170「トリグラーブ首脳会談 2」
シルバリオは裏社会の人間であるため、基本的に人目に付く場に出ることはない。
しかしながら、一般民衆もエインアークスが社会において主要な位置を担う存在であることをよく承知している。
星の趨勢を占う重大局面において、建前よりも実質が優先された。
首相が求めたのは、緊急国会への出廷である。
そのゆえもあって、彼は市民の象徴である銀バッジを付けて場に臨むことを決めたのだ。
トリグラーブを首都に置くラグル都市連合は、グレートバリアウォール全域と『世界の道』トレヴィス=ラグノーディスを含む世界最大の都市連合国家である。
この国の判断がすなわち、世界の行く先を決める。
全世界の人間が注目する中、シルバリオは無条件降伏を強く主張した。
平常のやり口から強硬派と目されていたエインアークスの降伏宣言は、大きな反響をもって受け入れられた。
あくまで徹底抗戦を唱える国軍に対し、シルバリオは理性的に抗戦の非現実性を説き続ける。
議論は相変わらず平行線だが、彼の熱弁にやがて野次は小さくなり、聞き入る者が増えつつあった。
国軍とエインアークスが議論を戦わせる間で、第三の勢力であるレッドドルーザーはどっち付かずの曖昧な態度を取り続けている。
既に本社襲撃という手痛い経験をしている彼らは、どちらかと言えば慎重だったが。
議論の勝ち馬に乗れば良いと考えているようであった。
結局、結論が出ないまま、無情にも三時間は過ぎてしまった。
再び、男の声が皆の頭に響く。
『時間だ。回答を聞こう、と言いたいところだが……。議論については、一部始終を見させて頂いた。誠に残念なことだ』
失望した声に、緊迫が高まる。
宣言通り、武力攻撃が始まってしまうのかと。
数拍の沈黙の後、男の声は淡々と続く。
『しかし賢明な者もいるようだ。そこで諸君に今一度、考えるための材料を与えよう』
議場はざわめいた。
材料とはなんだ。何をする気なのか。
それはすぐに判明した。巨大人型兵器の一体が動き出し、胸部が光り輝き出したのである。
男は、バラギオンの一体に命じた。
『No.1フォアデール――撃て』
直後、眩い光の束が解き放たれた。
特大の光線。
人々がそれを認識したときには、トリグラーブを包む偉大なる山――グレートバリアウォールの一角に届いていた。
眩い光が弾ける。きのこ雲が巻き上がる。
やや遅れて、世界を揺るがす爆音と、強風が吹き荒れる。
やがてきのこ雲が晴れ上がると、信じがたい光景を人々は目の当たりにした。
命中個所の周囲一帯――世界の壁が、削り取られていた。
綺麗に消失していた。
すべての者が理解した。震えた。
世界地図は、たった今作り替えられたのだと。
しかもあの十二体のうちの一体が、いとも簡単にやってのけたのだと。
全員が絶望的脅威を認識した絶妙なタイミングで、男は粛々と述べた。さも当たり前のことであるかのように。
実際、彼らにとっては造作もないことだった。
『我々はあの程度の攻撃ならば、世界のどこへでも、即座に、放つことができる。その意味がわからないほど馬鹿ではないと期待しよう。さあ、返答をお聞かせ願おうか』
「……屈しよう。我々ラグル都市連合は、国民の生命を第一に考え……ダイラー星系列の無条件降伏勧告を……受け入れる」
首相は苦渋に満ちた宣言をすると同時に、膝から崩れ落ちた。
このシーンは象徴的なものとして、後々まで語り継がれることとなる。
かくして、ダイラー星系列はわずか三時間、無血で世界の制圧を成したのであった。
そして、ここから先は一般民衆の知らない話となる。
ダイラー星系列はラグル都市連合のみならず、世界すべての国の首脳陣との即時条約締結を望んだ。
飛行機がない以上、短時間での集合は難しいため、リモート会議の形になるかと思われた。
だがダイラー星系列はあくまで対面での締結を希望し、首脳陣の送迎は彼らが受け持つこととなった。
飛行形態のシェリングドーラが各地に派遣され、わずか二時間足らずで全員をトリグラーブに集結させてしまった。
各国首脳陣は、彼らの圧倒的な技術力に改めて驚嘆と畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
実は持ち前の転移技術によって、瞬時に移動させることもできたのであるが。
