278「ラナの記憶 13」
トリグラーブ冒険者ギルド。
ここは世界有数の強者やあらくれ者が集う冒険の最前線基地である!
一癖も二癖もある連中を取りまとめるには、ギルドスタッフも一流どころが欠かせない。
そんな優秀なスタッフの中でも、一際存在感を放つ女性が一人。
普段の一見おどおどした口ぶりとは裏腹に、てきぱきとした仕事ぶり、喧嘩等のトラブルの見事な捌きっぷり。
そして時折垣間見せる謎のテンションと実力でもって、ギルドの名物になっている人物がいた。
燃えるような赤髪を持つ女。アカツキ アカネ。
単に受付のお姉さんと言えば、この人のことを指す。ザ・受付のお姉さんとは彼女のことである。
いつものごとく騒がしいギルド酒場にも、破滅の足音は容赦なく雪崩れ込んできた。
ワープクリスタルがすべて砕け散ったのを前触れに。
「大変だあーーーーっ! 謎の黒い化けもんがわんさか湧いてきやがった!」
「大群でこっちへ向かってきているぞーーー!」
あまりにも数が多過ぎる。
地を埋め尽くすほどのナイトメアが、四方八方からトリグラーブへ押し寄せているのだった。
ギルド内はひっくり返したような大パニックになった。
取り乱し、逃げ出そうとしたり泣き喚く者たちまで現れたところで――。
「落ち着きなさいッ!」
一喝。
突然酒場に響き渡った女性の大声に、全員が口を止め、思わず振り向いた。
受付台帳をマイク代わりに構えたアカネが、仁王立ちで真の姿を解放していた。
と言っても、物凄くテンションが上がっているだけなのであるが。
「あんたたちは誰なんだあああーーー!?」
ギンギンに響くシャウトに気圧される彼らに、彼女は熱く語る。
「冒険者だ! 危険を冒し、死を恐れず、名誉のために戦う勇敢な大馬鹿野郎どもだ! 違うって言うのかーーーー!?」
違わない、そうだそうだという声が上がり出す。
その返答に満足したお姉さんは、さらにハイテンションで続ける。
「今この場から逃げて何になる! それが冒険者たる者のすることですかあああ!? あなたたちの大切な人や、あなたたち自身の誇りは、そんなへっぴり腰で守れるものかッ! 逆に考えてみて! ピンチこそは! 大! 大活躍のチャンスじゃないのッ! あんな変な連中より、冒険者の誇りと魂は劣るっていうのーーー!?」
「「そんなことはない!」」「「やれるぞ!」」
既に恐れの感情は払拭されつつあった。
次第に高揚感の生じる場で、お姉さんのエアマイクパフォーマンスは最高潮に達する。
「いいですか! あなたたちは何も気にせず、とにかく戦えばいいのよ! まとめ役もサポートも! お姉さんたちに任せなさい! 何を隠そう、当代裏ギルドマスターとは私だったのよ!」
「「な、なんだってー!?」」
衝撃の事実に、一同驚愕した。
ごく一部の者は「まあそうだろうな」と静かに頷いていたが。
現職ギルドマスターのガラなんとかさんは、色々あって結構前、お飾りになって頂いたのである。合掌。
頃合いと見たアカネは、受付台帳を高らかに突き上げ、宣言する。
「今ここに! 裏ギルドマスターの名の下、超S級緊急拠点防衛クエスト『トリグラーブ強襲! 闇の異形ナイトメアを撃退せよ!』を発令します! 名誉も報酬も大判振る舞いよ! もってけ泥棒!」
「「うおおおおおおーーーーっ!」」
「「お姉さんーーーーーー!」」
大喝采が上がる。
たった少しの言葉で、未曾有の危機を乗り越えるべきクエストに変えてしまった。
意気燃えるギルド内を見渡して、「とりあえず第一関門はクリアしたようね」と、アカネは内心ほっとため息を吐く。
ナイトメアの存在を知ってから、彼女はいつかこんな日が来るのではないかと予見していた。
