141、
「こら! テラコ! 困ってるだろ!」
「……ちっ!」
悩んでいるところに星空くんが助け舟のつもりで声を掛けてきた。
そして、あからさまに嫌な顔をして舌打ちをする。
「はいはい、うるさいねぇもう! ご飯ご飯!」
私を解放し、くるっと後ろを向いて食べ物の方へ行った。
「まったく、テラコさんは……」
星空くんは溜め息を吐いてコーラを飲んだ。
「っしゃ! ヨシくんの単独ライブ!!」
皐月さんの舌っ足らずの声が飛んできた。
声のする方を見たらピアノの隣にアコースティックギターを持った美晴がピックを口にくわえたまま片手を振っていた。
だいぶ酔っている。
「待ってました!」
「よ! 日本一!」
拍手と古臭い盛り上げが飛ぶ。
美晴が凄い技術でも見せてくれるみたいだ。
振ってる手を落ろすと拍手も自然に消えていった。
するとそのまま手でアコースティックギターを弾き始めた。
弦1本1本を意味深に弾き、それがこの空間に夜景を映し出す。
曲の区切りなのかやけに長い和音が鳴り響いた。
すると、歌が始まった。
聞き入っていた私はいつの間にか閉じていた目を開け、その聞き覚えのない歌声の主を見た。
美晴……。
美晴が歌うなんて思っても見なかった。
洋楽らしく歌詞は英語だった。
そこまで英語が苦手ではないが、急に英語が出てくると何を言っているのかわからなかった。
だけど、心地よい。
星空くんみたいな濁りのない透き通った声ではなく、静かな枯れさせられた歌声だ。
寄り添って語りかけてくるような、そんな声だ。
くわえていたピックはいつの間にか手に取りギターを的確に弾いていた。
こんなの聞かされたら、誰でも惚れてしまいそうだ。
相変わらずの浮気症は治ったのだろうか?
東京に行って私以外にこの歌を聞かせるのだろうか?
私以外の女に対して、これを歌うのだろうか?
変な考えがぐるぐると頭の中で回る。
虚しい。
信じていない訳でもないし、ましてやフラれても文句は言えない容姿だ。
それでも、これは私だけのものにしたかった。
安定感のある低音で終わると、誰からか拍手が出てきた。
美晴も無音を聞き終わると立ち上がってお辞儀をした。
「よし、時雨こっち来い!」
「え!?」
急にふられて変な声が出てしまった。
「歌えよ。オレが伴奏してやるから」
「いやいやいや! そんな歌える曲ないし」
「これなら歌えるだろ?」
急に出てきたスマフォの画面。
少し遠い美晴の下に行きそれを眺めた。
「……歌えるけど……」
「お! 今日は時雨ちゃんが歌うのか! よっ! 日本一!」
最早逃げられなくなった。
私は溜め息を吐くと、くるっとみんなの方を向いた。
なんで美晴がこの曲を出してきたのかは全くわからない。
なんせ、他のバンドの曲だから。
それを、歌わせる意味はなんなのかはわからない。
だけど、歌い始めた。
この場所にもし月が出るのだったら、それはきっと雲に隠れるだろう。
この場所の景色は、きっと私が不穏に淀ませている。
景色は美しくない。
そう思っていた。
何かをみんなが隠しているのはもう諦めた。
きっと知らなくていいことなんだから。
知ってしまったら、私は美晴を好きなままでいられる気がしないし、この場のみんなに顔を見せられなくなるかもしれない。
なんとなくそんな気がした。
なんとなく、そんな気がした。