240「トリグラーブ攻防」
リクの前に現れた俺は、ひとまず彼が五体満足なのを確認してほっとする。
運良く襲われなかったようだ。
「ユウさーーーん!」
安心感からか泣きつく彼を、気持ちを理解しつつもなだめて引き離す。
来たはいいものの、あの男を相手にリクを守りながら戦うのは無理だ。
下手をすれば奴は、リクを優先して狙う恐れすらある。一緒には行けない。
けど単純に一人にするわけにもいかないよな。
幸運はいつまでも続かないだろう。もし襲われれば、リクはひとたまりもない。
非常事態だ。これしかないか。
ハルにかけているほどは無理でも、強めの《マインドリンカー》をかけることにした。
自分の変化に気付いたリクは戸惑っている。
「あれ? なんかふわふわして落ち着かないんですけど。ユウさん何かしました?」
「補助をかけた。その辺のナイトメアになら、簡単にはやられないくらいの強度はあるはずだ。でも過信しちゃダメだよ。君は戦い方を知らないから。その力は自分の身を守るために使ってくれ」
俺の言葉や素振りから、自分と一緒にいるつもりはないと確信したのだろう。
リクが尋ねてくる。
「ユウさんはこれからどうするつもりですか?」
「じきにランドたちも来る。みんなと合流して元凶を叩く」
「元凶?」
「……この襲撃は人為的なものだ。ナイトメアを制御し、機械兵士を操っている奴がいる」
「そんな! こんなひどいことをする奴がいるんですか!? どうして!?」
リクは狼狽し、怒りを振り絞る。
「さっきだって! 外で子供たちが助けを求めてたんだ! 僕は……僕は、ここから見ていることしかできなかった! あの闇の化け物が何の罪もない子供の胸を突き刺すのを! 首を刎ねるのを!」
彼の目には、ついに涙が滲んでいた。
「僕が弱いから! 何の力もないからっ! ただ震えて、ユウさんに助けを求めるしかできなくて……っ!」
「……仕方ないさ。誰だって戦うための力を持っているわけじゃない。せめて君が無事なだけでもよかった」
「僕、悔しいです……! 許さない。僕はそんな奴絶対に許さない! ユウさん、やっちゃって下さい!」
「ああ。やれるだけのことはやる――俺だって怒っているんだ」
***
リクの家を飛び出した俺は、まず奴の気配を探した。
ヴィッターヴァイツはどこにいる……?
……見つからない。どうやら完璧に気配を消しているようだ。
ダイラー星系列に容易に位置を悟られないようにしているのか。
悪意感知でも無理だった。
まったくナイトメアが忌々しい。強烈な悪意を持っている対象が多過ぎて、とてもじゃないが奴を特定できない。
普段は鋭敏に働く悪意感知が、かえって鬱陶しいほどだった。
正気を失った殺戮メイドが一体、俺に向かって光線銃をぶっ放してくる。
易々とかわした俺は、返す刃で――いや、こいつは単に操られているだけだ。
元々が凶悪なナイトメアと違って、【支配】から解放すれば。
斬り倒すに代えて、咄嗟の判断で右手を頭部に押し当てる。
《マインドディスコネクター》
心の力が【支配】を打ち破る。どうやら生物じゃなくてもちゃんと効くみたいだな。
本来の理知を取り戻したシェリングドーラは、放心したように俺を見つめている。もう俺をどうこうしようというつもりはないらしい。
また【支配】されるということもない。俺がこの技をかけた相手には耐性ができるようだ。
「俺の言ってることがわかるな? お前からすれば俺も敵かもしれないが、何を最優先すべきかはわかるはずだ。さあ行け!」
彼女はこくりと頷き、本来の任務に戻っていった。これで一人でも助かるといいけど。
奴が見つからない以上、まずはどうする。どこへ行くべきか。
シズハがいるエインアークス本部か。ハルのいる市立病院か。
エインアークスには戦う人間が揃っているけれど、あくまでも現実世界基準だ。
ナイトメアや機械兵士を前にすれば、無力な一般人とそう変わらない。助けが必要だ。
どちらに向かうにせよ、一旦街の中心部には行くことになる。
リクのアパートから都心部に向かって駆けて行く。
見かけたナイトメアは光の気剣で斬り払い、機械兵士たちは正気に戻しながら。
道中、逃げ惑う人々に何度も出くわした。どこでも騒音や人の泣き叫ぶ声は止まない。
目の前で危ない人がいれば、助けられる者は助けた。助けないわけにはいかなかった。
感謝を言ってくれる人もいれば、身を嘆くばかりしかない人もいる。
身内を目の前で殺されたある人は目の光を失い、項垂れるだけで何も喋ってはくれなかった。無理もない。
どんなに急いでも、俺が見つけたときに事切れていれば手遅れだ。
俺が気付いたときには、既に首に手をかけられて殺される寸前の者もいた。
必死に手を伸ばしたが、間に合わなかった。涙を堪えて敵を斬った。
またせっかく人々が建物に逃げ込んでも、特にナイトメアの奴らは人の恐怖を知る術に長けているらしい。
徒党を組んで襲撃している様子があちこちで確認できた。
中ではどんな悲惨な状態になっているのか。想像するだけで心が痛む。
できることなら建物の一つ一つに押し入って、奴らをすべて叩き出してやりたい。みんなを助けたい!
