159「The Day Mitterflation 10」
心は荒れたままなのに、状況が落ち着くことを許してはくれなかった。
レンクスの誘導に従って、少数精鋭であいつの力が迫る場所へ向かう。さすがにフェバル以外のメンバーはとても連れていけない。
ウィル……。今度は何をするつもりなんだ。
あいつの考えも行動も、まったく読めなかった。
もしこんな危機的状況で今から試練でもされようものなら、たまったものじゃない。
フォートアイランドに着き、下で待ち構えていると。
突如として、空の上に人の姿が現れた。
「さすがに足を突っ込んだりはしてくれないわよね……」
エーナさんが精一杯の茶目っ気で、少しでも空気を和らげようとしている。
だけど、言った本人もまったく目が笑ってなくて。一目に明らかな冷や汗をかいていた。
あいつは現れた場所から、浮いたまま一つも動いていない。
その場にいるだけで大気が震え、身が勝手に震えるほどの圧倒的な力は、記憶のままだ。
むしろいつもよりさらに力を高めているように思えた。
示威行為にしても、不必要なほどに。
黒のオーラがはっきりと見える。フェバルとしての最強格を示す力。
改めて目の当たりにして、俺ははっとさせられた。
今俺が中途半端に纏ってしまっているものと、本質的には同じものだと。気付いてしまったからだ。
じゃあ、俺のこの力は……いったい?
『おいウィル。てめえ、今度は何しに来たんだよ』
レンクスが軽く念話のジャブを飛ばす。
だがウィルは、一切返事も反応もしなかった。
なんだ……?
これまでとは、明らかに様子がおかしかった。
邪悪そのものとも恐怖そのものとも形容できるおぞましい雰囲気こそ、微塵も揺らいでいないが……。
本当にどうしたのだろう。まったくいつもの余裕が感じられない。
これまでなら、「ごきげんよう」とか何とか、気取った挨拶の一つでもくれるところなのに。
遠目にも険しい顔で、焦っているようにすら見えた。
実際、俺たちが確実に見えているはずなのに。聞こえているはずなのに。
あいつは一つも目をくれない。代わりに何やら呟いていた。
エーナさんが、全員に聞こえるように風魔法をかける。
『ふざけるなよ。こんな場所が……こんな世界が、あってはならない……』
「え……?」
ウィルは、手を掲げた。
掌の上に指先ほどの火球が生じて、それがみるみるうちに膨れ上がっていく。
あれは……かつてエデルで見せつけくれた禁位魔法――《メティアム》か?
いや、似ているけど、違う。そんなものじゃない。
本気だ。一切遊びのない、本気の魔法を撃とうとしている……!
そして、あいつは宣言した。
『この星を消す』
突然の暴挙に、場が凍り付く。
「待て! あいつ、何を考えてるんだ!」
いつもは冷静なジルフさんまでもが、狼狽していた。
「やばいわっ! 《トーパスプロセコン》!」
エーナさんが決死の表情で魔法を唱えると、守りのバリアが全員と周囲の空間に張られた。
「助かるぜ」
「私の持ってる最強の防御魔法よ。……気休めにもならないだろうけど」
エーナさんが慌てて防御を張った理由は、すぐにわかった。
どこまでも火球の拡大が止まらない。
既に直径数十キロ、いや、さらに大きくなっているのか……!?
「あ……あ……」
そんな――でか過ぎる。
世界を純粋な力で押し潰すべく。巨大隕石と違わぬ様まで、体積を急速に増し続けていた。
当然、周囲の気温も異常なほど跳ね上がっていく。
もしエーナさんの防御がなければ、フォートアイランド周辺の誰もが簡単に蒸発してしまっていただろう。
証拠に、バリアで守られていない海と地表へのダメージは、想像を絶するものがあった。
熱気によって海は泡立ち、さらに生じた無数の竜巻とその暴風によって、大地は剥がされて巻き上げられていく。
増していったのは、単純な大きさだけではなかった。表面温度もが恐ろしいまでの高まりを見せている。
高温の星が発するレベルの青白い光を通り越して、混沌一体となったプラズマの光が、目も潰れかねないほど眩く地表を照らしている。
レジンバークの防御結界も、当然自動発動していた。
エーナさんの防御魔法と合わせて辛うじて耐えているが、じりじりと魔法の構成が壊れつつある。
「バッカ野郎……! あんなのぶっ放されたら、とても跳ね返せねえぞ……!」
そうか……能力が使えないからだ。
レンクスでもお手上げで、どうしようもないんだ。
……どうしてだよ。何なんだよ!
