17「ニルバルナの魔窟 2」
険しい断崖絶壁には、所々に洞窟が空いているのが見える。
前に似たような場所に行ったことがあるが、そこで洞窟に入ったらえらい苦労したことあったなあ。今度もそうでないといいけど。
後方を振り返ってみると、どこまでも鬱蒼とした森が広がっていた。以前俺とユイが降り立ったあの森だろう。
出て来た場所は、正確にはランドたち冒険者チームの小規模キャンプだった。
チームとは言っても、ランドシルペアとそれ以外は本来先を争うライバル関係にある。
ワープクリスタルが非常に高いため、協力して購入し、しばらく共同で使っていただけのことらしい。
新天地の発見が相次いだおかげで、もうすぐ二個目と三個目を買えるので、そこからはそれぞれに別れて競う予定だとか。
キャンプを一人で見張るジムさんと二言三言ほどやり取りを済ませた後、四人で崖の方へ歩き出した。
崖に向かって吹き付ける風が強い。
スカートで出かけたユイが、何度もめくれそうになって押さえていた。
この風のおかげか、崖底に漂う空気に澱みはなく、澄んでいておいしく感じた。
「そろそろだ」
ランドがみんなに注意を促す。パワーレスエリアはもうすぐのようだ。
俺は試金石のために、気剣を作り出して左手に握っておいた。
チートめいた圧倒的白の輝きを放つ、おそらく俺史上最強の気剣である。
まだ力は健在だが、これがどうなるか。
やがてそこへ一歩足を踏み入れた途端。気剣で推し量るまでもなかった。
羽のように軽かった身体に、急に重さがかかる。
気剣の輝きも、ほぼ通常時のものに戻ってしまっている。
「うっ……」
隣を歩いていたユイの膝が、がくんと折れた。
「ユイ! どうした!?」
倒れずにこらえるも、ふらふらとよろめいて見るからに辛そうだ。
気剣をしまい、すぐに肩を支えてやる。
ユイは俺に身を預けて、弱々しい声でどうにか言った。
「ダメ……。立っているのも、息をしているのも……辛いくらい」
「本当か……。これは俺が行った方がいいな」
「まさか、こんなに力が入らないなんて……。ユウは、何ともないの?」
「今のところは」
気剣は通常に戻ってしまったようだが、ただフェバル染みた感覚がなくなったというだけのことであり、普通に問題なく動けそうだった。
ランドとシルは俺がユイを支える姿ににやにやしていたが、すぐにその事実に気付いて言う。
「ユウはあまり何ともなさそうだな。ここに来た連中、みんな力が使えないってギブアップしてたのによ」
「今回はユウ頼みってわけね。よろしく」
「わかった。でも行く前にユイをこのエリアから外に出そう」
パワーレスエリアから外に出ると、たちまちユイは元気になった。
「ああ怖かった。あのエリア、気を付けないと」
さりげに身を預けたまま離れないユイに、念話で尋ねる。
聞かせる話じゃないので。
『どうして俺たちは元々一つなのに、こうも差が出てしまったんだろうな』
『わからないけど……。まるで許容性が下がったような。そんな感じがしない?』
『言われてみると本当に感覚がよく似てるよな。とすると、本来君は外に出ている存在ではないから、影響が大きかったのかもしれない』
『かもね。まあ今回は大人しくお留守番してるよ』
『うん。それがいいよ。君の分まで頑張るさ』
『あまり帰りが遅くならないようにね』
『そこも頑張る』
話がまとまったところで、俺はユイをそっと離した。
ちょっぴり残念そうな顔をするユイから目を離して、二人に向かって言った。
「まずは一人で上から様子を見て来ようと思う」
「上から!? そんなことができるのか!?」
いつも素直に驚くランドは、まるで少年のように純真な心を持っていて。好感を覚える。
「大丈夫。少し時間はかかるかもしれないけどね。ちょっと待っていてくれ」
俺はユイのように空を自在に飛ぶことはできないが、代わりに俺のときしかまともに使えない技がある。
行こう。
《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》……
俺はショートワープを連続で使用して、重力が身体を落とすより早く、何度も消えては現れ、宙を垂直にどんどん駆け上がっていった。
リルナの技は『心の世界』に一切の負荷をかけない。
彼女の愛があるからだ、と言うと臭いかな。
体力以外の消費は一切なしで使えるため、パワーレスエリアでなければ、チートスペックを背景に実質使用無制限である。
他人から見るとシュールな絵面に、下から驚き呆れるランドシルの声が届いた。
「うっひゃあ。あいつ、人間かよ」
「軽々とSランクになっただけのことは……化け物ね」
……そんなに驚かれるようになると、そろそろ人間卒業してきたのかなという気がしてくるよ。
いつからこんな風に見られるようになったっけ。サークリスにいたときはそんなことなかったはずなんだけど。
十分高さを稼いだところで、心通信で呼びかけた。
『ユイ。そろそろ頼む』
『了解』
地面で、ユイが手を突き出して構えたのを感じた。さすがにわかっているな。
俺もそれに合わせて手を突き出し、構えておく。身体の向きは崖に対して背を向ける方向だ。
《セインブラスター》
大気をも揺るがす威力のエメラルドビームが、正面わずか上に向かって撃ち出された。
