205「『絶望の時代』を終わらせるために」
アルを追ってアルトサイドに突入した『黒の旅人』ユウであるが、中々彼の所在を掴めずにいた。
――アルめ。「存在を薄めている」な。
ダメージを受けた状態で戦うのは危ないと踏んだのだろう。
ユウは彼の強かさと慎重さに内心毒吐く。
ただ「存在を薄めている」だけならば、ユウはすぐにでも彼を見つけることができただろう。
だが『黒の旅人』の力は、ほとんどあらゆる面で今回のユウを遥かに凌駕するものの。
唯一、『心の力』だけは著しく低下している。
殺意や悪意といった負の感情以外のものを正確に読み取る力に欠けているのだ。
アルトサイドには負の感情が満ちており、それがノイズとなってアルの居場所の把握を妨げていた。
なるほど。俺への対策はしっかりやっているというわけか。
自分ごとアルトサイドと二つの世界を消し飛ばすことは、いつでもできる。
だがアルがいる以上、世界を消し飛ばしても宇宙の穴がすぐには塞がらないよう処置される危険があった。
また上手くいったとしても皆殺しには違いない。今回のユウに恨まれるだろうとも思う。
あくまであいつの成長に賭けるならば、強引な解決は最終手段とすべきだろう。
自分がそう判断すると見越しての、奴の逃げの手であることを理解し。
掌で転がされているような気分を覚えたユウの瞳は、ずっと険しいままだった。
とりあえずは、アルがアルトサイドでしか存在できないことははっきりしており。
奴が目立つ動きをすればすぐに捉えられるよう、神経を研ぎ澄ませておくくらいしかなかった。
近くにいれば「存在を薄めていて」も確実に感知できるよう、『意識のフィールド』を展開しつつ移動を開始する。
アルの高度な存在隠蔽に対抗するレベルでは、今の力の落ちたユウでは半径300kmほどが限界だった。
オリジナルならば、アルトサイド全域は余裕で覆えたが。
最も深い闇を抱えるユウは、とにかくナイトメアに好かれた。
万を超える数のそれらが絶え間なく彼に襲いかかり続けるが、悪夢をも殺す『黒性気』の前ではまったくの無力だった。
哀れ敵は彼に触れるまでに、すべて跡形もなく消し飛んだ。
やがて、『意識のフィールド』に何かが引っかかった。
ユウは捉えた方角に目を向ける。
平面的な世界であるために地平線はなく、優れた視力であれば目視することができた。
シルヴィア・クラウディか。
今回のユウの記憶から、あいつの友人の一人であると『黒の旅人』は理解する。
そもそもラナソールなど、今まで存在しなかった世界であり。
これまでのトレヴァークは何の変哲もない、実につまらない世界だったのだ。
よって『黒の旅人』は、現実のシズハのことはよく知っていても。
シルヴィアのことは、今回のユウの記憶以上には知らなかった。
確か世界の最果てを目指していたはずだが。どこかで落ちてここへ来てしまったのだろうか。
心を読めれば真実は簡単にわかるが、あいにく『黒の旅人』にはその力が欠けている。
一見して、彼女の状態は危険だった。ナイトメアに取り憑かれている。
シルヴィア本人に後ろ暗いところはないのだろうが、もう一人の彼女であるシズハの暗殺者としての生き様こそは闇に好かれるものだった。
そこで遠慮もなく、大量にけしかけてきたのだろう。
だがユウがこちらに来て比較的すぐに見つけられたのは幸いだった。
まだ完全には闇に呑み込まれていない。
ひとまずは彼女に取り憑いている闇を「殺す」。ほんの一睨みするだけで済んだ。
闇は消し飛び、彼女の命は救われた。
人一人を救った。
たったそれだけのことなのだが、『黒の旅人』ユウの心には静かな感動の波が立っていた。
――そうか。
今の俺には、「人を助けることができた」んだな……。
【運命】の力によって翻弄され続け、孤独にされ続け。
ついには最期まで、友達や仲間というものとともに生きることができなかった。
そうなれた可能性のある者は、皆【運命】に殺された。
直接的には、他の誰かや何かによって殺されるのだが。
それを避けようとしても、必ず死ぬよう因果が収束するのだ。
理を破壊し、大銀河をも消し飛ばし、宇宙を捻じ曲げるほどの力をもってしても。