運命があるとするなら、呪いたかった。
俺がどんなに力を尽くしても。足りないと。そう言うのか。
仮にヴィッターヴァイツを何とかできたところで、これでは無意味じゃないか。
もっと明確な終わりが、すぐそこにある。
力ある者のほんの気まぐれで、それは容赦なくやって来る。
実際、何もできることがなかった。無力だった。
またみっともなく喚いて、懇願するしかなかった。
「ウィル! どうしてだよ! やめろ! やめてくれ!」
お前は今まで、ほんの少しでもチャンスをくれたじゃないか。
もしかしたらちょっとくらいは、話せる奴じゃないかとまで思っていたんだ。
なのに、気のせいだったのか? どうしてこんなことをするんだよ……!
ウィルは一瞬だけ俺を見たが、返事をしなかった。
さらに集中して、魔法の威力を高めていく。止めるつもりなど微塵もない。
本気だ。本気で撃つつもりなんだ……。
あいつ、この世界を本気で消すつもりなんだ……。
目の前が真っ暗になっていく。
ヴィッターヴァイツより遥か直接的に、終わらせてしまう。
よほどとんでもないことをしようとしているのに。
これほどはっきりと「何もできない」ことを示されてしまうと。
怒ることも、悲しむことも。どんな抵抗の感情すらも、無意味にまで思えてくる。
あまりの絶望的な光景に、かえって現実感が薄れてきた。悪夢を見ているようだった。
この世界のように、夢であればよかったのに。
「ちく、しょう……!」
「無念だ……!」
レンクスとジルフさんが悔しさに顔を歪ませて、拳を振り下ろしていた。
それでもせめてもの抵抗に、彼らの持つ最大の技で迎え撃とうとしている。
エーナさんは、懸命に防御魔法の維持だけに魔力を振り絞っている。
ユイも持てる力を尽くして、彼女に協力していた。
俺に何ができるだろう。
一万の力に一を加えて、その一が何かを変えられるのか。
――それでも、何もしないよりは。やって死ぬべきだ。
せめてもの抵抗に、気剣を抜こうとしたとき――。
遥か海の向こうから、緑色の光が一筋。
凄まじい速度で空を貫いてくる。
極大の光線が飛来する。
『ラナの裁き』だ……。
狙いは明らかにただ一人。
今まさに世界を破壊せんとする者へ向かって。
俺が狙われたときとは、明らかに威力が違う。
あれもおそらく――本気だ。
ラナソールという世界は、ウィルを最も排除すべき危険な敵と認識したんだ。
『……邪魔をするつもりか。トレインめ』
さしものウィルも、一度は攻撃を中断せざるを得なかった。
作りかけの魔法を片手で留め置き、もう片方の手で光線を受け止めようとする。
彼の掌で、衝突した。
攻撃を跳ね返そうとする彼の腕と、敵を呑み込もうとする緑色の光。
奴を押し切れなかった分の光が溢れ、四方八方を滅茶苦茶に荒らしながら、乱れ散っていく。
その余波だけで、また次々と地形が破壊されていく。
あの攻撃にどれほどの威力が込められているのか。
信じられないことに。片手とは言え、あのウィルがやや押されているようだった。
あいつが押されているところを見るのは、初めてだった。
俺はただ祈り、見守るしかなかった。
頼む。このまま押し切ってくれ!
するとあいつを中心に、さらなる異変が起こり始めていた。
ウィルへの攻撃に多大なキャパシティを割いてしまったからなのか。
単純に攻撃の威力が高過ぎて、耐えられなくなったからなのか。
世界に少しずつ、ひびが入っていく。
ガラスの割れたような恐ろしい裂け目が、あちらこちらに現れ出した。
「――使える。使えるぜ」
「「え?」」
レンクスの顔色には、少しばかりの余裕が。
彼の目には、希望の光が戻っていた。
「世界の理も壊れかけているのかもしれねえ。たった今、使えるようになったんだよ! 【反逆】が!」
レンクスは、「よっしゃあ!」と気合いを入れて叫んだ。
「能力さえ使えれば、こっちのもんだ!」
ウィルの作ったプラズマ球を強引に持ち上げるために、【反逆】を発動させる。
わずかにではあるが、あいつの魔法が動き出した。
「いけるぞ! ジルフ! まずはあれを押し返すぞ!」
「おうよ!」
ジルフさんもまた、【気の奥義】を解放した。
【気の奥義】は、気の扱いからあらゆる制約を除去する。
気功波といった馬鹿げた所業も、ジルフさんならできる。
今、それが全開で行使された。
「はあああっ!」
馬鹿でかい気の光線が、プラズマ球へと撃ち込まれる。
レンクスの能力と協力して、少しずつウィルの魔法が地表から離れていく。
これなら……! 助かるかもしれない!
