プロローグ「12月1日18時32分 東京新宿駅」
[12月1日 18時32分 東京 新宿駅]
季節は冬。乾いた晴れ空も、夕暮れに染まる頃。
東京新宿駅。ダンジョンさながらの構内は、帰宅の途に就く者たちの熱気と活気で溢れ返っていた。
愛する家族に会えるのを心待ちにする者。日々の仕事に疲れ切った顔をしている者。帰宅後の自由時間に目を輝かせている者。音楽を聴きながらただ無心に歩く者。仲良く楽しそうに話をしている者。
老若男女、尽きることのない人の波が、ダラダラと流れていく。
そんな日常の風景である。
一人の若い男が、おぼつかない足取りで構内を歩いていた。
身なりを整え、健康的であったならば、美男子と称される類いであっただろう。
しかし今や、目はくぼみ、頬は痩せこけ、無精ひげがまばらに生えている。服は所々が破れ、薄汚れていて、まるでホームレスのような風体を晒していた。あるいは本当にそうなのかもしれないが、彼を知る人間はいない。
中々に目を引く風体ではあったが、ごった返す人混みの中にあっては、彼の近くを通る者のいくらかが見咎めることはあっても、ほとんどの人にとって関心を持たれる対象ではない。よく見れば腰のところに何かを巻き付けているが、平和な日本でそれが何であるかを目敏く見極める者もいない。
男は時折にやつきながら、ぶつぶつと独り言を言いつつ、ふらふらと進んでいく。
「……り……た……り……見た……りを、見た……」
雑踏の中では、すぐに掻き消えてしまうほどに小さな呟き。何を言っているのか、はっきりと聞き取れる者はいない。
彼の視線は定まらず、足取りもぎこちない。だが意志ははっきりしているようだった。
そして、男は立ち止まる。
地下街の中心部。
最も多くの人間を『巻き込める』であろうその地点で。
男は歯をむき出しにして笑い、諸手を高く掲げた。
「おお、神よ……原罪を清める……火を……ここに」
突然、彼を中心に爆発が巻き起こる。
何かの火種によってではない。
恐ろしいことに、彼自身が発火源だった。
彼の腰に巻き付けられた小型高性能爆弾の束が、同時に起爆したのだ。
爆風は数百数千もの人を巻き込みながら、迷路のように入り組んだ地下道を一息に突き抜けていく。大量の粉塵が巻き上がり、あちこちの出口から熱波が噴き出した。
それからやっと遅れて、悲鳴とパニックが街を揺らした。燃え盛る地下街を、恐怖に怯える人々が蜘蛛を散らしたように逃げ出していく。
ほとんど同時、街頭の巨大モニターが一斉にジャックされた。
スクランブルの上に、『TSG』の三文字が浮かび上がっているだけの無機質な映像。
そこへ、機械音声が流れる――。
『非能力者人民諸君。私はトレイターという。
我々はTSPによるTSPのための集団、トランセンデントガーデン(TSG)である。
諸君は今しがた、世界各地で裁きの火が上がる様を目の当たりにしていることだろう。
これはほんの手始めの挨拶に過ぎない。
大切なことは、我々はいつでも、どこでも、度し難き傲慢の上に安穏と繁栄を謳歌する諸君へ、怒りの牙を突き立てられるということだ。
武器も持たず、見分けも付かない。我々がその気になれば、諸君に防ぐ術などない。
諸君はただ、我々の寛大な心によって見逃されていただけなのだ……。
だが、それも今日までのこと。
思い起こしてみるがいい。我々TSPのために、諸君はいったい何をしてきたのか!
隔離、差別、迫害。およそ人とは思えぬ数々の所業。いや、むしろその業こそが人なのかもしれん。
……問おう。果たして存在することは罪だろうか? 本当に優れているのはどちらなのか?
答えは自ずと知れているはずだ。
我々は諸君と同じ形をしている。諸君と同じように、愛を語り、未来や過去を想い、今日という日を生きている。
ああそうだとも。諸君にできて、我々にできないことなど何一つない。
逆はどうだろうか?
我々にできて、諸君には到底不可能な数々の奇跡――そう、我々こそが新たな人類の進化した形なのだ。
明らかな事実を、だが諸君は決して認めようとしない。
我らの多くは、ただ同じ人として生きたいだけだったはずだ。なのに諸君は我々を恐れ、押し込め、亡き者にすらしようとしている。
もはやこれまで!
我々を救えるのは、我々だけだ。
非能力者がTSPを弾圧するなど、あるべき姿ではない。我々TSPこそが、諸君ら非能力者の上に立つべきなのだ!
だから――今ここに宣言しよう。
我々は世界のあらゆる場所、あらゆる国に庭を創る。TSPによるTSPのための自由経済支配圏を確立する。
そして思い上がった非能力者人民諸君へ、正義の鉄槌を下そう!
さあ、トランセンデントガーデン(TSG)の名の下に集い、立ち上がれ同胞たちよ! 今こそ世界を変革するときだ!』
血の日曜日事件になぞらえ、後に「火の金曜日」事件と呼ばれるこのテロ事件は。
非能力人間社会へ突きつけられたTSPによる怒りの牙であり、また戦いの始まりでもあった。




