125「第三の領域 アルトサイド」
「映像の記憶からわかったことを順に整理していこう」
「うんうん」
「まず狭間の世界は、どちらかというとラナソール寄りだ。普通に魔法が使える。視覚感知魔法が効力を保ったままだったことから明らかだね」
「そうだね。魔法が使えたことが、今回の発見に繋がったわけだよね」
ハルも頷く。
「そして、狭間の世界にも建物が、それもかなり大きなものがあって。どうやらあの謎の化け物とは敵対関係にあるみたいだ」
「ボクもそう見たよ」
最後の光の魔力による攻撃。
あれは明らかにドームを襲う外敵に対する防衛対応だった。
もしかするとあの化け物は、しょっちゅうドームへと襲来しているのかもしれない。
「ドームの中に人がいるのかもしれない。あるいは自動防護システムが働いているとか。いずれにしても、何かの仕組みや意思でもって攻撃した」
「ボクとしては、人がいる方が楽しみ、かな」
「俺は半分半分かな。あそこに人がいたとして、良い人たちかどうかもわからないからね」
「そっか。それもそうだよね」
あの恐ろしい化け物の正体についてはさっぱり見当もつかないので、一旦置いておくとしても。
改めて大発見だ。これまで何もないと思っていたところに、人の痕跡の存在が示された。
つまり。ラナソール、トレヴァークに続く。
ハルが、俺と同じ雑感を述べた。
「もう第三の世界と言うべきかもしれないね。ただでさえラナソールとトレヴァークの関係があるのに、余計複雑になってしまったね」
「そうだね。ラナソールとトレヴァークを結ぶ――中空領域か」
「――アルトサイド」
ハルの口から、ぼそっとそんな言葉が零れた。
「アルトサイド?」
「うん。ふと思い出したんだ。ボク――レオンが、捕えた終末教の幹部狂信者から聞いた言葉だよ」
我々はミッターフレーションから、アルトサイドを越えて――真界に至る。
そう言っていたという。
「随分と煙に巻くような言葉だな」
宗教というのは、みんなそんなものかもしれないが。
「ボクもまったく同じ感想だった。概念的な戯言だと思っていたんだ。けれど」
「より具体的な目標であり、事象を表しているのだとしたら……」
終末教の掲げている教理。
世界の終わり――ミッターフレーション。
アルトサイドを越えて、真界――トレヴァークに至る?
俺がそうしているように、彼らもトレヴァークへ行こうとしているのか?
夢想の存在でありながら。そんなことなんてできるのか……?
おそらくそのための具体的な行為が、各地における破壊活動であり。
ラナ教――ひいてはラナ自身の抹殺にある。
ラナは、明らかに世界から厳重に守られている。まるで彼女自身が要であるかのように。
実際あのとき――俺と会って、なぜかはともかく彼女が揺らいだとき。
世界もまた揺らいだのを覚えている。
徐々に壊れつつある世界。綻びを見せ始めている世界。
ただでさえ不安定なんだ。要を消してしまえば、どうなる?
放っておいても、やがて問題は大きくなるばかりだけど。
もしかすると、緩やかに進む崩壊――夢想病の進行などというのは、それ自体が最大の問題ではなく。
ほんの序の口だったのか……?
――今の状態にかこつけて、何かをしようとしている奴がいる。
少なくとも終末教には。もしかしたら他にもいるのかもしれない。
例えば、レオンが何度も取り逃がしているという『ヴェスペラント』フウガはどうだろうか。
……いや、もっと身近に脅威はある。フェバルだ。
ラナソールにおいて、フェバルは嫌われている。明らかに「特別な配慮」がなされている。
そうせざるを得ない事情があるに違いないのだ。
この世界の異常性は、エーナさんによればわかる人には明らかだ。一部の超越者にとっては、興味深く映るかもしれない。
なおかつ近辺の星脈は、近寄ったフェバルを問答無用で落とし込んでしまう流れになっている。
幸い今は味方が多いけど。悪いフェバルだって来るかもしれないじゃないか。
特にウィルだ。あいつが俺を追って、いずれこの世界に来るとすれば。
今の状態を見て、これ幸いと『ゲーム』を始めてしまうかもしれない。
もし世界による抑えの効力が及ばず、悪い奴らが一度解き放たれて、暴れるようなことがあれば……。
終わりの日は、あっという間に来てしまうのかもしれない。
「ユウくん。何に気付いたのかな。具合が悪そうだけど、大丈夫かい?」
「……思ったより、時間はないのかもしれないな」
「えっ? どういうことかな」
驚きの色を示すハルに対して、俺は静かに答えた。
「エインアークスによれば、世界の終わりまでは五百年の猶予があると。でもきっとそんなことはなくて。終わらせたい連中がいる以上は……終わらせられる連中がいれば」
「でも、終末教にそこまでの力があるとは思えないよ。ボクだって力を尽くすし、そのために同盟を組むんじゃないか」
「終末教だけならね……」
超越者連中を念頭に置いた発言は、二つの世界しか知らない少女にとっては、あまりぴんと来ないようだった。
その辺りは今度、昔話がてらに話してあげることとして。
今は次から次へと懸念が浮かんでいた。
「既に薄氷の上かもな。辛うじて世界は保たれている」
空恐ろしいものを覚えつつ、『心の世界』から紙とペンを取り出した。
《スティールウェイオーバー筆スラッシュ》
