72「二人の帰還」
固く抱き締め合ったまま、大気圏に突入して。
《ディートレス》に包まれた状態で、リルナの重力制御に従って徐々に地上へと落下していく。
やがて、無事に地表まで辿り着いた。
偶然にも、向こうにディースナトゥラを望むなだらかな丘の上に。
ふう、とリルナがほっと一息を吐いて、地に背をつける俺にぐったりと身を預けた。
顔を寄せて、にやりと笑いかけてくる。
「さすがにギリギリだったな。もうすっからかんだ。身体が動かない」
「俺もだ。全然動かない」
お互い生きているのがやっとの状態で。支え合うように抱き合っている。
「ふ、ふふ」
「は、はは」
何だか可笑しくなって。二人で笑い合った。
「ボロボロだな。お互い」
「でも、何とか生きて帰れたね」
また自然と顔が近づいて。唇が触れ合う。
舌を繰り返し絡め合って。蕩けるような口づけを交わした。
何度でもしたい。こうしていたい。
リルナも同じ気持ちで、積極的に俺を求めてくる。
胸が押し潰れるほど、べったりと身体を擦り付けてくる。
俺も彼女に応えて、さらに奥へ舌を伸ばす。
彼女の匂いを。重みを。柔らかさを。ぬくもりを。
全身で感じる。全身で伝え合う。
ただそれだけで、心から幸せだった。
ひとまず気の済むまで、愛を確かめ合って。
ぷはっと、唇が離れた。ねっとりとした唾液が、細く長く糸を引く。
リルナが、仕方ないと笑った。
「誰かが助けに来てくれるまで、こうしているしかないな」
「まあそのうち来るだろう。運良く首都の近くだし」
落下場所によっては大変だったかもしれないが、運命もそこまでいたずらはしなかったらしい。
彼女が、期待を込めた熱っぽい目でこちらを見つめている。俺は言った。
「続きをしようか」
「ん」
もう一度、お互いを求め合おうとしたところで。
タイミングというのは、良いのか悪いのか。
「おーい」
風の音に混じって、遠くから女の声が聞こえてきた。
「ユウくーん! リルナさーん!」
声のする方を見やると、車が段々近づいてくる。
まだ届く声は小さいが、特徴的な呼び方でアスティだとわかった。しきりに手を振っている。
二人とも、こうして抱き合っていることが途端に恥ずかしくなってきた。
だが誤魔化そうにも、どちらも身体を退ける体力など残っていない。
「あらまあ」
みっちりと全身を絡め合ったまま横たわる俺たちを見つけて、アスティの第一声はそれだった。
「やっぱりそうなったわけねえ」
彼女は、にんまりと笑みを浮かべている。
「君も人が悪いよな」
「ほんとだぞ」
リルナがむすっとして、口を尖らせる。
さすがにもうわかる。ずっと知っていて、からかっていたわけだ。
「あたし、人を見る目はばっちりありますから。でもね」
アスティはちょっぴり名残惜しそうに、唇に指先を添えた。
「あたしも、ちょっとだけ本気だったんだけどなあ」
「えーと……」
リルナの顔をちらりと見つめてから、またアスティに視線を戻す。
返答に困っていると、彼女はにこっと笑った。
「ま、いいのいいの。男なんて腐るほどいるしね~」
応援する気持ちのこもった、生暖かい目で見下ろされて。
俺は、恥ずかしさにその場から消えてしまいたい気分だった。
「さーてと。せっかく平和になったことだし、あたしも恋しよっかなあ」
アスティがうんと伸びをしたところに、遅れてまた女の声が聞こえてきた。
「いたのか!」
今度は、ラスラの乗った車のようだった。
どうやら手分けして、みんなで探してくれていたらしい。
車からさっと降りた彼女は、抱き合ったままの状態の俺とリルナを交互に見やった。
何が起きているのか気付いた途端に、彼女は顔を真っ赤にしてしまった。
「どんまい。ラスラねえ。ユウくんに先越されちゃったね」
心底面白がって、アスティはラスラの肩を叩く。
「あ、あ、あのだな……」
ラスラは、こちらをまともに見られないようだった。
本当に初心な人なんだな……。
「お、おめでとう」
顔を背けたまま、辛うじてそれだけを言ってくれた。
「ありがとう」
