75「ユウ、シズハと少し話す 1」
大会の翌日、出発前のランドを引き留めてまたリクとのパスを通してもらった。
途中、薄暗くて色んな記憶や感情が渦巻いている不思議なところを通って行かないと、二つの世界は行き来できない。
気を強く持っていないと辺りの記憶や感情に引っ張られて変になってしまいそうなので、ここを通るのは割としんどい。
それにしても……なんだろうな。この『心の世界』に似たおかしな場所は。
シンヤとシンのときもそうだった。空間の中に詰まっている記憶や感情が違う人のものであるだけで、見た感じや枠組み自体は一緒のようだ。
今進んでいるところは、リクとランドの心が繋がって通り道になってくれているけど。そこから外れたところもずっと広がっているみたいなんだよな。
ただ通り道以外は壁のようになっていて、行こうとしても行けない。行けたら調査してみたいんだけど。
二つの世界を結ぶ中継地点というより、ここまで広いともはや第三の世界と言った方がいいのかもしれない。
あくまで個々人にパーソナルスペースが割り当てられているような感じだ。
〔ラナソール → トレヴァーク〕
「よっと」
前に通ったときは気分が悪くなったけれど、覚悟ができていた分すんなり通って来られた。
振り返るとリクが立っている。彼は白モップに身を固めて、襟を正しているところだった。
「8時ぴったりですね。ユウさん」
「うん。この間は悪かったなと思って」
ランドがいるときじゃないと行けないので、どうしても毎回この時間に来られるわけじゃないんだけど。
「ばっちり決まってるね。もう面接かい」
「企業説明会に行ってくるだけですよ。ユウさんは?」
「普通に調べ物かな。あとハルに会いに行くつもりだよ」
「そうですか。ああ、くそ~。僕も行きたかったですけど、仕方ないですね。後でお話聞かせて下さいよ」
「いいよ。じゃあまた夜に」
「はい。また夜に」
リクに別れを告げて、トリグラーブ市街へ出た。
実は今日、例の募金の裏を取る作業をするつもりだったんだよね。
本当はリクを連れていってあげてもよかったけど。危ないかもしれないから、たまたま説明会でよかったかもな。
それで、シェリーに聞いたドムスリーという医薬開発基金の所在地を調べて、向かってみたのだけど……。
壁、だな。
鼠色の壁を前にして、危うく怪しい独り言になりそうだった。
近くも探してみたけれど、結局ドムスリーなんてものは影も形もない。
もう詐欺か何かで確定っぽい気配になってきたけど。これ、止めさせてあげた方がいいよな。
アイドルに蔑まれても道行く人に冷たい目を向けられても、自分を信じて健気に募金を続けていた彼女を思うと、心が痛くなる。
ただドムスリーは架空だけど、エクスパイト製薬には金が行っているらしい。大企業の名を使うにしてはやり口がお粗末過ぎる気もするが。
とにかく、集金の人は疑ってかかった方が良さそうだ。
さて次はどうしようか。エクスパイト製薬も見学しに行っておこうか?
まあよその人を奥に入れてくれるとは思えないけど。あの会社結構黒いって言うし。
そうだ。毎度のことながら、ぴたっと俺に張り付いている人が一名ほどいるんだよね。
それも裏事情に詳しそうな人が。
感じ慣れた気配にもはや親近感すら覚えつつ。人気のないところへ歩を進めて、振り返る。
「なあ。ちょっと相談してもいいかな? シル」
一見誰もいない電柱の影に向かって声をかける。
しばし沈黙が続いたが、突然ヒュンと物音がした。
「わっと」
眉間目掛けて何か――え、矢か!?
矢が飛んできたので、首を動かして避ける。
先ほどまで額のあった位置を通過して、後ろの壁にサクッと突き刺さった。躊躇いなく綺麗に突き刺さっていた。
よく見ると白い紙が括り付けられている。
矢文とはまた古典的な……。
というか、今絶対狙ったよね。あわよくば殺すつもりだったよね?
