121「世界の異変と終末教」
実力試しがてら、ハルと念入りに準備運動を行った。
周囲の空の雲が吹き飛んで、いくつかのクレーター模様が出来上がる準備運動とか、どんなのだよって感じだけど。
激しく剣をぶつけ合い、最後は二人揃って、大の字になってくたばった。
青春映画の一ページにでもありそうな構図だ。どっちも内訳が半分くらい女性だけど。
「いい汗かいたな」
「やはり強いな。ユウ君は。また腕を上げたようだね」
「君こそ。今度は勝てるかもって思ったんだけどなあ」
実はこっそり結構頑張っていた。
ラナソールは強さの上限に限界がないから、鍛えたら鍛えただけ強さが上がっていく。
久しぶりに強くなる楽しみというものを味わえて、修行にも身も入るというものだ。
普段はほとんど頭打ちだったからな。
「ふっ。お互い仕事の裏で、しっかり鍛錬は続けていたようだ」
喉が渇いていた。
相手もそうだろうと思い、『心の世界』から水のボトルを二つ取り出して、一つをハルに渡す。
「すまないね。おっと。これ、僕の山の名水じゃないか」
「あ。たまたま出したやつがそれだったか」
レジンバークより遥か南西に、英雄を称えてレオンマウンテンなどと大層な名前の付いた山がある。
その山麓から採れる水は、『思わず声を出したくなるほど美味い名水』と言われている。
「「ぷはー!」」
とまあ、こんな具合に。
「久しぶりに飲んだけれど、すごくおいしいな」
「トレヴァークにも置いておきたいくらいだよね」
「あちらだと、グレートウォーターフォールのほとりの水が名水とされているけれど。声が出るほどじゃなかったかな」
あくまで彼女の感想だけどね、と添えてレオンは笑う。
「さすがラナソールだ。水まで理想的とはね」
身体を動かした熱が徐々に引いて来ると、本来の用件を思い出した。
「そう言えば君さ、俺にこれまでの成果の話があるって言ってたよな」
「ああそうだったね」
彼は少し頭を整理する素振りを見せてから、切り出した。
「ここ最近、ラナソール世界の異変が急速に拡大しているようでね。ニュースは見ているだろう?」
「うん。見ているよ」
パワーレスエリアが拡大しているのではないか、と考えられるニュースが増えた。
オカルトじみた噂話でしかなかったはずの「力が抜ける」領域の話は、今や一般市民も知るところとなっている。
最近はミッドオールだけでなく、フロンタイムにも出現したという話もあるほどだ。
またパワーレスエリア内部では、頻繁に世界の穴が観測されている。これに飲み込まれた者は帰って来ないという。
少しずつ、ラナソールという世界がおかしくなってきている。
それも脅威の増す速度が上がってきているのではないかという節がある。どうしてかはわからないけれど。
「それに伴い、色々ときな臭い兆候が出てきているんだ。とりわけ、終末教が活発に動き出している」
「終末教か……」
世界の終わり『ミッターフレーション』を奉じるいかがわしい連中だ。
標語として「終末よ、魂の牢獄からの解放」を掲げている。
いかにもな黒装束を着て、集団で色んな場所で怪しい祈りを捧げている奴らだ。
ただ祈ってる分にはいいのだけど、ラナ信奉者や彼女ゆかりの地に対して、時折ゲリラ的な破壊活動をするんだよな。
なので俺も何度か出向いたことがある。
中でも司教バムーダとの対決は、記憶に新しい。
まあ対決と言っても、軽く叩きのめして牢屋に繋いだだけなんだけど。
あいつらと戦ってると、かつての『仮面の集団』を思い出して嫌な気持ちになるんだよな。
一部が狂信じみてるところとか、そっくりだ。
余談だけど、連中とは別口で『週末教』というふざけたのもいて。
標語として「週末よ、労働からの解放」を掲げている。
あれはあれでまあ強烈だったというか、やばかったのだけど……。
脅威かというとまったくそんなことないので、考えなくてもいいだろう。むしろ忘れたい。
でもいっそみんな『週末教』だったら、楽だったかもしれないな。
「連中は厄介だよな。個人的に『魂の牢獄からの解放』というフレーズは引っかかっているんだけど」
「何が引っかかっているんだい?」
