297「ユイとの再会」
ヴィッターヴァイツが残した気のマークを辿って走る。
小さな村が見えてきた。
村には光魔法でできた結界が張られているようだ。これで魔獣やナイトメアの襲撃から身を守っているらしい。
ユイ。俺だよ。
ユウだよ。会いに来たよ。
あと少しだ。逸る気持ちを速度に変えて、反応の元へひた駆ける。
村の隅の方で、一人で結界魔法を張り直しているユイの姿が見えた。
「ユイ!」
「え、ユウ……!?」
喉が詰まって、もう言葉が出なかった。
ユイだ。姉ちゃんがいる。
もう一人の自分がいる。ちゃんと生きてる。
一度は諦めかけていた。もう会えないかもしれないと思っていた。
J.C.さんから君の無事を聞いて、少しは希望が出てきたけれど。
それでも本当に心配だったんだ。
ああ。よかった。
また涙が滲む。本当に泣いてばかりだ。
視界がぼやけたせいか、最後の一歩はもつれて、ユイに抱き留められるような格好になった。
受け入れられるまま、ユイの胸に顔を埋める。
よく小さいときにそうされていたように。大きくなってからも、つらいときにはたまにそうしてくれたように。
慰められて。
あったかくて。柔らかくて。ほんのりと良い匂いがして。
安心する。確かにユイがいるんだと、そう感じられた。
「よかった。俺、もう二度と君に会えないかと……っ……思って……!」
「うん。私も、ずっと会いたかった……」
それだけ言うと、俺は人目も憚らず、ただしばらく泣きじゃくっていた。
今まで会えなくて寂しかった分、どうしても我慢が利かなくて。
ユイは優しく頭を撫でながら、どこか呆れたように、そして安心させるように言った。
「もう。いつまでも子供なんだから。私がそんな簡単にくたばるわけないでしょ」
口では大丈夫だよと言ってくれるけど、ユイの嬉し涙が俺の顔にも当たっている。
「まあ実は、ちょっと危なかったんだけどね」
「ちょっとなもんか。心配で心配で、しょうがなかったんだぞ」
「うん。そうだよね。心配、かけたよね」
心を確かめ合う。
お互いに心配で、不安で。会えて嬉しい気持ちは一緒だった。
そして抱き合ったときに、切れていた繋がりが元に戻っていた。
元は一つだったのだから。直接触れ合いさえすれば。
あらゆる障害を跳ね除けて、再び心は接続される。
お互いのこれまでの足跡が共有された。
ユイは俺が何をしにここまで戻ってきたのかを、もう知っている。
「ユウ。ほんとに……大変だったんだね……。つらいことが、たくさんあったんだね……。それでも、ずっと頑張ってきたんだね」
さらにぎゅっと強く抱き締められる。
「ごめんね。一番つらいときに、一緒にいてあげられなくて」
「いいんだ。君が無事でいてくれたなら。それが一番だよ。君もつらかったよな」
「うん……」
俺も今度はしっかりと立って、ユイを抱き返していた。
途中で助けが入ったとは言え、君も長いこと闇の世界で一人で戦っていた。死にかけたりもした。
つらかったはずだ。不安だったはずだ。寂しかったはずだ。
何より、俺にずっと会えなかったことがつらかっただろう。
「ごめんな。すぐ会いに行けなくて」
「ううん。仕方ないよ。お互い無事だったなら、それで十分だよ。でも私も……ちょっとだけ、いいかな?」
今度は黙って俺が胸を貸す番だった。
ユイは弟の胸に顔を埋めて、わんわん泣き出した。
しょっちゅう一つになっていたからよくわかる。
根っこは同じだもんな。
ユイも甘えたくて仕方ないのを、お姉ちゃんだからって先に甘えさせてくれたのだ。
――やっぱりユイには、勝てないな。
そうして二人、気の済むまで慰め合い。無事を確かめ合った。
ユイのちょっとは、かなり長かった。
***
ユイが即席で建てたという小屋で一時を二人きりで過ごした俺は、少しだけ並んで仮眠を取った。
この先休むことはないだろうから、無理ができるようしっかり休憩を入れた。
目が覚めてから。ベッドに座ったまま二人で、最後の一日の予定を立てる。
始めに抱き合ったとき、ユイが俺の事情を知ったように。
俺もまたユイの事情を知った。
もう一人の「俺」が、ユイに告げたこと。
宇宙は繰り返している。【運命】によって支配されている。
おそらく今回の『事態』もまた、【運命】によって引き起こされたことだろうと。
ヴィッターヴァイツがそうだったように。
俺もまた【運命】に呪われているのだ。それも最も強力な形で。
【神の器】を持つフェバルである限り。心は修復され続け、決して死ぬことはできず。
生きている限りはどこにいようと、繋がりを断たれるのが運命。
これまでの世界の危機も。今回のことも。
すべては【運命】の掌の上だったってことなのか……。
話のスケールが大き過ぎて、雲をつかむような感じだけど。
でも今までのことがあったから。
何となく、わかったような気がする。
――そうか。
ヴィッターヴァイツもこの話を聞いていたんだな。だから。
俺のせいだと、そう責めるのは簡単だ。
実際、そう思う気持ちを捨てられない自分もいる。
でも自分を責めていては何も解決しない。
嘆いたところで、俺が消えていなくなるわけでも、【運命】の力が外れるわけでもないのだから。
繋がりを作れば断たれるなら、最初から繋がりを作らなければ良いと考えたのがもう一人の「俺」だった。
でもあの人は失敗したと言っていた。後悔していた。
そのやり方は、結局は逃げでしかないのだろう。
何より。あの人よりずっと弱くて寂しがりな俺とユイには、そんな生き方は絶対にできない。
フェバルを苦しめる絶対的な【運命】。そんな恐ろしく強大なものを前にして。
時にどうしようもないことが待ち受けていても、どんなにつらいことがあっても。
それでも俺は、正面から向き合って立ち向かわなくてはならない。
行く先々で待ち受ける過酷な運命と、俺は戦い続けなくてはならない。
でなければ、俺は何も守れない。
逃げ続ければ、やがてすべてを失うことになる。
……そういうことなんだな。もう一人の「俺」。
これは、そういう戦いなんだな……。
つらい。つら過ぎるよ。でも……。
――負けたくない。そんなものに負けてたまるか。
みんなの生き死にも、幸せも不幸も、最初からすべて決まっているなんて。
人の意志では決して変えることができないなんて。
そんなこと、許せるわけがない。
――抗ってやる。戦ってやる。どこまでも。
【運命】なんかに負けてたまるか――!
