260「ラナの記憶 9」
アカネさん(なぜかさんを付けたくなる雰囲気があった)は、受付台帳を手にしていないとまったく調子が出ないということだったので、持ってもらったまま案内をお願いすることにした。
三人で二泊三日程度の軽い冒険をするつもりだった。
初日はバサの森、二日目はラナクレア湖(また恥ずかしい名前になっちゃった)、最終日はトラフ大平原を回る。
あくまで低級冒険者向けの散策ツアーだから、さしたる危険もないでしょう。
それに私も「女神」としての力は持っているから、もし魔獣に襲われたとしても魔神種レベルでなければ十分対応はできる。
クレコもアカネさんもあまり戦う力はないみたいだから、私がしっかりしないとね。
ワープクリスタルを使ってバサの森へ飛ぶ。
事前に人払いを済んでおり、今日に限ってはほぼ私たちの貸し切り状態だ。
アカネさんが意気揚々と先導を買って出た。
どうやらこちらもクレコと一緒で、外での案内は初仕事らしい。
飄々とした態度とは裏腹に、気合がガチガチに入っているのが「見てわかる」。
「さあ行きましょうかっ! ラナさん! クレコちゃん!」
「こら! 様を付けなさい様を! 黙っていればさっきから! 女神様は敬わなくちゃいけないんですからねー!」
とうとうクレコの火山が爆発した。
こうしてぷりぷり怒っているところを見ると、本当にイコみたいね。
微笑ましくてつい笑ってしまいそうになるから、口元に手を添えて誤魔化す。
「ごめんなさいね。そ・れ・は・無・理」
「どうしてよー!」
「人の上に人はなく。人の下に人もなし。あるものは適材適所、得意不得意だけ。私はそう考えているからよ」
ドヤ顔で返すアカネさん。
へえ。その歳で中々達観した考え方をしているものね。
「人ならそうでしょうよ。でも相手が女神様でもそんなことを言うの!?」
「さてどうかしらねえ。ラナさん見てると、あまり特別扱いはして欲しくないって感じですけど? 私、これでも人を見る目はありますのでっ!」
内心の緊張や恐れなど感じさせないほど、あまりにも堂々と言ってのけるものだから。
とうとう堪え切れずに吹き出してしまった。
「ぷっ……ふふふ! あなたとは良いお友達になれそうですね。アカネさん」
「えーっ!?」
「ありがとうございまーす! ほーら言ったじゃないの!」
「うー……」
自覚のないまま涙目で私を見つめ上げるので、私はなるべく優しい声で言ってあげた。
「もちろんクレコも大切なお友達ですよ」
するとクレコは、外面はふーんと取り澄ましているけれど、内心はにこーっともう本当にわかりやすい喜びに満ちて。
そのままのテンションで、アカネさんに言い返した。
「栄えある第一聖書記イコ様の子孫として、ラナ様の隣は絶対に渡しませんからね!」
「どうぞどうぞ。私、栄えある歴史もクソもないただの受付ですので!」
バチバチと視線を戦わせる二人を見て、この子たちならすぐに打ち解けそうかなと思った。
***
しばらく先の取り合いみたいになったものの、基本はアカネさんに任せる方針なので。
渋々クレコは引き下がり、アカネさんの先導に従って進んでいく。
新人だし、そこはまったく問題にしていないのだけど。お世辞にも素晴らしい案内っぷりとは言えなかった。
動植物の名前がわからないのに始め、よそ見をしていて木にぶつかったり、何もなくても時々木の根に引っかかって転んだり。
堂々とした態度だけは立派なものの、まだまだ実力が追いついていないなと感じさせる場面は多い。
けれど彼女なりに一生懸命やっているのはよく伝わってくるし、何より本人が一番楽しそうにやっているものだから。
自然とこちらの雰囲気も明るくなる。アカネさんに任せて正解だったかしらね。
「ねえ。アカネちゃん。さっきからどんどん鬱蒼とした感じになってるみたいなんだけど、大丈夫なの?」
「あらー? おかしいわね。こっちのはずだったんだけど」
アカネさんは手にした地図に視線を落としながら、首を傾げている。
実際クレコの指摘通りで、明らかにルートを外れている。
本来なら、森の浅い部分を通る道を抜けていく予定だったのでしょう。
