160「The Day Mitterflation 11」
「おい! ユイ! しっかりしろ! おい!」
倒れたユイを抱えて、レンクスが悲痛な叫びを上げる。
死んでも生き返るというのは、あくまでフェバル当人に限った話。
ユイは。正確にはフェバルであって、フェバルではない。
ユウの能力によって生まれた一人格が、ラナソールという特殊な環境で肉体を成したものでしかないのだ。
下手に分かれてしまっている分、どうなってしまうのかわからない。
最悪、死ねばそのまま消えてしまう恐れもあった。
だからレンクスは、気が気でなかった。
藁をも縋る思いで【反逆】をかけてみるも、まったく通らない。
唯一彼女を治せる可能性を持つ能力に対しては。
ウィルは攻撃の瞬間、【干渉】によって強固な抵抗をかけていたのだ。
「ちくしょう! なんでだよ……! ユイ! 頼むよ……。目を覚ましてくれよ!」
敵であるウィルには目もくれず。
ほとんど泣きそうな顔で、ひたすら自身の気力を分け与える必死の延命行為に縋る。
何もできないエーナは、様子のおかしくなったユウと、みるみる血の気を失っていくユイと。交互に視線を迷わせて、狼狽していた。
ジルフもまた、自身の気による治療で手を尽くす。
だが黙って首を横に振りたくなるほど、彼女はひどい状態だった。
ウィルの貫き手は――肺の一部ごと、正確にユイの心臓を失わせていた。
血の一切が巡らず、呼吸すらもできない。
明らかな致命傷だ。普通に考えて、助かりようがなかった。
ユイには、既に血を吐く力もなかった。
レンクスの腕の中で、次第に冷たくなっていく。
「やめろ……! おい、嘘だろ……。やめてくれ! 俺は、また……!」
失ってしまうのか?
ユエル。ユナに続いて。
ユイまでも。
***
着実に遠ざかっていく生の感覚。薄れゆく意識の中で。
ユイは一筋の涙を零しながら、もう動かない身体を最期まで動かそうと。
ユウに向かって、手を伸ばそうとしていた。
『ユウ……いか、ないで……』
***
だが、祈りは届かない。
元々危険なレベルで精神が不安定になっていた。
そこにユイという抑えがいなくなってしまったことで、黒の力は瞬く間に『心の世界』を呑み込んでいった。
既にユウは、本来の性格を失っていた。
通常の気が放つ淡い白に代わり、黒で塗り潰されたオーラが、彼の身体から溢れ出す。
それはちょうど、ウィルの纏っているものとまったく瓜二つで――。
向かい立つ様は、さながら鏡合わせのようでもあった。
「…………」
ユウは自らの身体を確かめるように、拳を何度か握り開きし。
それから周囲を、やはり確かめるように見回した。
その瞳に一切の光はなく――やはりウィルのそれとそっくりだった。
性質の変わった身体の方はともかく、まるで初めて周囲の世界を見るような、そんな奇妙な行動だった。
その様子を見て、ウィルは訝しむ。
ユイという存在が邪魔で捨てざるを得なかった、彼の当初の狙い。
ユウが自身と同じ『破壊者』としての性質に目覚めた――ただそれだけではないのか? と。
ユイの血に塗れた自らの手を見下して、ウィルは顔をしかめる。
あの女。確かに気に入らないとは思っていた。
心の底から殺してやりたいほどには憎んでいた。
だが……。
あえて今、それをする必要があったか?
ウィルには、自分の行動がわからなかった。
当然、世界の破壊が最優先だったはずだ。
あの女さえいなくなってしまえば、ユウがこうなることを見越してはいた。いたが……。
冷静に考えれば。自分があのまま全員を殺し、もう一度世界を攻撃して消し去ってしまえばよかったのだ。
わざわざ女から殺し、ユウを追い詰めて覚醒させるなど。不確定要素を持ち込む必要はない。
なのに、なぜだか妙に気分が掻き立てられた。
殺そうと思い、少しでもそう思ったときには。身体がほとんど勝手に動いていた。
「……まさか」
ウィルは気付いた。愕然とした。
ユウと女が、分かれていた。ということは――。
僕をこの世界に誘い出し、この状況を作り出すことこそが。
奴の狙いだったとしたら。
嵌められたのは、この僕か……!
突然、彼の身体がわなわなと震え始めた。
強い意志の力で無理矢理抑えていたものが、暴れ出そうとしている。
解き放たれようとしている!
