299「夢想の世界を見つめて 2」
ラナソール最大の魔法都市フェルノートは、概ねいつもと変わらない日常であるようだった。
世界は無数の欠片に砕かれ、度々魔獣やナイトメアに脅かされてはいるものの。レオンたちが頑張っているおかげで、未だ民衆への影響は少ないと見られる。
ユイと手を繋ぎ、歩いて街を見て回った。
物理法則を無視した、色とりどりの華々しい建物が建っている。
空を見上げれば、車などが当たり前のように空を飛んでいて。
時折合間を縫うように、細長い蛇のような乗り物のシュルーが空を駆けていく。
地に目を向ければ、困難にあっても明るい人々がたくさん歩いている。
己が何者かなど、永遠に知ることもなく。
ただ歩いているだけなのに胸がいっぱいになってきて、繋ぐ手に力がこもった。
すべては夢であり、幻。
俺たちが手を下せば、みんな消えてしまうものなんだ……。
「つらいね……」
「うん……。でも受け止めなきゃな」
「何人か、依頼で関わった人に会いに行ってみようか」
「そうだな。はっきりとした別れは、面と向かっては言えないけどさ」
依頼を通じて知り合った人たち。
そこを避けているようでは、到底覚悟などできないだろう。
重苦しい気分のまま、それでも俺たちは知人に会いに向かった。
ユイは常に俺のことを気にかけつつ、ずっと手を繋いでくれた。
***
何人かの依頼人に会いに行った。様子を見に来たとか、適当な理由を作って。
まさか最後の別れなどとは言えず。
大半の人には感謝されたよ。困ったとき、助けてくれてありがとうって。
中には、ヴィッターヴァイツとの戦いに先立って力を貸してくれた人だっていた。
心に刃を突き立てられたみたいだった。
そんな人たちを、俺たちはこれから消さなければならないのだから。
果物屋さんのおばちゃんには様子を察されて、心配されてしまった。
「あんたたち、どうも元気ないみたいだからね。これでも食べて、ちょっとでも元気出しな」
手渡されたのは、真っ赤に熟したアリムの実だ。
惑星エラネルで食べたゴップルの実も、アリスやミリアとの思い出込みでとても美味しかったけれど。純粋な味ではこちらの方が上だろう。
むべなるかな。初めて食べたときは知らなかったが、アリムの実は夢想の世界にしかないものだった。
もう食べる機会もないだろう。半分に割って、二人で分け合って食べた。
ほっぺが落ちるほど甘くて、濃厚な味わいで。
おばちゃんの優しさが痛いほど甘くて。
「おいしいです」「おいしい……」
「どうしたんだい? 泣くほど美味しかったのかい?」
「「はい……。とっても」」
「そうかいそうかい。ま、こんなときだから色々大変なんだろうけどねえ。みんなだってそうさ。あんたたちもつらいことあるかもしれないけど、人間笑顔が一番だよ。ほら、笑ってごらんよ」
無理に笑ってみた。どうしてもぎこちない笑顔になってしまった。
それでもおばちゃんは満足して、豪胆に笑った。
「よしよし。素直で可愛い姉弟さね。二人とも、これからも仲良く頑張りな。応援してるからさ」
「「ありがとうございます……」」
ああ。この人も、終わらせなければならない……。
***
「とうとう来ちゃったね……」
「どうしても避けるわけには、いかないからな……」
俺たちは、大きな工房の前に立っていた。
これから会うのは、レオンの後ろ盾を支えに夢の飛空艇『アーマフェイン』プロジェクトを進めるバッカード兄妹だ。
俺たちも依頼を通じて、材料提供等で支援してきた。
ここに来るのは特に気が重かった。
けれど、だからこそ避けてはいけないと思った。
というのも、バッカード兄妹の兄トラッド・バッカードは……現実世界では、既に死人だった。
つまり、ラナソールを消してしまえば、彼は現実世界に還るべき魂の本体すらもない。完全に殺してしまうことになる。
本人は当然そのことを知らず、妹のメイリン・バッカードも「こちらの世界では」何も知らずに過ごしている。
中に入ると、開けた倉庫のような場所で、スタッフが数十人体制で賑やかに作業をしているところだった。
数百人乗っても平気そうな立派な飛空艇は、ほとんど出来上がりの完全な姿を晒している。
妹のメイリンは、ちょうど前方のプロペラ部分を弄っているところだった。こちらに気付かないほど熱心に作業している。
しばらく見守っていると、他のスタッフの方が気を利かせて声をかけに行ってしまった。
振り返った彼女は、育ちの良さそうな可愛らしい笑顔を見せた。
「あっ、二人ともお久しぶりです! 来てくれたんですね!」
「うん。ちょっと様子を見に来たんだ」
「元気してるかなと思ってね。無事でよかった」
メイリンは花のような笑顔で、奥にいると思われる兄へ呼びかけた。
「おーい兄貴ー! ユウさんとユイさんだよ! 私たちの様子を見に来てくれたよー!」
すると薄汚れたトラッドが、船体の下部からもそもそと這い出てきた。
急いでこちらへ駆け寄ってくる。
「お、おお! 久しぶりじゃないか! 何ヶ月会ってなかったんだ? 半年くらいか? とにかく、よく来てくれたよ!」
「ちょうど今いいところだったんだよね。ねー兄貴」
「おうともよ」
仲良しっぷりを見せつけてくれるバッカード兄妹。人のこと言えないかもしれないけど。
