90、
セラ君のソロライブに来ていた。
ここ付近では1番広いホール。
席自体は無く、場所もかなりフリーだった。
私のように特別権みたいなチケットを持っていると、最前列あたりを優先して入れてくれた。
ほぼ満員。
主役はまだ現れてもいないのに熱気が私にまで届く。
こんなすごいことになっているだなんて思いもしていなかった。
そろそろ始まる時間だった。
荷物はしっかり置いていて、靴もシューズを履いてきた。
今日は跳べるぞ!
いきなりドラムがビートを奏で始めた。
いつの間にか舞台の上に人が3人くらいいて、それぞれギター、ベース、ドラムに配置づいていた。
私はこの曲を知っていた。
ダンドリオンの曲。
今、クレーンで上げられてきたセラ君は普段の清潔感とは打って変わってロックな衣装に身を飾っていた。
「みんな、今日は来てくれてありがとう! 楽しんでいってね!!」
そして始まる。
皆サイリウムを振りながら、きゃーきゃー騒いでいた。
始まったのは、紛れもなくダンドリオンの曲であった。
Angel voiceで歌われるそれは、カジくんとは違って、心臓に届くのではなく、心に響いている。
逆にこっちが親だと言わんばかりの歌唱力。
荒島セラの実力は、今流行りの歌手より上だった。
こんな感じで何曲も何曲もリメイクがあり、最後に自分の持ち曲。
なんとも大胆な構成だった。
アンコールも終り、私の懸念していたようにはならなかった。
セラ君は汗を流しながら舞台袖へと消えていった。
後でメールを送っておこう。
お疲れ様と。
このまま帰宅する。
少しばかり県を跨いでいるので帰るのは大変だ。
電車も、さっきのソロライブに来ていた人で溢れ帰っていた。
満員電車。
その中にポツポツとサラリーマンがいるのはしょうがないことだろう。
私はドアに張り付き身動きが取れない状態でセラ君にメールを送った。
そしていつものようにイヤホンをして曲を聞く。
ダンドリオン。
これはこれで好きだ。
ただ、セラ君の歌は、魅せるのではなく見せるだ。
いや、なんとなくだけど。
歌声で酔わせるのではなく、歌声が、本当に見えるとでも言うのだろうか。
彼が歌った曲は、亡き友への手紙というタイトルがつくほどなんとも虚しい曲。
その風景が見えたのだ。
瞼を閉じて、鮮明に見えるそれ。
どんな超能力を使っているのだろうか。
そんなこんな考えていると、お尻に違和感を感じた。
まさかねぇ。
と思いつつも、若干揺れる度に触れてくる手のようなものは大変気色が悪かった。
まだ20分くらい乗っていなければいけない。
誰かに助けを求められる訳でもなく、ただじっと我慢をしていた。
私が抵抗出来ないと言うのを悟ってか、偶然を装わなくなった。
気持ちが悪い。
くそ、気持ちが悪い。
もはや泣きそうだった。
誰か……助けて……。
「な! なんだよ!!」
「いいから降りろゲスが!」
イヤホン越しに聞こえる怒声。
私は振り返るとそこには禿げ面のおじさんと、その手を取り上げる晋三さんが睨みあっていた。
「オレが何したってんだよ!」
「逆にここで大声で言ってやろうか? こっちは大事にしたくない。だから降りろ」
すると私とは反対側のドアが開いた。
「時雨ちゃんも来てくれないか?」
「あ、はい」
スーツの晋三さん。
まるでお父さんのようなその風格に、思わず涙が出た。
人を掻き分けホームに出る。
周りの人たちは晋三さんたちを見ながらヒソヒソと何かを話していた。
電車の扉が閉まり、それさえもわからなくなる。
晋三さんは禿げ面の男を引っ張り、人があまりいないホームの端に向かった。
私は、ほそぼそと着いていき、この後起こる考えたくもないことを想像していた。
「謝れ」
「だから何もしてないっての!」
「あ!? この子の周りは俺とお前以外女だ」
「お前がやったんだろ!? その矛先をオレに向けんじゃねぇよ!」
「コイツは俺の娘だ!!」
禿げ面の男はそれを聞くなりたじろぐ。
「は、はぁ! 誰が信じるかよ」
「なぁ、時雨。そうだよな?」
「あ、う、うん」
「ほら、この子もそう言ってるぜ? なんなら保険証でも見せてやろうか?」
「ひ! す、すみませんでした!!」
男は土下座をする。
「ホントにすみません! つい出来心で!」
「ゲス野郎が。もうやるんじゃねぇぞ。次は豚箱行きだからな。まぁ、今回は俺で良かったな」
そう言って、私の肩を押しながら、今来た電車に乗った。
最後尾。
さっきまでの満員とはかけ離れ、2人が座ってもまだ何人か座れるほど空いていた。
「時雨も時雨だ。直ぐに拒め」
「ごめんなさい」
「ったく、まだ20分くらいあるだろ? 耐えるつもりだったのか」
私は力無く頷いた。
「もう少し強い姿勢でいろ。 そんな考え方だと損するぞ」
「はい」
次の駅で止まった。
ドアが開くと何人か降り、その代わりに何人か乗る。
「セラのライブに来てたんだな」
「あ、はい」
「俺も行ってた」
「チケットは?」
「買った。あのバカくれないからよ」
「そうなんですか」
「仕事終わりに行ったからこんな感じだが、むしろ行ってよかったかもな。お前を助けられたからな」
「ありがとうございます」
「まぁ、いいよ。それより、ちゃんと帰るんだぞ」
「あ、はい」
晋三さんは立ち上がり、今開こうとしている扉に向かった。
「常に心配だよ。お前も、美晴も、セラも。少しは大人になれよ」
最後にそう呟いて開いたドアから出ていった。