『レンクス! ジルフ! お前たちも邪魔をするつもりか……!』
ウィルは、どこまでもらしくなかった。
明らかに余裕がなかった。本気で怒っているようだった。
「わけもわからないうちに世界を終わりにされるのは、許せねえからな! 俺よ、この世界結構気に入ってるんだぜ?」
「俺もだ。だからここは止めさせてもらおう!」
「私もまあ、好きよ。さあユイ、こっちも気合い入れて守るわよ!」
「はい!」
『……ふざけやがって。舐めるなよ!』
あいつの体表を暗黒のオーラが、さらに濃く塗り潰していく。
自ら創造した魔法の光と、今も撃ち込まれている『ラナの護り手』の強烈な光さえも塗り潰そうとするほどの、圧倒的な黒だった。
グシャッ!
何かが潰れる音が鳴り響いた。
剛腕。力業。
――空間だ。
攻撃ごと周囲の「空間そのもの」を、強引に握り潰した音だった。
世界に穴が開く。
アルトサイドの闇が、ぽっかりと彼の正面に覗いた。
直接攻撃の対象から外れてしまった『ラナの護り手』は、その開いた穴に吸い込まれていってしまう。
その間に、レンクスとジルフさんは、ウィルの破滅的魔法を宇宙にまで弾き飛ばしていた。
これで差し当たっての滅亡は防げたけど……援護も消えた。
もうこの場にいる者だけで、どうにかしなくてはならなくなった。
「さて」
ウィルもそのことは認識しているのか、あるいは黒のオーラの効果なのか。
「お前たちを殺して、今度こそ終わりにしてやる」
先ほどまで取り乱していた奴は、既に落ち着きを取り戻していた。
やはり、恐ろしく強い。
こっちはレンクスとジルフさん頼みだけど、勝てるだろうか……?
何とかするしかない。
「ん?」
突然、ウィルの目の色が変わった。
「ユウ、お前……。男、女。なぜ、二人いる?」
まずい。気付かれた……!
むしろ今まで気付いてなかったのか。それほどまでに焦っていたということか。
どうして。
ユイがさっと身構える。
気丈に振舞おうとするも、恐怖で肩が震えていた。無理もない。
俺はユイを庇うように、一歩前へ進み出た。
「どうだっていいだろう。そんなこと」
「お前……その目、その力……」
奴は目を細めた。
「そうか。そうか――楔が外れかかっているのか」
楔? 何のことだ……?
ウィルはやけに憎しみを込めた冷たい目を、なぜかユイだけに向けた。
「女。僕はずっとお前が許せないと思っていた」
「私だって……! あなたにされた仕打ち、忘れたわけじゃないよ!」
「……紛い物の分際で。何よりも」
「おい!」
レンクスがこめかみを引き攣らせている。これ以上ないほどの怒りで、ウィルを威嚇していた。
だが奴はまったく取り合わず、今度は俺を睨み付けて言った。
「ユウ。お前にも手伝ってもらうぞ」
は? 何を言ってるんだ。
手伝う。何を手伝うことがある。
「ふざけるな。そんなことするわけ――!?」
その言葉を、言い終わる前に。
――何かが、刺し貫かれる音がした。
やけに耳にこびりつく、嫌な音だった。
振り返る。
声が出なかった。
信じたくなかった。認めたくなかった。
「お前が一番邪魔だったんだ。女」
ユイが、ぐったりしていた。
血を、吐いて。
背中から胸を貫いて――あいつの手が、飛び出していた。
鮮血に塗れた手が、ゆっくりと引き抜かれる。
ユイが、倒れていく。
ユイが、動かない。
「う、あ、あああ゛……!」
そのとき、自分の中で何かが。
決定的な何かが、切れる音がした――。




