89「夢想病調査部結成 1」
シズハと一悶着あった翌朝。
貸してもらったソファーで目を覚ますと、こちらをじーっと見下している彼女と目が合った。
「…………」
「おはよう。どうしたの」
「……殺せそう、だった」
「ええ……?」
朝から物騒なこと言ってくるなあ。
殺意感知に反応しなかったということは、本気じゃないんだろうけど。
「お前。やっぱり……馴れ馴れしい」
「どの辺が?」
「暗殺者。元々、敵同士。平気で寝る、の……おかしい」
「そうかなあ」
「寝顔……見てた。起きない。緩みっぱなし。殺せそう、だった」
もう一度。確信的に。
どこか非難めいた響きも伴って、彼女は呟いた。
そう言われてもな。
「だって君、殺すつもりなんてないよね。あ、昨日のは除いて。あれは怖かった」
「……どう、だか。わからない、ぞ……」
そんなつもりないくせに。
あくまで意地を張ってくるのが可愛いな。
「いつも疑って気を張ってるとさ。いざという時に頼れないし、力が出せないからね」
何より自分も辛いし、不幸な生き方だ。
人を信じられないことは。
「君のことは信頼してるんだ。助けてくれたじゃないか」
「……助けられた、のは……私の、方。後で、裏切る……かも……?」
「そのときはそのときだよ。事情が事情なのか、自分に見る目がなかっただけのこと。君を恨むような話じゃない」
「……お前も、人を見る目……あると……?」
「どうだろう。お前もって、たぶんハルのことだよね? そこまで言い切る自信はないかも」
「では、なぜ」
「うーん。なぜって言われると……。生き方や信条の問題になるのかなあ」
「生き方……信条……」
「うん」
もちろん裏切られたことなんていくらでもあるし、痛い目にもたくさん遭ってきた。
「殺さないといけない相手」の話にも繋がることだけど。
じゃあだからって、最初から誰も信じなければいいのか。やはり違うと思う。
極端に走ることは、ほとんどいつだって馬鹿げている。大切なものを見えなくして、手からもこぼれ落としてしまう。
人を信頼するという行為にも当然大きなリスクはある。
それでも人を信頼し、また信頼されることのリターンは真に得難いものだ。
何より。まず自分が信じてみないことには、相手もそう信じてくれるはずがないのだから。
だから自分は、信じる方でいたい。
相手が信じる一歩を踏めないのなら、先んじて一歩踏み込む勇気の人でありたい。
そうある方が楽しいじゃないか。
「君が自分のことをどう思っているのかはわからないよ。もしかしたら自分を罪深く、冷たくて残酷な人間だと思っているのかもしれない」
こくん。シズは小さく頷いた。
やっぱりか。相当後ろめたいことをやっている自覚はあるのだろう。
そのせいでいつもどこか自分を責めていて。こうして普段の態度にも現れてしまうんだ。
まあ何といっても殺しだ。俺も手放しで許されることだとは思っていない。
むしろ許されざることで、当然誰かの深い恨みを買ってもいるだろう。
罪深い仕事だ。暗殺者というものは。
けどそれは俺が責めるべきことじゃない。彼女は誰に言われずとも、今も自分のあり方に悩み苦しんでいるのだから。
友達ならば。与えるべきは断罪の刃でなく、助けの手であるべきだろう。
そうして救われた人がいることを。罪と向き合えた人がいることを、俺は知っている。
「でも俺は君を信頼できると思ってるし、したいと思ってる。君自身のことを、君の心を見てきたからね。それじゃいけないのかな」
「……お前、馬鹿。お人好し……言われない、か?」
言われたよ。向こうの君にも。
「そうかもね。だから君にも同じことを期待してるんだ。俺のことは信じてくれると嬉しいかな」
「お前……ずるい。本当……調子、狂う」
心底呆れた顔で言われてしまった。
「あはは。ごめん。寝起きから変なこと言ったね」
そう思ったら時と場所に構わず言っちゃうことがあるのは、悪い癖だな。
