは己を鼓舞し、タクの尻を叩いた。
「タク。すぐに可能な限りカメラをハックして見張れ。特に交通機関は念入りにだ」
「了解っす。交通機関ですか」
「翼はもがれた。私が連中なら、次は足を叩く」
「確かに。可能性は高いっすね。すぐ調べますよ」
「TSPらしき奴を見つけたらすぐ教えて。じゃ、それまで私は――寝る!」
自動扉なのにバァンと音でもしそうなくらい、彼女は嵐のように部屋を飛び出して行ってしまった。
ユナは自分にしかできない仕事を知っていた。来たる戦いをフルコンディションで迎えるためにも、最善にして当然の選択なのだが。
「……マイペースというか何というか。あの人らしいや。まったく」
人生n度目の徹夜を覚悟しながら、タクは乾いた笑みを浮かべた。




