131「狭間の世界に住まう者 アルトサイダー 2」
順番に報告は進み、ブラウシュの番がやってきた。
彼の担当は、世界の穴とその周辺に関する事柄である。
「オレの番だな。話題は二つある。やばそうな方とやばくなさそうな方と。どちらから聞きたい?」
問われて、中々返事が出て来なかった。
ペトリがやんわりと希望を述べる。
「やばくなさそうな方からかなぁ。気分的に?」
「ではそうしよう。最近ナイトメア=ホトモスが襲って来たな。ちょうどそのときのことだが……視覚感知魔法の反応があった」
「誰かが穴を調べたってこと?」
「そうなるな」
まあそのこと自体なら、さほど驚くことではない。
長い歴史上、偶然開いた穴に接触し、内部を調査しようと試みられたケースは稀ながら何度もある。
そもそも最初は彼ら自身がそうしたのであり。結果として、各々の事情で穴の内へ入り込むこととなり。
狭間の世界に住まう者――アルトサイダーとなった。
モココが訝しむように眉をしかめた。
「ふうん。ここ一年くらい、妙な動きが多いわね。穴を調べようとしたって連中も増えた」
「穴の出現頻度自体が増えているからね」
クリフは、まあそうだろうなと頷く。
「どうも私たちのように、ここを出入りしてちょろちょろ調べ回ってる奴がいるかもって話もあるしね……」
「しかも割と頻繁に」
実のところ、星海 ユウのことを指しているのであるが。彼らはその正体を掴んでいない。
薄暗闇が満たし、ナイトメアの闊歩するアルトサイドで、一個人の位置を特定することは至難の業である。
そのような形跡があったという程度の推測だった。
「そいつについては、今も調査中だな。毎回サッと通り抜けてしまうんで、中々尻尾が掴めないんだ」
「少なくとも、二つの世界をかなり自由に動けるということだよな……」
オウンデウスが、首をひねりながら言った。
二つの世界における自由。それこそ、彼らアルトサイダーの切望するところである。
それをいとも簡単にやってのける人物がいるらしいことは、彼らには喉から手が出るほど羨ましいことであり。ゆえに強く興味を惹かれることだった。
ゾルーダもまた、興味の色に目を輝かせている。
「うん。僕個人としても興味深い。引き続き追跡調査を続けてくれるとありがたいね」
「言われなくてもそのつもりだ」
「……で、そっちがやばくない方だとすると、やばい方はどうなんだ」
興味半分警戒半分の調子で、カッシードが問う。
ブラウシュは悩ましい表情で答えた。
「今まさに穴に張り付いて、トレヴァークを調べ回り、何かしようとしている奴がいるってことだな」
「「なっ!?」」
ほとんど全員が、大きくどよめいた。
ラナソールにいながら、トレヴァークで直接的に何かを起こす。彼らの常識からすれば、まずあり得ないことだった。
二つの世界は密接にリンクこそすれど、通常、物理的には完全に遮断されている。
例外は穴が通じているときであるが、仮に探査魔法等を穴に通したとしても、広大なアルトサイドを通過するまでには、いかなる魔法もほとんどエネルギーを損失している。
直接内部に向かわずして、まともな調査などできようはずもないのだ。
なのにトレヴァークの調査ができている。それが意味することは――。
件の人物は、彼らの理解する範疇を超えた存在だという可能性だ。
未知なる存在に対する興味と、警戒が強まる。
「そいつ、どんな奴っすか?」
「えらくごついおっさんだったな」
いやおめーもっすよ。
クレミアは反射的に突っ込みたくなったが、そんなことをしている場合ではない。
「姿がわかるものは持ってる?」
モココが、興味本位から尋ねる。
「待て。視覚感知魔法を現像したやつがある」
ブラウシュは懐から一枚の写真を取り出した。
銘々が覗き込んでいって。大体がえらくごついおっさん以上の感想を抱かなかったのであるが。
最後に見たクリフが、反応した。
「あ、こいつ知ってますよ! 4年前、浮遊城までサシで殴り込んで。ラナを殺す一歩手前まで行ったやつじゃないですか?」