「ぐおお、お………!」
割れるほどに痛む頭を押さえて、ウィルは苦しげに呻いた。
己を内側から操ろうとするものに抵抗し、必死に耐えていた。
辛うじて己の意志は保っているものの、溢れ出す力は到底抑え込めるものではなく。
ウィルはさらに黒のオーラを増大させ、力を異常に高めつつあった。
そんな苦しむ目の前の人物を、変貌したユウはじっと睨んでいた。
そして、彼も理解した。
「なるほど――そういうことか」
ユウは呟き、そして静かに力を高めた。
ウィルに対抗する形で、漆黒のオーラが膨れ上がっていく。
ヴィッターヴァイツの暗躍で生じた大量の死の想念によって乱れ、さらにウィルへの攻撃により消耗し、安定を失った世界は。
もはや二人の力の高まりを受けるだけで、正常な構成を保つことができなかった。
二人の身の周りから、次々と空間に亀裂が入っていく。
世界が壊れていく。
ユウには、自分たちの力に世界が耐えられないことはわかっていた。
だが今は、それよりも優先すべきことがあった。
『星海 ユウ』は、目的のためなら犠牲を厭わない。
***
「なんて力だ……。あれが……本当にユウ、なのか……?」
「ユウ……あなた……」
ジルフとエーナは、信じられない思いで変わり果てたユウを見つめていた。
とてつもないポテンシャルがあるとは思っていた。
エデルで見たときから、わかっていたはずだった。
想像を遥かに絶している。フェバルという枠に当て嵌めることすら、生温いとまで思えてしまう。
ジルフにとっては、自身とヴィッターヴァイツとの戦いすらも小競り合いに思えてくるほどの、いかれた力に思えた。
直感でわかってしまうのだ。とても手出しできるものではないと。
だが、あれでは……。ユウ、お前は……。
エーナは絶望的な表情で、それでも防御魔法の構成にとりかかる。
ジルフは、動けなかった。
イネアとの約束を思い返しながら、暗澹たる思いで状況の推移を見守ることしかできなかった。
***
「おい、おいおい……。なんだよ、あれは……」
やけに強力なフェバルが現れて、いきなり世界をぶっ壊そうとしたところまでは黙って見届けていた。
そいつがラナソールを壊してしまうのなら。手柄を横取りされるようで少々癪ではあるが、それはそれで構わないと思っていたからだ。
しかし……。
今、ヴィッターヴァイツは戦慄していた。
ホシミ ユウにこれほどの力があるとは、つゆも思いもしなかったのだ。
あれがユウであると辛うじて理解できたのは。
謎の黒い力につき、先刻確かに片鱗を見てはいたからだ。
そうでなければ、本人のものとはわからなかっただろう。決して認めなかっただろう。
これまで己が対峙してきた小僧とは、レベルが違い過ぎる。あまりにも。
「くっ……このオレとしたことが……」
身体の震えが止まらなかった。
正直に恐怖すら覚えていた。普段の己ならば決して犯さぬ失態だ。
なぜこれほどまでに動揺してしまうのか、自分でもまったくわからない。
そのことに苛立ちを感じてもいた。
震えを押さえつけようとしても、身体がまるで言うことを効かない。
魂に直接恐怖を刻み付けられてしまったかのようだった。
だが戦闘者たるヴィッターヴァイツは、その矜持をもって逃げず、真正面から考える。
今のユウと戦って勝てるか? と。
勝てないと、言いたくはない。
だが傲慢なほどの自信家をもってしても、容易に勝てるビジョンが微塵も浮かばなかった。
もしあの力をそのまま自分に向けられたら。果たして無事で済むだろうか。
「逆に見せつけられるとはな。自信を失くしてしまうぞ……」
不機嫌な顔で、かぶりを振る。
だがとりあえずは、ユウともう一人が潰し合おうとしている。
勝手にやらせておけばいいと、老獪な面も併せ持つ彼は自分を納得させた。
「だが。ただではないぞ」
むしろ二人に集中が向いている今こそが、最大の好機なのだ。
「この状況、利用させてもらう」
ヴィッターヴァイツは、翻って遥か遠い空へ目を向けた。
ラナソールという世界は、もはやその維持だけで手一杯のようだった。
浮遊城ラヴァークは今、その姿を白日の下に晒していた。
この状態にもっていくことこそが、そもそもの彼の狙いであったのだ。
ヴィッターヴァイツは嗤う。
ラナを守るものは、もうどこにもなかった。