【運命】と戦う決意をした俺は……。
それなのに、これからやることを考えるだけで泣きそうで。また折れてしまいそうで。
だけど。それでもユイに言った。
「なあユイ。俺、やらなきゃいけないことがあるんだ」
「わかってる。ラナソールを、終わらせるつもりなんだね」
じっと俺の顔を見つめて。
頬に手を触れて、慈しむ目で俺のことを見つめて。
「俺……正直、とてもできる気がしないんだ。ヴィッターヴァイツに励まされてここまでは来たけど、まだ本気で覚悟なんて……できてないんだよ……」
「うん。そうだよね……。でも逆にね。すごく安心した。そこで簡単に割り切れちゃったら、それはもうあなたであって、あなたじゃない。あの人になっちゃうよ」
そうなんだろうな。
きっとこういうとき、割り切れてしまったのが、もう一人の「俺」なんだろう。
だからあんなに「強い」のだろう。
とても哀しい「強さ」だ。
俺は……あんなには「強く」なれない。
人の身のままで。弱いままで。こんな情けないままで。
俺は世界に、そして【運命】に。挑めるだろうか。
するとユイは、俺の肩を抱いた。
肩の近くまで伸びた艶やかな黒髪が、そっと頬をくすぐる。
「私が今ここにいる意味。私が生まれてきた意味。どうして私が鍵なのか――ちょっとだけ、わかった気がする」
「聞いて」と。
ユイは耳元に、優しい声で語りかける。
「私はあなたと同じ。性格とかもちょっと違うけど、基本は男と女ってことが違うだけ。だからね。いつだって側にいる限り、私はあなたと同じものを背負っていける。想いだけじゃない。力も、運命も、何もかも」
「君は……」
何が言いたいのか。以心伝心で、もうわかった。
悟ったそのままの想いを、ユイは続ける。
「うん。そうだよ。あなたは独りじゃない。これから先、あなたがどんなに強くなっても。どんな重い運命を背負うことになっても。あなたにしかできないことなんて、ないから。あなただけになんて――絶対にさせないから」
君は俺と同じ源から生まれて、同じ力を持っている。
同じ運命を持ち、同じ道を歩んで。
同じように泣き虫で。同じように甘えん坊で。
そして、同じだけの優しさを持っている。
もう一人の「俺」が、どんなに求めても最後まで得られなかったもの。
どんなに「強く」なっても、最後まで得られなかった半身。
両親がいなくなっても、ずっと隣で歩いてくれる家族が。
俺にはいるんだ。君がいる。確かにここにいる。
永劫とも思える繰り返しの果てに辿り着いた――。
巡り会えた、たった一人の奇跡。
俺の弱さから、甘えから生まれてきた君は。
愛し愛される家族が欲しいという、切なる願いから生まれてくれた君は。
だから、ここまで一緒に来てくれた。
小さいときから俺を愛し、慈しみ、ずっと俺の心を守ってくれた。
そして、今も。
「優し過ぎるユウが、どうしても一人で背負い切れないなら。私も一緒に背負うよ。私もあなたと一緒に――世界を、斬ってみせる」
ユイも俺と同じくらい泣きそうな顔で、震える身体と声で。
それでも俺の手を取り、一足先に決意してくれた。
俺を決して独りにはしないと。
俺と共に、どんな残酷な力でも振るってやると。
そう言ってくれた。
……そうだよな。君はそう言うよな。いつもそうだった。
やっぱり、ユイには勝てないな。
姉ちゃんには勝てない。
だから……君には背負わせたくないなんて。
そんなこと言ったら、また絶対に怒られるよな。
またはたかれて、泣かれちゃうよな。
ありがとう。ユイ。
「一緒に行こう。これから何があっても。これまでのように。そしてこれからも。どこまでも」
「うん。私たちは、いつでも一緒だよ。どんなときだって、私はあなたの味方だから」
二人で支え合って、立ち上がる。
これから終わらせなくてはならないものを、しっかりとこの目で見つめるために。
覚悟を決めるために。