「でもこれから仕事仲間になるわけだし。仲間を信頼しないでどうするってね」
「仕事、仲間……?」
あれ。この反応だとまだ上から伝わってないのかな。
「もしかして、まだ聞いてなかったのか」
こくんと頷くので、教えてあげる。
「今、君の身柄は俺が預かってることになってるんだ。命令権もボスから奪ってある。と言っても、命令するつもりはないから安心していいよ」
「お前……そんなこと、まで……してた、のか?」
「放っておくと君の立場が悪くなりそうだったからね」
「……そう。頼んで、ない……から」
「はは。余計なお世話だったかな」
ぷいっと顔を背けたシズは、しばらく何か言いたそうに口をもごもごさせていた。
結局話題を変えることにしたみたいで、彼女はテーブルに目を向ける。
「……トゥカー。置いてある。飲め」
「ありがとう。気が利くね」
「別に。余った、だけ」
いよいよ本格的にデレて来ている気がするな。
嬉しいけど、言ったら怒りそうだから黙っておこう。
トゥカーは白く濁った色の飲料だ。コーヒーにほんの少し甘味を混ぜたような味をしていて、上質なものは何も加えずにそのまま飲むことができる。
シズが用意してくれたものは高級品のようで、香りと味をじっくり楽しむことができた。
お返しにと、美味しい朝食を振舞ってあげることにした。スペシャルフレンチトーストだ。
レジンバーク産の高級卵を使用して――あとどの辺がスペシャルなのかは、企業秘密。
彼女は想像通りというか、料理に関してはずぼらだった。一応何かを焼くくらいはできるみたいだけど。
だからか、一口食べただけでいたく感動していたのが見て取れたよ。
無口な面が崩れて蕩けた顔をしていたのには、ガッツポーズだ。
はっと気付き、すぐにポーカーフェイスに戻していたけれど。
俺は見逃さなかったよ。ごちそうさまでした。
それから。彼女と俺がすべき仕事の内容を話し合うため、エインアークス本部へ向かうことにした。
このところ大活躍のディース=クライツを取り出すと、彼女はなぜか悔しそうに指をくわえている。
「どうしたの」と聞くと、「別に。羨ましくない、もん……」との一点張りだった。
そうか。君もこのマシンの価値がわかる女だったのか。やるな。
「あ、そうだ。昨日言ってた自己暗示、ちょっとだけ見てみたいかも」
ふと思い出したので、お願いしてみることにした。
ボスとの話し合いで、ずっとだんまりされないで済むかもという思惑もある。
「ん……わかった。ちょっと、待て」
そう言うと、シズはわかりやすく大きく息を吸い込んで。
それから俯き、ぶつぶつと自分へ言い聞かせる。
「ここ……ラナクリムの中……ラナクリムの中……ラナクリムの中……ラナクリムの中……ラナクリムの中……」
同じことを小声でひたすら繰り返すシズハさんを見守る時間が続いた。
なにこれ。怖いんだけど。
一分くらいそうしていただろうか。やっと気味の悪い儀式が終わった。
「――こんな感じで、どうかしら」
固くぎこちなかった表情が、まるで嘘のように普通の女性らしくなっている。
黒髪ではあるが、確かに「シルヴィア」がリアルに現れたのだった。
「おーすごいすごい。シルヴィアさんだ!」
「……あまり言うと恥ずかしいから止めてくれない? 今も自分騙しでいっぱいいっぱいだから」
「へえ。やっぱ大変なのか?」
「気を……抜く、と……ん、んん――外向き用だから、長くはもたないわよ」
「え、マジか。ちょっとボスのところまでもたせてくれない?」
「あなたがここでやれって言ったんじゃない。こんな恥ずかしいの……今すぐ、やめてもいい、ぞ?」
顔からみるみるうちに豊かな表情が失われていく。
早い。戻るの早いよシズハさん。機嫌損ねないでくれ。
慌てて制止する。
「ステイ。ステイシルヴィア~」
「何よ。人をモコみたいに」
「せっかく時間かけてなったのに。もったいないよ」
「一応。弱シルヴィアなら……もつわ」
「じゃあ弱シルヴィアでいいよ。話ができればいいから」
