187「ただ独り旅をする」
深い森に身を隠しながら、戦闘で疲弊した身体を労りつつ。
目立たないように、かつ速やかに戦闘現場から離れた。
今のところさらなる追手は来ていない。
もし見つかっているなら、すぐにでも超音速の彼女らを差し向けてくるだろうから。
何もないということは、見つかっていないのだろう。
それでもいつ不意を衝いて襲ってくるかわからないので、気を張らないわけにはいかなかった。
行くあてをゆっくり考える余裕もなく。ひたすら逃げていると、いつの間にか日が暮れていた。
今日はこの辺で野宿するか。
能力を使いこなせるようになってからは『心の世界』に色々と持ち込んで便利にしていたから、何もないガチの野宿は久しぶりだな。
一応イオリに分けてもらった食料はあるけれど、それほど量があるわけではない。
もしものときを考えると、現地調達できるときはしておく方がいいだろう。
本で得た知識と観察眼を頼りに、近場で食べられそうな山菜を探していく。
森は素人には厳しい所だけど、慣れている者にとっては食料の宝庫だ。
ついでに魔獣でない獣を一匹見つけたので、狩って血抜きをしておいた。
これだけあれば十分かな。
次は火を起こそう。さすがに小さい火くらいなら、敵にはバレないだろう。
『火をおね……』
……ああ。そうだったな。
ほとんど意識せず頼ってしまうくらい、ずっと側にいてくれてたんだな。君は……。
首を振って、どうにか気持ちを切り替える。
ライターの類は今持っていないから……原始的なやり方でいくしかないか。
生木なんて中々火が付くものじゃないけど。
ステルス状態の気剣を使って木を刈り、板を作る。
棒状にした気剣を両手で持ち、先端を板に添えて。
《スティールウェイオーバー…………摩擦》
行動の自動化は単純作業にこそ向いている。放っておいても手は無心に板を擦り続ける。
普通の木の棒よりも熱量があることも手伝って、思ったよりは早く火が付いた。
よし。これで山菜や肉が焼ける。
板を作ったときに余った木材を串に加工して、串焼きにする。
しばらく待っていると、美味しそうな匂いが立ち込めてきた。
できたかな。
「あっちっち」
うん。よく火が通ってるな。
調味料がないからあまり美味くはないけど、いけないこともない。
大自然のバーベキューか。
こんな状況じゃなかったら、ロケーションを楽しめるんだけど。
ハルは憧れてそうだよな。こういうの。
……あの子も無事かなあ。心配だ。
何とかしてダイラー星系列に気付かれないように、トリグラーブに入らないとな。
と言ってもどうするか。
おそらくどこのめぼしい町も、例のバリアで特定の窓口を除いて封鎖されているんだろう。
念のため確かめようとは思うけど、普通に向かっても無駄足になりそうだ。
となると、俺と繋がった人間のパスを複数回利用するのはどうだろうか。
ラナソールを経由して、再びトレヴァークの別の場所に向かうルートはいけそうか。
俺だけの特殊な移動方法を、さすがに連中が把握しているとは思えない。
……ただし、ラナソールそのものが存続しているなら、という絶対の前提条件は付くけれど。
現状を確かめるためにも、一度ラナソールには行っておきたい。
よほど小さな村とか、もっと孤立した場所だったら、バリアが張られていないかもしれない。
まずはそういうところで、かつ俺と絆を結んでいる人を探して……。
ここからだと、ナター湖畔のブラムド博士のところが候補としては近いか。
まあとりあえずの方針は決まったかな。
方針が決まって落ち着くと、どっと疲れが押し寄せてきた。
ご飯を食べたらすぐに寝ようか。
獣の肉を齧りながら、今日のことをぼんやりと振り返る。
「彼女」たちとの戦い。咄嗟に機転が利いたから助かったけど……。
できれば《センクレイズ》一発で決めたかった。俺もまだまだだな。
そう言えば、《センクレイズ》は未完成の技なんだってジルフさんは言ってたっけ。
ただ気剣に気を込めて斬るだけ。
とても単純なのに奥が深い。不思議な技だ。
ただ強いだけの気剣は真っ白なのに。
あの技を撃とうと力を込めていくと、どんな弱々しい気剣でもなぜだか青く色付いていく。
そして、より力を込めるにつれて徐々に青みが深まっていき、威力も増していく。
けれども、どこまでいっても青白までで止まってしまう。
決して綺麗な深青にはならないのだと、ジルフさんはぼやいていた。
さらに気の扱いを極めればいつかは辿り着けるのか。それとも気力以外の何かが必要なのか。
わからないと言っていた。
一つ言えることは、この技に対する思い入れそのものが、技の完成度や威力に少なからず影響を与えるということだ。
《センクレイズ》は気剣の奥義にして、気力のみの技にあらず。
生命の神髄は生命エネルギーという単純概念を超えて。
存在というか魂というか、そういう曖昧だけど強いものまで込めて放たれるものらしい。
もしかすると、心を司る力を持つ俺ならば。
いつか真の《センクレイズ》を完成できるかもしれないと。
ジルフさんに笑って、後を任されてしまった。
どうしたら《センクレイズ》をさらに進化させられるかなんて、皆目わからないけれど。
それができたとき、俺は胸を張って強くなったと言えるだろうか。
今後の課題であり、目標だな。
そんなことを考えながら、次の串に手を伸ばそうとしたとき。
