286「最後の依頼 3」
「おい……ふざけんじゃねえよ……!」
振り返ると、ランドが顔を真っ赤にしてぶちキレていた。
「ラナソールが夢の世界だあ!? 夢は醒めなければならないだ!? さっきから聞いてりゃ、まるで俺たちが偽物か何かで、みんな消えてなくなっちまうみたいなこと言ってよう! え? ラナさん、どうなんだよ!?」
ラナさんは泣き腫らした顔で、ふるふると首を横に振るばかりだった。
「ごめんなさい。愛するあなたたちを、私は助けることができない……ごめん、なさい……」
「……ちっ!」
ランドは激情のまま、俺の胸倉を掴んだ。
やり切れなくて仕方がない。そんな表情だった。
「おい。ユウさん!」
「ランド……」
「ユウさん! あんた知ってたのかよッ! その辛気臭い顔は、今知ったってわけじゃないだろう!? あんた、薄々知ってて……っ……それでずっと黙ってたのかよッ! 俺たちをずっと騙してたのかよ!?」
「それは……」
直視できない。とてもランドの顔を見られない。
君たちが知ってしまったら、こうなるかもしれないって。確かに恐れていた。
意図的に言わなかったのは……事実なんだ。
「てめえ!」
顔をぶん殴られる。
芯に響く痛みを受けて、俺は尻餅をついた。
立ち上がれない俺に、彼はなおも掴みかかる。
怒りと悲しみに満ちた心で。
「なあ……答えろよ。ユウさん……答えろって言ってんだよ……!」
「……ごめん。黙ってたのは、本当だ……」
「この野郎……!」
またぶん殴られる。それから何度も何度も、執拗に顔を殴られた。
俺はただされるがままで。この痛みさえも、罰にはまったく足りなくて。
リクがたまらず、割って入る。
「ちょっと! やめて下さいよ! 今は味方同士で争っている場合じゃないでしょう? これからどうするか、考えなくっちゃいけないときでしょう!?」
俺を殴る手が止まる。
ふらりと立ち上がったランドの声は、嘘のように冷たいものだった。
「これからどうするか? リク……お前は呑気でいいよな。やっとバカな俺にもわかったぜ。お前が『本物の俺』だったってわけだ。だよな。だから繋がってたわけだ。お前も、わかってたんだよな?」
「それは……」
「なあ。お前も殴られないとわかんねえのか?」
「ひっ!」
「待って!」
猛然とリクに掴みかかろうとするランドを、シルヴィアが抱きかかって止めた。
「シル!? なんでお前が止めるんだよっ!」
「リクはユウじゃないのよ! あなたの攻撃になんて耐えられない。そんなことしたら、本当に死んでしまうわ……! あなただって、一緒に……っ!」
そう言っているシルヴィアは、今にも泣きそうだった。
「でもよ。じゃあ、シルはこれでいいってのかよ……!?」
「私だって、いいわけないっ! もう、わかんないわよっ! さっきから、頭の中ぐちゃぐちゃで……でも、ああそうだったのかって。もう、わけがわかんないわよぉ……!」
ついにあのシルヴィアまで、しくしくと泣き始めた。
もう一人の自分の存在は自覚していても、自分が偽物の方だという事実に耐えられない。
泣くシルを見て、さらに怒りが湧いたランドは。
歯を食いしばり、浮かない顔をする一同を睨んで言った。
「なあ。お前らみんな、俺たちが死ぬのが正しいって思ってんのか!? こんな結末、本当に仕方ないって思ってんのかよ!」
「正しいなんて、思ってるわけないよ。でも……ボクも、みんなも、わからないんだ。正直、どうすればいいのか……」
「はん。英雄レオンの片割れが。やっぱ女だな。女々しいこと言いやがって。聞いて呆れるぜ」
ランドは吠えた。
ラナソールに生きる者たちを代表する、魂の声だった。
「ざけんな! 俺たちだって生きてんだよ! 俺たちとあんたらと、何が違うってんだよ! ほとんどのやつが、何も知らずに今だって生きてんだ! めちゃくちゃになった世界で、必死で戦ってんだ! なのに俺たちが諦めちまったら……誰がみんなを助けられるんだよ!? なあ! 俺たちは、最初から生きてちゃいけなかったってのかよ!」
誰も答えられない。その問いに答えられる者なんていない。
ランドは、やるせなく拳を振りかざした。
「こんな結末……認められるかッ!」
殴られたまま呆然としている俺に、もう一度ランドは食いかかった。
「なあ、ユウさん。違うって言ってくれよ……! そんなことは許さないって、言ってくれよ……っ! いつものあんたなら、みんな助けてみせるって……そう、力強く言ってくれるところだろ? 違うのかよ! おいっ!」
「…………っ」
返事のできない俺に、失望したような目を向けると。
いやいやと首を振って、彼はやり切れない想いをぶつけた。
「見損なったぜユウさん。ラナ様、あんたもだ! 俺は、諦めねえぞ……! ユウさん、あんたが一番それを教えてくれたんじゃねーか! なのに、あんたがそんな顔してちゃあおしまいだ! 今のあんた――最低だよ」
ガツンと心を直接殴り付けられたようで。
何も口から出て来なくて。情けなくて。
彼はさめざめと泣き続けるシルヴィアの肩を抱いて、みんなに背を向ける。
「どこへ行くんだい?」
呼び止めるハルに、彼は答えた。
覚悟を決めた瞳で。
「決まってる。探しに行くのさ。みんなを救える方法を。みんなが笑える方法を。誰もやらねーって言うんなら――俺がやる。送れよ。アニエス」
「でも……」
所在なく、俺とランドの双方に視線を彷徨わせるアニエス。
