147「力の激突 ジルフ VS ヴィッターヴァイツ 2」
邪魔な上着を脱ぎ去り。
向かい合う両雄は、互いにあと一歩のところまで詰め寄った。
体格はほぼ同等。しかし二人の鍛え上げられた姿は、やや対照的である。
剣を主とするジルフは、個々の部分を見れば、実に逞しい筋肉の鎧に身を包みながら。
五体の鍛え方、そのバランスの均整さゆえに、総体としては引き締まった印象である。
対して、拳を主とするヴィッターヴァイツは、力を誇示する彼の性格が体躯にもよく現れていた。
多少の身軽さを犠牲としても、全身にはち切れんばかりの圧倒的な筋肉とオーラを漲らせている。
単純な筋肉量で言えば、ヴィッターヴァイツにやや軍配が上がるか。
だがそのような外見の筋肉量、質量といった肉体的差異は。
常人であれば、ほんの数キログラムの違いでさえ決定的な差となるが。
超越者同士での戦いにおいては、勝敗に影響するファクターとはまったくなり得ない。
彼らにとって鍛え上げた肉体とは、彼ら自身の強いと信ずる形の実現以上の意味は持たない。
能力の使えない現状、彼ら超越者の力の強さとは――身に纏う無形の「力そのもの」の強さなのだ。
先に動いたのは、ヴィッターヴァイツだった。
「フンッ!」
力を溜めた拳を、目にも留まらぬ速さでぶち込む。
ジルフはしかと動きを捉えていたが。
力の程を確かめようと、あえて避けることはしなかった。
直後、大砲の弾けたような轟音が――本来拳が生み出すはずのない轟音が――炸裂した。
音の凄まじさに反して、結果は静かな立ち上がりだった。
拳は、ぴたりと止まっていた。
正面切って打ち込んだ、鬼神のごときボディーブローを。
腹筋一枚で、ジルフも正面から受け止めてみせたのだ。
ヴィッターヴァイツは驚きこそしなかったものの、感心から眉根を寄せた。
古今東西星方、敵対したほとんどあらゆる者の腹部を一撃の下にぶち抜いて。
即死に等しい風穴をこじ開けてきた彼の拳である。
ただ乱暴に振るうだけで必殺の兵器と化していたそれも、この男にはただの拳以上の意味は持ち得ないようだった。
ならばと、ヴィッターヴァイツは拳の触れた部分から気功による内部破壊の機を探るが。
さすがに気の扱いを極めた者か、易々と技をかけることもできない。
意趣返しとばかり、今度はジルフが力を溜めた。
「はあっ!」
渾身の右ストレートが、やはり爆音を伴って眼前の敵にぶち込まれる。
ヴィッターヴァイツも、あえて避けはしなかった。
膨れ上がった腹筋と猛々しい《剛体術》のオーラが、しかと彼の拳を受け止める。
「……くっくっくっく」
「……はっはっはっは」
どちらともなく、乾いた笑いを上げていた。
お互い、自信の一撃を止められた。長らく経験のないことだった。
戦いを愉しめる事実も、戦闘者として抑え切れない歓びも。また久しいことだった。
だがジルフにとっては、許せない敵であることに変わりはない。
ヴィッターヴァイツもまた、彼の怒りをよく認識している。
不意にぴたりと笑いが止む。両者眼つきが変わった。
再度気合の一声で、今度は同時に拳を放つ。
凄まじいラッシュが始まった。
ヴィッターヴァイツの拳がジルフの肩を叩けば、ジルフの拳もヴィッターヴァイツの肩を穿つ。
ヴィッターヴァイツがジルフの頬を殴れば、ジルフもヴィッターヴァイツの頬を殴り返す。
殴る。殴る。殴る。
光速のターン制かと見紛うほどの、凄絶な拳の応酬が繰り広げられていく。
両雄、一歩も引かず。ノーガード。
その場に立ち止まっての、意地と意地の殴り合いである。
天変地異が生じていた。
クリスタルドラゴンが住まう山々は、二人のぶつかる拳が生み出す衝撃波の乱気流によって、恐ろしい速さで削り取られていく。
凄まじい暴力の余波がすべてを更地に変えてしまうのに、ものの数分もかからなかった。
互い、攻撃に全力を傾けているために、ダメージもまた凄まじいものがあった。
既に幾万を超える拳の打ち込みによって。皮膚は変色し、所々が裂け、赤黒い血の痣が浮かび上がっている。
延々と続くかと思われた打撃戦であるが。
あるタイミングで拳と拳がぶつかり、流れで組み合った。
「ぬおおおおおおおおおおおっ!」
「かあああああああああああっ!」
殴り合いから、押し合いへ。
双方、我こそが膂力に勝るべしと。
全身あらゆる血管の筋が浮き上がるほどに力を込めて、相手を潰しにかかる。