「ラナソールがある意味魂の牢獄みたいなものだっていうのは、俺も密かに同意するところなんだ」
そう言うと。
ハルは少し考えて、深く頷いた。
「いつか君は彼女に話してくれたね。ラナソールには思ったよりずっと多くの人が、そうと気付かないまま囚われていると」
「うん。ただ夢想病というものがほとんどなく、大きな問題があまり発生していなかった昔は、楽しい夢のような牢獄だったんだと思う」
「けれど。長い時間をかけて、世界は徐々に壊れてきた」
「そうなると、騒ぎ立てるのも無理はないというか。あいつらの活動は、危機感の表れの一種ではないかと思うんだよね」
「なるほど。面白い意見だ」
おそらく終末教の中、それも教祖辺りに、ラナソールの真実について思い至った者がいるのだろう。
そいつが「ラナソールがあるからいけないんだ」と考えるのは、不思議なことではない。
「ただ……」
「やり方が短絡的だと思う。むやみに破壊したところで、事態は解決しないんだ。むしろ悪化する。連中はそれをわかっていないのかもしれない」
例えば、調べてわかったことだが。
夢想病の発症から死亡までがわずか数時間と、異常に早いケースがある。
患者が死亡するには「現実世界との繋がりが完全に断たれること」ともう一つ、もっと明快な条件がある。
それは、ラナソールにおいて患者に対応する人物が死亡することだ。
トレヴァークで肉体が死んでも、心はラナソールで生きているケースがある。
しかし逆は……俺の知る限りない。
夢想の世界の彼や彼女が死んだとき、その事実は致命的な心へのダメージとなって、現実世界の彼や彼女を襲う。
心を喪失した肉体は、直ちに急性夢想病を発症して。あえなく亡くなってしまうのだ。
もちろんこのままじゃいけないのはわかってる。でもただむやみに壊してしまえば。
「魂の牢獄からの解放」は、そのまま「生からの追放」になってしまう。
「破壊活動を許すわけにはいかないよな。やっぱり」
「そうだな。きっと何か別の方法があるはずなんだ……そう信じたい」
自信はないけれど。
彼は、彼女は、世界を救える可能性を信じている。
緩やかに終わりへ向かっていく世界。徐々に終わりへ加速していく世界。
俺たちは対症療法を続けながら、根本的解決策を懸命に探し続けていた。
「ともかくまずは目の前のことだ。終末教に手を焼いているという話だったな」
「ああ。そこで提案なのだけど」
一拍おいて、彼は自分の作戦を語る。
「冒険者ギルドとフェルノート防衛軍を結束させて、しばらく本格的な共闘戦線を組みたいと考えているんだ。そこに、レンクスさんやジルフさんにも参加して頂きたい。どうだろうか」
「なるほどね。いいと思うよ。あの二人がいたら、他に誰も要らないような気もするけどね……」
「レンクスさんとは一緒に仕事をしたこともあるから、その力の凄まじさはよく知っているよ」
何を思い出したのか、ハルは苦笑いした。
「いやあ、世界は広いな。あんなとてつもない方がいるものなんだね」
「あはは」
大丈夫。宇宙は広いなが正しいし、あれは反則級のガチフェバルだから。
君は世界では十分強いよ。一番や二番を争うかもしれない。マジで。誇っていい。
「ただ君もわかっているだろう。連中の主な手段はテロリズムだ。いくらこちらが強くても、数を揃え、体制を整えなければ、すべてに対抗はできないよ」
「そうだな……。レンクスとジルフさんは、どっちかっていうと拠点殲滅向きだ」
気も魔力もない彼らの存在を事前に察知して防ぐことは、いかにチートなレンクスやジルフさんでも不可能だ。
唯一、俺の悪意感知だけは上手く働くけれど。それもある程度場所が近くなければ、ノイズに塗れてしまう。
「軍には顔が利く。ギルドの方には、僕から働きかけておこう。君には二人の説得をお願いしたい。頼めるだろうか」
「わかった。ただあの二人はたぶん、滅多なことでは動かないと思うけどね」
良識的なフェバルは、その大きな力をむやみやたらとは使いたがらない。
彼らの振るう一撃が世界の形を変えてしまうかもしれないのだから、慎重にもなるだろう。
