うるわしマリア様
あるところに悪魔と戦う人たちがいました。
人を堕落し傷つけるそれはそれは恐ろしい怪物を相手に、彼らは武器を持ち獅子奮闘の勢いで対抗していました。
しかし激しい戦いの中で悪魔の毒に犯されるものや、深い傷を負うものもたくさん出ました。
彼らはそれを嘆き苦しんでいましたが、あるとき小さなマリア様が現れ、たちまちのうちに傷を癒しはじめました。
「おお聖女様、感謝致します」
彼らは傷や毒が消え去ると、再び武器を取って怪物に挑んでゆきました。
何度も傷つき、毒に苦しみ、武器を杖に帰って来る者達に慈しみの言葉をかけながら、マリア様は癒し続けました。
戦いはさらに激しいばかりの道を進み、彼らは痛みに慣れてゆくばかりでした。
数年の時を経て、見習いの青年がマリア様の護衛につきました。
行動を共にするうちにマリア様は壁に向かって胸のうちをこぼしました。
「皆、死に慣れてゆく。私が癒すものだからどうでもいいと、俺の身体を顧みない。悲しいことだわ」
ぽつぽつと壁に向かって呟くマリア様を見て、見習いは困りました。口をきくことは禁じられていたのです。
困った末に、椅子に向かって独り言を言いました。
「ですが、貴女は多くの命を救ってらっしゃる」
「いいえ」
マリア様は壁に向かって話しかけます。
「怪我を負って、私が向かうまで間に合わなかった者が何百人といた事でしょう……」
「自らを省みないのは絶対の治癒があってしまうからなのよ」
顔を伏せてしまったマリア様に、見習いはあわてて椅子に向かって言いました。
「では、少しばかり身を隠して怪我をしないように言い聞かせてはどうでしょう!」
見張りの提案に、マリア様は目を丸くしました。
「驚いた。悪魔を倒し尽くしてしまえばいいと言うと思っていたの」
「すいません。夜の見張り番が多くて、朝の神の言葉をちゃんと覚えていないんです」
頭を掻いて反省する見習いは肩をすくめて謝罪しました。
壁を眺めている瞳はどこか懐かしげでした。
「でも隠れたりする勇気はないの。私はもう彼らを子供のように思ってしまったから」
マリア様は見習いが話しかけている椅子に話しかけると、その椅子に腰掛けました。
「結果はより深い傷になると知っていたのに、酷いマリアだわ」
長い長い戦いは、さらに長く長く続きました。
見習いは戦地へ行くことを止め、田舎へ帰ることにしました。
そうして出発する時、マリア様に会いに行きました。
「マリア様、一つ願い事をよろしいでしょうか」
最後の最後に見習いは言いました。
「マリア様のお名前を教えてくださいませんか」
ああ、とマリア様は深いためいきをつき、手で顔を覆いました。
肩を震わせ、唇を嬉しそうに緩めて、言葉にできないため息が何度かこぼれました。
「ありがとう、ありがとう」
それから何度もありがとうと、見習いの名前を繰り返しました。
見習いはそれを微笑んでみていました。
「私の名前を呼んで」
見習いは教えてもらった名前を一度だけ呼び、ささやかな世間話をしました。
「ありがとう。ありがとう。私の名前が呼ばれるなど、もうないことだと思っていました」
マリア様に見送られて見習いは田舎に帰って行きました。
マリア様はマリア様ではなく、ただの人でした。
ただ、生まれてから死ぬまでずっとマリア様でした。
見習いだった青年だけが名前を知っている、有名なマリア様でした。