移動のついでに兵器の性能を存分に披露しておいた方が、心理的面で大いに効果があろうというダイラー星系列の判断だった。
そのためにわざわざ全員を呼びつけるなどという、面倒な手段を取ったのである。
結果は、十分以上に功を奏したと言えるだろう。
ダイラー星系列主導による一方的な議論に、口を挟む者はいなかった。
ダイラー星系列による事実上の全星支配を決定する不平等条約が、速やかに締結された。
もっとも不平等ではあるものの、各国の主権や基本的人権は最大限尊重される内容ではあった。
実質的な内容は二つ。
一つは、まとめると次のようなものだった。
『ダイラー星系列は、必要とする限りにおいて、あらゆる場所での無制限の調査および軍事的行動の権利を与えられる。
かかる権利の行使によって生じたいかなる不利益、損害についても、責任や賠償を問われない。
ただし、トレヴァーク常人の生命および財産を正当な事由なく害することを目的として、かかる権利を濫用してはならない』
事実上有無を言わさず可能な行為であり、ただの事実確認と明記に過ぎない。
むしろ但し書きがあることで、一定の安心感を与えるものだった。
各国首脳陣も「この内容ならば御の字」と、戦々恐々としていたところ、溜飲を下す格好となった。
そもそもダイラー星系列にとっては、トレヴァークに端を発する宇宙規模の『事態』において、現地人に調査の邪魔をされないことが主たる目的である。
彼らの貧しい利権になどかけらの興味もないし、下手に蔑ろにすれば、内地の人権派から非難を食らうのは目に見えている。
もう一つの内容は、トレヴァークの者たちにとって、そのときは理解が難しいものであった。
再び要約すると、以下の通りである。
『ダイラー星系列は、世界各地へ軍隊を即時派遣し、駐留させる。主たる目的は調査ならびに想定される脅威からの保護である。
ダイラー星系列は、トレヴァークにおける無制限行動の対価として、トレヴァーク常人の生命および安全を可能な限り保障する』
想定される脅威とは何なのか、人々にはわからなかった。
世界にとってみれば、彼らこそが唯一の脅威としか思えない。一体何から守ろうというのか。
首脳たちが首を傾げる中、ただ一人。
シルバリオは「もしやユウを亡き者にした奴と関係があるのでは?」と、想像の及ぶ範囲で勘ぐっていたが……。
そこへ、ボスの予想を遥かに超えた事態が再び巻き起こる。
突如として、空が裂けた。
一か所ではない。
大小様々な規模や形の裂け目が、あちこちで発生したのである。
それらのほとんどは、深いもやがかかっていて、奥側がどうなっているのかわからなかった。
そして虹が揺らめいているような、得体の知れない色をしていた。
わずかに、まったくの暗闇が混じっている裂け目もある。
暗闇の方は、しばらくすると閉じたが。
一方、虹色の奇妙な裂け目からは、何かか飛び出してきた。
飛び出してきたものたちを見て、人々はパニックに陥った。
なまじほとんど全員にとって見覚えがあったために。それらの力をよく知っているがために。
「あれは……!」
「ラナクリムのモンスターじゃないか!?」
シルバリオもまた目を見張った。
多くの隊員が夢中になっているので、話題についていくためにも、彼はこっそりラナクリムをプレイしていた。
思った以上にハマり、地味に一介のSランク冒険者になっていたりするのだが……。
だからこそ、現れ出た魔獣たちの強さ恐ろしさがよくわかった。
C級魔獣『バーク』や、B級魔獣『ペイサー』などは数こそ多いが、現代銃器をもってすれば十分に対処はできるだろう。
しかし、A級以上となると途端に強さは跳ね上がる。
銃弾など到底通るとは思えず、戦車や化学兵器などを持ち出してようやく渡り合えるかというところ。
こんな人の大勢いる市街地では、軽々しく持ち出すわけにもいかなかった。
そんなA級魔獣どもが、イベントクエストかと見紛うほど大量に発生しているのだ。
一例を挙げれば。
A級の壁 悪鬼『ヴォルガニス=オーダ』 標準討伐レベル60
地獄の鋏『ベンディップ』 標準討伐レベル65
魔性の食人花『トゥリーン』 標準討伐レベル68
凶鳥『シルべイド』 標準討伐レベル75
さらに、標準討伐レベルが100を超えるS級魔獣も平気で混じっているのには、眩暈がした。
空の覇者『クリスタルドラゴン』 標準討伐レベル110