よくわからないけど、それでいいよ。
すると彼女の表情に、微妙に生き生き具合が戻る。
ああ、弱ってそういうことね。豆電球だけ付けましたみたいな。
なんて思っていると、じろりと睨みを向けてきた。
「お前、さりげなく。失礼なこと言ったわね?」
「え? あっ」
しまった。
「素の私じゃ……まともに、話ができないと?」
「いやいやそんなことないよ! 言葉の綾ってやつでさ!」
「へえ……そう。後で覚えてなさいよ」
悪かったよ……。
ここのところ、シズには怒られっぱなしだな。
余談もこの辺りで。後部座席に彼女を乗せ、本部へ向けてバイクを走らせた。
で、本部はというと。先日と変わらず、銃を持った二人の見張りが両脇を固めていた。
ただ一か所、応急処置的に紙で塞がれた扉の穴が痛々しい。やったの俺だけどね。
二人ともいかつい顔で立ち塞がっていたが、歩み寄ってくる俺たちに気が付くと豹変する。
あっとその場に銃を取り落として、あからさまに硬直してしまった。
「「ホシミ ユウ様! どうぞ、お通り下さい!」」
最敬礼で出迎えられる。この間とはえらい違いだ。
シズハもこの対応には思わず目を丸くして、
「お前……ボス倒したって、本当なのね……」
と、呆れたような感心したような溜め息を漏らした。
ロビーに入ると、カウンターにはあの裏心逞しい受付嬢が立っていた。
彼女もまた笑顔を引きつらせている。
ちょっと申し訳ないことしたかなと思わないでもないが、彼女には本来の仕事をしてもらおう。
「ちょっといいかな。ボスに顔を見せたいのだけど」
「あっ、は、はひっ! どうぞ。そちらのエレベーターへ。直通にしてございます」
「ボスに直通とか……前代未聞よ……」
シズハはここでも盛大に呆れていた。
「悪いね。ああそうだ。この間は痛い目に遭わせてしまったからね。これでおいしいものでも食べてよ」
一応女性だし。チップ及び迷惑料として、百ジット札を一枚渡してあげた。
するとなぜだろう。受付嬢はお札を見るなり、みるみる顔を青くしていく。
わなわなと震える両手でそれを丁重に受け取り、口をぱくぱくさせていた。
「あ、あああ、ありがとうございましゅ……!」
あ、噛んだ。
最初に来たときのびびったような感じ。あれ演技かと思ったけど、案外素なのかな。
「やり過ぎ、だ」
「え。何が?」
ちなみに後で知ったのだが。
裏社会において端金である百ジット札を一枚だけ渡すという行為は、「お前の命はほんの紙切れ一枚みたいなものだ(この端金で黙らないと命はないぞ)」という脅しのメッセージになるらしい。
それはびびるよね。悪いことをしたなと思う。
直通エレベーターで最上階に上がる。ボスの部屋まで何者にも邪魔されず行けるのは、前回の強硬突破を思うと中々に爽快だった。
シズハの方はそもそもこんな階まで行くことが少ないのか、素通りが落ち着かないのか。居心地悪そうにそわそわと視線を彷徨わせていたけれど。
ボス部屋に着いた。今回は普通に扉を開ける。
その向こうには、前と同じようにボス――シルバリオがどっしりと構えて座っていた。
ただ心なしかやつれているように見える。原因はもちろん俺だろう。
「随分お早い再訪だな。ご丁寧に奪い取った女まで引き連れて」
「ボス……」
「せっかくだから早いうちがいいと思ってね。ビジネスの話に来たよ」
「ほう。ビジネスと。敗戦処理の間違いではないか」
やや棘のある言葉だ。
まあ皮肉の一つも言いたくはなるだろう。スルーしてやることにした。
ふと、お付きの人物がいないことに気付く。
「護衛はどうした?」
「No.1は……入院中だ」
「あの……No.1が?」
シズハが信じられないと口を開けている。
確かに君よりいくらか強そうだったけどさ。そんなにか。
「そうか。お大事にと伝えておいてくれ」
「同じお悔やみを、病院送りになった他の3人のカーネイターにも言ってやってくれないか。おかげでうちは管理人材不足だよ。困ったことだ……」
