43、
ゴホンゴホン。
左から咳の音が聞こえる。
紛れもなく彼なのだが、誰も気にしないので私も気にしないことにした。
「そういやぁ、晋三やつはどうしたよ?」
カツカレーを食べながら土門さんはそう聞いた。
セラ君と美晴の間に座り、飲むように食べている。
「師走だからねぇ。会社の方が追い込んでるんじゃない?」
「晋三は大変だなぁ」
「本当ねぇ」
テラコさんは私の隣でカルボナーラを食べている。
「てか、そろそろ本番やけど、練習してんの?」
「まぁまぁ、かな。新しい曲はないからそこまで合わせる必要ないし、僕としてはあまり歌って喉ダメにしたくないしね」
「そんなにキー高くないだろうがゴホン」
「今の咳はわざとでしょ」
「そんなことなゴホン」
「嘘っぽ」
「まぁまぁ。私としてはセラちゃんの高音聞きたいのだけどね」
「テラコさん、僕そんなに高くいかないんですよ」
「だからって練習しないのかよ。よお、セラよお」
「土門、また鼻にカレーついてるよ」
「ぬお!!」
「練習してないわけじゃないよ。ただ、限界かなぁって。Fから上がらないんだよ」
「へぇ。前はCじゃなかったかしら?」
「それいつの話ですか?」
「さぁ、いつだったかしらねぇ」
繰り広げられる会話についていけないでいた。
先日知り合った私が知っていることなんてたかが知れてるし、なにより知識もない私が、大丈夫、上手だよ、なんて言っても説得力がない。
「なぁ、時雨ちゃんがいるんやから、あれやらへん? あたしも聞きたいし!」
相変わらずのエセ関西弁で問いかける。
「あれ? なんですか?」
「いやぁ、セラフィールドっつうのかな?」
全く想像ができなかった。
「やるったって、晋三いないしよ」
「いなくても、私がカバーするわよ」
「え! やるのかよ」
「いいじゃない。時雨ちゃんの為だって思えば」
「わかったよ」
土門さんは食べ終えたカツカレーを厨房に持っていった。
「準備するから待ってろよ」
奥でガチャガチャと聞こえるようになると、テラコさんが新しい紅茶と、洋菓子をポツンと置いた。
「これでも食べながら待っててね」
テラコさんもピアノに行き指の練習なのか軽やかに引き始める。
「僕、やるなんて一言も言ってないんですけどー」
嫌々、立ち上がり、私の後ろを通る。
「時雨ちゃん、ちゃんと聴いてね。時雨ちゃんの為に歌うから」
「えーあたしはー? ひいきずるいやん」
「皐月さんはもう何回も聞いてるじゃん!」
「うん、ちゃんとミスったらわかるで」
「う、もうミスりませんから」
ステステ。
顔を見ないまま舞台に行ってしまった。
ワクワクしている。
なにが始まるのかわからない。
淡々と作られていくドラムセットと、場つなぎに奏でられるピアノの幻想曲。
セラ君は、目を瞑って、瞑想でもしているようだった。
スチャ。
ドラムのハイハットが踏まれた音がした。
「よし、終わり!」
「じゃぁ、始めるわよ」
「うん。いいよ」
空気が一瞬で変わった。