魔法使いの天秤
あるところに一人、魔法使いの娘がいました。
世界でただ一人、不思議な魔法を使う魔法使いでした。
魔法使いは世界中のどこにもいなかったので、一人の名前でもありました。
魔法使いのもとを尋ね、人々は願いをかなえてほしいと口々に訴えました。
「作物がとれなくて飢え死にしてしまう。どうか、雨をふらせてほしい」
「私をもっと綺麗にして! 王子様の心を掴む、綺麗な娘にして!」
「わしは王様だ。隣国をそなたの力で手に入れることはできぬだろうか」
願い事を一通り耳に通し、魔法使いは言いました。
「私の魔法は生み出せない。代わりのものが必要になる。だからあなたたちは願い事と同じくらい大事なものを差し出すといい」
王様は難しい顔をして帰りました。
若い娘は魔法使いに罵詈雑言を投げつけて帰りました。
雨を降らせてほしい男は残り、神に祈りながら言いました。
「ああ、なんでもいい。なんでもいい! 雨をふらせて家族を助けてくれ!」
「では代わりをもらいます」
魔法使いが杖を一振りすると、男から髪の毛がさっぱり抜け落ちました。
それでも男は感謝の言葉をいいながら男の故郷の村へ帰っていきました。
翌日、男の村には雨がふりました。作物がたくさんとれ、空腹に喘いでいた家族は息を吹き返しました。
魔法使いは代わりのものを差し出したものにだけ願いをかなえました。
しかし代わりのものは人それぞれでした。おやつをとられた程度のものや、財産をまるごと全てなくしたものもいました。
王様は考えました。
そして、魔法使いのもとに一人の少年を遣わせました。
「こんにちは。貴方も願い事ですか」
「いいえ、特にありません。ただ、あなたの弟子になりたいです」
「……では、代わりのものはありますか」
「あなたのお世話と、話し相手になるくらいはできます」
魔法使いは呆れて、肩をすくめました。
「よろしい。代わりのものをもらいます」
少年は弟子になりました。
魔法使いは家事をすこしずつ少年に任せ、かわりに少年に魔法を教えました。
しかしこれまたさっぱり少年には身につかない。
教える側も教えられる側も数ヶ月しないうちに投げ出しました。
やがて少年は家事ばかりを立派に身につけ、魔法使いの家を取り仕切るようになりました。
その日々は穏やかなもので、時間の流れは幸福と寄り添っていました。
時はまだ流れます。
「では、願い事と同じくらい大切なものを差し出すといい」
そういって魔法使いは杖を一振りし、尋ねてきた騎士の剣をかき消してしまいました。
悲しそうに騎士はうなだれます。しかし、かわりに古ぼけたペンダントを大切そうに握り締めると、悲しみの中に微笑みを浮かべて帰っていきました。
あの時たずねてきたのは一人の王様と、たくさんの武器を構えた沢山の人でした。
王様は言います。
「魔法使いよ、おまえに渡す代わりのものは渡せない。しかしわしの願いをかなえてもらおう」
言われたほうは呆れ顔です。
その後ろに立っている少年は、気まずそうです。
「何をいっているのかわかりません。代わりがなければ魔法は使えぬのです」
その声に続いて、少年は申し訳なさそうに言いました。
「王様、魔法使いは本当に代わりのものがなければ魔法が使えないのです。おやめください」
「わしの部下が、はんこうするのか!」
「でも本当のことなのです」
魔法使いは黙ったままです。
「ゆけ、兵士たちよ!」
その言葉に、魔法使いは杖を振り上げました。
「私の家から出て行ってもらいます!」
魔法使いが育てていた植物たちが驚くほど急に枯れ、駆け寄る兵士たちを強い風が吹き飛ばしました。
外に出て、恐ろしい悪魔だと兵士たちが騒ぎ立てます。そして王様を守るようにかつぎあげると、転がるように逃げていきました。
やけくそのように最後に武器を投げつけてきましたが、魔法使いには一つもあたりませんでした。
そして家のドアをしめて、魔法使いは悲鳴をあげました。
「弟子よ、なんてこと!」
少年の、弟子の胸にぱっと赤い血が咲いていました。
服を湿らせ、ぽたぽたと床に落ちていきます。
「あんな武器があたるなんて!」
魔法使いは叫び、力なく、そして困ったように笑う弟子の顔見つめました。悲壮に、見つめました。
「魔法使いさん、もういいのです」
「自分は貴方を騙していました。自分は王様の部下なんですから」
「そんなことくらい知っている! 馬鹿者!」
魔法使いは杖を一振りすると、叫びました。
するとどうしたことか弟子の胸から赤い花はしぼみ、枯れて何もなかったかのように消えうせました。
少年は驚き、声なく驚きました。
そして魔法使いの胸に、ぱっと赤い血が咲きました。
「私は魔法使いだ。代わりのものを差し出せば、願いはかなう」
魔法使いは嘆く弟子に言葉をかけました。
「私は弟子が出来てから願い事がかなった。だから代わりをやったんだ」
「なんにも叶えてやしません」
「思い出せないほどたくさんだ、言ってやろうか?」
「朝、誰かがおはようと言って起こしてくれることだ。そして、温かい朝ごはんを文句を言いながら食べる。しかし本心から不満をいえないほど美味しいものだったな。うっかり昼寝をしていたら起こしてくれるだろう? それに、おやつの時間もついてきた。夜はおやすみなさいと言って眠る。出かけるときはいってらっしゃいで、戻ってきたらおかえりなさいだ」
「私は人間が嫌いだ。ただ、弟子がこういう生活があるものだと私の家を整理するうちに、そう悪くは無いと思った」
「弟子、どうしてくしゃくしゃな顔をするんだ。長く生きているが、ここ最近の私はまちがいなく幸せものだよ」
「少し眠いんだ、昼寝をするよ。……おやつの時間には起きるよ」
魔法使いは眠り、弟子は起き上がりました。
あるところに魔法使いの家があり、そこには弟子がすんでいます。
庭に小さな墓ができていました。
その横にはテーブルがおかれ、向かい側にイスがおかれています。
しかしおやつの時間になると、
「魔法使いさん、今日のおやつはパンケーキをつくってみました」
弟子がイスに腰掛けるのです。
「やあそれはありがたいな」
そして師匠も腰掛けるのです。