だがそれには時間が足りない。人手が足りない。力が足りない!
戦える者の少なさを嘆く。
せめてここがラナソールなら話は違っただろう。
レジンバークの屈強でユーモアに溢れる冒険者たちは、心無い侵略者たちの横暴を決して許しはしないはずだ。
それにレンクスやジルフさん、エーナさんがいれば……!
だがここは現実世界。御伽話の英雄たちはいない。フェバルもいない。
巨敵に挑むには、あまりにもちっぽけな自分たちだけだ……。
リクじゃないが、俺も叫びたい気分だった。
全員を助けられない無力な自分が悔しい。
ヴィッターヴァイツ! どこだ!
どうしてこんなことをする。何が目的なんだ。
こんなことをして何になる? ただ力のまま衝動的に暴れ回ることが、お前の生き甲斐だって言うのか?
本当にこんな恐ろしく、何も生まないことが!?
ならば、ちまちまと手駒に攻撃させるのはなぜなのか。
あいつがその気になれば、トリグラーブ一帯が消し飛んでしまっても不思議ではないのに。
答えはやがてわかった。
近くで大きな爆発が起こったが、見えない何かに弾かれるようにして掻き消えたのだ。
そのとき、結界的なものが建物を守っていることに気付いた。
力の発生源は――。
空を見上げる。
上空にバラギオン六体が集まって、防御を張っているのが見えた。うち一体は紅い。
周囲ではさらに四体が旋回しながら、光線を雨あられと放って次々と敵を撃ち殺している。
どうやらバラギオンだけは、奴に操られずに応戦しているようだ。
実に十体のバラギオンが一堂に会するなんて、エルンティアのみんなが聞いたら倒れそうだな。
だが今だけは敵の敵であることを心強く思う。もしバラギオンまで襲う側に回っていたらやばかった。
なるほど。ダイラー星系列がしっかり防御を固めているから、まだこの街が無事な姿を保っているんだな。
それに考えてみれば、大きな攻撃を仕掛ければ必ず彼らに位置がバレてしまう。
ヴィッターヴァイツの慎重さには敵ながら舌を巻く。
あいつ、やることは派手なくせに計算高いんだよな。
結局俺たちが探し回っても奴の居場所は特定できなかったし。本当に厄介だ。
都心部に差しかかったくらいで、ランドから心の声で呼びかけられた。
『ユウさん! 今どこにいるんだ? 俺たちも近くに転移して、今走って向かってるとこだぜ!』
『もう街の中だよ。中央区にいる。ただ、敵の居場所がわからないんだ』
『もし見つけても一人で早まらないで下さい。あたしたちもすぐ行きますから!』
『わかってる。俺も一人で戦おうなんて思ってないよ』
できることならな。
他のみんなと合流するまで、奴が悠々と沈黙を貫くのか。俺には自信がなかった。
シルヴィアから、活の入った声が飛んでくる。
『シズハから伝言よ! 彼女は私の力を使ってみんなを守ってる。だからこっちは心配するな、お前はお前の仕事をしろ、ですって!』
『そうか。君と心を繋いだときに副作用で力も繋がったのかな』
何にしてもありがたい。
上位S級冒険者であるシルヴィアの力を使えるシズハなら、簡単にやられはしないだろう。
リクと違って戦い方をよく心得ている。
だったら俺は病院へ行こう。ハルが心配だ。
繋がって力を与えているとは言え、彼女はとても戦える身体じゃない。
パワフルエリア外では歩けないから、自分では満足に逃げることもできない。
ひどく怯えているのはしきりに伝わってきている。
それでもなるべく俺に心配をかけまいと、自分のために助けを求めるのを我慢しているのだ。
そんな健気な彼女の頑張りも、状況は許してくれなかった。
『ユウくん。どうしよう……。ナイトメアが入ってきた。すぐ下の方で悲鳴がするんだ……。怖いよ……』
『ハル! 待ってろ。もうすぐだ。すぐ助けに行くからな!』
《パストライヴ》を駆使し、俺はわき目も振らず駆け出した。
もうそんなに距離はない。急げ。
彼女が危ない!