「「おお」」
ラナ抹殺こそ、彼らの悲願である。
思わぬ大物と判明し、全員のごついおっさんを見る目が変わった。
「穴の場所は」
「ワールド・エンド手前の荒野だな」
「どうする。接触してみるか?」
カッシードは冷や汗をかきつつも、興味が勝り、提案していた。
全員すぐには答えが出なかった。自然と判断を仰ぎ、リーダーに視線が集まる。
ゾルーダはしばし考えて、首を縦には振らなかった。
「……いや、やめておこう。その男は、しばらく泳がせて様子を見たい」
「理由を教えてもらってもいいかな?」
クリフに問われて、ゾルーダは肩を竦めた。
「根拠と言われても困るけどね。長年の勘が、慎重になるべきだと言っている。その男はラナ襲撃に失敗してからというもの、実に用意周到だ。クリフ以外、誰も知らなかったわけだろう?」
「よほど尻尾を見せないように動いているというわけか」
「ワールド・エンド付近の荒野なんて場所、最初から穴が開くのを狙い待っていなければ見つからないものねぇ」
「実力も未知数。しかも世界を超えて通用するとなれば……下手すりゃ俺らの大半よりも力は上か?」
「もし初見で友好的な関係を築けなければ、後々まで厄介の種になる公算が大きい」
「人柄や目的を見極めるまでは、ということっすね」
「ああ」
そして彼の判断は――彼自身は知る由もないが、おそらく最善手だった。
ヴィッターヴァイツという男は、自身が力を認めない下等の存在と協力を組むことなどまずあり得ない。
不興を買えば、全員が狙い撃ちにされて、殺されていた可能性もあった。
ゾルーダの慎重な判断は、彼らにとって最悪の可能性をひとまず回避した。
「しかしその男は、僕たちの存在には気づいていないようだ。状況の利はこちらにあるかな」
彼は頭の中でてきぱきとすべきことを整理すると、的確に指示を飛ばした。
「ブラウシュ。引き続きその男を注視して欲しい。怪しい動きがあればすぐに連絡をくれよ」
「そいつも、言われなくてもだ」
ブラウシュとゾルーダは長い付き合いである。憎まれ口を叩きつつも、信頼関係は強固だ。
「クリフ。この会議が終わり次第、パコ☆パコと撲殺フラネイルに連絡を。トレヴァーク方面は、生身持ちの彼らに任せよう」
「あーしら真なるアルトサイダーには、中々できない仕事っすからね」
クレミアがぼやく。
アルトサイドに至り、世界の理を理解した上で。
肉体を捨て去り、永遠なる命を得た者を真なるアルトサイダーという。
通常ラナソールで過ごしていても、やがて精神が肉体同様に歳を取り、死に至る。
だが異常の掃き溜めであるアルトサイドでは、そのルールが適用されることはない。
新顔のオウンデウスと、その一つ前に加わったクリフを除くすべてのメンバーは、既に生身を持っていなかった。
と言っても、既にクリフはトレヴァークではいつ死んでもおかしくないほどの高齢であるが。
ゆえにトレヴァークにおける行動は、著しく制限される。
世界の穴さえ開けば行くこと自体はできるものの、活動時間が長くなれば、消滅してしまう危険もあった。
そればかりではない。ラナソールにおける行動までもが厳しく制限されてしまう。
アルトサイダーとなった時点で、世界にはフェバルと同じく異物とみなされてしまうためだ。
フェバルほど強力な存在ではないため、世界による消力化作用によって継続ダメージを受ける。
やはりこちらも長時間活動は危険が伴う。
「わかりましたよ」
クリフは、二つ返事で頷いた。
自分も近いうちに肉体を捨て去り、薄暗闇の世界のシェルターに閉じこもって、不自由な暮らしをすることになるかなと、あまり喜ばしくない想像をしながら。
それでも、ただ寿命が尽きて死ぬよりはマシだろう。仲間もいる。
それに――ミッターフレーションさえ起これば。
とりあえずは方針を整理して、ブラウシュの報告も終わった。
最後にリーダーであるゾルーダの順が回ってきた。
「では、僕からの報告といこうか」