暴虐の巨人『アゼルタイタス』 標準討伐レベル123
スライムを超えし災厄『スライムアヴォル』 標準討伐レベル138
死神の鎌『フォーグリム』 標準討伐レベル150
ラナクリムのS級冒険者は、誰もが人外の強さを持っている。
彼らの一撃は地を抉り、大岩をも砕く。
そんな彼らが複数揃って初めて討伐可能な化け物どもが、S級魔獣なのだ。
奴らの一体を倒すだけでも、大量破壊兵器を持ち出さねばならない。
いや、強力な物理耐性を持つ『フォーグリム』に関しては、それでも倒せるかどうか。
ともかく、魔獣どもにまともな理性は期待できない。
既に目下の人類を敵とみなし、暴れ出し始めていた。
どうして人々は冷静でいられようか。
各国首脳陣も、ボスを含めた一部が辛うじて自制するに留まっていた。
大多数は狼狽え、中には悲鳴を上げる者すらいた。
「落ち着け」
一喝。
さほど大きくはない声ではあったが、不思議とよく通り、皆を黙らせるには十分な効果があった。
発したのは、会談における議長を務めるブレイだ。
フェバルとしての力をわずかながら解放し、威圧を放ったのだった。
その場にいる誰もが本能的に気圧されて、言葉を発することができなかった。
実力の片鱗を見せたブレイは、眼鏡を指で押し上げて、肩を竦めた。
「やれやれ。予想されていた事態ではあったが……このタイミングで来るとはな」
訳知り顔のブレイに、不敬とわかっていても、シルバリオは尋ねないわけにはいかなかった。
「あなたたちには、こうなることがわかっていたのですか? 原因も?」
「わからん。そもそも我々はあれの原因を調べるために来たのだ」
ブレイは不愛想に返答したが、すぐに口元を緩めた。
「ちょうど良い。まずは我々が誠意を見せるとしよう」
誠意とは何か。さすがに理解できない者はいなかった。
「条約に従い、目前の脅威を排除する。ランウィー」
「はっ。手筈の通りに」
彼女の指揮によって、バラギオンの敵性排除プログラムを起動する。
十二体もの空の悪魔は、一斉にオーラブレードを抜き放った。
不気味な紫色に光り輝くそれは、大衆に死を予感させるに十分な畏怖を与える。
そして、同時に動き出した……と思ったときには――消えた。
刹那。現れたと人々が認識した次の瞬間。
空の覇者が貫かれる。暴虐の巨人の四肢が千切れ飛ぶ。
スライムを超えし厄災は蒸発し、死神の鎌は皮肉にもその首を刈られた。
人々はまざまざと見せつけられていた。
ゲームの通りであれば、彼らがその強さ凶悪さをよく知るA級魔獣やS級魔獣たちが、まるで雑魚のように虐殺されていく姿を。
だが巨大なモンスターは、死してなお厄介だった。
市街地に物言わぬ魔獣どもの死骸、重厚な肉片が大量に降り注ごうとしている。
下で眺めていた住人は、潰されてしまうと悲鳴を上げた。
そこに陸を守るシェリングドーラが、何でも屋と言われる能力を如何なく発揮する。
それらは連れ立って消滅兵器を発動し、肉片を跡形もなく消し去ってしまったのだ。
取るに足らないB級以下の魔獣については、どこから現れたか、機械歩兵が次々と撃ち殺していく。
魔獣もただ殺される訳にはいくまいと、空想通りの身のこなしや強大な魔法でもって、機械兵器たちに抵抗する。
だが何一つとして有効打は与えられない。
すべてが無効化され、弾かれ、そして淡々と処理される。
慣れ親しんだ架空生物たちがゴミ屑のように死んでいく様は。
人によっては、先のデモンストレーションよりもかえって鮮明に兵器の強さを印象付けた。
侵略者には、想像上の存在さえも容易く屈服させる力があるのだと、世界中の誰もが思い知らされる。
既にパニックは静まっていた。恐ろしい襲撃にも関わらず、人間側に死者の一人もない。
かと言って、人々は歓声を上げる気にもなれなかった。
恐ろしいが、逃げる気も起きなかった。
淡々と命を潰されていく空想の住人たちを、呆然と見ているしかなかった。
人々は圧倒されていた。夢でも見ているかのようだ。
だが、夢のはずはない。これは紛れもない現実である。
やがて実感が大きくなるにつれて、人々は静かに恐怖する。
倒れる者、眩暈がする者、乾いた笑いが出て来る者も、少なくはなかった。
人々はついに理解した。
宇宙の向こう側と、想像の向こう側からの侵略者たち。
私たちは空前絶後の、とんでもない事態に直面しているのではないかと。