自動的に、高速で手が動く。
筆は今知る限りの世界の概念図を描き出していった。
上にラナソール、真ん中にアルトサイド、下にトレヴァークを配置する。位置関係は何となくだ。
ラナソールからトレヴァークへ通って移動するときは、やや下るような感覚。
逆にトレヴァークからラナソールへ行くときは、やや上っているような感覚がある。
でき上がった概念図を、隣からハルが興味深そうに覗き込んだ。
「これが、世界の姿……」
「世界の穴は、上から下へと通る。人の心は、糸のようなもので結ばれている」
概念図に穴と矢印、そして人と人を結ぶ糸をたくさん描き加える。
エネルギーの高い場所から、低い場所へ。許容性の高い世界から、低い世界へと。
両者を繋ぐ中空領域。アルトサイドは、パイプのようなものだ。
しかしただのパイプではない。建物があり、人の痕跡があり――化け物がいる。
まだまだ全体像はわからない。どうなっているんだろうな。
ともかく、もう少し関係の整理を続ける。
「糸が切れてしまうと、夢想病になる」
糸のうちいくつかに、×印を付けた。
「そして、俺がやっていることは。人を繋ぐ糸を道として広げて、通してもらうことだ」
俺とユイを表す人型、ハルやリクなどを想定した人型をいくつか描いて、道を示す双方向の矢印を付ける。
これで概ね人の関係についても書き足された。
「へえ。わかりやすいね。これ」
「問題は、現状の整理は出来てきているのに、肝心な部分の手掛かりがろくにないことだ。アルトサイドの存在が新たにわかっても、行く方法はさっぱりだし」
ただ世界の穴へ飛び込んだだけでは、流されてしまうだけだろう。
俺ごときじゃない、普通のフェバルほどの圧倒的な力をもってすれば、あるいは流れに逆らうこともできるか。
【反逆】持ちのレンクスだったら、きっとあの流れをものともしないだろうな……。能力さえ発揮できるなら。
でもフェバルが能力を発揮できるような状況は、本当に危ないときのような気がする。
この世界に来て、もう二年近くになる。結局まだ大切なことは何もわかっていない。
実はあまり時間がないとして。こんなにのんびりしていて良いのだろうか。
もっと身を削ってでも、世界を――。
ハルの手が、俺の手に触れた。包み込むように。
「前にキミが言ってた。焦っちゃいけないよ。第三の領域に何かがあるとわかっただけでも、一歩進んだ。とりあえずそれでいいじゃないか」
「……ああ。確かにそうだね。大きな一歩だ」
少しずつ前へ進んできてはいる。
既に得た情報が、世界の謎を解き明かす何かに繋がっているのかもしれない。
そうだな。焦っても何にもならないよな。
「ふふ。ユウくんも人並みに焦ったりするんだね」
「俺だって普通の人間だよ。弱音だってしょっちゅう吐くし」
頑張って言わないようにするときもあるけど、ユイには結構相談してたりするんだ。
「うん。繋がってみて、キミのこと、またちょっとだけわかったかな。そんなところも好きだよ」
大胆な告白は女の子の特権ともよく言うけど。
心なしか、また少しだけ積極的になってないか? 口で言ってることとやってることが、妙にちぐはぐだ。
押してみたり、引いてみたり。彼女自身も持て余しているんだろうな。まだまだ。
……ああ。俺の心を覗き見てしまったのもあるか。
ハルが心の内を隠さず見せてくれたように。
俺の力は、自分の心の内も繋がった相手に知らせてしまう。
リルナへの一途を通すことでしか、君を跳ね退けていないことに。君はもう気付いているだろう。
もし初めての人だったなら。俺はもう君を抱いている。
もしそうだったなら。
ここまで好意をぶつけられて受け入れないほど、俺は人を選ぶわけでも、朴念仁でもない。
何より君自身が魅力的だ。そこは心から認めるよ。
俺もハルが好きみたいだ。かなり。相性も良いと思う。
さすがユイも合格点を出すだけのことはある。
でも、リルナが好きなんだ。
こればかりは譲れない。だからやっぱりすまない。
心の内でもう一度謝って。そこもたぶん、ハルには見抜かれていて。
「ところで。ねえ、ユウくん。あと一つ。大事なことがわかったんじゃないかい?」
思考を呼び戻される。
「最初の依頼の話へ戻るんだけどね。ボクをそこへ連れて行ってみてくれないかな」
「アルトサイド……ってわけじゃないよね?」
それはまだ無理だと言う話をしたばかりだ。
ハルは微笑を浮かべたまま、小さく首を横へ振る。
「よく思い返してみて欲しい。記憶の最後がどうなったか、覚えているかい?」
「えーと。あっ!」
そうだ。あのとき、どうなった?
視覚感知魔法は、最後まで効力を発揮していた。
そうだよ。トレヴァークに着いたにもかかわらず、しばらくは魔法が消えなかったんだ。
つまり。
「逆転現象が、起こっているのか?」
「ボクはそう睨んでいるよ」
正答を得た彼女は、満足気に頷いた。
世界の穴に近い場所では、二つの世界の境目が薄くなる。互いにもう一方の世界の性質を色濃く反映する。
ラナソールならば許容性が下がり、パワーレスエリアとなる。
逆にトレヴァークなら、どうなるか。
許容性が上がる。魔法を使うに足るほどに。
「パワフルエリア、と名付けてみたよ。少し安直だったかな?」
ハルは、この日何度目かになる照れ笑いを見せた。