「それでいいさ。いざというときにほんの少し手助けしてくれるだけでも、大きく違うだろう」
「そうだね。ところで、エーナさんは? 一応彼女も強いんだけど」
戦闘タイプじゃないから圧倒的ではないけど、それでも俺とハルを足していい勝負にはなるはずだ。
……勝負だけなら。
彼女の名前を出した途端、面白いように英雄の顔色が曇った。
その理由も何となく予想できてしまう。
「彼女には……自分を大切にと伝えておいてくれ」
ああ。一緒に仕事したことあるんだな……。
「フェバルは個性派揃いなんだ……」
「同感だよ……」
ハルは、たぶん俺も、引きつった笑みを浮かべていた。
「レンクスさんもね。彼の方がずっと強いはずなのに、どういうわけかやたらとライバル視されて。困ってしまうんだよね……」
「ああ……。それたぶん、イケメンレオンさんにユイが取られるんじゃないかって、馬鹿な対抗意識燃やしてるだけだから」
言ってあげたら、素で驚いていた。
「え、そうだったのかい? 僕にそんなつもりはまったくないんだけどなあ」
「はは。中身が女性だと知ったら、どんな顔するんだろうな」
一部始終を聞いていたユイから、くすりと笑い声が聞こえてきた。
『今度私から話しておくよ。もう。ほんと馬鹿みたいだよね』
ああ。馬鹿だな。『世界の馬鹿』グレートバカオブザバカだ。
これで少しは大人しくなるんだろうか。深く考えてるようで結構単純だしな。あいつ。
これ以上あいつのことを考えていても仕方がないので、切り上げる。
「ともかく。これで話はまとまったのかな」
「終末教の方はね。もう一つ用件があって」
「へえ。なんだ」
「どちらかというと、トレヴァークに関係する方なんだ」
ハルはどこかわざとらしくにやりと笑って、手を差し出した。
「君がこうして移動しているのは知っているよ。問題なく道は繋がっているはずだ」
俺も後で頼もうと思っていたから、願ってもないことだけども。
なんか妙に積極的だな。
「続きの話は、向こうの彼女とするといい。随分会いたがっているからね」
「しばらく会ってなかったもんな」
病院に行かないと基本は会えないからね。
毎日のように行くわけにもいかなくて。メールはしょっちゅうしていたと思うけど。
「わかった。せっかくだし、たっぷり話をしてくるよ。それと今度からも、君たちとの繋がりを使わせてもらっていいかな?」
「もちろんいいとも。いってらっしゃい。彼女によろしく」
にやりとした笑みは、最後までそのままだった。
〔ラナソール → トレヴァーク〕
ずし。
出てきた瞬間、方向感覚が変わった。
柔らかいものに触れた。白い、シートだろうか。
何だろう。甘くていい匂いがする。
髪。人肌。
……ん?
「……キミも、結構大胆な現れ方をするんだね」
すぐ耳元で困ったような女の子の声が聞こえて、顔を持ち上げる。
普段は寝たきり。すぐ近くに、その人と平行的に現れる。
ということは。
必然、押し倒す形になりやすい。
俺とハルは。
上と下、ほとんど真正面から。
互いの息がかかるほどの位置で、見つめ合っていた。
ハルは、ほんのりと顔を赤らめている。
急に顔が熱くなってきた。
やられた! レオンハルめ!
あいつ、わかっててにやにやしてたな!
しかもこのパスを使う限り、常にこうなる可能性が付いて回るじゃないか! 恥ずかしい……。
「あ、あああ! ごめん! すぐどけるよ」
慌てて離れようとして。
ベッドシーツを掴んだ手を、細い手でぎゅっと掴まれる。
「もうちょっと。このままでもいいかな」
「え? でも」
「キミなら、嫌じゃないよ」
普段は雪のように白い顔を紅く染めながら。
潤んだ瞳でそう言われて、ドキッとしてしまう。
「人肌のぬくもりとか、重さとか。久しぶりなんだ」
「……そっか」
「せっかくだし。もうちょっとくらい、感じていたいかな」
普段一人ぼっちで寂しさを感じている少女から、そんな風に嬉しそうに乞われてしまうと。
気持ちがわかってしまって。引き剥がす力も出てこなくて。
お互い手を出すでもなく、喋るでもなく。
しばらくの間、そのまま繋がっていた。