「送ってやってくれないか。好きなようにさせてあげてくれ……」
辛うじてそれだけ言うと、彼女は目を伏せて頷いた。
ランドとシルヴィアが、転移の光に包まれて消える。
「はあ……」
重いため息が漏れた。
全身からごっそり力が抜けていくのを感じる。
ラナソールのみんなと心を繋げておくことなんて、もう無理だった。罪悪感で耐え切れなかった。
今の俺は、ミッターフレーションで現実世界に堕ちたあの日と同じ――すっかり弱い自分に戻ってしまった。
英雄とはほど遠い、ちっぽけで無力な人間に。
お通夜のように冷えた空気で、誰も何も言えないまま、それぞれが物思いに沈んでいた。
しばらくして、俺はただ義務感だけでラナさんに尋ねた。
「トレインを殺すとして……どうしたらいいのですか? アルトサイドにはエルゼムもいます。まずあれも倒さなくてはいけないでしょう」
「聖剣フォースレイダーに、夢想病に苦しむみんなの生きたいと願う心の力を込めることで……。ですが、今のあなたでは……難しいですよね。その剣は、人の意志を背負う英雄にしか振るうことができませんから……」
「そう、ですね。今の俺では、とても……」
こんな状態の俺に聖剣を振るう資格がないことは、自分が一番よくわかっていた。
「ちょっと、考えさせてはくれませんか。まだ少しだけ、時間はあるはずですから」
「……わかりました。私はここで待っていますので。気持ちが固まったら、また来て下さい。あなたたちがどういう結論を出すとしても――私は受け入れます」
「ありがとう、ございます……」
戻ってきたアニエスの転移魔法で、いったんはトレヴァークに帰ることにした。
ランドとシルヴィアは、既に旅立ったらしい。
あてもなく、みんなを救うための手がかりを求めて。
腫れあがった顔を見たJ.C.さんにぎょっとされ、治療を申し出られたが。俺は断った。
痛むままの方がまだ、ほんの少しだけ気が楽だった。
「少し、一人にしてくれないか。頼む」
それだけ告げて、俺は何でも屋の私室に籠る。
一人になると。
これまでみんなの手前、何とか気丈に振る舞っていた。
責任感という化けの皮が剥がれた。
視界がぼやける。涙が滲む。
ここまでずっと、がむしゃらに走り続けてきた。
希望があると信じていた。願っていた。
みんなの力を合わせれば、できると思ってた。
また世界を救えるって思ってたんだ。
馬鹿だ。今まではただ、運がよかっただけなんだ。
思い上がっていたのは、俺だ……!
――結局、ウィルの言っていたことが正しかった。
これは、形ばかりの延命ではどうしようもない――本質的な問題だ。
ラナソールそのものが『事態』の原因であるのだから。世界を消すしかない。
極めて単純で、それしかない解決方法だ……。
リクもその可能性には気付いていた。
俺だって……薄々はわかっていたんだ。
認めたくなかった。
それしかないんだって。どうしても認めたくなかった。
だから必死に回り道をして……結局は、元の場所へ戻ってきてしまった。
とっくに終わってしまったはずの世界。トレインが一人で無理に延命させているだけの世界。
終わらせるのが正しい。
終わらせなければ、ラナソールだけじゃない。トレヴァークのみんなも、宇宙のみんなも弾け飛んでしまう。
みんなを救う都合の良い方法なんて……そんなものはない。
考えれば考えるほど、もう手遅れなのだと。
もうどうしようもないのだとわかってしまう。
だけど。だけど……。
トレインを手にかけるということは――。
トレヴァークとほぼ同じ、ラナソールに満ちる30億の命。
それだけじゃない。
トレヴァークでも夢想病にあって、既に魂がナイトメアに変質してしまったと思われる「手遅れな」命が、世界人口の約5%――1.5億人はいる。
彼らの命をも、完全に絶ってしまうことになる。
知らない命じゃない。みんな、知っている。
ランドを。シルヴィアを。ミティを。レオンを。
俺を信じて送り出してくれた、みんなを。
依頼をしてくれた、関わった一人一人の大切な笑顔を。願いを。
すべて消し去ることになる。
みんなを救うためにって、そのために力を借りて。
みんなの想いに応えるために。
やっとここまで来た。ここまで来たのに……!
俺はみんなの想いを、裏切らなければならない。
俺が、終わらせなければならない。俺にしかできない……。
ただ世界を破壊して、皆殺しにすることよりも。
たった一人を殺して綺麗に終わらせることの方が、まだほんの少しだけ、優しいから。
――いいや。同じことだ。何が違う!
やり方がちょっと違うだけじゃないか。
みんな死ぬことには、変わりないじゃないか……!
けれど、それが最善。それが揺るぎない結論だと。
わかる。わかってしまう。
行きつく先はもう――ない。
探したって、もう。ないんだ。
これまで折れそうな心を支えてきたささやかな希望すら、もうない。
「う、うっ……」
ぽたぽたと、情けない涙が床を濡らす。
あ、あ。ダメだ。
もう、ダメだ……。
いくら正しいとしても。仕方ないとしても。
「そんなこと……っ……そんな残酷なこと、できるわけがないじゃないかぁ……!」
もう限界だった。心が折れていた。
俺は膝から崩れ落ち、小さな子供のようにうずくまって。
ただ、泣き続けるしかなかった。
無力だ。俺は何もできない。
運命は――どこまで残酷なのか。