引き合いや逸らし等の駆け引きなど、考えもしない。
小賢しきはすなわち敗北を認めたも同然。言葉はなくとも、両者の共通認識だった。
そしてついに、地面の方が耐え切れなかった。
既に更地と化していた周辺領域に、容赦なく追撃が加えられ。
二人を中心として、『爆心地』にも似た巨大なクレーター模様が出来上がっていく。
互いの足場が崩れたことで、力比べは決着を見ないまま、強制的に終わりを迎えた。
宙に浮いた二人は一度、新たに生じたクレーターの底に降り立って。気合とともにオーラを再び漲らせた。
力の高まりを見合ってから、猛然と駆け出す。
クレーターの最深部。中央で再度、両雄は激突した。
今度は蹴りまでも交えた、凄まじい技と技の掛け合いになる。
始まりと違うのは、いなし、かわし、時に受け止め。
あらゆる技術を駆使して、「直撃」を避けている点だ。
傍からすれば一見工夫のない、単純な殴り合いのようにも見える。
そこには、一般的な技と呼べるものは一切存在していない。
だがこれが。これこそが、フェバル級の戦いだった。
ある段階を超えると、戦闘という概念は一変する。
重力を乗せる、急所を狙う、関節を極めるなどといった。
あらゆる常人戦闘において必須とされる知恵、常識、有効技術は。
もはや彼らフェバルのレベルにおいては、毛ほどの意味も持たない。
彼らにとっての急所とは、人体の急所ではない。
二人が虎視眈々と狙うは、攻防において生じる意識の急所――オーラ防御の最も弱い地点への「直撃」である。
ピークを越えて減少を始めた気力の鎧は、既に万全の防御ではなくなっていた。
すべての一撃が必殺の威力を伴って、命を刈り取らんと放たれる。
秒間数百数千にも及ぶ攻撃の、わずか一手でも対応を誤れば。
そのまま致命傷に繋がり、勝敗が決する。
ヴィッターヴァイツ渾身の蹴りが、ついにジルフの脇腹を掠めたとき。
血肉が裂ける。翳りを見せたオーラが、ダメージの増大をももたらしていた。
ジルフが苦痛に顔を歪める。勝ち誇るヴィッターヴァイツ。
しかし、ただでやられはしない。
蹴り出された足を両腕で掴み取り、返し技で力任せに地面へ叩きつける。
ヴィッターヴァイツの額が割れる。
全身ごと、深く深く、地へめり込んでいく。
同時に、激しい地割れが起こった。
クレーターが真っ二つに割れて、さらに大地は破壊されていく。
気付けば、辺り一帯が朦々と湯気を上げている。マグマの流れる高熱層が近づいていた。
ジルフは油汗の滲む額を拭い、激しく痛む脇腹をさすった。
回復している暇はない。
雄叫びを上げて、地の底より怒れるヴィッターヴァイツが飛び出した。
両腕に竜巻のごとく気力が渦巻いている。どうやら決めるつもりでいるらしい。
ジルフも両腕に力を溜めて、身構えた。
「かああっ!」
両の拳が、ほとんど同時に放たれた。
ジルフは迫り来る左の拳を、気を高めた右腕でブロックする。
竜巻が絡みつく。思った以上の威力だった。
拳を専らとする者とそうでない者の差が、紙一重で出たか。
右腕はズタズタに引き裂かれ、体勢が乱れる。
防御が間に合わないところへ、さらに荒ぶる右の拳が迫る。
ジルフの懐へと、深々とめり込んだ。
竜巻状のエネルギーは、彼の内部へと侵入し。内臓を刻みながら荒れ狂う。
深刻なダメージが生じた。
ジルフの口から、血反吐が零れる。
だが――。
右腕は壊れたが、左腕はまだ「死んでいない」。
ジルフの闘志もまた、死んでなどいなかった。燃えていた。
肉を切らせて骨を断つ。
喰らうと同時、狙い澄ましたカウンターが炸裂する。
攻撃に全力を傾けたためにがら空きとなった、敵の胴を正確に穿つ。
ヴィッターヴァイツもまた、口から激しく血を吐き出した。
腹を押さえて、よろめく。
だが、意地でも倒れない。戦闘の構えは解かない。
意識を手放すのは、死ぬときだけだ。
互いに消耗が激しい。肩で激しく息を切らしている。
満身創痍に鞭打って。
いざ決着をつけるため、三度激突せんと。両者が気を高めたとき。
いつの間にかレンクスが迫っていることに、二人は同時に気付いた。
――決め切れなかったか。タイムリミットだ。
ヴィッターヴァイツは狡猾な男である。
逃げる手段は持っているし、逃げるだろう。
ジルフは悔しさを滲ませながら、戦いの中で素直に感じたところを述べた。
「並大抵の鍛錬ではない。そもそもお前の本質は、実直な武道者だったはずだ。そうだろう?」