初めてナイトメアに遭遇してから、裏クエストと称して、信頼のおける冒険者たちと各地の調査に繰り出した。クレコとは何度も同行したものだ。
突発的に生じるナイトメアを打ち倒しながら、奴らの性質や強さを調べた。
冒険者ギルドの強化と冒険者たちの実力の底上げが急務であると判断するのに、そう時間はかからなかった。
そのためには、ギルドの改革が必須だった。
うだつの上がらないガラなんとかさんを事実上更迭し、職員には精鋭を揃え、ギルド機能の拡充と冒険者の教育にも心血を注いだ。
クエストは最適に割り振り、各々の実力が効率良く向上するようにした。
表向きは受付のお姉さんとして働きながら、裏ではギルドを操り、ここまでの改革を20年で成し遂げたのである。
そうして揃いに揃えた世界屈指の精鋭たち。士気さえ保つことができれば、そうそう簡単にやられてしまうものではない。
すべては愛するこのトリグラーブを――この世界を守るために。
でもおかしいわね。アカネは首を傾げた。
まさかこんなに早く、劇的にとは思っていなかった。予想よりも遥かに数も質も勝っている。
ワープクリスタルが同時に使えなくなってしまったことも、あまりにも不自然だ。
何かとんでもないことが――人為的としか思えない何かが、悪意によって引き起こされたのではないか?
彼女は直感したが、しかし直感を裏付けるものは何もなかった。
とにかく、今は原因を気にしている場合ではなかった。目の前で起きている事態の対処に走らねばならなかった。
――クレコ。無事でいなさいよ。
こっちはなるべく急いで片付けて、助けに行ってやるからね。
世界のどこかに奮闘しているに違いない、腐れ縁になったライバルの身を案じながら。
ワープクリスタルなき今、自分が今すぐに助けに向かうことはできない。
いや、もし向かうことができたとしても。トリグラーブを守り切るまでには、自分の力が必要不可欠なのだ。
お姉さんはとても歯痒かった。
***
ナイトメアの性質を共有するため、軽く話し合いを済ませる。
光魔法のみが有効であること、直接触れるのは危険であることが伝えられた。
防衛班と迎撃班の二班に大きく分かれることになった。迎撃班のリーダーは受付のお姉さんが務める。
さすがの手際で各小班の配置まで済ませた彼女は、残る約半数に目を向けて言った。
「こっちはこれで良し。防衛班の方はっと」
「私が引き受けよう」
一見すました外見をした、いぶし銀の男が挙手する。
「ほーう。S級冒険者『鋼の鬼拳』アイアック・アークスペインね。オーケー。そっちは任せたわよ!」
「承った。おい野郎ども! 女子供には指一本触れさせんぞ!」
「「応!」」
実のところ彼はとても面倒見が良く、内に熱い魂を秘めた漢であった。
新人教育を最も熱心に行い、彼に心酔する者も数多い。
このとき組織された防衛班が、後のトリグラーブ自警団『エインアークス』へと繋がっていくのであるが。また別の話である。
街の外は、既に魑魅魍魎どもがどこまでも果てることなく跋扈していた。
いかに覚悟を決めたと言っても、殺意に満ちた正体不明の怪物を目の当たりにしては、意気も挫かれそうになるというもの。
皆が中々踏ん切りが付かないところ、受付のお姉さんは先陣を買って出ることにした。
ナイトメア何するものぞと、その身をもって示すため。
「いくわよ! とりゃあーーーっ!」
お姉さんが気合いを入れると、全身が虹色のオーラに包まれた。
本人いわく、「鍛えてたらなんか気合いで出ちゃった」謎パワーである。
彼女は勢いで進むタイプなので、細かいことはまったく気にしなかった。
そして冒険者のお株を奪う超スピードで、闇の最前列に飛び込んでいく。
腰を引き、オーラを乗せた拳を放つ。
《お姉さんパンチ》!