今向かっているのは、バサの森深部へ至る方角のはず。
まあ最悪空を飛べばいいから、私からはあえて指摘はしていないのだけれど。
まずくならないうちは状況を楽しみたいという気持ちもある。
ただ私の御付きということで張り詰めているクレコは、気が気でなかったみたいで。
とうとうアカネさんがにらめっこしていた地図を引ったくってしまった。
「ちょっと貸しなさい。見てあげるわ」
「あっ、ちょっと!」
そして見るなり、彼女はすぐさま青くなってキレた。
「あーっ! バカー! 地図が逆さじゃないのよー! 全然逆の方進んじゃってるわよ! 何やってんの!」
「うわっちゃー! またやっちゃったわ! ごめんなさいっ!」
言い訳もせず勢い良く頭を下げるアカネさんに、しかしクレコの溜飲は下がらないようで。
「もう。謝って済むことじゃないわよ。ラナ様にもしものことがあったらどうするの! 勢いばっかりでとろ臭いんだから! このにぶちん!」
「うう……ほんとおっしゃる通りで。めんぼくないわ」
「まあまあ。そのくらいにしてあげて。悪気があったわけではないのですし」
「……ラナ様がそうおっしゃるなら。よかったわね。ラナ様がお優しくて」
「すみませんでしたーっ!」
「ほんと。空元気だけは人一倍ねー」
クレコはアカネさんに呆れた目を向ける。
それから私に向き直って言った。
「それで、いかがしましょう?」
「そうですね……。いざとなれば空に迎えを呼ぶことにしましょう。ですがせっかくですから、このまま本当の冒険と洒落込んでみるのも良いかもしれませんね。本来冒険とは、道なき道を進むものですから」
「おおーっ! さすがはラナさん! 冒険の醍醐味をわかっていらっしゃいますねえ!」
「こら。あなたが招いたことじゃないのよ」
クレコはアカネさんをポカッと叩いた。
「あたた――ふっ、効いたわ」
「確かにとんだ問題児よこれ……」
ガランドの苦労がわかったのか、クレコは頭を抱えた。
***
本来の道から外れるということは、そこはもはや低級冒険者向けのエリアではなく、魔獣もより強力なものが現れる。
A級やB級に属する魔獣が断続的に襲ってくるようになった。新米の二人にはとても対応できるものではない。
ほら、話をすればまた一匹。
「ひゃあああーっ!」
「ひいっ!」
「――あるべき場所へお帰りなさい」
牙を剥き出しに襲い掛かってきたボーゲイドを、光精霊魔法で消滅させる。
「女神」である私に想起された属性は光。光の精霊を従える者。
みんなのイメージが折り重なって、私は強力な光の魔力を得ていた。
「うおーっと! ラナさんの光魔法がまたまた炸裂ーっ! 怖ろしい魔獣を一撃で吹っ飛ばしたあああーーーっ! ありがとうございます助かりましたーーー! すごい! すごいですっ!」
「すみません。本当は私がラナ様をお守りしなくちゃいけないのに、すっかり逆で……」
「いいのですよ」
……だけど。そうしなければこちらが危ないとはいえ。
自ら【想像】し、トレインに【創造】してもらった魔獣たちを手にかけるのはやっぱり心が痛む。
彼らは私たちを恨んでいる。特に私を強く憎んでいる。
どうしてこのような呪われた身に創ったのかと。
「それにしたって。私もあまり人のこと言えないけど、そんなへっぴり腰でよく冒険者ギルドで働こうなんて思ったわねー。何かと荒っぽい職場だし、いつも大変じゃないの?」
クレコの言葉は厳しいが、心配からのものだ。
もっと危なくない仕事の方が向いているんじゃないかと、この子は素直にそう思っている。
私も気になるところではあった。
「どうしてアカネさんは、ギルドで受付をしようと思ったのですか?」
「んー、そうですねえ……。この世界が好きだから、ですかね」
アカネさんは、この日初めての照れ笑いをした。
「へえ。嬉しい言葉ですね」
「ラナ様がお創りになった世界だもの。当然よー!」
「そうね。だから今日はマジで楽しみで! やっぱり思った通りの優しい人でしたし! いや~、素敵な世界ですよね! この世界の豊かな空も海も大地も、全部好きなんです! 私!」
魂を見るまでもない本心からの言葉に、私の胸にもやや熱いものがこみ上げる。