「……知ったことを」
「……それほどの力を持ちながら、なぜ奢り昂る。なぜその力をもっと有意義に活用しない?」
「有意義だと?」
これが、ヴィッターヴァイツの何に触れてしまったのか。ジルフにはわからなかった。
彼は嗤った。狂ったように嗤い続けた。
そして。
突如憮然として嗤いを止めた、ヴィッターヴァイツの目には。
激しい憎悪と――絶望の色が浮かんでいた。
「有意義なことなど、どこにある。オレにとっては、もはやすべてが意味のない……下らんことだ」
ジルフは、あえて反論することはしなかった。
この男を狂わせるような何かがあったのだろうと、彼は悟った。
このように絶望に塗れたフェバルを、ジルフは知らないわけではない。
エーナを始め、知っている仲に何人もいる。
……彼自身も、イネアと別れるとき。運命を呪わなかったわけではないのだ。
いや、今も呪っている。
せめて託されたユウを気にかけることで、前向きな意味を見出そうとしているだけなのだ。
「実はな。お前を止めるように、J.C.には言われていたんだ」
「なに……?」
よく知る者の名を聞いて、ヴィッターヴァイツが顔色を変える。
「聞いたぞ。昔のお前は真面目だったと」
彼は、さらにあからさまに不機嫌になっていた。
「貴様……。そうか。姉貴の差し金だったとはな」
「姉貴だと? こんな弟がいたとは、初耳だな」
「……実の姉弟ではない。遥か昔、オレがフェバルとして駆け出しだった頃、散々要らぬ世話を焼いてくれた――下らん女さ」
「家族同然の縁は大切にしておけよ。そう得られるもんじゃない」
「下らん。オレはな。目が覚めたのだ」
この世のすべてを見下した目で、ヴィッターヴァイツは淡々と語る。
「この世は所詮力がすべて。真の自由など――意志など、ありはしないのだ。こんな救いようのない世界など、戯れにするしか仕様があるまい」
「力がすべて。だから、力の優れるお前が何もかも好きにしようと。そんなことが許されると思っているのか?」
「許すかどうかの問題ではない。事実認識の問題だ」
「……そうか」
ジルフは、この男に失望していた。
戦いの中で、もしかすれば。
この男はJ.C.から聞いていたように、実直な部分があったのかもしれないと感じた。
所詮は名残だった。遥か昔に「その男」は死んでいる。
今この場にいるのは。
運命に負け、力の論理に溺れてしまった残虐なだけの男に過ぎない。
「案外愉しいものだぞ。異世界を気ままにさすらい。好きな物を食い。好きな女を抱き。好きな奴を殺し。好きなものを壊し。好きなものを支配する。一時、下らんことを忘れられるくらいにはな」
「そこまで愉しいとは思えないがな。俺は戦っていた方が愉しいぞ」
ヴィッターヴァイツもさすがに同意して、皮肉げに肩をすくめた。
「これに比べればな。久しぶりに味わわせてもらったぞ」
「お前を喜ばせるために戦ってるんじゃない」
こめかみを引き攣らせ、ジルフは静かに怒っていた。
この男に勝ち切れなかった、自分の至らなさへの苛立ちも交えながら。
いよいよ、レンクスがそこまで迫っていた。
ヴィッターヴァイツは、本来伝えるはずだった用件――戯れとしての挨拶を、ここで済ませておくことにした。
「この下らん世界も、終わりは近い」
「お前。何をするつもりだ」
「さあな。ホシミ ユウに伝えておけ」
彼は不敵な笑みとともに、告げる。
「どうやってトレヴァークに来ているのか知らんが。身の程知らずが今度、オレの前に立ち塞がることがあれば。死よりもなお恐ろしい苦痛と後悔を与えてやるとな」
「そうはさせんぞ」
「くっくっく。できんな。現実世界に一切無力な貴様らでは。だからあの小僧しか姿を見せんのだろう?」
図星だった。
あからさまに悔しがっては奴を喜ばせるだけと考え、ジルフは黙って拳を握り締めている。
その態度だけでも、ヴィッターヴァイツは満足だった。
「貴様らは世界が蹂躙される様でも、仲良く指をくわえて見ているがいい。はっはっは!」
最後に高笑いを上げて。
ヴィッターヴァイツはワープクリスタルを使い、姿を消した。
「くそ……!」
手負いのジルフは、悪態と同時に膝を突く。
あのまま戦い続けて。負けるつもりはなかったが、勝てたかどうかはわからない。
ユウのためにも、散々に打ち負かしてやりたかった。
ジルフは、奴のいなくなった虚空を、いつまでも険しく睨み続けていた。