渾身のストレートが影にめり込んだ。
人に触れるなと言っておきながら、彼女自身は思いっきり触れている。
まったくセオリーに反した動きではあったが、自分だけは経験的に大丈夫だと知っていた。
gblgyaaaaaam!
ナイトメアどもはまともな声にならない絶叫を上げて、見事に爆発四散した。
光魔法ばりに効果てきめんである。
なお衝撃は一体のみに留まらない。
拳圧の余波が虹色の渦を描き、闇の軍団を直線状に消し飛ばしていく。
後方から歓声が上がる。
こんなに強かったのかお姉さん。彼女の強さを知っていた一部を除き、みんなもうびっくり仰天である。
同時に、いけるかもしれないという希望が湧き上がる。
当時のアカネは知る由もないことであるが、それは絶望で力を増すナイトメアに対する特効薬であった。
希望こそがそれらの脅威を和らげるのだ。
「そおいっ!」
アカネの勢いはまだまだ止まらない。
きりもみ回転しながら別の集団に突っ込んでいき。
《お姉さんキック》!
一・撃・必・殺! の蹴りが、ナイトメアの一体を霧散解消させる。
やはり余波は凄まじいものがあり、大地に裂傷を作りながら、ナイトメアの一団を消滅させる。
「ふっ。今宵のお姉さんシリーズは一味違うわよ」
攻撃の手は休めない。
両手に魔力を集中させ、思いっきりぶっ放す。
「まだまだもう一発!」
《お姉さん双龍波》!
両腕からそれぞれ光の龍が飛び出した。
双龍はうねりながら大口を開け、数万の軍勢を光の中へ消し去っていく。
これだけ派手にやれば、隙間なく地を覆い尽くしていた軍勢にも、所々裂け目が現れた。
目に見える成果を見せられた手応えを得た彼女は、拡声魔法を使い総員に呼びかける。
「よっし! 隊列が乱れたわよ! みんな、私に続けーーーーーーっ!」
地を揺るがす雄叫びとともに、士気が最高潮に高まった冒険者たちがナイトメアに襲い掛かる。
未だ数の上では遥か劣勢であるが、質と勢いにおいては人間側が凌駕している。
そんな様子を頼もしげに眺めながら、アカネは肩で大きく息をしていた。
大技「お姉さんシリーズ」を立て続けに使ったため、さすがに消耗は小さくない。
あえて消耗してまで大技を使った理由。士気を上げることももちろんあるが。
「きついわね。こんなの一人で全部なんて相手できないわよ」
やはりクレコのことが気がかりだったのだ。
クレコも自分と同じくらいの実力は持っている。
だから自分が戦ってみた手応えで、おおよそのやばさはわかる。
アカネは思った。かなりまずいのではないか、と。
あの大技の連発で、想定よりも仕留められたナイトメアの数はずっと少なかった。いつもの通りにはいかなかったのだ。
明らかにナイトメアはパワーアップしている。それも遥かに。
こっちはまだ頼もしい冒険者の味方がたくさんいるから、何とかなるかもしれない。
でもあいつは、もしかしたら。たった一人でこの軍勢と……。
元々の彼女のプランでは、このような危機的事態があったとき、トリグラーブの冒険者を派遣して対処するつもりだった。
ラナさんを守るクレコをサポートするためのギルドや冒険者の強化でもあった。
しかし現実は……。
ワープクリスタルの破壊によって足を断たれ、さらには現状この場を守るだけで手一杯になってしまっている。
想定より遥かに現実は厳しかった。だが泣き言を言ってなどいられない。
ただ勝つだけでは足りない。なるべく速やかにケリをつけること。
それが被害を減らすことにもなるし、クレコを助ける可能性にも繋がる。
「いつまでも休んじゃいられないわ。とうっ!」
最善最速の勝利のため、アカネは粉骨砕身で戦いを続けた。