俺じゃなかったら死んでるかもしれないよ……。
ある意味信頼してくれてるのか? 嫌だなあ、そんな信頼のされ方。
この世界許容性低いから、あまり速いもので攻撃して欲しくないんだよな。今のも楽勝ってほど余裕はなかったし。
びびったけれど、気を取り直して矢文を開いてみる。可愛らしい丸文字が目に飛び込んでくる。
こういうところは女の子だな。で、なんだって。
『シルって言うな!』
終わり。以上である。
ひどい。さすがにこんなので命を狙われたんじゃたまらないよ!
『シルって言うな!』が額に突き刺さってくたばっている自分を想像して情けなくなる。ほんの少し怒りも覚えた。
いけないいけない。こんな下らないことで怒っているようじゃ。
俺は無理に笑顔を作り、懐から取り出す振りで『心の世界』からノートを取り出して、一枚破った。
ちょっと音が大きかったかもしれない。
一つ深呼吸して気持ちを整え、一筆したためてから丸めて投げ返す。
『どうしてそう付け狙うんだ。別に君に何もするつもりはないよ』
やや待っていると、向こうの電柱の影から白い手が覗く。
ひょいと丸めた紙を投げ返してきた。
拾い上げてみれば、しっかり一行書き足されている。
『あなた、思った以上に注目されているのよ』
『夢想病の件で?』
さらに一行書き足して投げ返す。
自分でやってて思うけど、なんだろうこのコミュニケーション。
ただ彼女、よほど姿を見られたくないらしくて。こうでもしないとまともに話してくれそうにないんだよな。
このやり方が気に入ったのか、シルヴィアの中の人はそのまま会話を続けてくれた。
しかも結構な勢いで飛んでくる。ナイスピッチャーだ。地味に楽しんでないか?
『それもある。他にも色々。今やあなたの一挙一動が注目されている』
そうか。夢想病を治したというのが最大だろうけど、ラナクリムでも結構やらかしちゃったっぽいしな。
彼女の追跡を撒き続けていること自体も注目に値するのかもしれない。
『俺にどうして欲しいんだ』
『これ以上余計な首を突っ込まない方がいいわよ』
温かい言葉ではないが、彼女なりの親切と受け取った。
もしかするとこの一件、辿っていくと大きなところに繋がっているのかもな。
エクスパイト製薬と繋がっている噂のあるところと言えば……。
『なぜ』
『私も「仕事」をしなければならなくなる』
『エインアークスのか?』
しばらく紙が返って来なかった。『心の世界』にも動揺が伝わってくる。
カマをかけてみたんだけどな。当たりだったみたいだ。
エインアークス。数ある闇組織の中でも最大のものだと色んな本で見た。
まあマフィアみたいな連中だ。悪いこともたくさんするが、裏社会の秩序を保っている要でもある。必要悪みたいなものか。
やがて、いらいらしたような力任せのど真ん中ストレートで返球が来た。
『死にたいの?』
『もちろん死にたくはないよ』
『じきに見過ごせなくなる。手段はいくらでもあるのよ』
『簡単に始末できるとは思わないことだ。あまり俺を見くびらない方がいい』
ちょっと言っておきたかった。
容姿や普段の雰囲気から舐められがちではあるんだけど、これでも色々戦ってきてるからね。
『そう。忠告はしたわよ』
『ありがとう。あと身分証明証とか色々』
『別に。あなたのためじゃない。余計な仕事は増やしたくないだけ』
『またラナクリムしようね』
そう返すと、またしばらく沈黙が続いて。
電柱の陰から、そろそろと白い手が覗く。
ピッ。
親指が立った。ばっちり立っている。俺も立て返してやった。
それきり、とりあえずもう話すことはなかった。ずっと付いてきてはいるようだけど。
あの子、本当は裏の仕事向いてないんじゃないかな。
ゲームやってた方が楽しそう。何となくそう思った。