若きボスはそう言って、本当に頭が痛そうに額へ手を当てた。
「3人? あの受付嬢以外だと、病院送りは4人だったはずだけど」
双子の暗殺者、力自慢、それからぐるぐる巻きの人。
4人いたはずだ。
「4人も倒したの?」
シズハは驚きが追いつかなくて、目を白黒させている。
「受付嬢――ああ、No.11ミドリのことか。それはともかく、No.6――ルドラ・アーサムは除名することとした」
「ルドラ・アーサムって、あのぐるぐる巻きにした奴か?」
「ああ。今は留置しているが、必ず落とし前は付けるつもりだ。一つ詫びとしたい」
「…………」
シズハが複雑な顔をしている。
本来ならば、その立場に自分も立っていたかもしれないわけで。無理もないか。
それとも。嫌いとは言いつつも、殺されかけても。
やはり同僚が始末されるのは、偲びないのだろうか。
彼女と目が合う。表情が伝えてくる通り、複雑な思いがあるようだった。
だったら。
「いいや。何も殺すことはないだろう」
「お言葉だが。甘過ぎるんじゃないのか? 彼は忠誠の男だが、性質は残忍だ。だからこそ裏始末の仕事を任せていたのだが……お前の許せる人物になるとは到底思えない」
「わかってる。もちろんそのまま出すとは言ってないさ。もっと良い落とし前があるんだ。今思い付いた」
そう言えばいたんだよね。
ラナソールの大魔獣討伐祭のとき、選手名簿一覧に彼の名前があったんだよ。
あのときなぜか視線に少しだけ殺意が混じっているのを感じたけど。あれはたぶんあいつだったんだ。
ということは――ルドラ・アーサムは間違いなく、ラナクリムプレイヤーだ。
一応確認を取る。
「シズハ。ルドラは、ラナクリムをやってるんだよな?」
「ええ。腕は確か。でも……ストーカー気質。口を開けばベッドの誘い。きもい」
なるほど。それは嫌だな。
逆に言うと、シズハにはそれなりに好意を持っていた。
だから人質に留めて、ギリギリまで殺さなかったのか。
何が上手く転ぶかわからないもんだ。
とにかく。そうとなれば刑は決まった。
そのときの俺は、たぶんちょっと悪い笑みを浮かべていた。
ボスもシズハも要領を得ず、首を傾げる。
「それがどう関係するのだ?」
「無限迷宮シャッダーガルンってあるよね」
迷宮都市アルナディアに存在する超巨大ダンジョンだ。
「あ……なるほど」
シズハは深々と頷いて、リアルでは珍しくにやりとする。
ボスはまだわかっていなかった。
「どうするのだ」
「彼に調査命令を下して欲しい。条件はただ一つ」
無限迷宮シャッダーガルン。
そのすべての階層をクリアし、攻略レポートにまとめること。
ゲームは1日14時間。その他多少の自由時間と、飯と風呂とトイレと寝る以外は一切禁止。
「それは……事実上の終身刑ではないのか?」
さすがのボスもやや同情的だった。
ただ死刑にするより、ある意味残酷なことをしようとしていると理解したからだ。
「かもな。まあ元々調べたいとは思っていたからね。彼には心ゆくまでやってもらおう」
誰もクリアしたことがないダンジョン攻略を、ひたすらに。ネトゲ廃人になるまで。
噂だとガチ勢が攻略に数年以上かけても、まったく果てが見えないという。
今までの仕事とはほぼ無縁の、モンスター以外殺せない素敵なライフワークになるんじゃないだろうか。
「ざまあ」
シズハが文句なしにほくそ笑んだ。
この判決には後ろめたいところがなく、とてもご満悦頂けたようだ。
「まああいつの話はそのくらいにして。そろそろ本題に入ろうか」
「夢想病……その調査が任務、だったかしら」
弱シルヴィアモードのシズハさんも、再び顔を引き締める。
「うむ。そのことだが……我々にとっても切実な問題でね」
彼は俺とシズハを除くすべての人を部屋から払った。
そして、深く長い息を吐いて。
「ぜひ内密に相談したい事情があるのです」
シルバリオは、そう言って頭を下げたのだった。