彼には誰一人として、親しい者を救えなかった。
敵は彼に独りで戦うことをずっと強いてきたのだ。
そのことを暗示的に理解してから、彼は誰にも心を開かなくなった。
それが唯一、自分のような冷たく恐ろしい人間に心をかけてくれる素晴らしい人たちを巻き込まない道だと悟ったからだ。
そんな呪わしい【運命】の影響力が、今はほとんどなくなっている。
オリジナルの彼がすべてを投げ捨ててまで望んだ猶予は、確かに実現していた。
どんなに手を差し伸べようとしても、絶対に心を許した人間を救えない。
親しくなった者ほど確実に殺される。
そのことが、心優しく純粋な今回のあいつをどれほど傷付けることか。
そのままにしておけば、自分と同じ修羅の道へ堕ちることは容易に想像できた。
第二の『黒の旅人』が生まれるに違いない。
それではいけないのだ。
数えるなど嫌になるほど繰り返しの果てに生まれた、奇跡の存在を。
自分と同じ轍で失ってはならない。
星海 ユウに人と触れ合える人生を。自分の歩めなかった道を。
俺に辿り着けなかった地点へと。
その一心で決断したことではあるが……。
巡り巡って、自分にも恩恵が返ってくるとは思わなかった。
だが……。
やはり人助けのヒーローにはなり切れないようだ。
彼女の命は助かったが、意識は戻らない。
穢されたリンクを正しく結ぶには、やはり『心の力』が必要だ。
今回のユウにできて、『黒の旅人』ユウにはできない数少ないことで。
そして大切なことだった。
精々彼女が再び闇に呑まれないよう、防御をかけてやるくらいしかできない。
それでも『黒の旅人』は満足だった。
後のことは今回のユウに託せば良い。あいつならやってくれるはずだ。
すると突然、アルの気配が捉えられる程度には濃くなった。
そして、アルトサイドを覆っている常闇が一か所に集中していく。
何かが生まれようとしていた。それを創っているのは当然アルだ。
奴の気配を捉えて瞬間移動しようとしたが、またすぐに奴は「存在を薄めて」逃げてしまった。
あまりの手際の良さにユウは舌打ちしたくなったが、堪える。
それほど自分を脅威に感じていることの証拠だ。
焦るな。倒せるチャンスはある。
代わりにユウは、新たに出現した敵に意識を向ける。
何を創ったのかは知らないが、時間稼ぎをしようとしているのは理解できた。
彼の創ったものは悪意の塊であり、放置すれば厄介なものであることも。
アルの完全復活は、そのまま奴の影響力の復活に繋がる。
いつか直接対決は避けられないとしても。
今ではない。今はまだ早い。
小さな希望の光が育つには、まだ時間が必要なのだ。
ユウは、どこにいるとも知れないアルへ語り掛けた。
届かないだろうと思いながら。
憎悪だけではない、哀れみの心をもって。
これまでの『黒の旅人』ならば、絶対にあり得ないことだった。
今回のユウの中にずっといたことで。ユウとユイの温かな心に触れ続けたことで。
冷たさばかりだった彼の心にも、確かな変化はあったのだろう。
「なあ、アル。俺たちの時代は……『絶望の時代』は終わるべきなんだ」
次の世代が。
【運命】に囚われない世代が芽吹こうとしている。
それはお前たちにとっても絶望ばかりではない。
停滞した運命を塗り替える可能性なのだと、ユウは思う。
薄々わかっているから。お前だって『異常生命体』を利用しているんじゃないのか。
そうしなければ。【運命】から徹底的に外れてしまった今のユウを叩き潰せないと理解しているから。
アルも『黒の旅人』も【運命】に囚われた人間である。
今さらあり方を変えることはできない。
だがそれでも。彼にしかできないことはある。
ここでアルのコピーを倒す。奴をどこにも行かせはしない。
今回のユウに今少しの猶予を与えるため。
未来に希望を繋ぐため。
過去に囚われているアルには見えないが、今のユウには確かに見える。
小さな光を束ねて、いずれ【運命】に立ち向かうあいつの姿が。
その未来のためなら。
とっくに最後の仕事を終えたと思っていたが。
あと一仕事を加えるのもやぶさかではない。
ひとまずは新しい敵を叩くか。
ユウはアルの創り出した闇に向かって、ワープした。