「よ。待ってました」
メンバーの一人が、合いの手を入れる。
「終末教ときたら、最近アツいからねえ」
「教祖様ー」
「囃し立ててくれるな。これでも結構苦労しているんだ」
信徒の連中を上手く煽り立て、実質自分たちの都合のために動いてもらうのは骨が折れる。
狂信的な者まで勝手に現れてきて、コントロールが難しい。
「草の根の活動は続いている。ラナ教徒を狙ったテロで、少しずつ基盤を弱くしてはいる。ただ……」
「剣麗が邪魔だよねぇ。あの子、死なないかなぁ」
ペトリが普段と同じやんわりとした口調で、さらっと恐ろしいことを口にしていた。
だがゾルーダの言いたいことは、そうではなかった。
「どういうわけか、世界の崩壊は加速しているよな」
それがフェバルが溜まってきたことによるのだと、彼らは知らないのであるが。
とにかく現象としては理解していた。
「ここらで致命的な一撃を穿てば――世界の境界を壊せると、僕は睨んでいる」
世界の崩壊が進むにつれて、彼らを縛る世界の理も弱まっていった。
そして彼らは自由度を増していった。
だから、いよいよ本格的に壊れてしまえば。彼はそう考えていた。
「終末教、ついに本格始動っすか」
クレミアは、愉しそうに口元を歪めた。
「喜んで手を貸すぞ。何でも言ってくれ」
ブラウシュが歯をむき出しにして嗤う。
ゾルーダは、古参の頼もしい二人に目を細めた。
そして、決意を込めて切り出した。
「手始めに、神聖都市ラビ=スタの大神殿を占拠してみようと思う」
「なるほど。まずは夢想側から揺さぶりをかけていくのか」
意図を理解したカッシードが、不敵に笑う。
「だけど、戦力はどうするんです? ぼくたちって、基本引きこもるしかないじゃないですか」
「そこは『ヴェスペラント』フウガの協力を取り付けておいた」
一同から、感嘆の声が漏れる。
「よくあの暴れ馬の言うことなんて、聞かせられたわね……」
ラナクリムを嗜み、ラナソールの暴虐たる彼もよく知っているモココからすると、信じがたいことだった。
ゾルーダは彼とのやり取りを思い返し、肩を竦めて曖昧な笑みを浮かべた。
「とりあえずは、暴れられればいいそうだ」
「ふうん。彼も相当現実には不満持ってそうっすからねえ。たぶんこっち寄りっすよね」
「そうだな。ついでに仲間に値するかどうか、テストも兼ねていると言っておこうか」
ゾルーダは気取った調子で、にやりと笑う。
オウンデウスは先輩たちのやり取りに興味深く耳を傾けながら、自らも発言のタイミングを探っていた。
機を見て、疑問に思っていたことを尋ねる。
「そこからは? ラナソールにダメージを与えるなら、ラナソールの中で揺さぶるよりも。トレヴァークで殺して、死者の魂をたっぷり用意するのがよいと聞いたが?」
死者の大量発生は、夢想世界に対する負荷要因となる。
百年以上前に彼らが仕掛け人となった最後の世界大戦では、かなりの人が死んだ。
大戦を境目とする夢想病の急速な増加は、世界基盤の容量限界――弱体化を端的に示している。
しかしあれ以来、皮肉にも世界は悲惨な大戦を忌避するようになり、世界は概ね平和になった。
過去と同じように扇動しようとも、今では極めて難しい。
ラナクリムの販売元であり、表で世界を支配するトレインソフトウェア。裏社会を牛耳るエインアークス。
これらの盤石な二頭体制が、強大な壁となっているのだった。
「それにトレヴァークの方が、戦力的には厳しいしねぇ」
ペトリが、残念そうに付け加える。
どちらかと言えば夢想寄りの存在であるアルトサイダーにとって、トレヴァークにおける活動はより厳しいものだった。
行けたとしても、ろくに力が出せない。精々が十人力だ。
エインアークスやレッドドルーザーなど、ラナソールで持てる力の一分でも発揮できれば。それさえあれば、ひと捻りであるのに。
現実の制約が、彼らに地道な終末教活動と扇動という、実に回りくどい手段しか許しては来なかったのだ。