魔法が出たのは俺の手からだった。だがもちろん魔法の使えない俺自身が出しているわけではない。
『心の世界』を中継して、ユイの魔法をこちらで受け取って放ったのである。
撃ち出した魔法は、攻撃のために使ったのではない。
反動で俺の身体は水平方向への推力を得て、恐ろしい勢いでっかっ飛んでいく。
そう。推進力のために使ったのだ。
力が有り余っているからこそやろうと思った、かなりの力業だ。
パワーレスエリアに入ると、魔法は霧のように掻き消えてしまった。
しかし、一度付いてしまった勢いまでが消えてしまうわけではない。
慣性に従って、俺の身体は少しずつ落ちながら、まだまだ横へ飛んでいく。
切り立った崖の上が見えた。
とどめの《パストライヴ》で勢いを殺しつつ、位置を微調整して着地する。
ふう。上手くいったな。
《パストライヴ》だけで真横にも飛ぶことはできたが、そうしなかったのは、パワーレスエリアにおいては体力の消耗が無視できないため、使用無制限とはいかないだろうと感じていたからだ。
途中で力尽きたら格好悪いからな。魔法一発で来られたのは良い発想だった。
さすがに上まで行くと肌寒かった。結構薄着で来たからなあ。
『ユイ。温める魔法を、ってここじゃ使えないんだったな』
『ごめんね。そっちで頑張って』
『ああ』
『心の世界』からコートを取り出して羽織る。いくらかマシになった。
辺りはぺんぺん草も生えないと言ったら良いだろうか。鼠色の地面が変化もなく続いている。
別に何かがいるわけでもなく、少々退屈な光景だった。
小さなものから大きなものまで、所々に深い縦穴が空いている。下を覗き込んでみれば、どうやら洞窟の中間地点になっているようだ。
つまり、地面から入れるあちこちの洞窟には、空が見える地点がいくつもありつつ、複雑に繋がって巨大な迷路を作り上げているわけか。
これを素直に攻略しようとすれば、探索には非常に時間がかかってしまうだろう。魔法も使えないとなれば、この世界の人にはかなり厳しいのではないか。
だが俺には完全記憶能力と上からの俯瞰視点がある。
まずは上から見えるところをマッピングしていくか。
気力強化をかけてから、ユイに念話を飛ばす。
『上を調べていく。たぶん半日くらいかかるから、今日のところはキャンプに戻っていてくれないか』
『わかった。二人には伝えておくね。私は家に帰った方がいいかな?』
『いや、今日だけはキャンプに残っていて欲しい。俺が帰るのに必要だ』
『ああそういうこと。うんわかったよ』
俺は直接歩き回ったり、跳び上がった後《パストライヴ》を使ってさらに上空から様子を眺めるなどして、穴の位置と下の様子をつぶさに観察していった。
これで、下を歩いて空が見える中間地点を通った際に、自分が今どこにいるのかという情報を知ることができる。
やがて崖の向こう端に着いた。
その先を見て、少し驚いた。
まさかいきなり砂漠になっているとは思わなかったからだ。
時は既に夕刻のようで、オレンジ色に照らされた砂が果てることもなく続いている。
この崖を降りれば、俺たちは洞窟をスルーして先に進むことができるが……。実際それは可能だが……やめておこう。
目的はランドとシルを順番通りあそこまで連れて行くことだ。
あの二人は冒険の過程を楽しんでいる。であれば、野暮なことはするものじゃないだろう。
よし。このくらいで良いだろう。そろそろ帰るか。
『ユイ。そっち帰るから、人目の付かないところに』
『オーケー。行くね』
少し待っていると、ユイから『大丈夫だよ』と声がかかってきた。
そこで俺は『心の世界』に対して、ユイの元へ行くように念じた。
すると次の瞬間には、俺はユイの隣に出ていた。
「おかえり」
「ただいま。初めての試みだったけど、上手くいったね」
「考えたね。自分をしまうなんて」
そう。やったことはそんなに難しいことではない。
『心の世界』には、色々なものをしまっておいて、取り出すことができる。
だったら、自分自身をしまってから取り出してみたらどうだろうかと思ったのだ。
現実世界に誰もいなくなってしまうのはまずいのか、一つの身体のとき、自分をしまうことはできなかった。変身が限界だった。
なので、ユイが別の場所に実在していなければできない芸当ではあるようだ。
だがこの世界に限っては、いつどこにいてもユイの場所に帰ることができそうだとわかった。また逆もしかりだろう。
転移魔法のように許容性に左右されないため、実はかなり強力な移動手段なのではないだろうか。
傍目から見るといきなり俺がユイから出て来たように見えるので、一応誰も見てないところでやるように言ったわけだが。
「シルは見てないよな」
「そこは一番警戒したから」
二人で苦笑いする。
あの子に対する評価は、とんでもない人物で一致してしまったようだ。
キャンプに戻ると、二人とジムが温かく出迎えてくれた。ユイの手料理も待っていた。
調査していた間は何も摂っていなかったので、もちろんおいしく頂いたよ。
「どうだったの」
「上は大体調べ終わった。明日からいつでも探索オーケーだよ」
「おお! 楽しみだぜ」
ランドとシルは嬉しそうに意気込んでいた。
ユイは夜の食堂があるからと名残惜しそうに家へ帰っていき、今日の夜は過ぎていった。




