143「ユウ、ディスクを入手する」
疲れ果てていた。正直もう動きたくなかったけれど。
たらたらくたばっていると、じきにレッドドルーザーがやってくる。
あちこち滅茶苦茶な状況で、言い訳をできる自信はなかった。
骨折と内臓の損傷を治し。おかげで気力はほとんど尽きてしまったけれど、どうにか身体を起こす。
逃げる前にやることがある。
ヴィッターヴァイツが操っていた、可哀想な被害者を見つめた。
今は俺が治療して、横たわっている。
一命こそとりとめたものの、肉体を構成するタンパク質が熱変性した部分までを元に戻すことは無理だった。
髪は抜け落ちて、肌は爛れて変色し。容姿は一目醜悪なものになってしまった。
損傷がひどい右目は、視力を失ってしまったかもしれない。
事件の濡れ衣も着せられてしまうだろう。
濡れ衣の方は、エインアークスを通じて最大限働きかけてみようとは思うけど……。すべてが元には戻らない。
サラリーマンと言っていた。仕事も間違いなくクビになるだろう。
家族がいれば、殺されてしまっている可能性が高い。
よりによって、操られた彼自身の手で。
彼の今後を考えると、助けてしまってよかったのか。心苦しくなる。
そしてこんなひどい真似を平気でしでかしたヴィッターヴァイツに対して、改めて静かな怒りが沸き上がるのだった。
……俺の判断で、俺のエゴで助けた。
だから最後までは無理でも、見られるところまでは面倒を見よう。
身柄の安全を確保するため、彼は俺が連れ帰り、エインアークスの息がかかった病院へと送ることにする。
あとの人間は、社員か関係者だ。駆けつけてくる人たちに任せれば大丈夫だろう。
律儀に階段を下りる時間が惜しかった。
被害者を背負った俺は、戦いで開いた壁の穴から飛び出した。
壁を蹴って落下速度を殺しつつ、数十階分を一息に飛び降りる。
地面に着いたら、ディース=クライツを『心の世界』から取り出して、さっさととんずらを図った。
途中でシズハから連絡が入り、トラブルの少ない逃走経路を示してくれたので助かった。
滞在先のホテルへ戻り、彼女と合流した。
「助かったよ。シズハ」
「見てた。大変なこと、なったな……」
俺の背負っている人物のひどい容態を目の当たりにして、彼女の瞳が悲しげに揺れた。
「そいつ、大丈夫か……?」
「きちんとしたところで治療してあげないとダメだ。悪いけど、病院の手配を頼めないか?」
「わかった。お安い御用」
てきぱきと動き始めるシズハを、頼もしく眺める。
さて、病院の迎えが来る前に確かめないと。
ダメ元で被害者の懐を調べてみる。
この身体が、あのディスクを持っているはずだけど――。
くそ。やっぱりダメか。
元の形状がディスクであると知らないと判別が付かないほど、粉々に砕かれている。
これでは情報を得ることなんて、とても……。
『大丈夫だよ』
ユイがなんてことないように、温かく励ますような調子で言った。
『何が大丈夫なんだ。見てわかる通り、ディスクがこれじゃ……』
『ううん。ヴィッターヴァイツって奴、調子に乗って砕ける前のそれを見せびらかしてくれたでしょ』
『……あ、そうか!』
『そういうこと』
本当に疲れているらしい。単純な発想をすっかり見落としていた。
そうだよ。奴は不用意にも見せびらかした。
俺の能力が完全記憶能力でもあることを知らなかったのが、奴にとっての不幸で、俺たちにとっての幸いだった。
ディスクというものは、記録層に微細な凹凸を付けることでデータを記録している。
この世界においても、ディスクの構造は地球と同一だった。
どんな微細なものであっても。俺たちなら、一度見たものは鮮明に覚えている。
たとえそれが、わずかな凸凹の一つ一つであったとしてもだ。
『心の世界』に記録されているものを、ユイの魔法で再現するのは容易だった。
『というわけで、作ってみたよ。はい』
『ナイスだ。よくやってくれた! ユイ』
『あなたの努力を無駄にはしたくなかったからね』
その場に君がいたら、飛び付きたい気分だった。
やられっ放しでいいところがなかったけど、一杯食わせてやったことに胸のすく思いがした。
やったぞ。ディスク入手だ。
すぐに解析班に依頼をして、内容を読み取ってもらうことにした。
厳重なプロテクトがかけられていたが、彼ら裏仕事の者が本気でかかれば、時間の問題だろう。
諸々の目途が立つと、ようやく身体が睡眠を訴えてきた。
疲れているのに気分が悪くて、あまり寝付けそうもないが。とにかく仮眠をとる。
***
「……きろ、起きろ。ユウ」
「う…………シズハか」
シズハがぺちぺちと軽く頬を叩いて、起こしてくれた。
ただ俺の調子が良くないのもわかっていて、浮かない顔をしている。
「もう少し寝かせた方、よかった、か?」
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
気遣いに感謝して、ゆっくりと身を起こす。
とりあえずは動く。いくらか体力は回復したようだ。
「あの人は?」
彼女は澄まし顔で、親指をピッと立てた。
「無事。送り届けておいた」
「そうか。よかった」
「それから。ディスク、解析……済んでいる」
「へえ。もう終わったのか」
優秀な解析班は、俺が少し寝ている間にもう仕事を終えていたらしい。
それで一刻も早く知りたいだろうと思って、彼女が起こしに来てくれたわけだ。
もちろん内容はしっかり共有することにしよう。
シルバリオを始めとして、一通り信頼のおけるメンバーに声をかけた。映像を通じたリモート会議をとることにする。
戦友のハルは当然として、あまり事情はわからないかもしれないけど、強く希望したリクにも付き合ってもらう。
ラナソール組には、ユイを通じて情報連携する。
「トレインソフトウェアの、機密情報……モコが出るか。ムルが出るか」
シズハは期待半分、不安半分というところだった。
俺も同じだ。果たして何が知れるのか。
あのヴィッターヴァイツが得意になるほどの内容だ。外れはないと思うけど。
ファイルが展開される。
スクリーンに映し出された映像と文章は、ラナソールなる夢想の世界――その成立の謎に迫る内容だった。