俺もそう答えるしかない。
別に見せ付けようと思って、こうしているわけでもないのだけど。
「まいった。これじゃあ公開処刑だ」
「ふふ。まあいいじゃないか」
リルナが嬉しそうに顔をすり寄せてくるので、俺はたじたじになってしまった。
***
俺のために鎧を脱ぎ捨てたリルナは、ほとんど下着も同然の姿だった。
さすがにそのままではまずいということで。
ラスラとアスティは、他の男性陣に戻って待機するよう伝える配慮をしてくれた。
アスティが動けなくなったリルナを背負って、車に乗せてくれることになった。
ラスラは俺を背負おうとしてくれたので、せめてより体重の軽い女に変身して身を任せることにした。
「集合場所、ディースナトゥラ市立公園だって。テオも来るってさ」
ロレンツとの通信を切ったアスティが、懐に通信機をしまう。
私を肩まで背負い上げたところで、ラスラが言った。
「私たちはな。お前たち二人ならやってくれると、信じて待っていたぞ」
アスティが、同情的な目をこちらに向けてくる。
「でもユウちゃん、右腕まで失っちゃうなんてね……」
「本当にとんだ馬鹿だよ。こいつは」
「だけど君が助かったんだから、よかったよ」
「ひゅーひゅー」
アスティが即座に茶々を入れてきたので、私はじと目で彼女を見た。
「あのね。あまり私をいじらないでくれる?」
「もうこれは仕方ないだろう」
ラスラがくすくすと笑った。
「そう言えば、ユウちゃんの方はリルナさんのこと好きなの?」
リルナも気になったのか、こちらを窺うような視線を向けてくる。
私は素直に答えた。
「んー。普通に人として好きってところかな。やっぱりこっちだと平気みたい」
『私は譲るからゆっくり楽しんでね』
「って、あっ、おい! 勝手に離れるな!」
「あ、ユウくんになった」
くそ。
まだおんぶされているから、男に変身するわけにもいかない。
「何が私は譲るからゆっくり楽しんでね、だ」
たまに面白がって遊ぶんだよな。「私」は。
母さんのいたずらなところまで似なくてもいいだろうに。
「で、どうなんですかユウくん」
「好きだよ。あまり何度も言わせないでくれ」
するとアスティは、面白そうに舌なめずりをした。
ぞわりと寒気がする。
「ほー。これは、プレイの幅が広がりそうですねえ」
「見た目は百合か。そうか百合か」
ラスラが、何やらぶつぶつと怪しげなことを言い始めた。
「わたしはどんな姿でも一向に構わんぞ」
リルナがきっぱりと答える。
姿は関係ないって言ってくれるのは嬉しいけど、そんなところまで堂々としなくてもいいだろう。
「ひゅーひゅー」
『ひゅーひゅー』
いや、お前の身体だぞ。
元々男勝りな戦士揃いだからか。
みんなそっちの話に対しても、あまり遠慮がないようだった。
車に乗せてもらったところで、「私」のいないまま女でいるのがむず痒かったので、すぐに男に戻ったけど。
それから特にアスティに色々と尋ねられて、死ぬほど恥ずかしい思いをしたのは言うまでもない。
リルナはその辺堂々としているというか。
何を聞かれても、こちらが恥ずかしくなるくらいきっぱりと答えていた。
ラスラが運転する車は、丘の上をのんびりと進んでいき。
やがて、ディースナトゥラの外周ゲートへと到達する。
この世界に来たとき、固く閉じていたゲートは。今や誰もが素通りできる状態で開かれていた。
ゲートの電光板には、『お帰りなさい』の文字が光っている。
こんな粋なことをしてくれたのは誰だろうか。
そして、ゲートを通った先――。
首都ディースナトゥラには、音が戻っていた。生活が戻っていた。
激しい戦闘で傷付いた街並みは、あまりに痛々しく。犠牲になってしまった者は、数え切れない。
自分が止まっていたことなど、まだ知る由もなく。
突然の時間の経過に、すっかり混乱している市民たち。
だがそれでも、彼らは生きている。
動き出して、人の営みをまた始めようとしている。
これでいい。これでやっと。
帰ってきたんだな。
長い戦いが終わって、これから続いていく日常に。