とても微笑ましく――それ以上に物悲しい気持ちになる。
「もう見えちゃってるけど、じゃーん!」
「へっへ! どんなもんだ!」
兄妹は飛空艇を指し示し、どや顔をしてみせた。
「ついにできそうなんだね」「すごいね……」
「そのとーり! 色々失敗もあったけど、やっともうすぐ完成ってわけだ!」
「やったね兄貴!」
手を叩き合い、全身で喜びを表現する二人。
もう十何年も苦労してきたのは知っている。だから喜びもひとしおだろう。
だけど……。
「それで、完成したらどうするつもりなんだ」
「良い質問だ。そうだな。こいつでだなあ。広い空を切り裂いて、バラバラになった世界に取り残された人々の救助活動なんかに使えたらなってさ!」
「もう。兄貴は気が早いんだから。試験が先でしょ」
「あーそうだったそうだった」
兄貴を小突いたメイリンは、こちらに向き直ると照れ臭そうに言った。
「一週間後には、試験運転を開始するつもりです。最初に乗るのはもちろん、ここまで支援して下さったユウさん、ユイさん、レオンさんにやってもらいたいなって」
「「…………」」
何も言えなくなってしまう。
その日は来ない。絶対に来ないんだ……。
夢は完成した瞬間に、終わってしまう。
俺たちが手伝っておいて、俺たちが奪ってしまう。
なんてひどい……。
また泣きそうになってしまう俺とユイを見て、二人は慌て出した。
「お、おい。どうしたんだよ!? そんなに感動しちゃったのか?」
「わわわ! と、とりあえず落ち着いて下さい!」
取り乱しながらも必死になだめてくれる二人を。こんな素敵な二人を。
夢ごと終わらせてしまうことが。そんな自分が許せなくて。
「ごめん」「ごめんね」
目の端に溜まる涙を拭いながら言った。
その言葉の真の意味を、二人には伝えられなくて……。
***
それから落ち着くのを待って、二人には飛空艇の設備を一つ一つ案内された。
誇らしげに語る二人を見て、嬉しくもなり、それよりずっと申し訳なくなり。
複雑な気持ちを拭えないままで。
やがてまた作業の続きがあるからと、兄のトラッドは飛空艇の底へ戻っていった。
一人取り残された妹に、俺は声をかける。
「一つ、いいかな」
「どうしたんです? そんな改まって。今日のユウさんたち、なんか変ですよ」
不思議に首を傾げるメイリンに、俺はあえて尋ねた。
「もし明日世界が終わるとして、大好きなお兄さんともう二度と会えなくなるとして……。君なら、どうする? 君なら、どう思うかな……」
「ユウ……」
「え? なんでそんなこと聞くんですか? こんなときに、縁起でもない」
ユイは何とも言えない顔をして、メイリンは少し憤慨しているようだった。
当然の反応だ。
「そうだよな。ごめん。でも、どうしても聞いておきたいんだ」
「そうですか……。うーん。それは、悲しいです。死ぬほど悲しいに決まってますけど……」
メイリンは一拍おき、気持ちの整理をしながら続けた。
「でも、私たちはずっと夢に向かって生きて来られました。そしてついに完成の目前まで来た。だから、十分立派な人生だったんじゃないかって。そうやって胸を張れるとは思うんです。で、きっと最後まで作業を続けているんでしょうね」
「無意味なこととは思わない?」
「もちろん思いません! 結果だけが人生じゃありませんから。そもそも飛空艇の開発なんて、死と隣り合わせの危険な仕事ですからね。いつだって、もしものことは考えなくちゃいけない。死ぬことも、失敗に終わることだってあるでしょう。だからこそ、生き様が一番大事だとは思いませんか?」
ああ、そうだな。君の言う通りだ。
現実の君の兄は、そうして夢に殉じていった。
そして、向こうの君は……。
片翼を失っても、兄の夢の続きを信じて、最後まで諦めなかったんだよな。
立派だよ。本当に立派な人だ。君は。
「そっか……。ありがとう。答えにくいこと、聞いちゃったよな」
「そうですよ。もう。世話になっているユウさんだから怒らなかったんですよ? 他の人だったらぶちキレてますよ」
「あはは」
現実世界の気の強い一面の面影を見せつつ、メイリンは朗らかに笑った。
すると突然、ボカンと小さな爆発音がした。
トラッドの慌てた大声がこちらへ飛んでくる。
「うわっ! やばい! ピンチだ! メイリーン! 手を貸してくれーーーー!」
「ちょっと兄貴ーーー! こんなときになにやってんの? ええと、ごめんなさいね。行かなくちゃ」
メイリンは申し訳なさそうにぺこりと頭を下げると、最愛の兄貴の手伝いに走っていった。
間もなく、飛空艇の下から、二人の怒鳴り合いと笑い声がちらほら聞こえてくる。
ただ黙ってそれを聞いていた。
やがて気が付くと、ユイに袖を引っ張られていた。
「……そろそろ行かなくちゃ。時間は限られてるんだから。ね」
「そうだな……。もう行かないとな」
運命は本当に残酷だ。
よりによって俺たちが、君たち二人を消さなければならないのだから。
それでも、最後に会えてよかった。
「「さようなら。トラッド。メイリン……」」
小さな呟きは、誰に聞こえることもなく。虚空に溶けて消えていく。
***
そして、兄妹が何とかトラブルを解決し、仲良く真っ黒に汚れた姿で這い出てきたとき。
もう姉弟の姿はどこにもなかった。