「ふーん。それはわかったけど、それとギルドってどういう関係なのよ」
「だけど」と、アカネさんは続ける。
「だ・け・ど! もっと好きなのはそこで生きる人たちよ! 私、楽しいこととかお祭り事がほんっとうに大好きで! そういうのを見てるのが大好きで! ギルドにいると、毎日がお祭り騒ぎみたいで飽きないの!」
うんうんと、自分の言葉に頷きながら答えるアカネさん。
「なるほどねー」
なるほど。それで受付なのですね。
「で、私はそんなレディース&ジェントルメンの楽しいを手助けして、もっともっと盛り上げたい! みんなの隣! 頼れる受付のお姉さんに! なりたいのよ!」
高らかに拳を突き上げたアカネさんは、この日一番輝いていた。
けれどその輝きはもう続かなくて。拳が下がるのと一緒に、心の方もしぼんでいく。
「……とまあ意気込んではいるのですけど。実際のところは頼りなくて、怒られてばっかりだし。仕事はとろ臭いし。今日だってねえ」
どうやら本気で凹んでいるみたい。
そうだよね。せっかくの大任なのに失敗ばかりじゃ、さすがに嫌にもなるよね。
「マイク持ったつもりにならなきゃ、ろくに喋れない上がり症だし。持ったら持ったで加減効かなくて空回りしちゃうし! 昔から変な奴だっていじめられて、叩き出されるように村から出て来たクソなっさけない女なんですよねー! あははー」
アカネさんはカラカラと笑っているが、心は泣いていた。
「アカネちゃん……。なんか……ごめんね」
これまでの物言いが過ぎてしまったと、すっかりしぼんでしまうクレコ。
私のためにときつくなっていただけで、心根の優しい良い子なのだ。
私はクレコの頭を撫でてから、アカネさんの目を見つめて言った。
「なれますよ」
「へ?」
きょとんとするアカネさんを励ますように、もう一度はっきりと告げる。
「あなたが心から望んで行動するなら。きっとなれますよ。みんなの頼れるお姉さんに」
「マジですか?」
「ラナ様……」
私は昔のことを思い返しながら、二人に言い聞かせる。
「実はね。私も昔はイコ――この子のご先祖様にだけどね。何をするにもとろ臭い奴だってよく叱られてたし、心配されていたのですよ。あんまりとろいから、明日の命も危ないんじゃないかって」
「なんですって! ラナさんが!?」
「えーっ!? 初めて聞きました! とても信じられません……!」
心底驚く二人に頷き、微笑みかけて続ける。
「そんな私でも、今では神様と呼ばれるまでになったのですから。あなただって頼れるお姉さんくらい、きっとなれますよ」
「ほんとになれますかね」
「なれます。だからしゃんと胸を張りなさい。くじけることがあっても、芯では威張っていなさい。あなたの理想に負けないように。人はなりたいものになれるのです。いつだって可能性は開かれている。そう願って築き上げた世界なのですから」
ここまで言ってあげると、アカネさんはすっきり胸のつかえが取れたようだった。
「……ふっふっふ! そうですかそうですか! やっぱりわかる人にはわかっちゃいますか! この私に秘められた才能ってやつが!」
「もう。ちょっと励まされたくらいですぐ調子に乗るんだから」
言いながら、クレコもまんざらでもない様子。
散々引っ掻き回してくれたこの娘がしょげ返っているよりは、呆れるほど元気な方が素敵だと思っているみたい。
受付台帳を天に掲げて、アカネさんは高らかに宣言した。
「いいでしょう! 女神さんのお墨付きならば! やってみせようモココビス! 世界一の受付のお姉さんに、私はなるッ! 必ずなってみせるわ! わっはっはーーーっ!」
「あー! なんかそういうのずるい! 私も! 私だってイコ様を超える歴史で一番の聖書記になるんだから! あなたみたいなとろいのに負けてられないのよー!」
「ふっ。さすが我がライバルね。その心意気や良し! ならば!」
「いつからライバルになったのよ。でもいいわ。ならどちらが先に辿り着くか」
「「勝負ね(よ)!」」
若いっていいわね。夢と希望に満ち溢れていて。
新しい世代の門出を、私は微笑ましい気分で見つめていた。