ゾルーダも現状は理解していて、やや意気を落とす。
「そちらについては……正直、まだはっきりとした手はないな」
「状況はかつてないほど整ってきているのにな。最後の一押しがないか」
「そうだな。いや、待てよ……」
そのとき、ゾルーダに電撃のような直観が働いた。
素晴らしい名案が浮かんだと、邪悪な笑みが漏れる。
まだ確信したわけではないが、笑わずにはいられなかった。
「みんな、聞いてくれ。試してみたいことがある」
彼は自らのアイデアを、全員に包み隠さず共有した。
皆一様に悪い顔になった。
「いいっすね。もしこれが上手くいけば……」
「だいぶ近づけるかもしれないよ」
「そうね」
「ああ」
全員の意志が一つになったところで。
ゾルーダは、改めて言った。
「今の我々は、まったく自由であるとは言い難い」
「こんな暗くて気味の悪いところに押し込められて、もう二千年っすからね。ゾルーダはもっとっすよね?」
「数えるのも忘れたよ。永遠の命を得た代償とは言え……本当に、長かった」
実に数千年もの時の大半を、薄暗い闇の世界で過ごしてきたのだ。
最初は一人だった。
人並み外れて想像力だけは逞しかった彼は。夢想の世界と現実世界とのリンクに気付いた、おそらく最初期の一人だった。
現実に絶望していた彼は、心から望んでいた。
もう一人の自分ではない、自らが夢想の世界へ行くことができないかと。
そこでなら永遠の夢を現実として、幸せに生きることができるのではと。
彼は死を何よりも恐れる人間だった。
現実におけるその寿命が尽きる寸前まで、あらゆる挑戦を続けた。
きっかけは偶然だった。
これもおそらく、最初期の世界の穴だった。彼は死の寸前でそれを見つけ出した。
そして、現実における彼の死の瞬間と重なる刹那。
肉体から精神が離れ、ラナソールのそれと混じり合う瞬間に。
奇跡的に何かしらの判定のエラーが生じたのか――受け入れられた。
彼はアルトサイドの住民となった。しかも朽ちた老体でなく、ラナソールの理想的な肉体をもって。
当時、夢想の世界はまだ比較的健全に機能していた。
夢想病患者は少なく、彼らの悪夢を糧とするナイトメアも数が少なく、弱かった。
まだ独力で対処できる程度の脅威でしかなかった。
彼には、先見性があった。
やがて夢想病は拡大し、ナイトメアも真の脅威となるだろうと。
なぜなら世界は――不完全なのだから。
アルトサイドは、ほとんど無の世界だった。資材も何もなかった。
彼は世界の穴が開くたび、ラナソールやトレヴァークへ飛び込んで。命がけで、可能な限りの物資をかき集めた。
三百年かけて、最初のシェルターを作った。
いつか現実に失望し、二つの世界の繋がりに気付き。
永遠を夢に生きたいと、同じ境遇を望む仲間が現れたときのために。
彼は望む者のための案内人となったのだった。
一度存在を赦された彼がいることで、アルトサイドへの侵入は容易となった。
やがてブラウシュが来た。クレミアが来た。マハーダイスは来て――ナイトメアになってしまったか。
気付けば、シェルターを七つ打ち建てるほどの大所帯となっていた。
それらは、数百人という規模に不似合いなほど大きなものではあったが。将来的なことを考え、あえて余裕を持った設計としている。
いずれ世界に同志が溢れる――そのときのために。
「夢想の世界が壊れるとき、僕たちは真なる自由を手にするだろう」
「今から楽しみだねぇ」
「この力で、どれほど好き放題してやろうか」
「正直俺はまだ生身があるから、そこまででもないがな。まあ付き合ってやるよ」
皆からの温かい言葉を受けて、ゾルーダは感慨深くある言葉を口にする。
それは教義であり、初志であり――決意だった。
「我々はミッターフレーションから、アルトサイドを越えて――真界に至る」
彼らは力強く頷き合う。
トレヴァークへ。ラナソールの力を携えて。
囚われるもののない、真なる自由へと。
将来的に肉体を捨て去る者も含めて、アルトサイダーの総意だった。