こちらへ近づいてくる生命の気配を感じた。
なんだろう。
気配があるということは、ラナソールの魔獣じゃない。
それにあまり強くもないようだし。
火を怖がらない獣か。どんな奴だろう。
いつでも動けるように身構えながら、向かってくる方向を注視していると。
「きゅー」
可愛らしい鳴き声とともに、薄汚れた白い体毛に全身覆われた獣がぬっと現れた。
その攻撃的とはほど遠い丸みを帯びたフォルムに、俺はほっとして警戒を解いた。
なんだ。モコか。
野生だ。愛玩用の小さいやつではないから、腰の高さほどの大きさはある。
しかしつぶらな瞳や穏やかな気性はそのままだ。
「きゅー」
「はは。人懐っこい奴だな。お前」
こんなに人を恐れずにすり寄ってくる野生の子は初めてだった。
もしかして元は飼い慣らされていたのが、野生化したとかだろうか。
頭を撫でてやると、気持ち良さそうにしている。
「でもお前、どうしてこんなところにいるんだ。普通は草原にいるものだろう?」
間違っても、こんな森のど真ん中にいる習性じゃないよな。
「きゅーきゅー」
「……うーん。さすがにただの動物の言葉まではわからないや。ごめんね」
ただ何となく、何かを伝えようとしてくれたのは理解できた。
「ってお前、よく見たら怪我してるじゃないか」
「きゅー……」
深い毛に覆われてちょっと気付きにくかったけど、鋭い爪で引っ掻かれた形跡がある。
決して浅くはない傷だ。
薄汚れた姿と、一匹だけで普通はいないはずの森にいるという事実から、何となく背景が推測できた。
大方突如現れたラナソールの魔獣に住処を追われて、必死に逃げてきたのだろう。
「痛いよな。すぐ治してあげるよ」
気力による治療を施してあげると、みるみるうちに傷は塞がった。
「きゅーきゅーきゅー!」
治してもらったということを理解しているのだろう。モコは尻尾を振って喜んでいる。
さらに近付いて、顔を舐めてきた。
「わっ、くすぐったいって!」
生臭い親愛表現だけど、悪い気はしない。
「きゅー」
「あはは。どういたしまして」
ぽんぽんと頭を撫でてやると、ふと残りの串が目に入る。
そう言えば、モコは鼻が良いんだったな。
もしかしてお腹を空かしていて、バーベキューの匂いにつられてやって来たんじゃないか。
採った食べ物には、モコの毒になるようなものはないはずだ。
余計な味付けはしてないし、焼いただけのものならこいつにも食べられるだろう。
俺は串から山菜を外し、適当に千切って手に乗せて。モコに差し出してみた。
「食べるか?」
「きゅー!」
やっぱり相当お腹を空かせていたみたいだ。
手に乗せた分は、一口でぺろりと平らげてしまった。
「ほら。焦って食べなくてもまだあるからさ」
元々俺一人分しか採ってなかったから、まだ腹五分目だけど。
目の前のモコがあまりに美味しそうに食べるものだから、見ているだけで十分な気持ちになった。
一飯をともにしたモコにはすっかり懐かれて、寝るときまで一緒にいた。
雨風を凌ぐテントなどもなかったので、正直動物の体温はありがたかった。
「お前も独りぼっちなんだよな……」
「きゅー……」
魔獣に追われ、群れからはぐれて逃げてきたこいつの境遇と。
今は仲間とはぐれ、孤立無援で敵から逃げ続けている自分の境遇が重なって。
妙に感傷的な気分になっていた。
寂しかったのかもしれない。
抱き寄せて白毛に顔を埋めると、温かさが心に沁みた。
「あったかいなあ……」
ほとんど触れ合いだけのコミュニケーションだけど、一人きりで過ごすよりは随分救われた気がする。
一人と一匹の夜は、和やかに過ぎていった。
翌日。
燃えた跡を片付けるときも、モコはずっと側に付いていた。
このままだとずっと付いてきそうな勢いだ。
でも悪いけどそういうわけにはいかない。事態は差し迫っている。
モコの足に旅の速度を合わせるわけには……いかないんだ。
出発の前、泣く泣く別れを告げることにした。
「ごめんな。お前とは一緒に行けない」
「きゅ?」
たぶん言ってもほとんど理解できないだろう。
けど、けじめも込めて。俺はできるだけ正直に言った。
「俺、きっとお前が安心して暮らせる世界に戻してみせるから」
「きゅー」
「だから……それまで、魔獣に襲われて死ぬんじゃないぞ。ちゃんと逃げるんだぞ」
群れからはぐれたモコが、たった一匹で凶悪な魔獣どもから逃れて生きていく。
なんて厳しいことだろう。ほとんど生きられないだろう。
ここで別れるのはほぼ見捨てるに等しいことだと、俺にはわかっていた。
それでも。一匹のモコと世界を天秤にかけて、後者を優先しないわけにはいかなかった。
――何が違うんだ。
二つの世界と宇宙を天秤にかけて、後者を優先しようとするウィルと。
人か動物か。あるいはスケールの違いだけじゃないのか。
わからない。正当性なんてない。
きっと自分の価値観でしかなかった。エゴでしかなかった。
俺は人間だからと、無理やり言い聞かせて。
最後に優しくモコの頭を撫でて、せめてもの願望を託す。
「元気でね。生きるんだよ」
そしてすぐ、モコに背を向けて走り始めた。あいつが追いつけない速度で。
振り返ると未練が残るから、そうしなかった。
「きゅ!」
最後に、モコの力強い鳴き声が聞こえた。
それはあいつの「生きてみせるよ」という意思表示に思えた――。




